オンライン大学は20年前に作った

オンライン大学は20年前に作った

引用 マスターキートン

20年前の話をすると、昼はホテルの配膳で働き、夜はテーマパークの清掃という2つの仕事を掛け持ちしていた時期があった。 華やかな舞台と裏方の清掃をという2つの掛け持ちは6か月で終わったわけだが。始めて5か月もすると、足のつま先が痛く、歩くのがつらくなったためだった。夜のテーマパークは、消防士のホースを持ち歩いて、水の勢いを利用して掃除する、とてもハードな仕事だった。仕事自体はとても面白かったが、足への負担がかなりきつく、昼も仕事していたせいか、疲労骨折と診断された。自宅療養を進められ、一人暮らしをやめて、実家に戻り、3か月静養することにした。ホテルサービスの仕事も今後はできないのかなと、足のコンディションから厳しいかもと感じ、20代終わりの夏を迎えていた。この時期を明るい引きこもり生活と私は呼んでいる。


雇用保険を受給しつつ、実家で静養すると、外出できない自分がしていたことは、パソコンとテレビだった。実家がケーブルテレビに加入しており、父は時代劇、母や巨人専門チャンネルを楽しんでいたが、ブロードバンドの通信速度が2メガの使い放題、Windows98でもインターネットは、当時面白かった。


家のなかで何もすることがないので、私は、使い放題のパソコンでホームページを立ち上げ、まぐまぐを使って7つのメールマガジンを毎日1つずつ配信していた。テーマは、ハリーポッター英語、数学、哲学、経営、雑学他を取り扱った。メルマガを読んだ読者がメールのリンクから、ホームページに来て、バックナンバーや他ジャンルのコンテンツを読めるようにした。


ホームページのタイトルは、キルト大学。キルトは女性に関心がありそうな分野だが、キルトの模様が、多様ななメールコンテンツとマッチしそうな感じで名付けた。学長は、ユーリースコット先生、このトップ絵の方だ。インスタグラムもフェイスブックもなく、通信速度が今の100分の1以下、動画や画像を送るものなら、待ち時間がひどく不便なインターネット時代で、3か月で1万人のアクセスがあるホームページを作ったので、満足してしまった。


新年を迎え、新聞の折り込み求人で見かけたのは、ケーブルテレビの営業、こうして明るい引きこもり生活は幕を閉じる。