人間の意思決定と行動は,ヴェーバーによれば,動機によって,(1)伝統的(traditional),(2)感情的・感動的(affecktuell),(3)価値合理的(wertrational),(4)目的合理的(zweckrational)の四つに分類される(Weber, 1973:12-13).それぞれの動機による類型を以下で確認しよう.
慣れ親しんだ習慣や慣習に従うのが伝統的行動である.「今までそのようにしてきた」という理由から繰り返され,無意識,条件反射的に意思決定と行動の規則性が成立する.一定の決まった朝食を毎日とる,いつも出席する教室の同じ席に着く,古くからの慣習に定められた行事を継続的に行う,これらは伝統的行動である.日常生活の大部分は,このカテゴリーである.結婚式などの慶事を「仏滅」の日に忌避するのも,それに該当する.仏滅の日の忌避は,非日常的な力による「さわり」があるかも知れず,逆に,ある行動の後に幸運が得られたら,以後,「縁起を担ぎ」必ずその行動を繰り返すなど,伝統的行動の背後に超自然的,非日常的な力が介在する.
感情あるいは感動によって情動的に行われるのが感情的行動である.愛情による献身,嫉妬・憎悪による復讐,怒りによる衝動,「刺激に対する無制限の反応」(Weber,1976:12)としての行動がこのカテゴリーに含まれる.道義に反することへの憤りから誘発される行動,道徳感情に動機づけられた利他的行動もこれに該当する.そのような動機は「実際の感動と感情状態によって,感動的(affecktuell),とくに情緒的(emotional)」(Weber,1976:12)である.例を挙げよう,ロドリーゴ・バッジョ(Rodrigo Baggio)は,1995年,リオデジャネイロのスラム街の子供たちのためのコンピュータ教室を開設した.貧困から抜け出し,子供たちの自立のために情報関連の職業訓練と教育が必要であった.教室を運営するためCDI(Center for Digital Inclusion)を設立し,南米を中心に15カ国に拠点,約1,000箇所に教室を設け,50万人以上の子供たちがコンピュータ・リテラシーを学んだ(http://skoll.org/organization/center-for-digital-inclusion/).バッジョは必要な数のPCを確保するため,ワシントンの米州開発銀行に行き,子どもたちの学習のため寄付を依頼した.開発銀行の官僚たちはバッジョに無償の供与を約束した.それらの輸送のため次に彼は,ブラジル空軍に行き,倉庫の使用と空輸を要請した.軍人たちは彼の要請に無償で応じた.官僚や軍人たちがバッジョの要請に応えたのは,彼の高い道徳性とひたむきさに感動し,信頼したからである.
感動的行動は,感情の一過性にとどまらず,その行動の必要性が覚醒されれば,継続的な事業化が要請される.冷静な思考とともに感情の動機は合理化される.意識的な事業運営の意思決定がなされれば,感動的行動は「価値合理的行為」に接近する.伝統的行動であっても,伝統とは何か,その意味を問い,その重要性が意識されれば「価値合理的行為」に近似する.確実な結果を得るため,費用計算と目的手段関係の整合性が追及され,技術専門的知識に依拠する意思決定がなされれば,それらの行為は「目的合理的行為」に近似してゆく.ヴェーバーは,この移行の初期状態を「感情状態の意識的発動(bewußte Entladung der Gefühlslage)」と呼んでいる(Weber,1976:12).例えば,信仰の本質は心情的信仰である.信仰の継続の際,その教義内容を意識的に考量し,合理的な理解に依拠する信仰となれば,信仰形態は「心情的信仰」から「理性的信仰」に移行する.心情的なそれは「マリア」,理性的なそれは「マルタ」に象徴される.
意思決定と行為それ自体の価値や意義の重要性を意識し行われるのが「価値合理的行為」である.その価値が倫理的,美的,宗教的,何であろうと,その行為の価値,意義と重要性への信念を自覚,意識し,いかなる結果となろうと,意思決定,行為する.一定の利得や結果が得られるからではなく,そのように行為すること自体が正しいという義務に動機づけられる行為である.「殉教」はその純粋型である.伝統的行動と価値合理的行為の違いは,価値合理的行為では動機が合理化され,動機の意識的形成,一貫した計画的方向づけが見られる点で区別される(Weber,1976:12).道徳的意味のともなう行為は価値合理的行為である.この行為は,結果によって正当化される帰結主義的,功利的意思決定でなく,結果のいかんにかかわらず,正しい理由から正しいことをするよう動機づけられる.
目的に対する手段として,目的と手段の適合性を論理的に考量・計算し行われるのが「目的合理的行為」である.結果が問われ,意思決定と行為は目的達成の手段となる.価値合理的行為の場合,行為自体が目的だが,目的合理的行為は,行為が手段として,目的達成度から妥当性が問われる.費用・効果を計算し,効果が費用を上回ることが,その手段としての行為の選択理由となる.このカテゴリーは手段的,道具的に合理的である.この行為類型は,功利主義的であり,経済学の想定する経済的行為である.
価値合理的行為と目的合理的行為の違いは,I.カントの「定言命法」(kategorischer Imperativ)と「仮言命法」(hypothetischer Imperativ)の関係と同型である.ヴェーバーは,合理的行為の類型をカントの道徳的意味の動機を継承したと考えられる.「命法」は「しなければならないこと」であり,カントにとって「行為がなにか別のもののために手段として善い場合,命法は仮言的である.行為がそれ自体で善いと考えられる場合,…定言的である」(カント,2004:84-85).行為が,目的に対する「手段として善い場合」,「仮言的」,「それ自体で善い」なら「定言的」となる.
「定言命法」は,利害に左右されず無条件だが,「仮言命法」は,結果が意思決定の条件となる.企業が顧客に誠実に対応するのは,「誠実」が結果的に利益に結びつく限り,「仮言的」であり,利益達成のための功利的手段である.顧客に誠実に対応し,無条件に,その「誠実」それ自体が正しいからなら「定言的」である(Sandel,2009:119).ヴェーバーは「利害」と「義務」の動機の違いを意識し,次のようなカントの視点と同様である.カントは,人間の行為の「結果」ではなく「動機」によって道徳性を判断する.義務による意思決定のみが道徳性ともなう.他者への援助や支援から自分の喜びが得られるなら道徳的ではない(Sandel,2009:116).道徳的価値がともなうのは義務による動機に限定される.道徳的な行為であっても,それが利害による動機からなら道徳的意味は含まれない.カントの以下の指摘を確認しよう.
「善意志は,それが及ぼす影響や達成するもののために善いのではない」,「たとえ,この意志が…その意図を実現するための力をまったく欠いていたとしても,あるいは最善の努力を払ってもなお,何も達成できなかったとしても…その意志はあたかも宝石のように,すべての価値を内包するものとして,それ自身のために輝く」(Kant,1964:394;Sandel,2009:111).
「企業の社会的責任」(CSR)やSDGsは,それが正しい行いであり,実行するなら「価値合理的」・「定言的」であり,道徳的意味がともなう.CSRやSDGsが,企業の評判をよくし,従業員のやる気を引き出すため,利得を高める手段としての実行であれば「目的合理的」・「仮言的」である.ヴェーバーの諸動機のカテゴリーは,企業の環境・社会課題解決の本質を認識し,現実の意思決定と行為が実際に何を意味するか,事実認識する道具となる.ヴェーバーの諸動機のカテゴリーと現実の人間の意思決定を比較し,どのカテゴリーに近似するかで,その行為の特徴が認識可能となる.実際の意思決定と行為は諸動機が混在し,流動的,結合的である.次節で,官僚制の組織としての特徴を確認する作業に移行しよう.
Weber's four types of social action provide a useful framework for understanding the motivations behind human decision-making and behavior. By understanding the different types of social action, we can better understand ourselves and the world around us.
Max Weber classified human decision-making and behavior into four categories based on their motivations:
Traditional Action: This type of action is based on habit and custom. People perform traditional actions because "that's how it's always been done." This includes behaviors such as eating the same breakfast every day, sitting in the same seat in class, or following traditional customs and rituals.
Affective Action: This type of action is driven by emotions and feelings. It can be impulsive or passionate, and it may not be based on rational thought. Examples of affective action include acts of revenge, acts of kindness motivated by compassion, and emotional responses to injustice.
Value-Rational Action: This type of action is guided by conscious beliefs about what is right and wrong. People who engage in value-rational action believe that their actions have inherent value, regardless of the consequences. Examples of value-rational action include acts of martyrdom, acts of charity motivated by a sense of duty, and principled stands against injustice.
Purposive-Rational Action: This type of action is based on a calculation of the most efficient means to achieve a desired goal. People who engage in purposive-rational action are motivated by the desire to maximize their chances of success. Examples of purposive-rational action include business decisions, strategic planning, and the pursuit of personal goals.
Weber's four types of social action can be compared to Immanuel Kant's distinction between the categorical imperative and the hypothetical imperative. The categorical imperative is a moral principle that states that we should act only according to maxims that we can at the same time will to become universal laws. The hypothetical imperative, on the other hand, is a moral principle that states that we should act in such a way that we can achieve our desired goals.
Value-rational action is similar to the categorical imperative in that it is motivated by a belief in what is right and wrong, regardless of the consequences. Purposive-rational action, on the other hand, is similar to the hypothetical imperative in that it is motivated by the desire to achieve a desired goal.