<経歴>

2010.03 南山高校卒業

2011.04 経済学部入学

2015.03 経済学部 経営学科卒業


ー今回の100周年プロジェクトにどういう目的で参加していますか?

野村:僕は名大ラグビー部をもっといいチームにしたいとずっと思っていて。今回100周年PJを機につくったVisionをみんなで目指すことによって、それが実現できるんじゃないでしょうか。


ー名古屋大学ラグビー部の魅力はなんだと思いますか?

野村:いい意味で発展途上なクラブであるところです。名大ラグビー部は、かちっとした監督がいてコーチがいてっていう出来上がった組織じゃないからこそ、現役とOBOGの力で伸ばしていける魅力があると思います。

 現役からしたら学生主体で運営して組織マネジメントを養う場になるだろうし、OBOGからしたら卒業後もずっと一緒にコミットしていける場になるんじゃないでしょうか。


ー思い出に残ってる試合などはありますか?

野村:僕に名大ラグビー部としての誇りと自信を与えてくれた試合という意味で、2年生での阪大戦、東大戦です。

当時まで名大はリーグ戦で苦戦が続き、定期戦でも両大学に勝ち星がなかなか上げられていませんでした。僕だけでなくチームとしても、名大ラグビー部としてのプライドや自信を見失いかけていた時期だったと思います。

 そんな中、この年は阪大、東大に立て続けに勝利しました!勝利の瞬間は、それまでの暗くモヤモヤした気持ちが一気に晴れ渡るようで、なにより大学に入って初めて「嬉し泣き」ができた試合でした。

 また、その年の納会では多くのOBOGの方々が参加してくださり、「自分たちのことをこんなに見てくれている人たちがいて、自分事のように喜んでくれるのか」と驚いた記憶もあります。納会ではとにかくみんなで喜びを爆発させ、終盤はずっと肩を組んでエールを歌っていた記憶があります。中には飲みながら号泣している先輩もいました(笑)。

 言葉にするのは難しいのですが、この定期戦での勝利は、僕に大きな充実感と達成感、そして名大ラグビー部としての自信やプライドを与えてくれた試合でした。これをきっかけに「名大ラグビー部をもっと強く、良いクラブにしたい!」と思うようになり、今現在のOBOG会活動も含め、いろいろな取り組みに繋がっているのだと思います。


ー当時、どのようなことで息抜きなどをしていましたか?

野村:同期と過ごす時間が息抜きになっていました。僕は部活をあまりストレスと感じていなかったので「息抜きしたい」と思うことはあまりなかった気がします。それでも4年生の頃は、主将としての悩みやプレッシャーをそれなりに感じていたので、同期とくだらない話をする時間はとても休まる時間でした。

 また、同期仲は良い方だったので、旅行や遠出もときどきしていました。土砂降りの大雨の中を原付で旅して山本君がスリップ事故を起こしたり、卒業旅行の最終日に同期全員で人狼ゲームをやり仲が悪くなったり、いろいろな思い出があります。


ーよく通った飲食店などはありますか?

野村:僕は実家から通学していたので外食する機会はあまりなかったのですが、その中でもよく通った店はコットンハウス(通称:コットン)です。コットンはパスタがメインの安くて旨くて大盛りのお店で、今でも名大に行った際には立ち寄るくらい思い出に残るお店です。

  もともと小食だったのもあり、当時は張り切って大盛りを頼んでも毎回食べきれず、残ったパスタは同期の伊藤君の胃袋に収めてもらっていました。私は体重が増えず悩み、伊藤君は体重が減らず悩んでいましたが、もしかしたらここに因果関係があったのかもしれません。


ーいまでも、当時のことで思い出す出来事はありますか?

野村:新歓パンフレットに掲載されていた佐々木先生のコメントが心に残っています。今となっては一言一句覚えていないのですが、「君たちは社会に出て必ず評価される。ラグビーは人生そのものだからだ。大きな相手に全力でぶつかり、倒され、それでもまた起き上がり走り出す。人生はその繰り返しなのだ。」というニュアンスだったと思います。

 読んだ当時は「そんなものなのかな」程度だったのですが、社会人10年目近くなった今では、佐々木先生のお言葉を痛感します。多少痛い思いをしても逃げ出さずにぶつかることのできるメンタリティを養えたという意味で、ラグビーから逃げ出さず続けてよかったと感じています。


ー名古屋大学ラグビー部の経験において、社会人生活で活きていることはなんですか?

野村:自分の頭を使って目標に向かって取り組む一連の流れは、就活でも社会に出てからも活きました。目標を自分たちで設定して、その目標を達成するためにやるべきことを考えて、それに取り組んで反省するという、言わばPDCAサイクルを当たり前のように回す習慣が学べました。