SciFi杯1905

結果発表

総評

今回SciFi杯1905が成立したことで、3回続けての成立となった。作品を応募していただいた方にも、審査員の方々にも感謝したい。

今回思ったことなのだが、SciFiであれライトSFであれ、構成や作法があると思う。その作法とは、いわば「最初からクライマックス」 (by 電王) とでも言えるものだ。この点が、他のジャンルとはおそらくはまったく違う点だろう。

SciFiなりライトSFなりと密接な関係を持っているのは探偵小説、今でいえばミステリだろう。ミステリは、次第になにかが明らかになりであるとか、「実は……」という要素がたぶん必須なのだろう。ところがSciFiであれライトSFであれ、そうではない。SciFiの歴史で言えば中世から近世のあたりで、そのような特徴を持つ作品が粗製濫造された。それに対してSciFiファンは辟易したのだ。著名な作家、編集者の影響もあるのだが、その点においてミステリとSciFiは異なるものとなった。ミステリ要素を持つSciFiももちろんある。とくに作中のエピソードとしてそれらが存在するものがある。だが、とくに作中のエピソードとして存在している場合、SciFiファンからすれば穴埋めの逃げにしか思えない。そういう作品はあるものの、全体的な方向としては、SciFiファンはミステリとSciFiははるかな昔に別のものであることを自覚したのだ。

SciFiっぽいガジェットによってSciFiになるのではない。「最初からクライマックス」であって読者の頭をぶん回すことによって、SciFi足りえるのではないかと思う。

今回もまた合計の平均において15点を超える作品はなかった。近いものはあったのだが。これは、作品を応募してくれた方々には不満の残るところかもしれない。高評価を得たいという方にはとくにそうかもしれない。SciFi杯は、作品を酷評することを目的としているわけではない。個々の審査員のSciFi感、SF感に基づいて、正直に審査を行なっている。審査結果に関して審査員の間での打ち合わせや調整は一切行なっていない。その結果として、小説投稿サイトにおける評価とはまったく異なる審査結果となっているかもしれない。その点は、このような審査結果もありえるのだということを理解し、次作への糧として欲しい。

では、まずは他の審査員から寄せられた雑感を紹介し、その後に大賞の発表、そして個別の作品についての審査結果を発表しよう。


雑感

興味深いテーマの作品がいくつもあった。関連する情報もよくまとめられているのだが、独自のアイデアとまでは感じられず、解釈にひと工夫欲しかった。

描写の丁寧な作品が揃っていたと思う。しかし、読むときの作品のリズム(のようなもの?)が単調になってしまう傾向も強いと感じた。物語の展開に緩急を感じられる文章表現が加われば、作品の力強さが増すように思う。(奇をてらうといったことではなく)上手に変化を与えられる表現の工夫を今後も模索していって欲しい。

大賞

金賞

SciFi、中編、お題参加作品 (アンソロジーには参加しない)


私は夫を助けるために彼の脳を自分に移植した

死がふたりを

短評A

雰囲気としては、ある作品に似ているかもしれない。

脳機能や若干現在までに行なわれた医療を過大評価しているように思われる箇所がある。右利き左利きの脳機能についても誤解があるように思える。同時に、各種考察も基本的には古い。それらからは作品の全体性とでも言えるのだろうか、そのようなものに欠けているように思える。

これらはあくまで設定であるとも言えるだろうが、むしろ書いたことで評価がいくぶんなりとも下がってしまっている。内容としては、もう二歩ほど踏み込めば、より高い評価となったかもしれない。


短評C

意外なほど状況を冷静に受け入れている「チカ」。抑制的な感情表現によって淡々と理性的に展開する物語は、登場人物の印象は薄くなるものの、主題を際立たせていると感じた。

脳科学の成果をいくつも取り入れているのだが、断片的に組み合わせただけに留まってしまったように思う。作者独自の認知科学に関する、より大胆な仮説、解釈が欲しかった。

「嫌悪感」は、異物(?)としての「良一」そのものからくるのか、「チカ」が認知する「良一」との差異からくるのか。混ざり合うことによって生じる変質が影響しているのかもしれない。

エイリアンハンド症候群(?)は、「チカ」の中に「良一」の存在が残っているという暗示ともとれる。脳の中だけとは限らないけれども。

銀賞

ライトSF、短編、お題参加作品(アンソロジーにも参加する)


現実社会へ、とくに小説執筆サイトやコンテストへの考察を促す作品です。

短編集として執筆開始いたしましたが、まだふたつの短編のみです。

ひとつは1万字以上、もうひとつは5千字以下です。

前者は、スポ根要素、グルメ要素をふくみます。

後者は、APOCALYPSE後の惑星を舞台にしております。

いずれも完結した短編になっております。

マイヨールとシグナトリー

短評A

SFっぽさを装う必要や理由がある作品なのかというと、そうではないように思える。それっぽさをすべて取り去ってもまったく同じ物語が成立するのではないだろうか。

若干、記述に矛盾があるように思える。

付け加えるなら、作品の構成がSFの構成あるいは作法ではないように思う。そのため、SFも、そしてもしかしたらファンタジーも、読み慣れても書き慣れてもいないように思えてしまう。この点が「SciFiらしさ、ライトSFらしさ」、「アイディアの使いこなし」の評価に影響している。


短評B

S(少し)F(不思議)なお話で楽しめました。


短評C

柔らかな語り口で昔話のような物語だった。ぼんやりとした設定が、レトロフューチャーな雰囲気を与えている。一時的な滞在中に起こる出来事、その後、その場を去る一抹の寂しさは、ロードムービーのようでもある。

作品の持ち味だとも思うのだが、淡々とし過ぎた印象も若干残る。

銅賞

SciFi、短編、お第参加作品 (アンソロジーには参加しない)


最後までが「歴史」である

終末のコネクタ

短評A

SciFiっぽい用語をちりばめた、あまりいい意味ではない「ポエム」に思える。ちりばめられたSciFiっぽさも、既出のものであったり、さらにはありがちであるように思える。多重構造もまた、それに拍車をかけているように思える。

そこで考えるのだが、それを狙っているのだとしたら間違いなく成功している。その場合は評価は違うものになるだろう。ただし、その際には評価項目自体を変えなければならないだろう。

なお、このあたりについてはよく知らないのだが。そのように書くしかないのかもしれないことはしかたがないとしても、それを並べるのは記号の使い方として適切ではないのではないかと思える箇所が一箇所あることを挙げておく。


短評B

円城塔みを感じました。


短評C

どこかで見聞きしたことのある設定を寄せ集めた印象は否めない。設定の中に作者独自の解釈と感じられるものが欲しかった。

一人称代名詞がいくつも使われており、エピソードごとの主体(?)がわかり難くなっている。各々の代名詞に意味を持たせているとは感じるのだが、それらの関係を読み取ることが難しい。そのため、読者を混乱させる要因になっていると感じた。エピソード毎の視点が曖昧になってしまい、物語が散漫にもなる。これらを注意深く表現できていれば、より雰囲気のある作品になったかもしれない。

終末論は、宗教と対になって現れるのではないだろうか。「人々を管理する電子機構」は終末論を加速、拡散させるとしても、その思想を生み出す原因とは思えない。物質以外のものも含め、社会が均質化し、管理されているのであれば、よくも悪くも安定することになると思う。安定によって社会は、変化しない状態(緩慢な死?)を迎えることになっても、人々が「終わり」を求めるようになるとは考え難い。

「社会に反抗する者」という不安定要因が、世界の「終わり」に影響していたのではないだろうか。「終末的思考」へと至る過程が曖昧と感じた。いくつもある要因を整理し、丁寧に描写できれば、説得力のある作品になったと思う。

全作品の審査結果

大賞受賞作も含めて、全作品の審査結果は次のとおりです。

ライトSF

短編

ライトSF、短編、お題参加作品(アンソロジーにも参加する)


現実社会へ、とくに小説執筆サイトやコンテストへの考察を促す作品です。

短編集として執筆開始いたしましたが、まだふたつの短編のみです。

ひとつは1万字以上、もうひとつは5千字以下です。

前者は、スポ根要素、グルメ要素をふくみます。

後者は、APOCALYPSE後の惑星を舞台にしております。

いずれも完結した短編になっております。

マイヨールとシグナトリー

短評A

SFっぽさを装う必要や理由がある作品なのかというと、そうではないように思える。それっぽさをすべて取り去ってもまったく同じ物語が成立するのではないだろうか。

若干、記述に矛盾があるように思える。

付け加えるなら、作品の構成がSFの構成あるいは作法ではないように思う。そのため、SFも、そしてもしかしたらファンタジーも、読み慣れても書き慣れてもいないように思えてしまう。この点が「SciFiらしさ、ライトSFらしさ」、「アイディアの使いこなし」の評価に影響している。


短評B

S(少し)F(不思議)なお話で楽しめました。


短評C

柔らかな語り口で昔話のような物語だった。ぼんやりとした設定が、レトロフューチャーな雰囲気を与えている。一時的な滞在中に起こる出来事、その後、その場を去る一抹の寂しさは、ロードムービーのようでもある。

作品の持ち味だとも思うのだが、淡々とし過ぎた印象も若干残る。

ライトSF

長編

ライトSF 、長編、お題参加以外の作品


近未来的なネットワーク技術を身近な青春冒険譚に盛り込んだエンターテインメント

クラスのあの娘は一発屋

短評A

作品としてのまとまりがなく (これは作者の意図でもあるだろう)、SFらしさもばらまかれたガジェットのみである (一応ほぼ通して現われるものはあるが、ほぼ現われるだけだ)。加えるなら、そのほぼ通して現れるガジェットは全能とも言えるほどに万能であるように思える。それはまた、パルプ雑誌系SFの「こんなこともあろうかと」に通じるものがあるように思える。これらが5つの評価項目全体に影響している。

正直な感想としては、「ライト」がついていてもいなくても、SFと呼べるかが根本的に疑問に思える。


短評C

非日常が紛れ込んだ日常を通して「一発屋」というテーマを丁寧に描写している。

序盤の生徒どうしのトラブルには、ちょっとした変化球(?)が欲しかった。「一発屋」というものをわかり易く説明しているのだが、画一的な展開という印象も受けてしまう。後半にも絡む人間関係だけに、もう少し変化とか、複雑さがあってもよかったと思う。

クライマックスに向けてわりと重要になってくる「量子コンピュータ」だが、あまりに便利過ぎる道具として描かれていたのは、リアリティに欠け、残念に思う。処理能力が桁違いであれば、周辺のシステムへの影響がかなり大きくなる。既存のネットワークに接続すれば、対応しきれない処理負荷がかかる可能性が高い。予測のための膨大なデータを蓄積し、高速に通信する手段が用意されていなければ、充分な性能を発揮できないはず。

主人公の視点が続くことで、成長する様子がわかり易く描かれているのだが、展開が平板に感じ易くもなる。物語の雰囲気に変化を感じられるような表現の工夫が欲しかった。

SciFi

掌編

SciFi、掌編、お題参加作品 (アンソロジーにも参加する)


AIにデータを解析させることで、ヒトの認知を越えようとする者への問が込められている。

AIはヒトに夢を見せるか

短評A

たんなる霊界通信の話なのか、たとえば重力による相互作用のみによって観測可能なダーク・マターなど、あるいはそれ以外のなにかの話なのか判然としない。仮に後者であるなら、たぶん焦点を明らかにするか、もっと文字数を費して書く必要がある内容なのだろうと思う。

後者であり、そして後者であることがはっきり読み取れる、あるいは書かれたなら、全体的により高い評価になっただろう。


短評B

もう少し劇的な結論が欲しかったです


短評C

ヒトの認知の枠(?)を外れて世界を認識できるのか?、というのは興味深いテーマだった。しかし、言葉遊びの域を出ない展開と曖昧なオチには物足りなさを感じた。

認知であれ認識であれ、知覚した対象を扱うことであり、実在論を前提にしてしまうと、どうにもならないという気がする。

「同じ認知能力で、視野だけを広げてきた」とあるが、機械が観測した情報を人が知覚できるように変換し、それを解釈することで新しい認知が得られたと考えることも可能ではないだろうか。人が直接知覚できるものは、確かに限定されているとしても、機械によって拡張することは可能なのではないかと思う。

機械やAIは、ヒトの認知(認識?)にもとづいて生み出されており、独自に進化し意識を持つようになることでヒトの認知を超えることになったとしても、やはりヒトの認知の枠組みの範疇に留まるのではないだろうか。

“無知の知”を知る「祖父」のユーモアだったのかもしれない、…とも思ったり。「自分」と「私」も謎のまま。

SciFi

短編

SciFi、短編、お第参加作品 (アンソロジーには参加しない)


最後までが「歴史」である

終末のコネクタ

短評A

SciFiっぽい用語をちりばめた、あまりいい意味ではない「ポエム」に思える。ちりばめられたSciFiっぽさも、既出のものであったり、さらにはありがちであるように思える。多重構造もまた、それに拍車をかけているように思える。

そこで考えるのだが、それを狙っているのだとしたら間違いなく成功している。その場合は評価は違うものになるだろう。ただし、その際には評価項目自体を変えなければならないだろう。

なお、このあたりについてはよく知らないのだが。そのように書くしかないのかもしれないことはしかたがないとしても、それを並べるのは記号の使い方として適切ではないのではないかと思える箇所が一箇所あることを挙げておく。


短評B

円城塔みを感じました。


短評C

どこかで見聞きしたことのある設定を寄せ集めた印象は否めない。設定の中に作者独自の解釈と感じられるものが欲しかった。

一人称代名詞がいくつも使われており、エピソードごとの主体(?)がわかり難くなっている。各々の代名詞に意味を持たせているとは感じるのだが、それらの関係を読み取ることが難しい。そのため、読者を混乱させる要因になっていると感じた。エピソード毎の視点が曖昧になってしまい、物語が散漫にもなる。これらを注意深く表現できていれば、より雰囲気のある作品になったかもしれない。

終末論は、宗教と対になって現れるのではないだろうか。「人々を管理する電子機構」は終末論を加速、拡散させるとしても、その思想を生み出す原因とは思えない。物質以外のものも含め、社会が均質化し、管理されているのであれば、よくも悪くも安定することになると思う。安定によって社会は、変化しない状態(緩慢な死?)を迎えることになっても、人々が「終わり」を求めるようになるとは考え難い。

「社会に反抗する者」という不安定要因が、世界の「終わり」に影響していたのではないだろうか。「終末的思考」へと至る過程が曖昧と感じた。いくつもある要因を整理し、丁寧に描写できれば、説得力のある作品になったと思う。

SciFi

中編

SciFi、中編、お題参加作品 (アンソロジーには参加しない)


私は夫を助けるために彼の脳を自分に移植した

死がふたりを

短評A

雰囲気としては、ある作品に似ているかもしれない。

脳機能や若干現在までに行なわれた医療を過大評価しているように思われる箇所がある。右利き左利きの脳機能についても誤解があるように思える。同時に、各種考察も基本的には古い。それらからは作品の全体性とでも言えるのだろうか、そのようなものに欠けているように思える。

これらはあくまで設定であるとも言えるだろうが、むしろ書いたことで評価がいくぶんなりとも下がってしまっている。内容としては、もう二歩ほど踏み込めば、より高い評価となったかもしれない。


短評C

意外なほど状況を冷静に受け入れている「チカ」。抑制的な感情表現によって淡々と理性的に展開する物語は、登場人物の印象は薄くなるものの、主題を際立たせていると感じた。

脳科学の成果をいくつも取り入れているのだが、断片的に組み合わせただけに留まってしまったように思う。作者独自の認知科学に関する、より大胆な仮説、解釈が欲しかった。

「嫌悪感」は、異物(?)としての「良一」そのものからくるのか、「チカ」が認知する「良一」との差異からくるのか。混ざり合うことによって生じる変質が影響しているのかもしれない。

エイリアンハンド症候群(?)は、「チカ」の中に「良一」の存在が残っているという暗示ともとれる。脳の中だけとは限らないけれども。

SciFi

長編

SciFi、長編、お題参加以外の作品


紛争地でテロリストと戦った米軍士官と、いじめで心を閉ざした東京の女子高生の邂逅により、アメリカで発生した史上最悪のテロの真相が明らかに。伊藤計劃先生の「虐殺器官」オマージュ作品。

木曜日には血の雨が降る

短評A

オマージュとのことだが、はたしてオマージュと言えるのかどうか疑問である。

あとは、ありがちに終始しているよう思える。言語生命体のアイディアはかなり昔からある。そして、その1つはミームの伝染、繁殖として仮説が述べられている。そのため、その題材を扱う限り、オマージュを目指してもオマージュ足り得ないのだ。そしてそれは、オマージュの対象となった作品自体の存在意義についても言えるからでもある。


短評C

状況を丁寧に描写していて、読み易い作品だった。反面、淡々とした展開という印象も強い。

「ユリシーズ」の視点での戦闘シーンは、FPS (First Person shooter)の実況のように感じた。戦闘状況の展開や武装の取り扱いを上手にまとめているのだが、どうしても既視感がついてまわる。これが読み易さにつながるのだが、作品の独自性が薄いという印象にもなってしまう。

地政学(?)的な視点では、中国がもっと積極的に関わってきてもおかしくはないと思う。物語に直接関わらなくても、情報戦や諜報活動として米中露の三つ巴な状況が、間接的に影響してくるといった設定があってもよかったかもしれない。

「雪菜」たちの物語は、「ユリシーズ」たちの物語と比べると、物足りなさを感じる。交互に展開させたことで、この差異を強く意識させられてしまったように思う。これらの物語は、時系列で密にリンクしているとはいえない。彼女たちの物語は、外伝といった独立した作品としてもよかったのではないだろうか。

「言語生命体」は、ある意味、斬新だと思う。いかなる生命体なのか、どのような生態なのか、感染者との関係など。設定を掘り下げれば、独自の展開もあったかもしれない。

(written: Aug 9, 2019)