渋江長伯は東遊奇勝[寛政十一年(1799)]の中で、小鳥谷の鷹見山という山を紹介し、そのスケッチまで残している。以下、その部分の文書をコピペ。
『わさとの坂(上里の坂)、山崖の道にて漸緩めり。こしやむ(ら)長坂を経て有り。鷹見山あり、離山にて其腰を麻別川(馬淵川)、さし廻り、山の形飯盛に似たり。小性と坂、瀧坪村、めへか(女鹿?)川、又常別とも云・・・以下略』
図 東遊奇勝の鷹見山スケッチ
鷹見山の特徴をまとめると、
●離山である
●馬淵川が山を廻るように流れている
●山の形が飯盛に似ている
となる。その位置は、文書から、上里坂より北、小姓堂坂(尻引坂)より南の範囲に絞られ、馬淵川が登場する事から、渋江長伯が鷹見山を目撃したのは野中周辺であったと推定されるが、現在、それらしき山は見当たらない。この鷹見山とはいったいどの山の事なのだろう?
自分の頭の中で最初に浮かんだのが下の写真の山である。駒木地区の裏手にある山である。この付近には「唐松山」という山があるが、この山がその唐松山なのかどうかはわからない。
図 道地付近の国道4号線から見た唐松山?(Google map ストリートビューより)
この山は、馬淵川から離れた位置にあるため、渋江長伯が目撃した鷹見山ではないと考えられる。
次に思いついたのは川又集落の裏山である。山頂部が比較的緩やかで、見る角度によっては飯盛に似ている。また、下を馬淵川が蛇行して流れている。しかし、「離山」という程独立した山ではない。
図 小鳥谷バイパスから見た川又の裏山(Google map ストリートビューより)
小鳥谷地区に関する文献を確認すると、邦内郷村志[明和~寛政年間(1764~1800)]に次のような記載を見つけた。
「野中家十七棟。西之方女鹿村道也。東姉帯村道。川向道茶臼楯・鷹待場也」
この記録によると、川向地区に鷹待場である茶臼楯という所があるというのだ。
鷹待場は鷹狩用の鷹を確保するため、鷹や鷹の巣を見張る場所と推定され、鷹見山の「鷹見」を連想させる名称である。また、茶臼から連想されるのは全国各地にある「茶臼山」である。Wikipediaによると、茶臼山とは、「形状が茶の湯のてん茶を抹茶に挽く茶臼に似ているとされる富士山のような末広がりの形の山のこと」とある。茶臼楯もそのような末広がりの形状で、「楯」と呼ばれている事から、山頂が平坦な山ではないかと推定される。山頂がつぶれた末広がりの形状であれば、「離山」「飯盛形」という条件とも一致する。また川向地区は馬淵川に近接した位置にある。このように茶臼楯は鷹見山の条件をすべて満たしている可能性があると推定されるのだが、現在の川向地区にはそれらしき山が見当たらない。
そこで、川向地区を含む小鳥谷の古地図がないか探していたところ、東京人類学会雑誌 明治二十六年(1893)の「陸奥国二戸郡小鳥谷村石器時代の遺跡(若林勝邦)」に掲載されている地図(略図)の中に興味深い記載を見つける事ができた。この地図の川向付近に「丘」と記載されている箇所があるのだ。しかし、地形図で確認すると、現在この付近は大半が平坦な地形になっているのである。
図 陸奥国二戸郡小鳥谷村石器時代の遺跡(若林勝邦)、二戸郡小鳥谷村字野中近傍略図
※赤字・赤丸は筆者が加筆した
図 川向地区の地形図(左)とレーザー測量による地形図(右) ※カシミール3Dより
川向地区にあるこの平らな地形は砕石場の跡地である。太平洋戦争直後に米軍により撮影されたこの付近の航空写真を立体視すると、この砕石場跡地付近に小さな独立峰があった事が確認できる。しかし、戦後、砕石を取るために元々あった山の大半が失われたようである。この失われた山(丘)こそが、鷹見山(=茶臼楯)の正体ではないかと考えているのだが、この山が失われる前の風景写真等の資料が手元にないため、渋江長伯が見た山の姿を確認する事はできない。
図 鷹見山推定位置 小鳥谷バイパス姉帯入口交差点から(Google map ストリートビューに加筆)
図 昭和23年に米軍により撮影された川向付近の航空写真(国土地理院)
※他の位置の航空写真とともに立体視で確認すると、赤丸付近を山頂とする小さな山があった事が確認できる。
東遊奇勝の鷹見山スケッチ位置を探ってみた↓
図 野中付近の街道からの鳥観図に鷹見山の位置を記載(鳥観図はカシミール3Dによる)
以上のように、東遊奇勝の鷹見山スケッチは、野中の馬淵川が蛇行し奥州街道に近接する付近からの眺めを描いたのではないかと推定される。
岩手県管轄地誌に、九戸の乱の古戦場として美濃木沢とともに川向が記載されている。そこで気になるのが邦内郷村志[明和~寛政年間(1764~1800)に記載されている茶臼楯という地名である。この茶臼楯が「茶臼舘」という舘址だったとしたら、何となく話が繋がるのではないだろうか。鷹を見張るのに利用されたこの小高い山は、姉帯氏が敵を見張るのにも好都合な立地ではないだろうか。