艦これ二次創作
『碧いうさぎ』のリメイクです。
真っ先に感じたのは、海の底に沈んでいく感覚だった。冷たく、暗く、水泡の音だけが耳に煩い。
――嗚呼、私はあの時と同じように、また沈むのね……。
うっすらと目を開ける。波に揺れる陽光はもう遠い。すぐそばにいた筈の、赤城さんや二航戦の子の姿はない。もう先に沈んでしまったのか、それともまだ海上で戦い続けているのか。後者であれば、是が非にでも、生き残って欲しい。
ぼこっ。口から小さい泡が抜け出ていった。そろそろ苦しくなってきた。艦娘として得た、ある筈がなかった二度目の生もここで終わるのだ。振り返れば、なんだかんだあの子のおかげで、悪く無い一生だった。もし、あの時、あの子と一緒に出撃で来たならば、もしかしたら終戦まで生き残れたかも――なんて考えるが、どれももう遅い話だ。うじうじ考えるのも、私らしくない。力を抜いて目を閉じて、この冷たさに身を任せる。今まで見てきた景色が物凄い速さで脳裏を駆ける。気が付けば、私の景色にはいつもあの子がいた。
――加賀さんッッッッ!!!!!!!!!!!!
そんなあの子の声が聞こえるようだ。それに私は内心で呆れ笑ってしまった。
――……いつの間にかあの子に毒されているわね。
自分で呆れ笑ってしまうけれど、でも不思議と悪い気はしない。あの子に出会えて良かった、そう思った時、ふっと温かいものに包まれた気がした。
+++
それはいつも唐突に訪れる。もう幾度も聞いた召集鈴が鳴り響いて、私たちは港に一列に並んだ。今日も飽きもせず深海棲艦が、少し離れた海域に出没したというのだ。敵編成は空母四、戦艦二、重巡二、軽巡二に、駆逐艦を主にした護衛艦隊で、こちら側も同じ勢力を以って対抗するとのこと。その空母枠は、私たち五航戦じゃなく、一航戦と二航戦で埋まってしまった。
「また加賀さん達かぁ……。もう少しくらい私たちにだって出番くれてもいいのに」
その後も続く点呼を聞き流しながら、そうぼやいていると、隣の翔鶴姉が青ざめた顔をしていた。
「どうしたの翔鶴姉、体調でも悪いの?」
「……じ」
「え?」
そう聞き返すと、翔鶴姉がハッとしたように私を見てから、「ううん、なんでもないの」と笑った。でもその笑顔に元気がない。
「どうしたのさ翔鶴姉、なんなら相談乗るよ――」
「では出撃!!!」
私の声と被って、提督さんの合図が昼の鎮守府に響いた。点呼があった艦娘は出撃し、私たちのように無かった艦娘は鎮守府にて待機となる。私は翔鶴姉と部屋に引き返したけど、その間ずっと翔鶴姉の顔色は晴れない。
「ねえ翔鶴姉、本当にどうしたのさ? なんか様子が変だよ?」
「本当に大丈夫よ、心配いらないわ」
「……何、翔鶴姉、そんな私に言えないこと?」
わざと冷たい声でカマをかけると、翔鶴姉はビクッとなった後、観念したように口を開いた。
「気にし過ぎなだけかもしれないけれど、編成が、あの時と一緒な気がして」
「あの時? どの時よ」
「一航戦と二航戦の先輩方が居なくなった戦い、といえば?」
「え? MI作戦……?」
加賀さん達一航戦と二航戦が沈んだ作戦といえば、梅雨のはじめにあったMI作戦だ。でも、それとなんの関係が?
「思い出してみて、今日の編成を」
言われてほぼ上の空だった、編成をなんとか思い出してみる。空母枠は、一航戦と二航戦の先輩、重巡枠が、利根さんと筑摩さん、戦艦が榛名さん、霧島さん、軽巡が長良さん、駆逐は野分に萩風に……。
そこまで考えた時、気づいてしまった。翔鶴姉が言わんとしていることが分かってしまった。これって……。
「MIの時と一緒……?」
「えぇ……」
偶然か、それとも提督さんが意図的に組んだものなのか、それは分からないけど、もしこれが後者だったなら……。
「……提督さんに確かめてくるっ」
「待ちなさい瑞鶴。きっと私の考えすぎだから、ね?」
そう翔鶴姉に引き留められて、私は渋々走り出そうとしていた体の力を抜いた。確かに今は作戦中だ。だから、こんな個人的な心配をして提督さんの手を煩わせるわけにはいかない。でも――。
「……」
「……」
落ち着かない。もし、本当に、そうだったとしたら――そんな考えが何度も頭を過る。とりあえず今は、加賀さん達が無事に帰投してくれることを、祈ろう。そんな自分にそう言い聞かせた。
それからしばらく経たないうちに、私たちは執務室に呼ばれた。
「四空母が、大破した」
執務室に入って、提督の第一声がそれだった。私たちは凍り付いた。
「戦況はまだこちらが有利だ。だが、先程艦隊から、増援要請が届いた。よって、第一臨時部隊旗艦を翔鶴、副旗艦を瑞鶴に頼みたい。頼めるか?」
「……はい」
そう言った翔鶴姉の目に、光はなかった。
「すぐに出撃を命じる。話は以上だ」
「第一臨時部隊、これより出撃いたします」と翔鶴姉が言って、私たちは執務室の扉に向かって歩く。そして、出るとき、私は提督に問いかけた。
「ねぇ提督さん、もしかして、本当はこうなる事、分かってたんじゃないの?」
けど、返って来たのは、言葉じゃなくて、冷たい提督さんの目線だった。正直、クソだと思った。
+++
至急編成された第一臨時艦隊は、翔鶴姉、私、川内、那珂ちゃん、那智、響で構成された。挨拶もそこそこに私たちは海へ飛び出した。何としてでも、加賀さん達には帰ってきてもらいたい。そう思えば、次第に速力は上がっていった。
今作戦が行われている海域は少し遠い場所だった。今から向かって、到着するのはきっと夕方前。一体全体あの提督は何を考えているんだろう。
「……ごめんなさい、もう少し速力を上げるわ」
「了解」
翔鶴姉の表情はいつにも増して堅い。だから、もの言いたげそうな川内も、何も言えずにいた。
「翔鶴姉、大丈夫?」
「……」
妹の私がそう聞いても、何の反応も返っては来ない。まぁ、気持ちは分かる。今の翔鶴姉にとって一番大切な人は、私から赤城さんに変わった。だから、赤城さんの事が心配で仕方がないんだろう。私だって、今の大切な人はあの憎かった一航戦の加賀さんだし、沈んでほしくない。だから、私もそれ以上は言えなかった。
それから無言のまま、空が淡い橙に染まった頃、作戦海域にたどり着いた。辺りは硝煙の匂いで満たされ、少し離れたところから、艦隊の姿がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
「翔鶴姉……!」
「……」
返事は返ってこずとも、翔鶴姉の足が早まった。でも、近づくにつれて、私はある事に気付いた。加賀さん達がいない。
「野分、どう?」
焦る気持ちを抑えながら、ひとまず状況を確認する。
「一応敵艦隊は排除できた。けど……」
「けど?」
「……仕留めきれなかった深海棲艦がいるって、赤城さん達はそのまま……」
それを聞いて、一瞬頭の中が真っ白になった。……なんだって?
「止めたよ、もちろん。空母だけじゃ、って。でも――」
野分がちらりと後ろに目配せする。皆中破以上の損傷を受けていて、中には既に沈みかかって肩を借りている子もいた。
「ッ……」
この感情をどうにか吐き出したくて、私は拳を強く強く握った。川内たちは旗艦である翔鶴姉の指示を待っている。陽はもうすぐで沈んでしまう。
「翔鶴姉」
「……行きましょう、瑞鶴。川内、那珂さん、那智、響、ついて来てくれるかしら?」
皆は無言で頷いた。
ひとまず野分達第一艦隊には、厳重警戒をしながら鎮守府に戻ってもらうことにした。とはいえ、向こうの損傷も激しいし、ましてやもうすぐ夜が来る。それまでに合流しなければ危うい。時間はない。
――何を考えてるんだろ、加賀さん達は……。
前に進みながら、そんなことをふと思った。あそこまで損傷して、ましてや自分たちだって消耗しているのに、一体全体何を考えているのか分からない。もしかしたら、そのまま死ぬつもりなのだろうか。
――そんなこと、絶対にさせないんだから。
そう決意を固めたときだった。
「偵察機、人影を四つ確認……!!」
那珂ちゃんが、叫んだ。
「翔鶴姉……!」
「急ぎましょう……!」
全速力で那珂ちゃんの報告があった座標に行ってみると、まさしく、その四つの人影は加賀さん達のものだった。でも、既に四人の意識はなく、ほぼ沈みかけていた。しかも艤装も、もうバラバラに砕け散っている。
周りを警戒してみる。特に深海棲艦達が傍にいる気配はない。今ならば、連れて帰れるかもしれない。
「……私は赤城さんを。瑞鶴は加賀さん、那智さんは蒼龍さん、川内さんは飛龍を、頼めるかしら」
「……了解」
加賀さんの方を持った時、夕陽が目に染みた。急がなければ、更に皆に迷惑をかけてしまう。
「急ごう、翔鶴姉」
「えぇ」
そうして、なんとか第一艦隊に追いつき、それからなんとか鎮守府へと帰り着いた。でも、その間、加賀さんや赤城さん達が目を覚ますことは無かった。
+++
「明石さん、おはようございます」
「おっはよー、よく眠れ……てはないっか」
明石さんは私たちを見て、やれやれといったように笑った。そう言う明石さんの目の下にも、隈が濃かった。
「まー、一晩様子見てみたけど、まだ分かんないね」
そばにいてあげたら、と明石さんが椅子を持ってきてくれて、翔鶴姉は赤城さん、私は加賀さんのそばに付き添った。手を握ると、今まで感じてきた温もりはなかった。
――……。
その時、初めて自分に余裕がなかったことに気付いた。そういえば、最近の作戦中に昨日ほど翔鶴姉に判断を仰いだことはない。
――……加賀さん。
もしこのまま死んでしまったら、なんて思考が頭を過ぎった。加賀さんは昔から冷静なくせに、無茶なことをしたがる。いつも私が言い合いの果てに止めることが多かったけど、昨日の面子なら、きっと止める人はいなかっただろう。だから、こんなことになってしまったんじゃないか――そう考えてしまって、考えるのをやめた。きっと寝不足でそんなことを考えてしまうんだ。そう言い聞かせた。
――なんで、帰ってきてくれないの。
目を覚ましたら、うんと叱ってやるんだ。もちろん加賀さんのエゴを否定する気は無いけど、だからといって野分たちを帰して、自分たちだけ、ましてや空母だけで進撃するのは無謀だったと、言ってやりたい。というか、そうでもしなければ気が済みそうに無い。
そう考えるたび、胸がぎゅっと痛む。早く、早く目覚めてよ、加賀さん……。時計の針の音が、すごく煩かった。
それからどれくらい経っただろうか。いつの間にか、私加賀さんの手を握りながら、眠りこけていた。はっと加賀さんを見るも、状況は何一つ変わっていなかった。けど、少しだけ手に弾力が戻っている気はするけども。
もうダメかな、と内心で笑った。まだ諦めるには早いと笑われてしまうかもしれないけど、私にとってはこの時間があまりに永すぎる。
「加賀さんッッッッ!!!!!!!!!!!!」
もう自棄になって、そう叫んで、ベッドに上がり込んで、加賀さんの体を抱きしめた。翔鶴姉が後ろでビクッとしたのが、傍目に見えた。
「どうしたの瑞鶴っ――ちょっと、何してるの?!」
何事かと走ってきた明石さんに、無理矢理引き剥がされる。
「……ッ、離して……ッ!」
「……瑞鶴、少し部屋に戻って休みなさい。じゃないと、あなたまで壊れるよ?」
「別に……っ、私のことは、どうだって――」
「瑞鶴ッ!!」
明石さんに思い切りビンタされて、我に返った。
「ごめん……」
「加賀さんが目覚めたらすぐ教えるから、瑞鶴は少し休んできな」
「……うん」
ちらりと加賀さんを見て、それから私はとぼとぼと部屋に戻った。翔鶴姉を横目で見た時、翔鶴姉の意識はすでに赤城さんに戻っていた。
「……」
部屋に戻って、敷いたままの布団に寝転がって、天井を眺める。窓から入ってくる日の光が煩くて、カーテンを閉める。……落ち着かない。
――休みなさいって言われても、休めるわけないじゃない……。
私がさっきあんなことしなければ、まだ加賀さんの傍にいれたのにとか、そういうことをぶちぶち思うけど、もうしてしまったことは仕方ない。無理矢理にでもここは眠ってしまおう、そう思って、目を瞑った。
+++
目が覚めて時間を確認しようと、携帯の画面をつけると、明石さんから連絡が入っていた。
――加賀さん……!!
私は部屋を飛び出して、看護室に走った。そして、看護室の扉を乱暴に開けると、その奥の窓に――
「加賀さんッ!!」
起きてベッドの上に座って、驚いてこっちを見ている加賀さんが目に入った。そしたらもう黙ってはいられなかった。私は加賀さんの元へ走った。
「加賀さんッ、目を覚ましたのッ?!」
「静かになさい。みんな目を覚ましているとは言え、喧しいわよ」
言われて初めて後ろを見ると、赤城さんや翔鶴姉、飛龍さんや蒼龍さんたちが、やれやれといった風に私を見ていた。
「ご、ごめんなさい……」
「全く、子供じゃないんだからしっかりなさい」
そうやって𠮟る加賀さんの声は、優しかった。
「……心配かけたわね」
そして私の頭に、加賀さんの手がポンと乗せられた。そしたら、もう限界だった。
「っ……、ほんと、ばか一航戦っ……」
涙を抑えられない。さっき叱ってやろうだなんて考えたのに、その言葉よりも先に、涙が次々と溢れてくる。
「ほんと、ばかじゃないの……――っ」
嫌味ごとをなんとか一つ絞り出すと、ふっと加賀さんに抱きしめられた。加賀さんの匂いと、温みが、今まで我慢してきたものを、一気に壊してくる。
「……本当に、ほんとに心配したんだからぁっ……」
加賀さんは何も言わない。けれど、抱きしめる力がだんだん強くなって、次第にすすり泣く音が聞こえてきた。
「……ばかっ」
「……ごめんなさい」
それからしばらく私たちは、何も言わずに、ただ抱きしめあった。そして、しばらく経って、私はいうべき言葉を思い出して、すっと、加賀さんから離れた。
「加賀さん」
「何?」
「……おかえりなさいっ」
「……ただいま、瑞鶴」
そう言って笑った加賀さんの笑顔は、涙も合わさって、一番綺麗だった。私もまた、涙を拭ってニカリと笑ってやった。外は雲ひとつない、綺麗な青空だった。