8/23 ふいご付オルガンの演奏を公開しました
中世ルネサンス音楽の夕べin臼杵
~大友宗麟の元に届いたオルガン(復元)とその時代の音楽がよみがえる~
2025 8/23(土)17:00 サーラ・デ・うすき
オルガン演奏
・作者不詳の“栄えある聖母よ”
・A.de カベソン (1510-1566)の“騎士の歌による変奏曲”
オルガン:畔津智子 ふいご操作:松尾佳保
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演奏会の解説より 【宮崎大学名誉教授 竹井成美】
大友義鎮(のちの宗麟)が治めていた豊後府内(現・大分市)は、日本に先駆けて西洋文化をいち早く取り入れ、西洋音楽、西洋演劇、西洋医学発祥の地として知られています。
宗麟の嫡男・義統や志賀親次(竹田城主)が豊後臼杵の会堂を訪れた時にクラヴォ(鍵盤楽器)を聴いたということが、『イエズス会士日本通信』や 『イエズス会日本年報』のフロイスの書簡などに記されており、当時の臼杵には西洋音楽が流れていたことがわかります。
1579年に巡察師ヴァリニャーノが、日本に初めて2台のオルガンをもたらしていますが、そのうちの1台は織田信長の元に、そしてもう1台はここ、 豊後臼杵の大友宗麟に届けられたと伝わります。
そのオルガンは、1580年10月、ヴァリニャーノが宗麟の元を訪れたときにもたらされたものと思われ、「・・・・10月4日のサン・フランシスコの祝日に、 そのオルガンで荘厳にミサを行い、王(宗麟)は非常に喜びたり・・・・」と『イエズス会士日本通信』に記されています。
1580年にヴァリニャーノが初めて臼杵に設けた「ノビシャド(修練院)」には当初、日本人6人、ポルトガル人6人が入会していました。
このように、豊後臼杵は、豊後府内についで西洋文化溢れる場所だったと思われます。
本日の演奏会では、「臼杵城跡」が今年の3月に国史跡指定となったことを記念し、宗麟が築いた丹生島城(にゅうじまじょう:現・臼杵城)の城下で鳴り響いていたと思われる音楽を中心に、宗麟の元に届けられたとされるオルガン(復元:【注】参照)を演奏し、当時の豊後臼杵をレクチャーと音楽で辿ります。
さらに、宗麟の「妹の娘の夫の妹の子」である伊東マンショが、「天正遣欧少年使節」の正使としてヨーロッパに派遣されたときに聴いたであろう音楽も合わせて演奏し、宗麟の時代のグローバルな世界も味わいたいと思います。
【注】竹井が復元し、いくつかのコンサートで使用した後、宮崎県立芸術劇場に寄付したものを、今回のイベントのために借用しました。なお、伝来したオルガンのパイプはブリキ製であったとされますが、復元オルガンは持ち運びに簡便な木製としています。