艦船擬人化作品
その報せは突然だった。
「土佐ッ! いる?!」
いつものようにノックすることも忘れて、ドアを蹴る勢いで開けると、土佐が驚いたように私を見た。
「摂津……?」
「ねぇッ、貴女が自沈処分されるって本当なのッ?!」
そう単刀直入に聞いてしまうほど、余裕が無かった。その問いかけに対して、土佐から返ってきた返事は、ゆっくりとした首肯だった。
遡ること数か月前、海軍軍縮会議の決議で退艦が決まった私は、今後の処分が決まるまでの間、自由の身だった。もちろん侵略者(インベーダー)との戦いが激しくなっている最中なので、どこかに出かけることは出来ないため、暇をつぶすには、鎮守府内を歩いて回るしかなかった。でも、やはり敷地は限られていて、とうとう味もしなくなってきた頃、この工廠で土佐と出会った。
土佐の事は、名前だけ知っていた。加賀型戦艦の二番艦として着任する予定だったけれど、私と同じように、海軍軍縮会議で建造が中止となり、私と同じように処分待ちだった。だから、私は勝手に同情じみた親近感を抱いていた。でも、その時が初対面だった。
「貴女が土佐?」
「……はい」
その時どんな表情をしていたか分からない。自分の事を棚に上げて嗤っていたかもしれないし、現状を知って憐れむような表情だったかもしれない。どちらにせよ、土佐は私を睨んでいた。
「そんな顔しないでよ」
「放っておいてくださいませんか。今はそう言う気分ではないので」
そう言って立ち去ろうとする土佐に、私は「摂津って言うんだけど、聞いたことない?」と聞いた。すると、彼女は立ち止まって、ゆっくり私の方を見た。
「……はい、存じておりますが」
「まあ、その、これからよろしくね」
その返事は返ってこず、彼女は足早にその場所を立ち去った。
それから毎日のように工廠に足しげく通った。最初は鬱陶しそうにしていた土佐も、次第に少しずつ言葉数は増え、標的艦として運用されることが決まってからは、お互いの実験の事とか、果ては雑談まで付き合ってくれることも増えてきた。一方の私も、土佐に対しての歪んだ同情の念も、いつしか戦中の数少ない〝友人〟に変わっていった。
なのについさっき、大本営から土佐を自沈処分することが発表された。その報せはあまりに突然で、居ても経ってもいられず工廠に駆け込み、そして今に至る。
「そんな……嘘でしょ……?」
「……」
未だに現実を飲み込めない私を横目に、土佐は私が入って来た時と同じように、椅子に座って黙って俯いていた。
「……隣、良い?」
そう聞くと、土佐は静かに頷いた。長椅子に座る彼女の隣に、静かに腰かける。
戦艦、っていうのは、いつかは沈む運命(さだめ)だという事は知っていた。そしてそれは、私も嫌というほど見聞きしてきた。だけど、ここまで心が騒めく様なことは、誰かの為に何かしてあげたいと思ったことは無かった。
「……ちょっと大本営に話をしてくる」
「摂津っ!! 待って!」
そう立ち上がった私に、珍しく土佐が声を張って呼び止めた。
「何?」
「そこまでしなくても良い」
「だって土佐は嫌じゃないの?! どこか前線で沈むんじゃなくて、大本営(うえ)の都合でって、そんな馬鹿な話で沈むんだよ?!」
私のその言葉に、土佐は言葉に詰まって、また下を向いた。その後、ぽつりぽつりと彼女は言葉を紡ぎ始めた。
「私だって、それは、嫌だよ。加賀姉さんといつか前線で戦える、って、そう思っただけで心が躍ったし、加賀姉さんだって、楽しみにしてくれてた。だけど、仕方がない事じゃない。だって、大本営(うえ)からの命は絶対だもの」
そう言い切って、彼女はすすり泣いた。そんな彼女を見て、私はかけてあげられる言葉が見つからなくて、結局、大本営の場所へは行かず、ただただそんな彼女の傍にいてあげることしかできなかった。そして、そんな自分の無力さを責めた。
だが、理不尽はそれだけでは終わらなかった。土佐の自沈場所が、彼女の命名元である土佐の沖と決まり、そしてそこまでの曳航を私が担当することになった。一番失いたくない親友の死に場所まで私が連れて行かなければならないのだ。
「それでは摂津、頼んだぞ」
出発する日の朝、上官からそう言われた。
「……」
普段はすぐ「了解」の一つでも返すのに、今朝はその言葉さえ出てこなかった。
「摂津? どうした、具合でも悪いのか」
「いえ……。命(めい)は必ず遂行いたします」
「そうか」
行ってまいります、と一礼して、私と土佐は出発した。
それからしばらくは、私も土佐も言葉は交わさなかった。出来ることなら、このまま何も話さずに、彼女を土佐の港まで送り届けて、彼女をしっかり忘れて呉に帰りたい。だけど、その沈黙を破ったのは、土佐だった。
「……ごめんなさい摂津」
「どうして謝るのさ」
「他の子から聞いたの、貴女が私の為に色々としてくれていたって」
「……」
確かに土佐の言う通り、あれから私はどうにか土佐が沈まなくて良いようにならないか、あれこれ実行に移していた。大本営への意見具申は何度も行ったし、土佐の代わりに私が自沈してはどうか、という案まで提案した。だけどそれらは呆気なく却下され、結局、今日という今日を迎えてしまった。何一つ、変わらなかった。
「私ね、嬉しかったんだよ。摂津がそこまでやってくれたこと。どうにかして、生きさせようとしてくれたこと。だから、ありがとう」
「……」
その言葉に、何も返せなかった。別に土佐に頼まれてやったことじゃない。あくまで、自分のエゴの為に、勝手にやった行為の数々を、そんな真っすぐにお礼を言われたって、どう反応すれば良いか分からなかったから。
「工廠の人から聞いたんだ。摂津、今後は矢風さんと一緒に航空隊の皆さんの教育に当たるんでしょう? 素晴らしい任務を任されたんだから、私の分まで頑張って――」
「馬鹿なこと言わないでよッ!! 自分が沈むからってさッ!!」
止まって、後続の土佐に振り返って、そう声を荒げた。一瞬後、自分の失言に気付いたけれど、我慢してきた言葉の数々は止まらない。
「私だって、そう言う任務任されたのは嬉しかったよ、もちろん。だけど、その代償に土佐を失うなんて納得出来ないんだよ! せっかくこの時代に出来た親友を、こんな形で失うだなんて、そこまで連れて行かなきゃなんないなんてさ……!!」
そんな自分勝手な言葉を、土佐はただ静かに聞いていた。気付けば私の目から、涙があふれてきた。ここまでずっと我慢してきたのに。すると、土佐が静かに寄ってきて、優しく抱きしめてくれた。
「ごめんなさい、本当に、ごめんなさい……ありがとう……」
その声もまた潤んでいた。
「なんで謝るのさ……土佐はなんも悪くないのに……」
「だって貴女に辛い思いさせてまで、こうさせてしまったから」
「だけど、別に土佐が悪いわけじゃ……」
そう言い返したくても、嗚咽が邪魔をして紡げなかった。
時間が経って、ようやく私たちはまた進み始めた。もし、今敵の艦載機が飛んできて、攻撃でもしてくれればここで沈めるのにな、なんて土佐に怒られそうなことを考えても、それは実現せず、段々と目的の港は近づいてくる。
そしてとうとう港が見えてきた頃、土佐がもう一度「ありがとう」と言った。
「何回も言うけど、私は何もしてないよ」
「してくれたわよ。私には勿体ないくらい、沢山」
そんな土佐の儚い笑顔と言葉の返事を見つける前に、目的の港に着いてしまった。上官からの労いの言葉は上の空、最後の最後まで土佐にかける言葉を探した。だけど、しっくりくる言葉は終ぞ見つからなかった。
最後別れ際、上官についていく土佐の背中に向かって、「土佐!!」と叫んだ。すると彼女は足を止めて、私の方を見た。
「土佐ッ!! いつか、いつかまた、どこかで会えたら!! その時は、きっとッ――」
言葉が詰まって、最後まで言い切れなかった。だけど、この気持ちは土佐に届いたようで、彼女は大きく頷いてくれた。そして彼女は建物の陰に消えた――。
待機命令が出て、時間を持て余して図書館で古い文献を読み漁っていたある日、私は指令室に呼び出された。最近はロクな作戦に参加することもなかったし、このまま解体か、それとも自沈処分にでもされるのか、と思っていたのだけど、予想にもしなかったことを言われた。それは――
「矢風、君には摂津と共に、航空隊の育成にあたって欲しい」
「航空隊の育成……ですか」
「あぁ。君も知っていると思うが、侵略者との戦闘が激しくなってきた。それによって、今までその任務を行ってきた標的艦『摂津』だけでは、人手が足りなくなってしまってな。やってくれるかね?」
司令はそう聞いてくるけれど、私には拒否権がない事を知っていた。このご時世、何事も拒否することは許されていない。……それが、どんなに過酷な事だとしても。
「はい、是非やらせて頂きます」
「そうか、また詳しい事は摂津と合同で説明する。今日は下がって良し」
司令官に一礼して、部屋を後にする。真っすぐ部屋に帰る気分になれなくて、がらんとした廊下を、宛てもなく歩くことにした。
私たちには戦況が好転している、と聞かされてはいるけど、所々で漏れ聞く断片的な話を繋ぎ合わせれば、好転どころか悪くなってきている、という結論が出てくる。そしてその理由だって、最近の記録を掘り返してみれば、自ずと見えてくる。そしてそれに上層部はようやく気付いて、焦り出したから、私をそういう雑用に呼び出したんだろう。嫌な話だ。
でも、一番――言い方は悪いけど――気の毒なのは摂津さんの方だ。最近自沈処分された土佐さんがまだ生きていた頃、摂津さんはこの時代に似合わないぐらい、活き活きしていた。けど、処分されてからはまた昔のように、暗い顔をしていることが増えた気がする。それなのに、ああいう仕事を押し付けられているとか、考えただけで悪寒がする。
そんなことをつらつらと考えていると、ふとある考えが頭を過った。
――いっそのこと、どこかに行ってしまおうか。
もちろんそれが到底許される事ではないことは分かっている。だけど、もし逃げ切れたなら、少なくとも今よりはマシな生活が送れるかもしれない。でも自分だけ逃げるのは気が引ける。だから、摂津さんをどうにかして連れ出そうと決意した。
それから数日後、私は再び司令官に呼び出された。そう、これから私たちに課せられる任務の合同説明を行うからだった。
要約すれば、今後摂津さんには外部から操ることが出来るように改造され、それを使って私が離れたところから摂津さんを動かして、演習を行うとのこと。正直、何も摂津さんだけを標的にしなくてもと思って、少し腹が立った。
でも、私にとって悪い話ではなかった。こいつを使えば、この前思いついた、摂津さんを拉致する計画が、意図せず簡単に実行できるようになったのだから。でも流石に自分の良いように使うのは気が引ける。できれば、何とか説得して、そう言う手を使わないで連れ出したい。まあ何はともあれ、考えているだけじゃあ意味がないので、その日から私はそう言う話が出来る機会を探り始めた。
+++
けれど、そう言う機会はなかなか訪れなかった。摂津さんと一緒になる機会はあったけれど、大抵その時は上官がいたりして話すに話せなかったし、摂津さん自身も私を避けているように、会議の後はすぐ何処かへ行ってしまって、ゆっくり話すことは出来なかった。それでも私は、その時が来るのをじっと待った。
そしてその時が来た。航空隊の訓練が終わって、皆に挨拶をしながら上がっていく摂津さんの後を追いかけて、周りに人がいなくなるのを待った。すると、摂津さんの方から振り向いて声をかけてきた。
「……矢風さん、何か用があるなら早く言ってください。いつまでも後を付けられるのは気味が悪いので」
「あ、ごめんなさい。なかなか人前で話しにくい事だったので、機会を伺ってたんです」
当たり障りのない言い訳をすると、摂津さんは眉をひそめて「人前で話しにくい事?」と聞いてきた。
「はい。摂津さん、私と一緒にこの場所から逃げ出しませんか」
それを聞いた時の摂津さんの表情は、驚きとそして軽蔑しているようなものだった。そりゃあそうだろう、私自身だって馬鹿な事を言っている、という自覚はある。
「何を言っているんですか、貴女は? そんなこと許されると思っているのですか? お断りさせて頂きます。逃亡なら貴女一人で図ってください」
そう言うだけ言って、摂津さんは私から逃げるように足早でいなくなった。それを追うことはしなかった。だってそういう答えが返ってくるって分かっていたから。
――やっぱりあの手を使うしかないか……。
正直言えば、穏便に済ませたかった。だけど、ここまで手こずるのなら、使わざるを得ない。摂津さんを『自由にコントロールできる』、あの手で。
そうと決めたら、早く実行した方が良い。一度実行してしまったら、もう戻る時間はない。だから、最小限の荷物は鎮守府の敷地外の茂みに隠し、準備万端の状態で、機会を今か今かと窺った。航空隊の稽古の後、今後の稽古のやり方の相談を銘打って、摂津さんを呼び止めた。しかも都合の良いことに、裏口のすぐ近くで。
「何でしょう?」
「加賀さんや赤城さんの練度が少しずつ上がってきているので、新しいやり方を考えたんですが――」
そして摂津さんの目を見る。すると、摂津さんは一瞬脱力したようにだらんとなって、すぐに態勢が戻る。どうやら上手くいったらしい。
「――それで、必要なものを揃えたいので、一緒に来てくれませんか?」
「分かりました、お付き合いします」
笑いそうになった。ここまで上手くいくとは思わなかった。ここまでは予定通り。あとはここから連れ出してしまえば、こちらの勝ちだ。周りに誰もいないことを確認して、私はコントロール下に置いた摂津さんを、裏口から連れ出した。
私がやったことは簡単に言えば、催眠に近いようなものだ。ただし、完全な催眠ではないから、下手に騒ぎが起こったり、あとは小一時間程で摂津さんの自我が、簡単に回復してしまう。だからこそ、こうして慎重に、かつ手早く事を運ぶ必要があった。
茂みから荷物を回収し、摂津さんの手を引っ張りながら、足早に駅に向かう。向かうは遠く、北へ。そこでひっそりと暮らそうという魂胆だ。兵器がこんな事を思うのは笑えてしまうが、兵器だって心がある。だから、こんなことを思ったって何らおかしくはないのだ。そう自分に言い聞かせる。
鎮守府近近くの街にある駅に着いて、東北地方の県の駅の切符を購入する。そして手早く改札を通り抜けて、更にタイミングよく滑りこんできた電車に乗車する。間もなく電車が発車して、駅のホームが視界から消える。何もかもが上手くいっている。
「摂津さん、摂津さん」
肩を揺すると、はっとしたように摂津さんは意識を取り戻し、「ここは……?」ときょろきょろあたりを見回して、そして「矢風さん……!!」と私を睨んだ。
「なかなか応じてくれないので、奥の手、使わせて貰いました。急行なので、次止まるのは仙台ですよ」
「せん……ッ?!」
それを聞いて、今にも私に掴みかかろうとしていた摂津さんは、力なく客席に堕ちた。
「もう諦めてください、後戻りは出来ませんから」
「……何かあった時の責任は、取ってくれるんでしょうね?」
「はい、約束します」
もちろん最初からその気ではいた。だから、その言葉に嘘はない。それを聞いた摂津さんは、まだ腑に落ちていないようだったけれど、流石に周りの目を気にしてか、その次の言葉はなかった。
+++
何回か乗り継ぎをして、私たちは仙台へたどり着いた。昼過ぎに出発したお陰で、日はとっぷり暮れていた。
「それで、この先どうする気なんですか?」
「お、案外乗り気ですか?」
「ふざけないでください。こうなってしまった以上、私にもそれを知る権利があると思いますが」
「まあ確かにそうですね。とりあえず、今日は泊るところを確保してありますので、そこでお話しします」
それだけ返して、私たちは駅近くにある旅館へ向かった。
仙台という土地は、新横須賀鎮守府よりも侵略者(インベーダー)からの攻撃は少なく、こうした旅館が今でも営業を続けられている。その中で、値段もそれなりに安い旅館に素泊まりで予約をしていた。でもそれは今日だけの話で、明日からの寝床は探さなければならない。
とりあえず手続きを済ませて、部屋に入る。畳敷きに、遅い時間だからか布団が敷いてあって、その他に無駄な装飾はない、質素な部屋だった。まあ、贅沢は言ってられない。
「それで? どうするつもりですか?」
「とりあえず北へ向かいます。北海道のどこかで隠居できれば良いな、とは考えていますけど」
「そんな呑気な……」
「もちろん上手く行けばの話ですよ。どこまで逃げ続けられるか分かりませんし」
地図を見ながらそう言う。私だって逃げ切れる気はしていない。だって相手は国家組織だし、海軍の基地なんてごまんとある。きっと今頃大騒ぎして、捜索命令すら出ている頃合いだろう。明日には全国の基地で出されるはずだ。
「それなのにどうして脱走しようなんて考えたんですか? するだけ無駄な気もしますが」
「それは――」
摂津さんがかわいそうだと思ったからです、だなんて言えるわけがない。一体何様だって話だし。だから。
「嫌だったんですよ。確かに、侵略者との戦いが重要なのは分かります。私たち船魂娘にとっても、こうして暮らしている、皆様にとっても。だけど、我慢できなくなったんです、この理不尽さに」
「……だからと言って、この行動はどうかと思いますが」
「分かってますよ、そんな事は」
それから静寂が部屋を埋める。もともと摂津さんと私は仲が良かったわけではない。というか、あの航空隊の育成の話を聞いた時が初対面だった。今考えれば、よくこんなことをしようと思ったものだと、笑ってしまう。
「? どうしたんですか、いきなり笑いだして」
「いえ、別に」
もう今日は疲れているのかもしれない。そりゃそうか、稽古終わってすぐに動き回ったし、無理もない。
「とりあえず、今日はもう寝ます。おやすみなさい」
「はあ……おやすみなさい」
摂津さんの呆れ顔から逃れるように、布団に潜り込む。心なしか、布団が冷たく感じた。
+++
目が覚めると、まだ室内は暗かった。というか、昨日昼以降何も食べてないからお腹が減った。
眠い目をこすりながら、摂津さんの姿を探すと、少し離れた場所に布団が動いていて、そこで眠っていた。昨日のあの拒否具合から、こっそり帰ったんじゃないか、と少し思っていただけに驚いた。
とりあえずそっと移動して、窓のカーテンを開ける。まだ空は薄暗いけれど、奥の方はもうすぐ太陽が昇りそうだ。今日はもう少し北を目指して、出来れば青森か、そこらへんまでは進みたい。
「う……ん……」
そんな小さい声が聞こえて、振り向変えると、ちょうど摂津さんが寝返りをうったところだった。その姿を見て、私の中に少しの罪悪感が生まれた。
――本当にこの人を連れ出して良かったのかな……。
そしてその考えを振り切るように、頭を振った。今更そんなことを言ったって仕方がない。とりあえずそう考えてしまうのを空腹のせいにして、こっそり部屋を出て、コンビニにパンでも買いに行くことにした。
部屋に帰ると、摂津さんはもう起きていて、髪を梳かしていた。
「あれ、摂津さん起きていたんですか?」
「えぇ、まあ……。矢風さんはどこへ行かれていたんですか? 起きた時姿がなかったので驚きましたけど」
「いや、そこのコンビニでパン買いに行ってました」
「はあ……貴女って人は……」
そう嫌味を言おうとしていた摂津さんのお腹が鳴った。
「はは、私がどうかしました?」
「……何でもありません」
そんな摂津さんがなんだか可愛くて、笑いながら買ってきたパンを一つ手渡した。
+++
七時過ぎには泊まった旅館を後にして、電車に再び乗り込んだ。
「それで、今日はどうされるつもりですか?」
席に座るや否や、摂津さんが聞いてきた。
「やっぱり少し楽しんでませんか?」
「いえ、そんなことはありません」
窓の外を眺めながら、摂津さんが言う。でも、心なしか表情が明るい気がする。言わないけど。
「そうですか。とりあえず今日は、もうちょっと北に向かおうかなと思ってます。出来れば青森近くへ行きたいですね」
「そうですか、分かりました」
そして再び沈黙。電車の振動音だけが私たちの間を流れる。
私たちが乗った車両には、時間が早いのもあるのか他に乗客はいなかった。だから実質貸し切りのようなものだけど、なんとなく騒ぐ気は起きない。まあ状況が状況だし。
「……今頃鎮守府はどうしてるのでしょうね」
「さぁ……。捜索令でも出して、私たちを探してるんじゃないでしょうかね」
「……そうですね」
きっと彼らは、私たちの事を血眼になって探しているだろう。だけど、きっとそれは必要だからじゃない。全体の士気に関わるから、とか、上層部(うえ)がうるさいから、とか、そういう理由だろう。それに、航空隊を育成するのに、私たちほど都合の良い存在はいない。もちろんそれも理由にあるだろうけど……もう少し、そういう事じゃなく、必要な存在でいたかった。
「ねえ摂津さん」
「はい?」
そして言いかけた言葉を飲み込んで、「いえ、なんでもありません」と、視線を外に戻した。ここで、あんなことを聞くのは野暮だろうと思ったから。それに、今は〝船魂娘〟であることを忘れよう。そんな私を、摂津さんは「相変わらず、よく分からない人ですね」とだけ言って、彼女もまた、車窓に目を戻した。車窓は変わらない田園風景を映し出している。
+++
どれだけ揺られたか、電車は花巻に到着した。とりあえず電車を降りて、駅から出る。
「とりあえずお昼ご飯どこかで食べましょうか、お腹すきましたし」
「……相変わらず呑気ですね」
「それぐらいじゃないと、やってられないですよ?」
そう笑いかけると、「……まあ確かに」と素っ気なく返ってきた。そんな言い方しなくても、少しはしゃいでるのは、街を見る目を見れば分かる。それぐらい彼女の目は少し輝いていた。
「ほら、ぼーっとしてる時間はありませんよ? それともお昼抜きで良いんですか?」
「わ、分かりましたよ! 待ってください!!」
あまり遠くへ行く時間はない。とりあえず駅前の店々で軽くお昼を買って、電車の中で食べることにした。
さすがに見知らぬ土地で離れ離れになるのは怖い、ということで、摂津さんと一緒に見て回る。お店のおばさんにおすすめを聞きながら、雑談を交わしていると、お店の人がここ最近の話をしてくれた。
「仕入れをしている漁師の人が言ってたんだけどねぇ、最近見たことのない生き物が海をうろついていて、なかなか思うように漁ができないそうなのよ。だから、私たちも魚を使ったお弁当が作れなくてねえ……」
「へぇ、そうなんですか」
「それでもここ数年は、お嬢さんたちくらいの歳の子が、これまたなんだかよく分からない物で、その生き物たちを追っ払ってくれてるそうで、少しずつ良くなってきているそうなんだけどね」
「それまた凄い話ですね」
「本当にねえ、助かってるわ、漁師の皆さんも、私たちも」
そんな話をしてくれた。お話をしてくれたお礼にとお弁当を二つ購入したら、サービスでお惣菜の唐揚げを二つサービスしてくれた。それはとても嬉しかったけど、なんだか複雑な気持ちになった。
おばさんの言った『お嬢さんぐらいの歳の子』とは、おそらく私たち船魂娘のことだろう。確か、岩手県にも船魂娘の鎮守府があったはずだし。もしこれが普通の任務の時に聞いたなら、そんな他鎮守府の仲間に負けていられない、とかなんとかでやる気になっただろうけど、今の私たちはそれから逃げている身。聞くのが苦しかった。
駅への道中、ちらと摂津さんを見ると、摂津さんもまた唇を噛みしめていた。きっと摂津さんは私以上に、罪悪感や、責任を感じているに違いない。そしてそうしたのは私自身だ。もちろん負い目がないわけじゃない。だから、摂津さんに何も言い出せなかった。
十三時過ぎの電車に乗って、さらに北へ向かう。きっと、駅で摂津さんに責められていたなら、もしくは帰投を提案されていたなら、私たちは鎮守府に逃げ帰っていただろう。だけど、何も言わず、そして私自身も今更帰投を言い出せず、そのまま青森行きの電車に乗車した。
電車が発車してすぐ、さっき買ったお弁当を広げて、食べ始めた。お腹が減っているから、余計にネガティブな事を考えてしまうんだと思った。だけど、食べれば食べるほど、さっきのおばさんの話が頭を駆け巡って、味がしないどころか、泣きそうになった。
「矢風さん」
そんな私に摂津さんが呼んだ。
「はい……?」
「……私が言うのもおかしいと思うんですが、元気を出してください」
まさかそんなことを言ってくれるだなんて思っていなかったから、純粋に驚いた。
「なんで、そんなことを……?」
「分かりません。ですが、貴女にそんな顔していて欲しくなかっただけです。……それに、こんなことにしたのは貴女なんですから、そんな貴女がそんな顔していたら、余計不安になるじゃないですか」
言葉に優しさはない。だけど、そういう摂津さんの表情や、口調は厳しいものじゃなく、優しげだった。きっと摂津さんはそういう人なんだ。そう思ったら、余計に涙が溢れてきた。
「え、どうして泣くんですか?! 私、何か悪いこと言いました?!」
「いや違います、その……摂津さんって、優しいんだなと思って……」
「そ、そんなんじゃないですよ?! 多分……」
「ふふ……、ありがとうございます、少し、救われました……」
「あ~~~~、もう、調子を狂わせないでください!」
そう言い捨てて、摂津さんはもぐもぐとお弁当を食べ始めた。本当に摂津さんは優しい人なんだな、と改めて思った。そして、そんなこの人に心配された土佐さんが、少しだけ羨ましく思った。
いつまでも泣いていても仕方がないから涙を拭いて、食べ始めたお弁当は、まだ少し温かかった。
目的地の青森駅に着いた時には、またも日はとっぷり暮れてしまっていた。すぐに駅前のビジネスホテルに空室を問い合わせると、運よく空いていたのでそこに泊まることにした。念のため摂津さんに別室が良いか尋ねると、同室で良いとのことなので、そのまま同室でチェックインをした。
部屋に入ってすぐ、先に私からシャワーを浴びた。今日は色んな意味で疲れたけれど、でも、なんだか少しスッキリした。なんだか全て上手くいくような、そんな気がした。
+++
翌朝、付いていた朝食もほどほどにチェックアウトし、いよいよ北海道は函館に向かう。それからはまた在来線で札幌、そしてゆくゆくは旭川あたりまで行きたい。そこで、安寧の地を探そうという魂胆だ。時間にして三日ぐらい。長い旅路だ。
「函館までは電車とフェリーで行けるみたいですけど、どうするんですか?」
最早摂津さんも興奮を隠そうともしていなかった。正直、そこまで心を許してくれ始めてるのかな、と思うと少し嬉しい。
「そうですね、ここまで電車続きでしたし、気分を変えてフェリーにしますか」
「良いですね、そうしましょう」
フェリーターミナルまでの道順を確認し、ホテルのフロントマンにタクシーの手配をお願いした。
数分ほどでタクシーが到着して、それに乗り込む。無口な運転手さんで、カーラジオのニュースだけが車中に流れていた。そんなニュースの中で、
『――鎮守府所属の兵士二人が……い画的逃亡……服装を変えながら……東北各地を転々と――』
電場が悪いのか、それともカーステレオの調子が悪いのか、所々ノイズで聞き取れなかったけど、これは完全に自分たちの事だと分かった。でも不思議と、もう罪悪感はほぼなかった。なんなら、笑ってしまいそうだった。だって、もうすぐで本州を離れる。そうすれば、そのうち私たちは戦死扱いにでもなって、北海道の地で、新しい生活を送れるのだ。そう信じて疑わなかった。
ものの数十分でフェリーターミナルに到着し、乗船券を購入して、乗船の案内を待つ。
「ついにここまで来てしまいましたね……」
「はい。……なんか、上手く行き過ぎて怖いぐらいです
ここまで気分が昂っているのは、今まで生きてきた中で一番かもしれない。侵略者(インベーダー)と戦っていたって、こんなに興奮したことはない。
そして、乗車時間のアナウンスが鳴った。私と摂津さんは、どこか浮かれた気持ちでフェリーに乗船した。
今思えば、もう少し私たちは警戒すべきだった。タクシーのラジオで、『東北地方を転々と』と言っていた。つまり、私たちの足取りは既にバレていたのだ。そこで、電車ではなく、フェリーを使ってしまったのが運の尽きだったかもしれない。
乗船時間は約三時間、函館のフェリーターミナルに到着し、下船した時、下で軍服を着た二人の男が立っていた。嫌な予感がした。
「横須賀鎮守府所属の、標的艦摂津と、同じく標的艦、矢風だな?」
しまったと思った。急いで船内に逃げ込もうと振り向くと、後ろにももう二人、同じように軍服を着た男がまた二人。
「長旅は面白かったか? もう満足しただろう? 帰投命令が出ている。手荒な真似はしたくない。大人しくついてきて貰おうか」
終わった、と思った。そしてその事実は、抵抗する気すら削いだ。だけど、このまま帰るのは癪だった。だから――
「一つだけ、条件があります」
「何だね?」
「そこにいる摂津さんへ、罰は課さないでください。彼女は私の被害者です。摂津さんの誘拐など、全ては私が仕組んだことです」
そう言った私を、摂津さんは驚いたように見ていた。
「罰に関しては今決めることは出来ない。詳しくは帰投後に聞かせてもらう……が」
片方の男――勲章の数で見れば少佐か――が、私を覗き込んで言う。
「その要望は、上層部に提言しておこう」
「……ありがとうございます」
こうして、私たちの短い逃避行は、幕を閉じたのだった。
+++
矢風さんの要望は聞き入れられ、私は、矢風さんに誘拐されたという扱いで、罪はなかった。だけど、矢風さんに関しては、いくら聞いても教えてはくれず、私は間もなく、一人で航空隊の育成に当たった。航空隊の子たちは、私の顔を見るや否や、とやかく聞いてきたけれど、色々な意味で余裕がなかったから、適当に答えて、厳しく稽古をつけた。
でも、何も矢風さん一人で全てを負う必要はなかったのではないか、ととても思う。もちろん最初は、彼女の勝手な行動で、外に連れ出された身だ。それは間違いはない。それに、彼女に「責任を取れ」とも言った。
だけど、土佐が沈んでしまった後、宛てのない怒りをずっと抱えていたし、そのまま航空隊の子たちの育成をするのは気が引けていた。
だから、結果として連れ出してくれたのは、実は少しだけ感謝している。だからこそ、彼女の罪を半分でも、背負ってあげたかった。だけど、その意見が通ることはなかった。
――このまま彼女が戻ってこなかったらどうしよう。
私はまた、誰かを失うというのだろうか。もう失くしたくないと思っていたのに。そんな思いは日に日に強くなっていった。
そして、ようやく彼女が私の前に姿を現したのは、逃避行から半年が経とうとしている、そして航空隊の稽古が終わって後片付けをしている時だった。
「矢風?! 大丈夫でしたか?!」
駆け寄って気付く。ただでさえ細身だった彼女は更にやせ細り、顔には目立たない青痣がいくつか見て取れた。彼女のしたことは確かに到底許されることじゃないかもしれない。だけど、この仕打ちは無いんじゃないか。
駆けだそうとする私に、矢風さんが「摂津さん」と弱弱しく呼び止めた。
「そんなことしなくて、大丈夫です。私がやったことは、それだけの事だった、ってだけですから」
「でも……ッ!!」
「良いんです。それよりも、貴女が無事で良かったです。それと、今日はお別れを言いに来たんです」
「お別れ……って」
「はい。しばらくの間、左遷されることになりました。いつ戻ってこれるかは分かりません」
一番聞きたくなかった言葉だった。これが悪夢なら、早く醒めてほしい。
「嘘でしょう……?」
「こんなことになって、本当にごめんなさい。あと、迷惑をおかけしました。……お元気で」
そう弱弱しく笑って、そして来た道を戻っていく。
「矢風ッ!!」
「またいつか会えたら、その時は、またよろしくお願いしますね」
その言葉を聞いたら、もう何も言えなかった。矢風さんは、工廠の角に消えた。
「……馬鹿じゃないの」
結局、私はまた何もできなかった。その無力さを改めて痛感して、私はその場に泣き崩れた。本当に本当に本当に、理不尽だと、ただただ恨んだ。