不器用なミサンガ

 <不器用なミサンガ1/3>


ちまた公民館が面する交差点は車通りが多く、朝は渋滞がひどいらしい。平日午後も仕事へ向かう人、下校する学生、散歩する高齢者らが頻繁に行き交う。繁華街とまではいかないけど、閑静でもない。そんな街中で9月上旬、ちまた公民館がプレオープンを迎えた。少し古い建物の1階部分には、大きな木製の机が3台と丸椅子、本棚、銅版画の機器などが置かれている。およそ10坪の、簡素でこじんまりとした空間だ。


 足を踏み入れてしばらくキョロキョロしていると、女性スタッフさんが「お茶はないけど」と苦笑いしながら、「ばかうけ」と「ルマンド」を手渡してくれた。手元には裁縫セットが置かれている。他のスタッフさんに「暇つぶしに何か持っていったほうが良いよ」と言われ持参したらしい。スタッフさんは少し話した後にまた作業へ戻り、黙々ときんちゃく袋を縫い始めた。奥のテーブルでは、カップルがミサンガを編んでいる。ミナさんとちゃもさんというらしい。「はじめまして」と簡単に挨拶を交わし、目の前の丸椅子に腰をおろした。

交差点を行き交う車のエンジン音と、一定のリズムで刻まれる信号機の音が聞こえてくる。静かすぎず、明るすぎない、絶妙な心地よさ。開放されたガラス戸のほうから時折そよ風が入ってきて、残暑の嫌な感じが和らぐ。裁縫するスタッフさん、ミサンガをつくるミナさんとちゃもさん、窓の外を眺める私。4人が同じ空間にいて、時々言葉を交わすけど、それぞれが違うことをしている。


中の空間も素敵だけど、何といってもこの立地が絶妙だ。歩道に面していて、通行人との距離が近い。信号待ちする人は、否が応でもガラス戸の目の前に立つことになる。物珍しそうにのぞき込む人もいれば、目が合って気まずいのか、足早に過ぎる人もいる。みんな目的地に向かって歩いているけど、何かの拍子で一歩踏み外したら「入館」してしまう。文字通り、誰にでも門戸が開かれている状態だった。


 <不器用なミサンガ2/3>


 レッツがちまた公民館の近くで運営している「たけし文化センター連尺町」では、毎月「玄関ライブ」が開かれている。利用者さんやスタッフさんがギターやドラム、ピアノを演奏し、思い切り歌う。朗読する人もいる。地鳴りのようなシャウトをする人もいる。観客は一緒に歌ったり、踊ったり、黙って座っていたり、それぞれの過ごし方でライブを堪能する。言ってしまえばカオス状態だ。


スタッフの水越さんによると、この玄関ライブは毎月継続して開くのがみそらしい。たとえ9月のライブで失敗したって、10月に再チャンスがある。その保証があるおかげで、大胆にチャレンジしやすくなるという。「ちまた公民館も、気軽に失敗できる場所にしたいんですよね」と水越さんは言う。「失敗ってたぶん、理想と現実の間にギャップが生じたときのことを言うでしょう。そのズレを繰り返し修正したり、受け入れたりする経験を積んで、人は初めて意味を獲得していくと思うんですけど、その時一緒に考えてくれる人の存在が必要だと思うんです」。たしかに、味方が一人いるだけで全然違う。その役目を、ちまた公民館にいる人たちが担うということか。「でもお互いによりかかりすぎると、しんどくなっちゃうでしょ。失敗したときに誰かが『オッケーオッケー』ってひとこと言うだけでも全然違うし、何より多様な人とかかわって、みんな色々な形の失敗をしているんだなあと知るだけでも救われると思うんですよ」。


水越さんによると以前、利用者さんが「見て見て、こんなに重いものを運べるよ」といった様子でストーブを持ち運び、灯油がこぼれてしまうハプニングがあったらしい。その場にいた水越さんは、灯油を見て固まった。「こぼれてるよ!」と注意したところで時間は戻らない。力自慢ができた利用者さんは誇らしげな顔をしている。この状況を受け入れるしかないと思い、出てきた言葉が「オッケーオッケー」だったそうだ。「失敗と判断しちゃうと、状況が固定されてしまう。そうなると、転換したり広げたりしにくくなっちゃうことがあるんですよね」と水越さんは当時を振り返る。

この話を聞いた後、自分にとっての「失敗」って何だろう、と考えてみた。小学校低学年の時、バレエの発表会本番でシューズが勢いよく脱げ、舞台袖へ飛んでいったことがある。当時のビデオには、6歳ぐらいの私が慌ててシューズを拾いにいく様子が映っている。でもなぜかその時、めちゃくちゃ笑顔だったのだ。普段は全然そんなタイプではないのに、「オイシイ~!」とでも言うような顔をしていた。


お遊戯のような発表だったとはいえ、客観的に見れば、このハプニングは「失敗」だと言える。でも、自分の中では不思議とそう記憶されていない。先生には特に叱られなかったし、ビデオを撮っていた母親は爆笑していた。まさに「オッケーオッケー」状態。おそらくそうなると分かっていて、当時の私は安心しきって「オイシイ~!」という顔をしていたのだ。

一方、今はどうだろう。大人になるにつれて周りに失望される恐怖が増していき、仕事でミスをしたときや空気が読めない発言をしてしまったとき、「ダメなやつだと思われたかもしれない」とウジウジするようになった。「こう見られたい」、または「こうは見られたくない」という欲が強すぎて、現実とのギャップにもがき苦しむ。たぶん今の自分にとっての「失敗」は、物事が思い通りに運ばなかったことではなく、他人からの評価が下がることなのだ。


そう考えると、「失敗した人」と烙印を押すのは他人ではなく、実は自分なのかもしれない。自分に対して「オッケーオッケー」と言えるようになって、初めて他人に対しても言えるようになるのかもしれない。逆に言えば、今まで自分は心のどこかで、他の人に対して「失敗した人」と勝手な評価をくだしていた可能性がある。そう考えるとぞっとする。

とはいえ、自分も他人もジャッジしないなんて可能なのだろうか。そんな聖人のような域に達する日が来るとは到底思えないし、毎日「オッケーオッケー」と笑い飛ばす体力はない。なんだか自分語りが長くなってしまったけど、せっかく今回は「失敗できる場所」をつくる過程を観察させてもらうのだ。この際、自分の奥底に潜んだドロドロとしたものを丁寧に分解してみようと思う。


 <不器用なミサンガ3/3>


ミナさんとちゃもさんのカップルがちまた公民館へ来るのは、この日が3回目だそうだ。お気に入りポイントを聞くと、「静かなところ」と返ってきた。「でも、静かすぎないのが良いんですよね。午後3時過ぎになると、下校途中の小学生たちが珍しそうにガチャガチャを見ていくんですけど、その様子が結構面白いんですよ」と教えてくれた(ちまた公民館の窓越しには、レッツの利用者さんやスタッフさんが作ったグッズ入りのガチャガチャが設置されている)。


 もともとレッツが運営する障害福祉サービス事業所「アルス・ノヴァ」の利用者だったミナさんは、お父さんから「お手伝いしてきなさい」と言われ、ちまた公民館に足を運んだという。「まあ、何もしてないんですけど」とミナさんは笑う。「いるだけで良いって案内に書いてあったので。それなら得意だなと思って、ここに来てます」。反対にちゃもさんは、何かしていないと落ち着かないらしい。そこで持ってきたのが、ミサンガの手作りキットだった。段ボールで作った台紙と、編み方の手順を記したメモ。このメモに沿って台紙に糸を巻き付けていくと、ミサンガができあがる仕組みだ。


 ちゃもさんは手先が器用で、メモを見ずにスイスイと糸を巻き付けていく。一方のミナさんは「(工程を)一周しただけで、かなり疲れちゃいますね」と苦笑する。二人の作業を観察していたら、「やりますか?」と声をかけてくれたので、参加してみた。お恥ずかしいが、私は針に糸を通すだけでかなりタイムロスするほど不器用で、裁縫は大の苦手。予想通り苦戦しているのを見かねてか、ちゃもさんがメモを指さしながら教えてくれた。ゆっくりゆっくり、慎重に糸を巻き付けていく。複雑な作業ではないけど、集中力がいる。うへえ。ミナさんが小さく笑う。「一緒に作る人が多ければ多いほど、誰が失敗したかも分からないから大丈夫ですよ」。


さりげないミナさんの言葉だったが、なるほど、と思った。人によって得意・不得意があるのは当たり前。その大前提のもと、いっそのこと責任の所在をあいまいにしてしまうことは、実はとても大事なのではないか。会社員として、だれかの親として、だれかの子どもとして、(あえて2分類で言うならば)男性や女性として。私たちは日々役割に縛られ、何かしらの責任を果たそうとしている。でもここではもっと、ぐちゃぐちゃでも良いのかもしれない。役割も責任も求められない、誰もジャッジしてこない。そんな安全地帯のような、無法地帯のような場所がひとつくらい無いと、日々の生活でがんじがらめになってしまうのかもしれない。ミナさんとちゃもさんはとても自然に、そしてささやかに、水越さんが目指す「失敗できる場所」を具現化しつつあると思った。


二人はこのミサンガキットを公民館に置いておき、誰でも編めるようにするという。やってきた人みんなで少しずつ編んで、1本のミサンガを完成させていく。ほつれていたって誰も責めないし、そもそも誰が失敗したのかはわからない、ゆるやかな連帯感をともなう作業だ。ミナさんは「どうすればここの運営を手伝えるのかは分からないけど、キットを置いておくだけなら邪魔にならないし、良いんじゃないかなと思って」と話してくれた。


ちまた公民館は、机といすと本棚が置かれた、とてもシンプルな空間だ。「その日に偶然居合わせた人たちがつくりあげる場所」と言っても過言ではない。でも、なにも張り切る必要はない。誰かが100頑張るのではなく、それぞれが5ずつ持ち寄る場所なんだと思う。何ならゼロでも構わない。きっと、気が向いた人がのんびりミサンガを作って、ちょっと失敗するぐらいがちょうど良い。