虹の投稿サロン
私の物語り・私の作品
ここは虹の仲間の投稿サロンです。あなたが今思っていること、楽しかったこと、悲しかったこと、夢中でやってきたこと、どんなことでも構いません、あなたの物語りを聞かせてくださいませんか?
短歌、俳句、絵手紙など、さまざまな作品を見せてくださいませんか!
虹の投稿サロンでお互いをもっとよく知り、共に歩んで参りましょう。
投稿 ・作品お待ちしてま〜す !!
担当:倉田玲子・佐渡友順子・辺見明代
・手書きで:担当者に郵送してください。文章は入力し作品は写真で投稿します。
・お電話で:担当者がお話を伺って文章にし、ご確認いただいた上「○○さん談」として投稿します。
・メールで:Wordや写真を添付またはメールにお書きになり、下記アドレスに送信してください。
私の作品
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絵手紙「2024年 年賀状」
日下部素子さん(会員)
私の物語り
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♪これもまた 人生‥♬
岩舩展子さん (会員) からのお便り
こんにちは。第73回毎日書道展に今回も会友として出品しました。
「モンマルトルのカフェで飲みしラフィットの味懐かしく一人酒する」自作の短歌です。
ラフットはたまプラーザ地下の酒店にもあって懐かしいなあと思って買おうとしたのですが、何と、78000円。
ヤーメタ!!でしたが、ますます飲みた~い!!
「毎日書道展」「秋9/1~9/8」「正月の書展」などあり作品作りが日課で、悪くない老中生活。
お会いできる日が早くくるといいわね!
目下の楽しみは「野村万作先生の狂言」「オペラ」「お習字」
でもだんだん外出がおっくうになり「おうちスティ」がなれてしまいました。
ひばりの唱じゃないけれど
…♪これもまた 人生・・・(川の流れのように)
二子玉川の花火、懐かしい! ではごきけんよう。
私の物語り
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春のごちそう
飯島綾子さん (会員) 1948年生まれ
ここ数年、野草を採取して食べるのが3月4月の楽しみになった。
フキノトウ。むかし春まだ浅い頃、菩提寺近くの丘の上の斜面に顔を出すフキノトウを祖母と採りに行った。こんなものが食べられるのかなと思ったが、天ぷらにすると絶品だという大人のご馳走だったらしい。酢味噌和えも子どもの口には合わなかった。
18歳で東京に住むようになってからすっかり忘れていたフキノトウ。思い出させてもらったのが飯田橋に住んでいた叔母だ。上京のきっかけをもらい、3年間住み込んで働き、結婚してからも、叔母とは50数年のつきあいだったが、残念ながら、3年前に86歳で旅立った。
あるとき懐かしいものが手に入ったと、ふき味噌をご馳走になった。フキノトウを細かく刻み、味噌と調味料を出し汁で煮詰めたふき味噌を、何十年ぶりかしらと会話が弾んだ。叔母もわたしも瀬戸内の島育ち。田舎では<おかず味噌>といい、あつあつのご飯にのせたり、天ぷらは最高だったのよね、と、むかしの話で盛り上がった。
ノゼり(野芹)とノビル(野蒜)。夫の友人が川口市芝川の土手で採取し、お福分けにあずかる。丈が長くて太いセリはスーパーで見かけるが、ノゼリは雑草に混じり丈が短くて細い。選り分けて、さっと茹で、おひたしやごま和えでいただいた。
去年は<秘密の場所>へ夫もスコップ持参で同行、ビニール袋いっぱいノビルを採取して来た。丁寧に処理し、友人達におすそ分けして回る。「懐かしい。酢味噌で食べるのよね」
「酒吞みにはうれしい春のご馳走だよ」と喜ばれた。70代80代にはふる里を思い出させてくれる野草だ。喜んでもらえることに気をよくし、3度も通った。ゆず味噌をつけて、梅酢漬けも愉しみ、葉の部分はネギ代わりに食した。
ツクシ。散歩道で土の中から顔を出したツクシをたくさん見つけた。亀甲文の穂先から背筋をしっかり伸ばした立ち姿がいい。土の中から顔を出すので<土筆>。透き通ったような白い軸の袴をとって洗う。アクで爪の中は黒ずみ、軸が裂けてしまうのもある。洗うとき、胞子が水の中で暴れて飛び出すのだろう、水が緑色に染まった。
1回目は甘辛煮。2回目は玉子とじに。茹でてアクをとったおひたしも美味だ。箸休め程度の量だが、ほろにがい風味がたまらない。
スギナをしかと確認したので、今年も楽しみにしている<春のごちそう>だ。
私の物語り
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私にとって老いる事とは?
宮原信子さん (会員) 1928年生まれ
この世に生を受けて91年。過ぎてみるとそれ程長さを感じないのが不思議です。山あり谷ありの中で多くの人に支えられ、たくさんの生き物の命をいただいて、ここ迄来られたことを心から感謝できる年齢になりました。
若い頃、老いは悲しい事と嫌っていた私でしたが、その只中に立ってみれば、まんざらでもありません。むしろ、若さのパワーでなんでもこなせた頃に見えなかったものが見えるようになり、感じ取れなかったことが感じ取れるようになりました。何につけても事の運びがスローになると待つことが煩わしくなくなくなります。自らの能力の衰えが見えてくると、他の人の能力が輝いて見えます。出来ないことが多くなると他人の優しさが身に染みて感謝の心が育ちます。老いてこそ浮上するものがあることを知ると、老いても又楽しく受容できるもののようです。
「生きることは老いに向う事」これだけはどんな年齢に於いても真実。若い頃私は、まわりの人の眼を気にする人間でした。こうあらねばならない。こうすべきだと。さほど善人でもないのに善人を装っていたり、本当は自分で決めたことなのに、子どものため、人のためと頑張ってみたり、自分の受け止め方の結果で自分を傷つけたり、怒ったり悩んだ連続でした。その頃は何が本質なのかを見極めることもなく、ただいたずらに走り続けてきたように思います。
今、ここに来て、心の扉を開いてみると私は私自身でありたいと願っていることに気づきました。出来ればこの目まぐるしい時の流れの中に、ちょっと立ち止まって自分らしさを確かめる時間を作れることを望みます。私はこの年になって、極めてはっきりと見出すことが出来たように思っています。私にとって老いとは幸いでした。
私の物語り
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毎朝の楽しみ
柏村茂さん (会員) 1933年生まれ
歩くスピードが鈍くなりました。そればかりか耳が遠くなり、補聴器の助けを借りたり、目が霞み出し、愛車のハンドルを手放さなくてはならぬほどの自覚症状に。老いの兆候が確実に私の身体に忍びよっています。
こんな中で一つだけ10年余り前から、毎朝、楽しみ、こだわっているボランティア活動があります。自宅の目の前にある小学校へ通う子どもたちの見守り活動です。
「いい加減にやめたらどうですか!」
「自分が見守られる歳なのに・・・・!」
家族の忠言、諫言(かんげん)に耳を塞いで、すっかり生活の中に溶け込み、定着してしまいました。
「おはよう!」「行ってらっしゃい!」
毎朝、交わす子どもたちとのご挨拶に人生の楽しさをかけています。子どもたちの表情や声。たまらなく魅力があるのです。いつまでも学校のセンセイの味、脱けないからでしょうか。
私の物語り
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生きがいのある仕事と心の支えになった人との出会い
鶴見市子さん(会員)1942年生まれ
今から50年前に、夫の知り合いからの情報を得て「社会福祉法人 二葉保育園」に2歳と4歳の息子がお世話になった。住んでいたアパートから都電で30分。新宿のど真ん中、近くには伊勢丹や三越があり、数分歩くと新宿御苑。その御苑手前の細い路地を入ると保育園があった。ここは、大正・昭和前期にかけては東京の代表的なスラム街であり、その名残がある古い木造の保育園があった。
ある日、その保育園の保母さん(今は保育士)と一緒になり、子育ての悩みや不安、また、良い母親になりたいなどと育児書を見ていた私に「二葉保育園で働いてみない?」と誘われた。数日してから良い機会と思い、園長先生と面接。その園長先生が徳永恕(ゆき)さん。明治生まれ。生涯をかけて幼児保育を主軸とする社会事業一筋。名誉都民ほか、たくさんの賞を受賞。慈母と慕われた方です。保育園に二人の子を預けて、私は無資格者。それでも快く採用して下さった。
始めにベテラン保母さんと乳児を受け持ち、励まし支えられて、仕事と子育て、資格取得に全力の5年間(ピアノ科目に苦戦)。保育内容も職員会議で一人一人を大事にと、全員で話し合い協力。特に「わらべうた教育研究家」の羽仁協子さんに学び、子供たちと一緒に楽しんだ。また、バザーもして父兄と協力し親睦ができた。
老朽化した新宿から昭和52年に調布市国領に移転。二葉くすのき保育園として現在も。退職した今も一緒に働いた仲間との交流が続いている。
17年勤めた二葉保育園、最後は調布の二葉くすのき保育園。45歳でした。
更年期に入り、心身ともに疲れていました。暫くは無理をせず、体調と相談しながらパートであちこち働く。ある時、市報で知ってヘルパーの研修を受け、ボランティア。近くの小学校での「ふれあい給食」に参加。老人と子供たちが一緒に昼食。その後、大人達はゲームやおしゃべり等。この機会を得てパートで訪問介護や介護施設で働く。ある時、図書館でタイトル「正々堂々がんばらない介護」野原すみれ著 を読み、「虹の仲間」のことを知り、仲間に入れていただいた。素晴らしい仲間たち、一生の友達です。
施設での職員はみんな優しくて親切、根気強かった。私も職員が手薄の時(朝夕の時間)に、背の高い男性をベッドから車椅子に移動した経験があるが背の小さい私は必死だった。また、女性のおむつ交換。幾ら年老いても羞恥心はあり、神経を使った。これらの経験は私自身が老いた時にいかして、なるべく介護者を困らせないようにと思っている。果たしてどうなるか?
50歳近くになって介護の仕事は無理かもしれないが、介護者の体力や精神的なことなど理解出来たらと介護福祉士試験に挑戦。勉強している時は介護の事以外でも沢山の事を学ぶことが出来た。やはり取得まで5年近かった。良い経験になった。
保育、介護の仕事が出来て多くの人と出会い多くの事を学んだ。
心の支えになった方々
幼児教育者、社会事業家。
二葉保育園の園長、理事長として幼児教育・社会福祉に貢献し女性初の名誉都民となった。
羽仁協子さん 1929ー2015年
わらべうた教育研究家(羽仁説子さんの次女)
昭和44年にコダーイ芸術教育研究所を設立。日本のわらべうたを使った音楽教育を実践した。
羽仁結子さん
教育者、市民活動家(羽仁説子さんの三女)
二葉保育園 で私と共に乳児を担当
私の作品
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油絵「ドイツのじゃが芋」「Xmas」
小堀千代子さん(会員)
私の作品
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ポストカード「ほたるぶくろ」
下田奈美子さん(会員)
私の作品
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折り紙 「お雛様」千代紙
中野厚子さん (会員)
私の作品
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編み物「仲良し寅さん」
下田奈美子さん(会員)
私の作品
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絵手紙「1日1回大笑い」
長野花子さん(会員)
虹の仲間会員の著書
三井君子(野原すみれ)さん
「正々堂々頑張らない介護」海と月社 2005年
「介護がラクになる魔法の言葉」大誠社 2006年
「女性のための老後をいきぬく110の知恵」北辰堂出版 2008年
「死ぬまで元気に自分流」萌文社 2010年
など Amazon で販売中
新井恵美子さん
『雨ふり草』牧羊社 1986年
『ダバオの君が代 』-比島に新天地を求めた人々- 日本図書刊行会 1993年
『女たちの歌 』- 時代を映す「地上の星」の肖像 - 光文社 知恵の森文庫 2004年
『江戸の家計簿 家庭人・二宮尊徳』神奈川新聞社 かなしん出版 2001年
『原三溪物語』神奈川新聞社 2003年
『岡倉天心物語』神奈川新聞社 2004年
『少年たちの満州 』-満蒙開拓青少年義勇軍の軌跡- 論創社 2007年
『マガジンハウスを創った男 岩堀喜之助』出版ニュース社 2008年
『美空ひばりふたたび』北辰堂出版 2008年
『モンテンルパの夜明け』- BC級戦犯の命を救った歌を作った人々- 光人社NF文庫 2008年
『焼け跡から立ち上がった10人の男たち』北辰堂出版 2013年
『官兵衛の夢』北辰堂出版 2013年
『天心つれづれ』-岡倉天心に愛を込めて- 北辰堂出版 2013年
『死刑囚の命を救った歌』北辰堂出版 2015年
『「暮しの手帖」花森安治と「平凡」岩堀喜之助 』- 昭和を駆けぬけた二人の出版人- 北辰堂出版 2016年
『パラオの恋』- 芸者久松の玉砕- 北辰堂出版 2019年
『雲の流れに』-古関裕而物語り- 展望社 2020年
『戦争を旅する』展望社 2020年
などのノンフィクション作品 上記の一部は Amazonで販売中