第3回 2017.5.13 経験を語ること/研究としてまとめること(HMJ)

私の初職は任期付教員でした(注1)。

私なりになかなか得難い経験をしましたので目的を共有する仲間と一緒にその経験とそこから導いた主張を盛り込んだ書籍として刊行しました。その動機は経験者が語る「現実」を多くの人に知っていただきたかったことが一番です。他にも、私はそれまで研究に関わってきたので自分のこのような経験が研究対象になりえない(ずっと陽の目を見ない)だろうと確信しておりました。ならば自分を研究対象にしてどこまで踏み込めるのか挑戦してみたかったということもありました。

お陰様で上記の試みに対して反響があったり、なかったりといったところです。ひとつ言えることは思いのほか売れておりません(注2)。ですが、刊行したことで本研究会の一員として加えていただく機会に恵まれました。このようなことが研究対象になったことに私は驚きと期待と不安を感じています。

期待を感じている理由は多彩な研究業績をお持ちのメンバーと一緒にこの課題を考えることができるからです。ひとりで考えていても煮詰まってばかりいたので心強い限りです。メンバーのみなさんと議論してどのような解答が出せるのかとても楽しみです。

不安を感じている理由は各自の経験を合わせて研究としてどのようにとりまとめていくのかといった難しさがあるからです。経験は大事ですが、研究として対象やデータに対し一定の距離を保ち、妥当性・信頼性のある説明を用意しなくてはなりません。「(経験をもとにして)言いたいこと」と「(研究として)言えること」は違います。しかるべき手続きに則って「言えること」が導かれます。「言えること」に「言いたいこと」が含まれなかったとき自分は冷静になることができるのだろうか、「言えること」は「言いたいこと」を十分反映できているのだろうか……。あまりにも当事者性が高い課題なので経験と研究のバランスをいかに保つか、まさにここが重要であり、うまく乗り越えていかなければなりません。

もうひとつ厄介な問題があります。私の経験以外の多くの関係者の経験もデータとして利用させていただくことになります(注3)。もちろん、個人が特定されることを防ぐこと、個人の情報を保護することは細心の注意を払って行動していきますが、「大学での雇用者」であるため身元が判明されやすいという状況にあります(注4)。①市場がそれほど大きくない世界であること、②「研究者データベース」や検索サイト等を用いて調べられやすい環境にあります。経験を伝えるにあたってリスクが伴っています。身の危険だってないとはいえません。「良かれ」と思ってやったことであっても、想定外の評価を受けることもあります(注5)。

まずは多くの経験者にリスクを負ってまでご自身の経験をお伝えいただけるのか、 次にお伝えいただいた情報を保護し、研究資料としてどのように使用するのか、 最終的にお伝えいただいた経験をフィードバックできる研究になったといえるのだろうか……。 これらは私個人の自己物語をまとめた経緯と大きく異なります。

私に今できることは、私の経験は意識的に思考の外に置いて、私以外の皆様の経験を先入観なく受けとめていくことです。そしてメンバー、ときにはそれ以外の本課題に関心をお持ちの皆様のご意見に耳を傾け、何ができるか考えていくことです。

本課題が研究としてどのように進めることができるか、ご指導・ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いします。

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(1)現在に至るまで任期付教員を転々としています。

(2)出版を後押ししてくださいました社長に申し訳なく思います。

(3)そもそもそれがないと本研究課題として成立しなくなります。

(4)この匿名コラムも誰が書いたか、執筆者は何をしてきたのか、何をしているのか、すぐわかってしまいます。

(5)大学は教育・研究・学生支援の場だけではありません。政治(闘争)の場でもありますから。