上田市行政チャンネルの一部の動画が非公開になっているので(2024年10月時点)、投稿で引用した部分の前後のテキストを記載しました。
日本遺産の申請に関する重要な内容が含まれているので、公開の継続を希望します。
(テーマ変更の経緯、信憑性に関する見解、地域住民との協議の有無 等。歴史・伝統の「活用」は、これが最初ではなく、最後でもないはず…… 何があって、何をしたのか、今の記録を残すことは、大切なことではないでしょうか……)
・フィラーは削除しました。(え-、あー、まあ、あの、その、この、こう 等) ただし、削除すると意味が伝わりにくくなる箇所では残しました。
・聞き取れなかった箇所は「?????」と表記しました。
「日本遺産認定に関する記者発表会」(2020年6月30日 公開)
https://www.youtube.com/watch?v=5v73fi3XhHg
(00:13:05 「レイライン」の解説)
それと、このタイトルの中にある、レイラインというものなんですが、ちょっとそれについて皆様に御説明したいと思います。
先ほど、市長からもございましたが、レイラインというのは、夏至の日の太陽がですね、こう、まあ、あの、長野県だと地平線っていうことはできないかもしれないんですが、こう、朝日として上がってくるときに、日がこう射す、あの、線、光の線のことをレイラインっていうふうに言うと、それが、まあ、私達の認識でございますが、ちょうど、こちらの写真のようにですね、山の後ろから上がってくる太陽の光が、こう、線のように、まっすぐ、こう、大地を照らす、これをレイラインというふうに今回位置付けました。
(※ 舌喰池の日の出の写真。 2016年5月31日。)
で、ストーリーの中では、信濃国分寺、それから、生島足島神社、泥宮、で、最終的には別所温泉に、この、レイライン、えー、まあ、レイライン上にそれらが位置するというところから、この言葉を使ったんですけれども、ちょっと、簡単な図にすると、こんな形になるかと思います。
(※ 『広報うえだ 2020年7月』「レイラインのイメージ図」に似ている図。)
ちょうど、夏至の日の太陽が朝日として昇ってきたときに、矢印の方向に、こう、だんだんと光が伸びていくというような形を、想定して頂ければと思います。
で、今回、申請書、皆様にお配りした上田市の資料のほうの、カラーのページ、3ページ目ですけれども、そちらには、生島足島神社の、西側の鳥居のところに、冬至の日の夕方に、日の入りのときに落ちてくる太陽が、ちょうど鳥居の中を通る、この写真を、あげておきました。
(※ 00:16:11に表示される写真。2019年12月20日。)
えー、まあ、このストーリーの中では、レイラインっていう言葉をタイトルに使っておりますけれども、いずれにしても、この、塩田平というところが、太陽と大地の聖地であるというところは、この夏至のレイラインと、それから、冬至の日の太陽が通る、えー、そういった、軌跡、あの、軌道というか、それがですね、複雑に、この、絡み合って、えー、まあ、一つの、こう、まあ、パワースポットっていうと、あの、どうか、っていうふうに言われるかもしれませんけれども、そんなような、神秘的な光景が見られる場所だということで、えー、今回、レイラインという言葉を使っております。
(00:15:30 「認定ストーリーの概要」の解説)
で、ここに書いてあるストーリー、これが、別所温泉の、えー、なんて言うんですかね、その、人々の暮らしぶりだとか、あるいは、私達は「祈りの形」という表現をしましたけれども、えー、神社仏閣が多数存在するということ、それから、雨乞い、そんなような、暮らしの中に根付いている祈りの形も、認められるということでですね、えー、暮らしの中に見られる、祈りの形っていうものを一本、スジと致しまして、そこに、それぞれの、文化財を結び付けていくというような作業から始めていきました。で、その結果できたのが、このストーリーでございます。
このストーリーの作成にあたりましては、観光ブランディングプロデューサーの、高山慶子さんに、いろいろと、ご指導頂きながら、特に、言葉の使い方であるとか、今、日本で、どんな形の旅行が流行っているのか、と、そんなようなところの部分の視点からご指導頂きながら作った文章でございますが、一番私が、あの、皆様にちょっとアピールしたいのは、一番最後の行です。えー、行政の人間が作るとどうしても「癒し」という言葉を好んで使いたがるんですが、高山さん曰く「パワーをチャージさせるという言葉に変えなさい」というふうに、私は、あの、助言を頂きました。えー、まさにこの言葉が今回、あの、非常にこの文章をですね、えー、強烈な印象を与えさしてもらっているのかな、というふうに私は感じております。
申請書の一番、表紙にあたる部分ですけれども、ここが、やっぱり、その、最初の審査のところで、どのように感じられるかというのが、認定に大きく関わっているということは、これまでの認定市町村の方々にも、そういうようなことは教えて頂いたことなんですが、まさに、その部分、えー、今回の、この短い概要の中で、皆さんにお伝えすることができたんではないかなあ、というふうに感じております。
(00:17:28 ストーリーの解説1)
えーっと、大きくですね、このストーリー、4つの、節(せつ)に、まあ、段落というか、あの、節に、分けることができるかと思いますので、節ごとに、少しだけ、内容につきまして触れさせて頂いて、御容赦頂きたいと思います。
まず、一つ目の、節ですけれども、「信州の学海」という言葉で代表させました。信州の学海っていうのは、えーっとですね、鎌倉時代、以降、まあ、もうちょっと早くからというような説もありますけれども、別所温泉が、全国から、学僧、これから、お坊さんになろうというような方々がですね、集まって、勉強をする、そういった、場所だったということは、知られておりまして、その言葉を、私達は「信州の学海」という言葉で表現をします。まず、この項では、仏教文化財、祈りの形としては、仏様、それから、仏閣に手を合わせるというような、そんなような祈りの形の部分を、この「信州の学海」というところで、皆様にお伝えした、ということになります。
写真につきましては、塩田にお住いの岡田光司さんからご提供頂いた写真を、使用させて頂いています。上の写真は、重要文化財の、前山寺(ぜんさんじ)の三重塔です。それから、下が、国宝の安楽寺八角三重塔になります。
このようなですね、国宝、重要文化財が多数、残っている塩田平の中で、地元の皆さん、あるいは、訪れる皆さんが、どのような思いで、仏像等にですね、手を合わせるのか、というようなところを、このストーリーの中で、アピールをしたかった、ということになります。例えば、北向観音堂ですけれども、これは、皆様も、ご案内の通りだと思うんですが、善光寺と両参りすることで、こう、御利益が増す、なんていうようなこともありますが、もう一つ、私が、文章というか、この中から一番お伝えしたかったのは、やっぱり、その、紙とか、あるいはデジタルの、画像であるとか、そんなところからは伝えられない、例えば、匂いであるとか、味っていうんですかね、そんなようなものが、伝わるものにしたかったというのが、一番でございます。ですので、ちょっと、ここに書いてあるんですが、北向観音堂ではですね、皆さんもたぶんご存じだと思うんですけど、温泉の匂いがして、で、手を清めるための、水と、あえて言いますけれど、それが、温泉の、温かいお湯を使っている、こんなようなところをですね、ぜひ、アピールをして、なんかこう、五感に訴えられる、そんなようなストーリーにしたかったなあ、というところを、こんなところに込めさして頂きました。
この、一項目というか、一節目のところは、そんな形で、仏教文化財というところにテーマをあてたストーリーの展開をさせて頂いております。
(00:20:33 ストーリーの解説2)
神宿る「山」への祈り、ということなんですが、先ほどは、例えば、仏像への祈りというところで、そういったものが対象になってますけれども、このところでは、独鈷山であるとか、あるいは、夫神岳への、山に対する祈りというところで、祈りの形を表しています。
一つは、ご案内の通りですが、塩田地域、ため池が多い、これは、降水量が少なくて、しかもですね、山が浅いので、水がなかなか、利用しにくい、というような、地形の条件もありますけれども、そんな中でですね、塩田の人達が、どんな形で、水を、こう、雨を降らせようと、お願いをした、えー、神様にお願いをしたのか、というようなところに、焦点をあてて、編纂したのが、この項になります。
国選択無形民俗文化財の、別所温泉の岳の幟行事の写真です。今年は残念ながら、コロナウィルスの関係でですね、この行事、中止になりましたけれども、(※ 縮小開催。夫神岳での神事と別所神社での三頭獅子奉納が行われた。) ここの、今写真のところに見えてるこの反物、これが、実は、龍と生きるまちというふうに表現したことの、一つの要素でもあります。
夫神岳の頂上に、祠があります。その祠に祀られている龍神様をですね、別所温泉の村の中にお招きをして、最終的には別所神社まで行って、お祭りをする、というのが、この、岳の幟でございます。龍とともに生きるっていう、その言葉の中の、一つの側面として、この、岳の幟行事を、扱いました。
それから、山は祈りの対象であるとともに、松茸なり、山菜なり、という、そういった、食ですね、あの、先ほど私が申し上げた通り、匂い、それから味というところにつなげていきたかった、一番のところなんですが、そんなところの、ストーリーの中でですね、それを扱って、皆様に興味を持ってもらいたいなあという思いを込めました。
(00:22:40 ストーリーの解説3)
それから、もう一つ、祈りの形としては三つ目になりますが、祈りの言葉は「アメ フラセタンマイナ」というところでございます。この「アメ フラセタンマイナ」という、呪文というか、お願いの言葉なんですけれども、ため池の周りで松明を焚いて、雨を祈る、百八手という行事、昨年の、復活というか、えー、昨年、再現されたような経過があるんですが、このお祭りのときにですね、皆さんが、唱える言葉が、この「アメ フラセタンマイナ」という言葉なんです。
で、この言葉を、えーっと、いろんなところに、こう、あの、残っているっていうようなことがですね、今回わかりまして、例えば、お地蔵様を川に投げ込んで、雨乞いの祈りをする、なんてときも、この言葉を使うというようなことも、わかってきました。ですので、この雨乞いですね、雨が降るようにお願いする雨乞いの祭りの中では、共通した、フレーズ、呪文なのかなあ、というふうに、考えてるんですけれども、この言葉のニュアンスが、非常に柔らかくて、私は、とっても、なんか、こう、全国の皆さんに発信する言葉としては、いい言葉なんじゃないかなあというふうに、思っています。
ため池の周りだとか、あるいは、先ほども出てきた、独鈷山、こんなところにですね、雨を降らせるための、お願いをする、で、例えば、龍神が、降りてきて雨を降らせた、あるいは、お地蔵様が雨を降らせてくれたというふうに、感じるという、その気持ちの中に、自然への、敬い、というか、太陽とも絡んでくるとは思うんですが、とても、この、上田地域の雨が少ないという、気候の中で暮らしている皆さんの、ストレートな気持ちっていうのが、伝わってくるフレーズとして、ここで採り上げさして頂いた、それがこの「アメ フラセタンマイナ」という言葉であります。
(00:24:50 ストーリーの解説4)
はい、で、最後になりますが、4つ目の、項になります。
日本遺産の、ストーリーのテクニックっていうとちょっと語弊があるかもしれませんが、これまで、認定された市町村の、ストーリーを拝見させて頂くと、最後のところへですね、これからの将来に向かって、っていうような部分が非常に多いことに気付きました。ですので、ここの最後のところは、タイトルとしては「未来への懸け橋」というような名前を付けさして頂きましたが、ここは、別所線の復興ですね、これが、塩田平にもたらす影響、とても大きいことだと思います。この別所線の、昨年の台風で、落橋した、えー、千曲川橋梁ですね、それを、未来への懸け橋というような形で、表現をさして頂いて、ここのところに、表さして頂きました。
この写真見て頂くと、ちょっと、あの、想像は付くかなあとは思うんですが、別所線の、下之郷の駅から別所温泉駅までの間(かん)というのは、太陽の通り道、レイラインとほぼ一致するんですね。なので、電車の、向かっていく先にちょうど、レイライン、えー、夏至の日の太陽がですね、夫神岳の所に向かって、落ちていく、このような写真を、岡田さんから提供頂きました。
(※ 別所線中野駅付近の電車・稲穂・朝日の写真。2019年8月または9月か。)
まさに、これから、別所線が復旧をして、塩田平が、活気付く、こんなようなタイミングの時に、こうした日本遺産が、認定を受けられたということは、とても、嬉しいことだと思っています。
別所線の鉄道施設という形で、構成文化財の中に含めさして頂きましたけれども、約100年、これまでですね、地元の皆さんを含め、全国の皆さんに支えて頂きながら、こう、残ってきた別所線の鉄道施設を、これからも大事にしていこう、で、この別所線の鉄道施設が、特に、別所線の上田駅から、別所温泉駅の間(かん)の、その、軌道路地ですね、線路が、上空から見ると、龍の形にも見えるというようなことが言われておりまして、まあ、そんなところからも、龍と生きるまち、別所線と共存共栄していくというような意味合いを込めて、この別所線のことも含めて、龍と生きるまちというような言葉を使わせて頂いたということを、皆さんに、お伝えしておきたいと思います。
えーっと、ストーリーにつきましては、このような内容になっています。先ほども申し上げた通り、文化財そのものの認定、指定等ではございません。この、ストーリー、それから、1枚目のタイトルも含めて、これが、日本遺産に認定されたという認識で、皆様、お考え頂くと、とても、私達もありがたく思いますので、よろしくお願いしたいと思います。はい、えーっと、私の方から、日本遺産とは何ぞやという部分と、それから、今回の、認定になりました、ストーリーにつきまして、ご説明をさせて頂きました。以上で、私の方からは、終了させて頂きます。ありがとうございました。
(00:28:03 質問)
今回、2回目の申請で、認定ということで、1回目が、その、蚕都上田を、認定を目指したというお話だったんですけれども、えー、あわないなら磨き上げて次につなげるっていうのが自然かなと思うんですけど、ここでほぼ全部、異なるテーマに変えられた経緯、前回の文化庁の批評を踏まえて、どう言う経緯があって、今回、レイラインに変えられたのかということと、もう一つは、ストーリーを今説明して頂いて、大変盛り沢山な内容が入っているんですけれども、一読して、理解できるかというと、なかなか難しかったんですね、僕は。これだけやはり盛り沢山にしないと、やっぱり認定って難しいものなのかっていう、これだけのストーリーにした経緯も教えて頂けますか。
(00:29:02 回答)
まず、1点目ですけども、大きく方針転換した理由というのは、1年目の申請のときは、上田市域全体のストーリーというものを目指して、作ったものを申請させて頂きました。そのときに、一番キーワードとして、扱いやすかったのが蚕都上田の、その文化財ということになりました。なかなか広いエリアの中で、蚕都上田の文化財というような共通テーマをもって、ストーリーを作ったんですけども、特にですね、上田城であるとか、そういったものも欲張って、構成文化財の中に入れてしまった結果、少し、こう、ストーリーが、ぶれてしまったかな、というのが、担当者の、感覚としてはありました。
で、この申請にあたっては文化庁の担当者の方と、何度か、事前協議というのをするんですけども、そんな中で、今回大きくテーマを変えた理由の1つになってると思うんですが、「上田市にはもう少し、こう、何ですかね、コンパクトなエリアの中で、文化財が集中している所が、あるんじゃないですか?」っていうような、まあ、本当に、あの、答えを頂いちゃったような部分があったのかなあ、なんて思うんですが、そんなようなご指導を文化庁の担当官から頂きまして、で、私、この2年間、いろんな先進認定地の視察等もさして頂いた中で、地形とか、人口とか、あるいは、鉄道施設、えー、交通手段ですね、そんなところが似ているような、自治体のそういうストーリーとかも参考にさせて頂きながら、今回、上田市の中で塩田っていうものを中心にした、コンパクトなエリア設定をさせて頂いて、申請をさせて頂いたというのが、経過でございます。
(00:30:59 回答)
で、2点目なんですが、この盛り沢山っていうところは、非常にこれは、難しいところで、全国の日本遺産のストーリーがはたしてそうかっていうと、必ずしもそうではないと思います。逆に言えば、塩田平っていう、このエリアの中に、これだけたくさんのことが詰まっている、っていうことは、逆に言えるのかなあというふうには思いますが、例えば、文化財が集中をしていなくても、例えばですね、館林市の例なんかでは、地形的に、とても、沼が多いっていうような、そういう地形をストーリーの中に盛り込みまして、で、その中で、逆に言えば、うちとは、ちょっと、その、感覚っていうか、その、視点が異なって、沼ごとに、こう、ストリーを組み立てていって、一つのストーリーを作ると、いうような、形のところも、見せて頂きました。
正直申し上げて、文化財の過多っていうのは、あまり、こう、ストーリーの中では、私ども、どちらかというと、もうちょっと、逆に上げたいぐらいだったところなんですが、一般的に、認定されたストーリーを見てると、今回、上田市の申請のところでは、皆さんの資料のところの最後のところにも付けさして頂きましたが、構成文化財、35という数字で、申請をさせて頂きました。だいたい、20の後半から30の前半ぐらいで、皆さん、構成文化財ってのを、こう、作るんですけども、そんなような意味では、逆に、もう少しあっても、まあ、内容の理解のためには、良かったのかなあ、なんていうことは少し感じているようなところではございますが、現状では、そんなようなところで、えー、35点っていうことの中で、今回はストーリーを作らさせて頂いたということでございます。以上です。
(00:33:00 質問)
すいません、あの、一番上だけ、この「レイライン」っていう単語が、今回僕も初めて見たんですけども、この言葉、ネットで見たりですね、いろいろ見ると、確かに、上田の学校の先生が同じような説唱えてた過去があったり、ただ、信憑性を考えると、遺産としてどうなのかな、というふうに思うんですけども、これもやっぱりストーリーを作る上で、信憑性よりも、ドラマ性とか、そういうのを重視された?????
(00:33:28 回答)
あの、非常に、私どもも、このレイラインっていうものを厳密に規定するものってのは、正直、やっぱり、あの、まだ、根拠が薄いかなっていうのが、あるんですが、私どもとしては、このレイライン上に、国分寺っていう、まあ、重要文化財になっている、史跡も含めてですけども、あると。で、生島足島神社、それからその、元の位置だというふうにされている泥宮、それから、文化財がたくさん集中している安楽寺周辺のその状況と、まあ、これを、つなぐ、一つのキーワードとして、レイラインってものを使わせて頂いた、というふうに考えております。確かにご指摘の通りで、なかなか、あの、よく揶揄されるのは、たまたま、その、一直線になるだけだろう、というふうに言われることはあるんですけども、今回は、この日本遺産っていうストーリーがですね、えー、まあ、インバウンド、それから、全国からお客様をお招きするときに、一つの、この、興味を引くようなタイトルというものを作っていく、っていう、そのような過程の中で、このレイラインって言葉を使わせて頂いてる、というふうに解釈して頂くとありがたいかなあというふうに思っております。以上です。
(00:34:39 質問)
この認定までの経緯の部分なんですけれども、今後の取り組みとして上田市日本遺産推進協議会(仮)が形成されていくという形で書いてあるんですけれども、現地の皆様との協議を、踏まえているのか、というところですとか、これから、市民への、理解を深めていくという考えがある書き方されてらっしゃいますけど、あの、認定までの歩みの中に、そう言った取り組みは、あったのかどうか、っていうのは、あー、そのへんの経緯を少し教えて頂けると嬉しいんですけれども、いかがでしょうか。
(00:35:18 回答)
認定されるっていうのは、大きな目標として、私達、掲げてはいたんですが、正直、その、今年の場合は約70件申請をして、20件ほど、認定になっているような中で、万が一、認定されなかったら、っていうことを考えた場合に、少し、その、庁内の中だけで、こう、検討をした、っていうような、反省は、正直、持ってはいます。で、2年目の、このタイトルを作っていく中でですね、観光課のほうから、塩田地域の皆さんが、すでに、この「太陽と大地の聖地」っていう言葉を使って、誘客を、っていうことを目指している、というようなことをお聞きしまして、だとしたら、そういった皆さんと連携していくための、まあ、方策ということでこのタイトル、っていうことにつながった、ということもございます。あの、ご指摘の通りで、ちょっと、まだまだ、地元の皆さんとの、接点ってのは、少ないのは本当、本音でございますけども、えー、これからですね、あの、特に、別所温泉の皆さん、塩田平の皆さん、それから、上田駅周辺の皆さん、っていうような形で、エリアを、検討していく中でですね、この日本遺産という制度に、活用っていうことが、こう、関わりとしてできるような皆さんに、これからどんどん声をかけていきながら、ストーリーの方も、より、たたいていって、皆さんに活用されやすい制度にということで考えておりますので、その点、あの、ご了承頂ければというふうに思っております。以上です。