つながる

虹の仲間は、会員同士のつながりを大切にして活動しています。互いに信頼し、助け合い、手を携えて生ある限り充実した日々を過ごしたいと願っています。

2024年に向けて 

通年カレンダー 北海道・虹の仲間の森の草花

23年前、当時の北海道大野町町長吉田幸二さんの呼びかけで、虹の仲間の森が誕生しました。吉田さんはご自身のブログで虹の仲間の森の写真を全国に発信。その中から森の前に咲く可憐な花の写真を使わせていただき、2024年の通年カレンダーを作成しました。

森があることに励まされ、新しい年をお過ごし下さい!

新しい年が平安でありますように!

吉田さんからのメッセージ

虹の仲間・ふるさとの森の木々

嬉しいことがあったら  森のある北海道に向かって「ヤッホー」

嫌なことがあっても  森のある北杜市に向かって「ヤッホー」

ひとりぼっちで寂しい時も「ヤッホー  ヤッホー  ヤッホー」

一日一回「ヤッホー」と叫び気分爽快の日暮れをされますよう森は願ってますよ!

2024年の活動

2024年5月号〜   虹のたより

虹のたよりは、5月号からA4サイズ表裏の2ページにリニューアルしました。裏面に人気の川柳と、活動報告、活動予定などが記載されています。

 2024年   虹のたより_巻頭言

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総会号(3月・4月合併号  リニューアル  虹の仲間!!

佐渡友順子(代表


   皆様こんにちは!! 虹の仲間は発足41年目を迎えています。

 発足当時、この辺りは新興住宅地で、人との関わりが希薄でした。「長生き出来てよかったね!」と言えるように信頼できる人間関係を築いていくことが今と将来の安心につながると三井君子さんと意気統合し、「高齢化社会をよくする虹の仲間」の活動を始めました。

視野は社会に活動は足元からをモットーに、老いじたく覚書の出版、ハーブ園の開設、北海道大野町での植樹、介護者支援と、楽しいこと山盛りの年月でした。 一人ひとりの力は小さくてもみんなの力が集まると大きな力になることを実感した年月です。長きにわたり活動を続けてこられたのは思いを共にする仲間の協力のおかげです。   

 今や会員の多くは後期高齢真っただ中、担う委員さんたちも後期高齢者がほとんど。そんな今こそ、虹の仲間は大きな変革が必要です。

 「楽しいことは医療の力を超える!!」 「あの人に会えるという“ときめき”は脳にとっての最高のサプリメント!!」 「明日のことを思い煩うより、今日与えられた命を精一杯生きましょう!!」

 というわけで、2024年度から「あの人に会えて楽しく、悩みも聴いてもらえ、おしゃべりもできる!!」ことを目指して、【お茶を飲みながらおしゃべりもできる虹のふれあいサロン】を開設します!! 日頃の心配ごと、辛いこと、なんでも話して今をイキイキ過ごしましょう。

 時にはゲストスピーカーをお招きしたりして。歩けなくなった方はお小遣いをためて、タクシーでお出で下さい。皆様のご参加をお待ちしています。

虹のたよりの誌面も一新!! 「楽しくて分かりやすく読みやすい!」を目指して字体も大きくし、A4版といたします。リニューアル虹の仲間を共に作り上げていきましよう。


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月号  「大丈夫よ、そのままで」~ 私に寄り添う「推し」の存在

大川瑞稀(会員)

                       

 突然ですが、みなさん「推し」はいますか?「推し」とは、自分が心から応援したいと思う存在のことで、有名人・キャラクターを中心に対象は様々。「好き」を超えて、その想いに共感し、尊敬し、日々の原動力となる存在だと私は考えています。

  私の「推し」は、NiziU(ニジュー)、星野源さん、そしてkemio(けみお)さんです。NiziU(ニジュー)は、2020年に韓国の事務所のオーディションで1万人から選ばれた9人組の日本人女性アイドルグループ。ダンスや歌の実力はもちろん、何より魅力なのは9人の人柄。誠実で、どこまでもファン想いのNiziUが歌うからこそ、踊るからこそ響くものがあると思うのです。タイトルの「大丈夫よ、そのままで」はNiziUのデビュー曲の歌い出し。それに続く「安心して、遅れてないから」という歌詞も含め、コロナ真っ只中の私の心の琴線に触れました。特に好きなメンバーは、ステージでかっこいい姿を見せながら、マイペースで優しい性格のマユカちゃんと、やることリストの作成と外国語で書く日記を毎日欠かさないリーダーのマコちゃん。2人とも、私には無いものをたくさん持っていて憧れます。

星野源さんは、音楽家・俳優・文筆家と様々に活躍し、できないからこそやってみる、生活を楽しむといった遊び心を、曲に込めた想いや、エッセイを通して教えてくれます。

kemio(けみお)さんは、町田出身で今はニューヨークを拠点にYouTubeやラジオ、モデルなどで幅広く活動している方です。ご自身の日常を共有してくれる中で、人生楽しく、他と比べず自分を大切に生きようよ、と伝えてくれます。

この3者に共通するのは、「そのままの自分でいればいい」「自分のペースでいい」というメッセージを伝えてくれること。私は、1人だと考えすぎて完璧主義の深みにはまってしまうから、似た性格で活躍している人であったり、「いいんだよ、それで」「楽しんじゃえばいいじゃん」って思わせてくれる人が「推し」になる傾向があります。「こんなんじゃいけない、立ち上がって頑張らなきゃ」と考えてしまう私の癖が如実に出てしまったのはコロナ禍や、2022年の祖母の死の直後の時期。そんな時「推し」の存在にたくさん励まされ、笑えました。それがなかったら、困難を乗り越え、今をこうして普通に楽しく過ごせていないと思います。今も普段の生活で、不安になったり、自信をなくしたりする時はありますが、そんな時に「推し」の言葉に触れたり、姿を見ると、あ、大丈夫だなって思えます。これからも肩を組んでいる気持ちで一緒に成長していきたいです。

2024年  虹のハガキたより

2024年賀状(表面)

2024年年賀状(表面)

2023年の活動

★虹のたより・ハガキたよりの発行

虹のたより(4ページ組)ハガキたよりを年6回発行

2020年以降メールのやり取りで制作し、ふれあい青葉で印刷と発送作業を行ってお届けしています

編集委員:◎石井信子・大川瑞稀・小川和代・倉田玲子・佐渡友順子・中野厚子・辺見明代・三井君子

発送係:庄司陽子・梨山真智子・編集委員

★お元気ですかコール

虹の仲間では以前からご高齢やご病気のある一人暮らしの会員で、ご希望の方にお元気ですかコールを続けていました。

コロナ禍の3年間は担当者を増やして拡大し、できるだけ多くの方に「私は一人ではない、仲間がいる」実感していただくための大切な取り組みとして続けてきました。

2023年10月以降

コロナウイルス感染症が五類に移行したこともあり、会員もそれぞれに友人や家族との交流ができるようになって、当初の目的は果たせたと考えられます。

10月以降は以前の形に戻すことに致します

 2023年   虹のたより_巻頭言

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11・12月合併号  いつまで続く  子どもの登校見守り

柏村 茂 (元小学校長 国際交流会会長・会員) 

   些細なきっかけで始めた子どもたちの登校見守り活動。あっという間に10年以 上もの年月が過ぎた。「よく続きますね。ご苦労様。」などと激励やいたわりの言葉 をたくさんいただいての活動だが、自分の心に問いかけてみる。自分自身に何かプラスはなかったのかとー。ある、ある。いくつも浮かんでくる。 

   その一つ。子どもたちの登校を見守るには朝、8時10分前には遅くてもわが家を出なければ間に合わない。逆算してみるとどんなに遅くても起床は6時。それ以上 早いのはよいが、遅くなると、身支度もそぞろに交差点へとなる。だから退職した 日々とはいえ、緩慢な暮らしは許されない。だから何かのはずみに就寝が遅くなる と、必ず頭の隅で、自問自答が始まる。 ―大丈夫か、明日の見守り活動はと―。 お陰様で、毎日、規則正しい生活を営めている。

 「おはよう」「おはようございます」の声の掛け合いから、子どもたちの生き生きと したエネルギーも譲り受けているのも落とせない。意識として「気」のこもった「あい さつ」をかけると、がぜん返事の戻ってくる率が上がるのもおもしろい。

   いつだったか、「挨拶の語源を学んだことがあった。「挨拶」の「挨」は「押す」「近づ く」という意。「拶」は「迫る」「引き出す」という意味だとか。禅宗の間で仏教の教理 をめぐっての押し問答することを「挨拶」と言ったことからはじまったとか―。子ど もとの挨拶の交わし合いも意味が深い。

   青葉区民の意識調査によると、区民の交流は希薄だとある。ごく些細。身近な活 動が将来のまちづくりに反映されることを願いながら、今朝も交差点に立つ私だ。

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月号    決めた! 書いた!

井上亮子(会員)

   最後をどこに住むつもり?と聞かれると、京都と答えていた。昨年12月、その開設 に関与した京都の有料老人ホームに資料を請求した。ところがもう満室で、いま目黒で 建設中の物件を勧められた。連帯保証人を引き受けてくれた娘は、物件の概要をネット で調べ、京都からずいぶん縮まったねと言い、二人で建設現場と近隣を歩いてみた。こ れで京都はなしだなあと考えながら先を歩く娘に追いつこうとして転んだ。駆け寄って きた娘に大丈夫よと見得を切った。痛いより恥ずかしい。電車の中で、お母さんごめん ね、痛い?家まで送ってくね、あした病院に行ってねと優しかった。翌朝、鏡を見てび っくり。左目の周りが真っ黒だ。眼帯とコロナマスクで外に出られない。歩けない。

   新年に入ると運営会社から健康診断書の提出をと言われた。しばらく出かけられない ので2月まで待ってくださいと頼む。転んで目の上をぶつけて目黒になっちゃって・・・ と言ったら、どう反応したらいいのか困っている様子だったが「目黒に決めた」とわか り笑われた。準備はドーンと進んだ。曖昧だったことがはっきりしてきた。

   2月健康診断。まず血圧だ。計測データは、高200−低100と高い。このままでは危険で すと言われ、心電図、胸部触診、循環器と内科ドクターの診察を受けることになった。 ふらつきは?食欲は?と聞かれ、心配なことはありませんと答えたら、あなたは自覚と いうものがなさ過ぎるとすごく叱られた。毎月一度の診察を受けることになった。

   4月に階段でまた転んだ。おでこを強打してコブができた。痛い。また「目黒」だ。

診察日に私の顔を見て、先生が驚き、すぐ脳のCT撮影を受けた。異常なしだった。

こうして私にも自覚ができてきた。入居を決めた。尊厳死宣言書も書いた。

<私の尊厳死宣言 趣旨> 

「私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死が迫っていると診断された場 合にはただ単に死期を引き延ばすためだけの延命措置はお断りします。ただし苦痛を和 らげるためには麻薬などの適切な使用により緩和的医療を行ってください。回復不能な 持続的植物状態に陥った時は、生命維持装置を取りやめてください。」 

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月合併号    あれから・・・・・・ そして、未来に向けて🖤

常田志保 (会員)

2012年から夫の転勤に伴い、3年間パリで過ごした際の日常生活を虹のたよりに連載した、「花の都からボンジュール」の最終号から約8年が経過しました。

帰国時、年中だった娘は、中学生に。帰国後に、誕生した息子は、年長になりました。月日が経つのは早いものです。その時のママ友とは今も交流があります。ある人は再び赴任したり、勤務地が関西だったりと、全国転々。気軽には会えませんが、SNSなどでやり取りがあります。パリ在住時は、「海外に住んでしまったら、おいそれと、日本には帰れないけど、日本にいるなら、飛行機や新幹線使えばすぐ会えるよね♪」 なんて話していたことを懐かしく思い出します。

 環境の違いから、私がよく泣いていたころもありました。そんな時は両親とSkypeをしては、愚痴を聞いてもらったり、Skype越しで娘の子守りをしてもらったり、一緒にご飯を食べたり…

 異国の地で、辛い時期もありましたが、今ではそれも良い思い出に変わり、またいつか、赴任ができることがあればいいなぁなんて、思えるようになりました。自分でもこんな気持ちになるなんて、不思議。。。

 娘の学校生活は、各種行事も復活し、コロナ前に戻ったように感じます。

小学校では、給食でしたが、今はお弁当。少し早起きして、夫の分と娘の分を詰めながら、みんなと仲良くおしゃべりしながら食べられるといいなと思っています。

が、毎日お弁当を作るのは大変!かといって、仕出し弁当も味気ないので、夕飯の残りを活用しつつ、冷凍食品には頼らない献立を意識しています。

 息子の迎えに行った際、お友達と幼稚園横の公園で遊んでから帰ります。最近は暑いので、私は早く帰りたいですが、30分くらい遊ばないと気が済まない息子。小学生になれば学区域の変わる友達も多いので、ママ友とお話しながら、日傘を片手に見守る日々が続いています(笑)

 もう少ししたら夏休み。息子のお泊まり保育など何かと予定が沢山です。私も体力をつけなきゃと思いつつ…(笑)

 子育て真っ最中の今ですが、そのうちに虹の仲間の活動にもまた参加したいです。 

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5月号      皆様からのメッセージ  〜総会返信ハガキより〜

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月合併号   さくら咲く

佐渡友順子代表

長いコロナ禍の冬もやっと過ぎ、新しい春を迎えています。皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。

お会いできなかった日々は長かったですが、「虹のたより」や「お元気ですかコール」などで繋がれたことは嬉しい事でした。また、地域という枠を超えて、誌上セミナーにて共に学び続けることができました。この間に気づいたこと、それは

 大切なのは活動のカタチではなく、

「繋がっている」という実感がある!! それです。

 

 私自身は昨年の8月、心臓に異変が起こり手術をして、今は元気をとり戻しつつあります。「遠い、高齢、病気、子育て、仕事中」などの理由で会合には出席できない会員さんが多くいらっしゃる現実。

 療養のため外出不能の折に、そのような方々に思いを馳せる時が増えました。

 

虹のたよりは社会と繋がる大切な窓口になっている。仲間に会えなくても一人ではない、気にかけてくれる仲間がいる。そのことは大きな励みでした。又、外出できないけれど、会の活動によって「虹の仲間の森」や、遠く久之浜の子どもたちと繋がっている嬉しさを感じ、さらに厳しい状況にある方々の支援などもささやかですが関わることができました。

 

春です。厳しい冬が去り、桜が咲き始めました。虹の仲間はこれまでそうであったように、社会に大きく窓を開き新しい仲間を迎え、虹の理念をしっかりと担ってくれる方にバトンを渡せる準備をしつつ、さらに前へと進んでいきましょう。

仲間の蒔いた種は芽をだし、薫り高い花を咲かせてくれることでしよう!!

 

うすらびの山路の先の桜かな (たね香)


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2月号 終の棲家に入居して

天下井つね子(会員)

 

現在、私は91歳。3年前、いろいろ考えた末に娘二人に相談し、戸建ての家を売却して介護付き有料老人ホームに入ることにしました。

66歳の時に夫が急逝したあと一人暮らしをしていましたが、その間、腎臓を一つ切除、子宮がんの全摘、そして心臓のペースメーカーを入れるなど、大病を患いました。

 そんな時でも、楽しい思い出がいっぱいの虹の仲間の集まりには出かけることができました。

 

その後、歳を重ねるうちに体力の衰えを感じ、介護認定審査を受けデイサービスを利用するようになり、それから数年後、私が介護付きのホームに入居しようと考えたのは、50年暮らした戸建て住宅の寒暖差、特に夜間のトイレ往復が身体にこたえるようになってきたからです。そのことは、基礎疾患のある私にとっては大きな不安材料でした。

入居してみて良かったことは、建物全体の温度が快適に管理されていること、食事の心配がないこと、見守りが徹底されていることなどです。

 

さあ、これでひと安心!という時に起こったのが新型コロナの世界的大流行です!!

 

当初は、面会できない、外出できない、食事のほかは自室にいるしかない孤独状態。かろうじて、電話で家族や虹の仲間の方たちと話せることだけが救いでした。

 こんなことなら、戸建ての家にいた方が良かったかしら?と思い悩んだこともありましたが、状況を考えれば、不自由さ、寂しさに変わりはなかったのでしょう。

 入居から3年が経ちましたが、コロナはまだ収束せず、家族が車で迎えに来てくれる外出も、許可されるのは1時間。外食はダメなので、お寺さんへお参りに行き、車窓から街なかを眺めるのがせいぜいです。

 

 ただ、最近、ホームのなかで、私の大好きなクロスワードパズルの話を分かち合える友だちができて、その方とお話を楽しんでいます。

 早くコロナが収束して、虹の仲間の皆様とお会いできる日が来ることを願っております。(談話まとめ・辺見)

2023年  虹のハガキたより

2023年10月(表面)

2023年10月(面)

2023年8月(表面)

2023年8月(裏面)

2023年6月(表面)

2023年6月(裏面)

2023年1月  年賀状(表面)

2023年1月  年賀状(裏面)

 2022年   虹のたより_巻頭言

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1112月合併号 草原の輝き

中野厚子(会員)

    ―――  草原の輝き、花の栄光、それらは再び還らずとも嘆くことなかれ

              その奥に秘められたる力を見い出さん  ―――

 

                        ウイリアム・ワ—ズワ—ス (イギリスの詩人)

 

   1961年のアメリカ映画「草原の輝き」のラストシーン、字幕に流れた言葉だと思います。この言葉を折に触れて思い出すようになりました。

 

 私は35歳頃から60歳までに何回も手術を受けてきました。今でも1~2年間に何回か入退院を繰り返しています。決して誇れることではありませんが、生かされていることに与えられた命の大切さを思うようになりました。朝を迎えられる喜び、感謝の気持ちは自然と強くなりました。体が弱いと家族や他の方々にも心配をかけてしまいます。そして自分の行動にブレーキをかけることも多々あります。

 

 今年79歳になりました。

今は人生には生きていて無駄なことはないのかなと思えるようになりました。

病院もひとつの社会。医師、看護師さんを始め、たくさんの方々の力、大切な働きにより支えられていることを知りました。小さな病室では様々なことも共有せざるを得ません。大変な思いを抱えて病と戦っている方、高齢の方が帰れる場所がない現実も知りました。

 コロナ禍も大きく影響しています。医療従事者の方々は忙しく走り回っています。人手が足りないために一日中ベッドの上で過ごす方もいます。

 以前はリハビリのために一緒に歩き、お互いに支え合い、会話もありましたが、今は無くなりました。コロナは面会も家族でさえ禁止となり、人間関係を遮断すると感じました。

 

 その様な状況のなか思うことは、人との繋がりのなかでこそ得られる強さです。家族や、支え合い分かち合える仲間と手をつないで生きて行きたいと思います。ワ—ズワ—スの言葉のように、輝ける時は還らずとも嘆くことはない、秘められたる力を見つけて行きたいと思います。たくさんの力が与えられて、その力を心のなかで見つけられるのですから。


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月号  つながりを得

飯島綾子(会員)

   この頃、散歩の途中で声を掛けられる知り合いができたと夫(75歳)が言う。

 地域には寝に帰るだけのサラリーマン生活の卒業後、どうなるのか少し心配していた。

 在宅になると見えていなかったことが少しずつ見えてきた。ごみ出しから分別、集積所の掃除当番なども頼めばやってくれる。ご近所さんと立ち話をすることもあるようだ。

 悠々自適のようでも、欠かせない定期健診(目、心臓、大腸)をクリアしながらであるが。

 趣味のゴルフで知り合いに誘われ、朝練の仲間に入る。ウィークデーの早朝、広場に集まる4人はスマホで連絡を取り合い、遠出や飲食会も計画。高齢者同士、経験豊かな話題に引き込まれることもある、と楽しそうだ。

 ご近所さんは川沿いに花を植えたり整備する地域活動をしている。朝夕の水やりから雑草取りなど、散歩する人たちの憩いの遊歩道を気持ちよく整えている。その方の声かけで、町会の集まりに顔を出す。リタイア後の男性たちが集まる〇〇会とのこと。

 「よく学んで、遊び、コミュニケーションを大事に」が理念。元気な高齢者でいるために学んだり、情報交換をしよう。遊びは人生の午後を豊かにしてくれる、楽しいことを持ち寄ろう。元気でなければ遊べないよな、お互いに元気をもらい合おう。(へぇー)

 下校児童を見守る青色パトロール隊、地域を巡回する防犯夜警隊の当番も担うようになった。メンバー表を見せてもらうと、頼もしい人数がいる。

 第3日曜は廃品回収。午前の作業を終えると午後は懇親会(でもコロナ禍で、毎回見送りだが・・)。そこでも知り合いができた。

 避難訓練には夫婦で参加。指定の避難所ではあちこちから声を掛けられ、楽しかった。

 1年前、シルバー人材センターで植木の剪定作業に参加するようになり、週2回の仕

事をしている。リーダーや先輩に手ほどきを受けながら、うっそうとした庭木を見違えるほどきれいにし、喜ばれるのが励みになると言う。「人に喜ばれる仕事はいいなあ」カレンダーがほどよく埋まっている。予定があることでメリハリがつき、つながりの中で元気にしていられるというものだ。


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7・8月合併号  次のプランをイメージして

辺見明代(会員)

13年前に、わが家は一戸建ての家からマンションに引っ越した。転居先は、病院通いに都合の良い所をさがし、程よい部屋が見つかり決めたのだ。何しろ急だったので引っ越し荷物の分別は大変だった。小さくても一軒家から収納スペースの限られたマンションに移るためには物をへらすしかなく、友人たちの協力も得て、廃棄する物、引っ越し先に持って行く物などをドンドンと分けた。その結果、家具を含めて物が半分以下になった!

 思いかえすと、引っ越し後の室内はスッキリしていて気持が良かった。

 

年月が立って、いつの間にかまた物がふえた。自由に出かけられた頃は、セールやバザーに行っては買い物を楽しみ、人と会い、平穏な日々だった。

ところが、2019年末から、新型コロナウイルス感染症の世界的大流行が起きて生活が一変!外出が制限され、人と人との接触がへり、予期しなかった急激な変化に、どう過ごしたら良いのか戸惑いぼうぜんとしてしまった。

そのうち、事の重大さを認識して在宅生活にも慣れ、テレビを観たり、本を読んだりと、年金生活者なので、外出をしなくても済むゆっくり時間を感謝さえするようになっていた。

それでもさすがに単調な日々が長くなり、何か気分転換のできることがないかと考えたのが、自分の持っている物の量、暮らし方を見つめなおしてシンプルライフをめざすことだった。

いざ取りかかってみると、思い出深い写真や楽しい気持になれる物、デザインが古くても気に入っている服など、そう簡単には整理がつかない。前の引っ越しで、処分して悔いた物もあったので、ここは急がず少しずつ分別をすすめていこうと思っている。

まだまだ先の見通せないコロナ禍、ロシアのウクライナ侵攻、異常気象による災害、不安で気の滅入ることの多い世の中。だからこそ、気分を変えて心を軽くし、次のプランをイメージすることを、私はささやかな楽しみとしています。


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5月  虹の仲間と私

倉田玲子会員

  「虹の仲間の○○です、お元気ですか?」

突然こんな電話を受けて戸惑った方も多いかと思います。

コロナ禍の不安の中で孤立する方がいないようにと始まった 「お元気ですかコール」。 

私にも担ってほしいとのことで及ばずながら引き受けたものの、入会して日が浅く、緊張が先立ってなかなかダイヤルできませんでした。

先ずは知っている方へ、次に近くにお住まいの方へと、少しずつ範囲を広げてコールしました。会ったことのない私にでも、虹の仲間ということで心を許し、色々とお話して下さいます。 虹の温かいつながりを感じるようになりました。


40代で今の住まいに転居し、仕事を始めました。 ITで変わる社会にワクワクしながら過ごしていて、気がつけば高齢者! ようやく仕事を辞めたのが5年前のことでした。

足元を見ると長年住んでいながら地域に私の居場所はなく、つながりもありません。

そんな折、社会福祉協議会に登録しているボランティア団体の中から虹の仲間を知り、ふれあい喫茶で会員の方々にお会いして入会。思いがけなく近くに住む会員も多く、活動拠点のふれあい青葉にも近かったのは幸運でした。

バスハイク、セミナー、運営委員会、クリスマス会などの活動に参加していましたが、間もなくコロナ禍に見舞われて今に至っています。


ホームページを見ると、掲げられた理念のもと、共に学び楽しみながら活動してきたすばらしい足跡が見えます。 この活動の中から、豊かな人間関係と信頼できる仲間とのつながりが築かれたのだとわかります。

誰でも家族をはじめ様々なつながりの中で生きていますが、虹の仲間のつながりは、そういった個々のつながりを抱合した、ゆるやかだけど、深くて大きなつながりだと思います。 会員の方々が築いてきた信頼のつながりだから、会えなくても、声や手紙だけでも、互いに支え、支えられていると感じられるのではないでしょうか。


   このような歴史のある虹の仲間の一員に加えていただけたのは、私にとって大きな、幸せな出来事となりました。 老いていくこれから、虹の仲間があってそのつながりの中にいられることは、私の大きな支えになってくれると信じています。 


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総会号(3月・4月合併)発足40年目!! ふたたび虹をかける

佐渡友順子代表

「自分たちが高齢者になる頃は超高齢社会になるらしい。その時、長生きしてよかったと思 えるように、知恵と努力と助け合いによって、虹をかけましょうよ!!」と発足したのが「高齢化社 会をよくする虹の仲間」。三井君子さんは40歳代、佐渡友30歳代後期の頃でした。

   あれから40年。力強い仲間に恵まれ楽しく活動し、今や三井さんも私も正真正銘の高齢者となりました。

   これから先の望ましい虹の仲間の姿を思い浮かべるこの頃です。見えてきたのは、年齢に 関係なく新しい人が加わり、自由に虹の仲間という道具を使って活動する様子です!

   たとえ認知症や、足腰が立たず車いす生活になったとしても、あなたが、私が、生きること が尊いと感じ合い、居心地よく安心して暮らすことができる社会になるように、困った時に困 った!と言えば助けに来てもらえる仕組みづくり。八方ふさがりの時、にもかかわらず笑う心 を養う努力。発足以来のモットー「視野は社会に活動は足元から」を目指していく。

   昨年の9月、「コロナ禍における市民活動の実態」について虹の仲間の活動の調査に来ら れた大学院生の大川瑞稀さん。その時をきっかけに、たより発送などを手伝いに来てくれて います。じーっと私たちの活動の様子を研究テーマに沿って眺めつつあった半年後、「良けれ ば、虹の仲間の会員にならない?」と誘ったら「はい、なります!」ああ、なんと嬉しいことか!

  新しい仲間や若い力を歓迎し、柔軟に変化を受け入れ、これまで楽しみながら活動してき たように、これからも新しい虹をかけ続けていきましょう!!

緊急報告

  2月24日から、ロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻が始まってしまいました。ウクライ ナや近隣の人々の命が危機にさらされています。

  私たちに何ができるのか?避難する人々の命を救うための資金として精一杯の支援金を 差し出すのが私たちにできることです。虹の仲間の預金から、10万円の支援金をウクライナ 難民救済として、国連難民高等弁務官事務所宛に送金をさせて頂きました。平和が来ますように !!

 

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月号     母は、今

勝野健治(会員) 

 

現在、母は特別養護老人ホームにいる。93歳になった。

認知症がすすみ、会話のやりとりもほとんどできない。

  「レビー小体型認知症」と診断されたのは一昨年のことである。以前入居していた有料老人ホームで、母が職員への「激しい言動」を繰り返すため、検査を勧められたのだった。私はホームの方々に申し訳ない気持ちで、母を専門病院に連れて行った。

 

母は、サハリン生まれの末っ子の負けず嫌い。他人には親切で優しいのだが、自らの尊厳を脅かす相手となら、とことん闘う。かつて車の事故(物損)で責任をとらされそうになったときに、一人で相手側の弁護士とやりあい、担当の検事に長文の報告書を提出して談判し、自らの正当性を立証したこともあった。

老化とともにそんな性格が先鋭化したのだろう、というぐらいに思っていたが、医師からその診断名を聞かされて、さすがに衝撃を受けた。

 

しばらくすると、だんだん字を忘れ、文章を書けなくなった。小説や詩を書くのがあれほど好きだったのに。さらに12月に居室内で転倒し、頭を打ってから認知症が急速に進行した。食事や水分もとれず、ほぼ寝たきりとなり、私も時間をみて食事介助に通う日が続いた。いよいよ最後が近いということで、7月から看取り体制に入ったが、コロナ感染予防のため面会制限のなか、週に一日30分だけ面会が許されている。

 

だが、さすがである。母はだいぶ元気を取り戻した。介助を受けながらも食事はほぼ完食するようになった。話しかけると、「えー?」と聞き返したり、「こんにちは」と答えてくれることもある。

ある男性のスタッフがこう言っていました。「あの勝野さんが戻ってきてうれしいです。私たちにはちょっとキツイけれど、ほかの利用者さんには優しい勝野さんなんです。また、この腕をつねってほしいです」と。そう言われて思わず目に涙が浮かんだ。

 

私は週に1回、面会に行くだけである。すべてのケアはホームの皆さんにしていただいている。いつも優しく見守られている。だからこそ母は生きる力を失わないのだと思う。

「簡単にはくたばらないぞ」、勝気な母の声が聞こえるような気がする。とてもありがたい、と心から思っている。

 

 これは一昨年10月に書いたものです。現在も母はがんばっています。少しずつ食事量が減っており、会話もほとんどありません。衰弱は明らかです。でも、ときどき開ける眼にはまだ、力があります。

2022年  虹のハガキたより

2022年10月(表面)

2022年10月(面)

2022年8月(表面)

2022年8月(裏面)

2022年6月(表面)

2022年6月(面)

20221月年賀状

2021年   虹のたより_巻頭言


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11・12月合併号   私の大切にしている言葉 

小川和代 (会員・副運営委員長)


 今年もあと1ヶ月余りで新年を迎える時節となりました。

私は毎年新しくする手帳の1ページに目標となる言葉を書いて、一年を始めることを習慣としています。 それは羽仁もと子さん(*) の著作集のなかにある次の言葉です。

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『 実に人生には思いがけないことばかり多いものです。 ことに家庭の日々は、ほとんど大小の予期しない出来事をもって満たされているようなものです。

私どもは無事の日を常と思わず、むしろ心がかりのあることを人生の普通のことと思うように、我が心を鍛えておかなくてはなりません。そうして無事の日を特に与えられた恵みの時として感謝し、喜びもしたいと思います。』 

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 この言葉との出合いは、息子の幼稚園で知り合ったお母さんから勧められた「婦人之友」という冊子がきっかけで、私も愛読者となり、後に友の会にも入会しました。

そこで羽仁もと子さんの言葉を学び、生活の基礎となる衣・食・住・家計のことを友と学び合い、私にとって良い勉強の場となりました。

長い間には私にも、さまざまなことがあり、子育てで忙しかったころ、介護で大変だったとき、いつも励まされ、勇気をもらっている私の大切な言葉となっています。

 昨年から、コロナウイルスの流行により、生活が一変してしまいました。

健康のことなどいつも以上に気をつかって日々を送るようになっていますが、この言葉のように自分の心を鍛え、心がかりのあることは生きている証拠と思って、元気で

過ごしてゆきたいと思っています。


(*)羽仁もと子

1873年(明治6年)青森県に生まれ、日本初の女性ジャーナリストであり、自由学園の創立者・家計簿の考案者としても知られている。

                                     

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9月号   豊かに老いる虹の仲間の皆さまへ

加藤道子(会員・梅の木眼科 理事長)

 

 2004年は、梅の木眼科がケアルームで初めてセミナーをやろうとした年でした。今でも第一回目の梅の木セミナー「老いじたくは、夢と努力と助け合いから」の様子が目に浮かんできます。 二月の寒い日でした。紫色の上着とロングスカートをはいたメアリーポピンズのような方が来られました。そしてにこやかに話しを始められました。それが虹の仲間と梅の木眼科との出会いでした。

 その頃、虹の仲間たちは「老いじたく覚え書き」というノートを作り、世の中広く販売されていました。その活動を朝日新聞が取り上げ、たしか「老いのかたち」~田園都市のいま~というルポを朝刊に載せたのです。「高齢化社会をよくする虹の仲間」の存在。 社会とかかわり合いながら、多くの仲間と共に老いのかたちをさぐっていく活動を私は知りました。 是非その話を聞いてみたい。と思いました。

 さて、1998年12月に開業した梅の木眼科は、市ヶ尾の街と共に生き、住みやすい街づくりをしたいと思っていました。そんな時、夫から「一つの企業の価値は、企業が得た利益をいかにその地に還元できるか」だよ。と言われ「なるほどー」と思いました。「医療だけではなく生活や老後に役立つネットワークづくり」ができれば、こんなうれしことはありません。 しかも、梅の木眼科で得た利益をそこに還元できれば。 そこでケアルームという部屋を作り、広く街に開放しよう。そのケアルームでいろいろな方の話を聞こう。と思ったのです。その第一回目のセミナーを虹の仲間の代表の佐渡友順子さんにお願いすることにしました。 セミナー以降も虹の仲間は高齢者施設の見学、ボランテイア、豊かな老いをむかえるべくさまざまな講習会。「手づくり工房」の立ち上げ。 まさに社会とかかわり、地域の仲間と共に生き生きとしたさわやかな生きざまを展開されました。  2006年からはケアルームにて「ふれあい喫茶」を開かれました。 いつも大勢の方たちの笑い声とおいしい手作りのお弁当。  梅の木眼科の待合室にいる患者さんも、診察終了された患者さんも、ときには私自身も行かせていただき、楽しいおしゃべりと美味しいお昼をご一緒させていただきました。

 そうこうしているうち、気が付けば私自身が街のネットワークの介助を受ける年になっていました。 梅の木眼科も新陳代謝が必要です。このあたりで、若い力と新しい知識、より高い医療活動を取り入れることにしました。 院長を交代し、新院長のもと、新院長の得意とする手術を取り入れ、歩いて行ける距離での日帰り手術ができる眼科とすることになりました。

 

虹の仲間の皆さま、これまで本当にありがとうございました。(というわたしも虹の仲間の一員なのですが) 皆さまの豊かに老いるその姿に、どんなに励まされたことでしょう。 この紙面で今までの感謝の気持ちを伝えたいです。 そして、これからも一緒に遊んでいただきたいと思います。


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7月号      人類史に ときめき

井上亮子(会員)

 

 ある日突然、私は「ホモ・サピエンスにネアンデルタール人の遺伝子が2.7%残っている」という話に出会ってしまった。3〜4年前、友人たちと話していた時のことだ。一人が突然そんなことを口にした。その場にいた皆が口々に関連する知識を披露し始めた。ホモ・サピエンスのなんたるかも知らなかった私は、「チコちゃんに叱られるよ」とからかわれた。

 「私たちホモ・サピエンスに、なぜネアンデルタールの遺伝子が混ざったのか?」と議論が展開した。遅ればせながら私が「交雑でしょ」と言うと、皆も「そうねえ」。つまりどちらも人類だったわけだが、ネアンデルタールは絶滅してしまった。なぜか?

それからの私は「ホモ・サピエンス」の虜になった。グーグルで調べた。本も買った。NHKの「人類の誕生」は録画してしつこく繰り返した。それまで、人類はサルから進化したと思っていた。違う、「分岐」したのだ。ホモ・サピエンスにいちばん近いチンパンジーと共通の類人猿から「分岐」したのだ。

 500万年ほど前に猿人が誕生して、それから260万年ほど経ってホモ・ハビルス(道具を使う器用な人類)が分岐、今から180万年前にようやくホモ・エレクトス(直立して歩く人類)が生まれ、ネアンデルタール人が約20万年前にアフリカから出てユーラシア各地に拡散した。

 19万年前の地球には大変化が起こり、人類の揺籃を果たしたアフリカの豊な樹林や草原の砂漠化が広がると、我らがホモ・サピエンスが8万年ほど前に出アフリカを果たす。そして先にユーラシア各地に生息していたネアンデルタール人と出会う。しかし氷河期のヨーロッパは食糧は乏しく、寒さも耐えがたく、生息には厳しい環境だった。その厳しさを乗り越え、大型動物を集団で狩り、毛皮を縫い合わせて寒さを凌ぎ、火や石を使って調理することを身につけたホモ・サピエンス(私たち現生人類)の祖先たちは生き延びた。

 

 有史以前のことゆえ証人がいないけれど、ありがたいことに遺骨から遺伝子を取り出して分析するなど、研究方法の進歩で飛躍的に解明が進んでいるという。ネアンデルタール人の住んでいた洞穴の遺骨から、その集団が同じ血縁者であったこと、

ゆえに同じ病気で一族死亡するようなこともあったようだ。

 遺伝子に限らず、多様性は人類の発展の鍵か。人類史から、大切なことを知ったと思う。

月号      今、感じていること、したいこと    皆様からの返信ハガキより

2021年 虹のハガキたより

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虹のたより編集・発送・話し合い風景(2016〜2021年)

2021年10月    ハガキたより発送で集まった皆さん

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