第1回 2017.5.3 高等教育論という分野(にの)

このウェブサイトでは、肩書きと併記している私の専門分野を「高等教育論・教育社会学」としています。これについて不思議に思われる方もいるかもしれません。

まず、あえて研究対象である高等教育を掲げている理由は、その研究の歴史の浅さに由来しています。かつて、「大学はあらゆることがらを研究対象とする。大学それじたいを除いては」という笑い話がありました。時代ごとの研究動向を把握するのは容易ではないので、ここでは科学研究費補助金(科研費)の件数を紹介しましょう。科研費とは政府から支出されている、研究者が競争によって獲得する研究資金のことです。そのデータベースを利用して検索してみたところ、研究課題名に「高等教育」「大学教育」「大学生」を含む研究は、1982年から86年までの合計34件、92年から96年までの合計84件、2002年から06年までの合計213件、12年から16年までの合計432件と増えています。科研費の全分野での総採択件数も増えていますので、割合も確認してみます。研究課題名にそれらを含む研究が全体の研究に占める割合は、1982年から86年まで0.05%(全体59,093件)、以降、0.08%(全体100,763件)、0.16%(全体135,102件)0.22%(全体197,398件)と高くなっている傾向があります。進学率が高まったことで、高等教育が研究対象として発見されるようになった、という表現は大袈裟でしょうか。しかしながら、大学で教育社会学、あるいは、教育学の講義を履修しても、青年論・若者論・大学生論はまだしも、高等教育そのものについて学んだ経験のある方はまだかなり限られているはずです。こうした歴史的経緯があるため、専門分野を教育社会学と書くだけでは高等教育を対象としていることがわからないことがあるため、あえて対象と分野を明記しています。大学というじぶんじしんのことを相対化して研究することなどできないという慎重な姿勢が求められる時代もあったわけですが、同年代のうちの進学者が少数派であった「マス型」から、それが多数派になった「ユニバーサル型」への移行に合わせて、社会からさまざまなまなざしが投げかけられるようになった現代では、勇み足になることを注意しつつも研究する必要があると認識しています。

次に大学教育ではなく高等教育という言葉を使う理由についてです。一般にはあまり馴染みがない言葉のはずです。大学教育の場合、対象を大学に絞っているわけですが、高等教育はそれよりも対象を広く捉えます。名称・制度が複雑なのですが、専門学校(専修学校専門課程)や高専(高等専門学校)、日本では一般的ではありませんが大学以外の類似機関、特に職業教育に関する機関をも射程に入れます。それらの機関は「第3期の教育」「中等後教育」というカテゴリーに含まれることもありますが、とりあえずここでは対象を大学に限定しないという意味で高等教育という言葉を使っています。名称・制度の問題は、そもそも大学とはいかなる機関なのか、いかなる機関であるべきなのかという、とても重要で大きな論点にかかわることですので、別の機会に考えてみたいところです。

最後に、上記の「ユニバーサル型」についての補足です。米国の社会学者マーチン・トロウによって提唱された「エリート型」「マス型」「ユニバーサル型」という高等教育の発展モデルの興味深い点の一つは、その次の段階への移行に際して葛藤、緊張が生じるということを示していることです。現代のいわゆる高等教育改革も同じように、葛藤、緊張として捉えることができるかもしれません。