十返舎一九著、方言修行金草鞋(むだしゅぎょうかねのわらじ) 第二十一編「南部路記旅雀」の中で、小鳥谷の事を「をさハ」と表記している。著者である十返舎一九は当地に来たわけではなく、奥州街道の旅日記や道中記を参考資料として用いたようである。その資料の中に小鳥谷(こずや)を小沢(こざわ)と表記したものがあり、一九はそれを「おざわ」と誤読した可能性が考えられる。また、盛岡沼宮内間の間の宿である「渋民」の代わりに「かやすぎのしゆく」(柏杉宿)が登場し、岩手山について「いハわし山見ゆる、つねにミね(嶺)よりけふり(煙)いづる山なり」という表記も見られる。
菅江真澄の「けふのせば布」では小鳥谷を小沢と記載しているが、柏杉宿は登場しない。ただし、渋民について「昔は枯杉」と記載している。また平凡社「岩手県の地名」によると、渋民について、「盛岡から奥州街道を下った最初の宿場で、~略~、渋民町とも枯杉とも呼ばれた」とある事から、宿場の名称として「枯杉」という地名がかつて存在していた事がわかる。この枯杉が柏杉の事を示していると推定されるため、一九が参考にした文献は、渋民を枯杉と呼んでいた時代の文献であると推定される。それは、菅江真澄が渋民を通過した1785年より古いと考えられる。
菅江真澄の「けふのせば布」(1785)と「岩手の山」(1788)では岩手山について噴煙等についての記載が見られない。江戸時代における岩手山の最後の噴火は1732年の「焼走り溶岩」流出で有名な山腹噴火で、真澄の時代はそれから50年以上経過している事からこの当時の岩手山の活動はかなり沈静化していたと推定される。一九が参考にした文献は、岩手山の活動が比較的活発だった時代のものであると推定される。
丸山可澄「奥羽道記」(1691)では小鳥谷を小沢と記載し、渋民は登場しない。代わりに「加里杉」あるいは「加り杉」という地名が登場する。これは枯杉宿の事であると推定され、1691年当時は、渋民を枯杉と呼んでいた可能性が考えられる。また、岩手山について「岩端山 烟常ニ生ス」とある。岩手山は1686年に東岩手山の山頂から噴火しており、西岩手山でも噴気が活発化したようである(岩手山の地質-火山灰が語る噴火史-より)。それは丸山可澄が岩手山を見る5年前である。丸山可澄がこの地を訪れた時は、噴火活動は終息していたが水蒸気は常に立ち昇るような状態であった可能性が考えられる。
以上のように、小鳥谷・渋民・岩手山の3つに関する表記内容を比較すると、丸山可澄「奥羽道記」の記載内容が「南部路記旅雀と比較的一致しているように思える。「かりすぎ」と「かやすぎ」の微妙な違いについてやや疑問が残るが、一九は「南部路記旅雀」を執筆する際に、奥羽道記あるいはそれを引用した道中記を参考資料として用いていたのではないだろうか?
岩手山の噴火時期と主な道中記について時系列にしてみた↓
1686年 岩手山山頂噴火
1691年「奥羽道記」丸山可澄 ※1686年の噴火から5年後
小鳥谷→「小沢」と記載
渋民→「加里杉」あるいは「加り杉」と記載
岩手山→「岩端山 烟常ニ生ス」
1732年 岩手山山腹噴火(焼走り溶岩流出)
※この後、大正八年(1919)の水蒸気噴火まで、岩手山の火山活動は休止
1777年「奥の荒波」小磯逸子
小鳥谷→記載無し
渋民→記載無し
岩手山→記載無し
1785年「けふのせば布」菅江真澄
小鳥谷→「小沢」と記載
渋民→「渋民、むかしは枯杉といった」
岩手山→噴煙に関する記事無し
1788年「岩手の山」菅江真澄
小鳥谷→「小鳥谷」と記載
渋民→「渋民、むかしは枯杉とかいったという」
岩手山→噴煙に関する記事無し
1790年「北行日記」高山彦九郎
小鳥谷→「小沢」と記載
渋民→記載無し
岩手山→噴煙に関する記事無し
1793年「北行日録」木村謙次
小鳥谷→「小鳥谷」と記載
渋民→「渋民村」と記載
岩手山→噴煙に関する記事無し
1799年「未曾有記」遠山景晋
小鳥谷→「小しや村」と記載
渋民→「渋民」と記載
岩手山→噴煙に関する記事無し
1798年 「蝦夷日記」木村謙次
小鳥谷→「小島谷」と記載
渋民→「渋民」と記載
岩手山→記載無し
1799年「蝦夷蓋開日記」谷元旦
小鳥谷→「コシヤム」と記載
渋民→「渋谷村」と記載
岩手山→噴煙に関する記事無し
1801年「蝦夷の嶋踏」福居芳麿
小鳥谷→「小鳥谷」と記載
渋民→「渋民宿」と記載
岩手山→噴煙に関する記事無し
1805年「未曾有後記」遠山景晋
小鳥谷→記載無し
渋民→「渋民」と記載
岩手山→噴煙に関する記事無し
1808年「クナシリ警固日記」高屋養庵
小鳥谷→集落名が幾つかあるが、小鳥谷の記載無し
渋民→「渋谷之町」と記載
岩手山→噴煙に関する記事無し
1831年「言修行金草鞋 第二十一編 南部路記旅雀」十返舎一九著
小鳥谷→「をさわ(=小沢)」と記載
渋民→「柏杉」と記載
岩手山→「岩鷲山見ゆる、常に峯より煙出づる山なり」
[2024/10/19 ちょっと追加]