日本遺産 関連ログ(信州上田)
日本遺産は誇れない?
Nothing to be proud of?
上田市日本遺産とは?
※事実性のない(歴史でも伝統文化でもない)、最近出てきた知られていない話を文化遺産と言うのはおかしいのでは…… 遺産と言うより文化偽産?
(時間が経過しても肯定的な伝統になるとは限らず、否定的な伝統になることもある?)
※日本遺産は文化財保護と観光の共生を図る政策ですが、主導権は観光側に渡されている? 不調な所ほど、無理な要求が発生し、話の創作・改変が増大?(真偽を知らず、問題にもしない?)
※現実は抑圧でしかなくて、そこから離れて自由を感じるのかもしれませんが、その自由(虚構)は、周囲やその人自身を抑圧するものにもなるのでは……(お酒と同じで、常用・依存してはいけないもの?)
※曖昧なテーマは「今は違いに触れずに協調する。具体的な話は厳禁」というメッセージにもなっている?(否定しない、曖昧さを受容する人だけと話したい)
(曖昧に伏せている部分が、致命的な違い、誘導、悪意であることも多い? 都合良く解釈して、思い込み、思考停止、妄想の伝染は止まらない?
地域振興や観光の事業が、人の弱さを利用するビジネスになっているのでは……)
リンク
文化庁 日本遺産(Japan Heritage)について
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/nihon_isan/index.html
国民生活センター うそと思われる商品広告をネットで見つけた
https://www.kokusen.go.jp/t_box/data/t_box-faq_qa2018_07.html
優良誤認表示
商品やサービスの品質や内容が、実際とは違って「これは、他と比べて、非常によいものだ」と消費者に思わせる、うそや大げさな表示のことです。
未検証の日本遺産ストーリーは違法コンテンツになりかねない?
不確かな話を子供達に刷り込むことが誇れることでしょうか?(「現実よりも噓の方が安心できる」「(色眼鏡で見た)理想の風景が本当であるべき」と思う人もいる? ヒトの習性? ウソは他の人にもやさしいとは限らない?)
「ウソの地域振興」「ウソの おもてなし」になっているとしたら、無責任すぎるのでは… 応援する人を皆ウソつきにしてしまう。
観光企画の創作ストーリーに目くじらを立てないのは良いとしても、子供達への虚構の刷り込みを放置するのは、あまりになさけなく、それこそ、シビックプライドを保てるのでしょうか……
(子供達が学校の先生や地元のガイドの人から教えられたという話に対して、「それは最近の作り話、噓」と言わなければいけないときの気持ちは、考えてはもらえないのでしょうか……)
レイラインの作為性について
・大きな誤差を無視
関連付けたい地点があるとき、大きく曲がっていても直線と見なす。
※上田市日本遺産のレイラインは 10°以上も曲がっている。
別所温泉 ← 約260° 生島足島神社 ← 約245° 信濃国分寺跡
広い範囲では、一般的なメルカトル図法の地図上の角度と実際の方角は一致しない。
・小さな誤差を無視
広い敷地や山などの方角には幅がある。日の出・日の入りの方角・時刻には計算で求める理想値と現地での観測値があり幅がある。幅について何も言わず、都合の良い値を選択して一致していると言う。
目視でズレがわかる場合、意図的に配置したと考えるなら、意図的にずらしたことになるのに、その可能性を無視する。
・偶然性を無視
地点間の角度は0~360°の範囲しかないので、調査地を増やせば偶然の一致は必ず見つかる。しかし、偶然性について何も言わず、意図的な配置と決めつける。(その地点だけを繰り返し見ていると、脳の働きで、必然のように思えてくる?)
・測量技術を無視
正確な地図がない時代に、どのような測量技術で直線状に配置したのか、という話がほとんどない。
広範囲に直線を引くことができるなら、相当に正確な地図が描けるはず?
もし昔から一定の広域測量技術があったのなら、それに基づく地図が作成されて、配置の直線性は誰もが当たり前の事として知っているはずでは?
慎重に批判的に取り扱うべき内容(学校では特に)を、よく調べずに同調的に扱っているように見えます…… 子供達、学生達にとって、(様々な意味で)「黒歴史」になりかねないことを理解できている?