1. 雲


1. 雲 (心を映す)


学生時代から風景をずっと描いていましたが、

あるとき雲を描いて、なぜか「雲は私の心だ」と強く感じました。

それ以来、雲をよりたくさん描くようになりました。


そして、幼少の頃からの憧れであった広い透き通った海

南方の、沖縄本土のそのまた先、八重山諸島の石垣島に長く滞在し、キャンプ生活を経験しました。


ダイナミックな雲と空を目の当たりにし、

「旅行で少し行ってスケッチして帰ってくるのではなく、

住んでその場所で生活し、そこから溢れるものを描きたい!」

と思うようになり

卒業したのちに、家財道具一式を軽自動車に詰め込んで、

船で石垣島に渡りました。





石垣島での生活では、毎日、特に光りと色の綺麗な夜明けと日没にスケッチをしていました。


日没になると、風や波がぴたりと止まる時間が訪れます。

いままで波だっていた水面も鏡のように静かになります。

そんなとき、私の心にも静寂が訪れました。


日々の生活でざわざわとした波だった心が静かになります。

心の中に詰まっていた考えや悩みなどが少し静かになり、

そして、奥深く、海の底へ潜っていき、

底に沈む光る貝の中の真珠を見つけることができる時間です。


「何を加えても心の中に神は見つからないが、引き算の過程では見つけることができる(エックハルト)」


という言葉がありますが、神とは何でしょう。

私は心の中にある「感じる心」だと思います。


一日に一度の静かな時間をもつことの大切さをこの島で気付き、

今もその時間(スケッチ)を日々持って過ごしています。





やがて夜が寄せてきて、闇が訪れます。

月のない夜や曇りの日には、完全な暗闇に包まれます。


都会では、夜中でも完全な闇になることはありませんね。

いつもどこかに明かりが灯っています。

そして、空の雲にはネオンが反射して夜っぴて明るい空ですよね。


闇というものを初めて経験したところ、それは、暖かい隣人でした。

そして、意外なほどに深く眠ることができました。

夜の闇が落ちつく、親しく温かい隣人に気づいたことも

島での経験のひとつでした。





そして、私が現在、墨で描いている理由がこの島での体験にありました。


あるとき、東の空に、残照に紅く燃える雲を見ました。

まるで燃え上がるような輝く雲です。

その強烈な印象に、(私は日本画出身で、そのときまでは色をつかって描いていたのですが)

色で表現しきれないものを感じました。


赤い雲だからといって、赤い絵具で描けば良いものではないんだという、

私なりに色をつかって描くことに対する限界を感じました。





どうしたら良いかなと、アトリエでパラパラとスケッチをめくっていました。


私は制作の基本はスケッチです。

というより、ただスケッチが好きでたくさん描いている、と言えます。


スケッチはどんどん流れ形を変える雲を素早く捉えるために、木炭で描いています。

ですので白黒のモノトーンでした。


そのスケッチを見たときに、ふと、むしろ色をつかったものよりも、色を感じると思いました。

強烈な光の輝き、海から寄せてくる温かく湿った風、どこからともなく感じる甘い潮の香り・・・


「目で見た色」ではなく、「五感で感じた色」だったのです。





石垣島での雲のスケッチ



もともと、日本画の下絵として墨で風景を描いていました。

ですので、墨の上に色の絵具を乗せるのはやめて、

このまま墨だけでいいんじゃないかな?と思いました。





「私の助けは山の向こうから来る」 165×296cm 1999年



いざ墨で雲は波を描いてみると、

流れたり染み込む表現が自然を表すのにぴったりだと感じました。


また、墨は思わぬ方向に流れてしまったり、思わぬような滲みを作ってしまったりと、

偶然性を伴います。

その偶然性は面白いのですが、そればかりで描いてしまうと、

偶然性だけで描いた絵だとわかってしまいます。


まず自分の中に確固たるイメージをもつことが大切だと思います。

私なりに具体的には、スケッチを繰り返すことにより、

心の中に風景が出来上がってきます。


そのイメージと、偶然性(身をまかせる)との対話によって出来上がっていくのが、

墨の絵の魅力だと感じています。

「天国の門」 148×413(cm) 2001年



さて、石垣島に滞在したのは一年半の間でしたが、

大変密度の濃い時間でした。


数々の風景が見せてくれた強い印象に、

まるで私の心の一部分を島に置いてきてしまったような気がします。

そしてその一部分が私を呼ぶのです。


また、日々、感情的な雲を眺めることにより、

自分の心を直視したように感じました。裸の心を見たのです。

突如として自分の心に向き合った私は、

少しつかれを感じ、休みたいと思うようになりました。



「2. 雨」へつづく