兜の構造・着用方法

兜の構造・着用方法

兜の吹返は、兜の中央で合致します(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。つまり兜鉢の円周と𩊱の長さが同じということになります。

奈良時代には髪を頭上でまとめて髻(もとどり)を立て、冠や烏帽子をかぶる風習があり、平安時代にも烏帽子を用いられました。

烏帽子だけでなく武士が兜をかぶる場合にも髻を頭上に立てたまま用いなければ固定することができず、兜の天辺の穴から烏帽子で包んだ髻を出して固定しました。『平治物語絵巻』などに兜の頂上から黒いものが出ているのが髻を包んだ烏帽子で、平安時代の兜の天辺の穴は5cmほどありました。『源平盛衰記』に源義経が「兜を傾けて突撃せよ!然しあまり傾けて天辺射さすな!」と言っているのは天辺の穴が大きいのでしばしば矢を射込まれる矢壺になっていたことを示しています。そのため次第に天辺の穴は小さくなっていき、天辺の穴から髻を出せないため、鎌倉時代には兜をかぶるときは髪を解いて乱髪にしてかぶり、髻による固定がなくなったため緒の結び方も変化していきました。

兜の左側面

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

兜の鉢を上から見た図

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

兜の鉢

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

兜の吹返は、兜の中央で合致

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

平安時代の兜の𩊱(しころ)

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

京都教王護国寺所蔵『唐櫃』の絵

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

京都教王護国寺所蔵『唐櫃』の絵

烏帽子と結髪(髻)の推定図

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

烏帽子で結髪(髻)を包みこむ

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

結髪(髻)を包んだ烏帽子を兜の天辺の孔から出

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

兜の天辺の孔から髻を包んだ烏帽子を出して固定する

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

二孔の兜

(平安時代)

兜鉢の左右の穴(響孔)から紐を通し顎下で結う

天辺の穴から髻を出して芯棒の役を果たす固定方法

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

二孔の兜

(平安時代)

響穴二孔の兜の緒の用い方

天辺の穴から髻を出して芯棒の役を果たす固定方法

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

孔の兜

(鎌倉時代以降)

天辺の穴が小さくなり、髪を解いてかぶるため兜がぐらつくため緒を顎にしっかり固定する方法

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

四孔の兜

(鎌倉時代以降)

天辺の穴が小さくなり、髪を解いてかぶるため兜がぐらつくため緒を顎にしっかり固定する方法

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

平安時代の眉庇

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

平安時代の眉庇

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

平安時代の眉庇

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

平安時代の眉庇

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

平安時代の眉庇

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

平安時代の眉庇

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

鎌倉時代の眉庇

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

鎌倉時代の眉庇

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

兜の眉庇

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

しころは、錣ではなく𩊱

𩊱(しころ)は兜鉢の腰巻から垂れ下がり後頭部と頸まわりを覆うもので、ほとんどが革札で、一部鉄札を用いることがあります。

平安時代には小札製の毛引縅で、後世室町時代以降には板札製のものも登場します。沢潟縅鎧(大山祇神社所蔵)は平安時代初期の全て革札製の𩊱(しころ)です。

一般に星兜は五段が多く、四段のものが稀にあります。軍記物語には三段の記述もありますが遺物としては存在していません

𩊱(しころ)は一段目を鉢付板(はちつけのいた)といい、二段目を二の板、三段目を三の板、四段目を四の板、最下段を菱縫板といいました。菱縫板は畦目や菱縫を施して装飾しています。

平安時代のころまでは形状が杉の木の形に似ていることから杉形兜(すぎなり)と称されます。

平安時代後期から鎌倉時代にかけて少しずつ鉄札が用いられるようになっていきますが、吹返は全て革札で構成されています。

鉢についても平安時代初期は革製があったとされますが遺物は鉄兜鉢以外は残っていません。しころは漢字で書くと「革」編に「每」と書きます。革編であることからも想像できるように革製のものを主としますが、鎌倉時代以降に鉄札が少しずつ用いられるようになるころには「錣(しころ)」という字がよく見られるようになります。

吹返は、内兜(うちかぶと)つまり顔面など𩊱(しころ)の隙間を視界を遮ることなく防御するもので、『平家物語』に「鎧づきを常にせよ、裏かかすな、𩊱を傾けよ、内兜射すな、とこそ教えけれ」とあるように𩊱(しころ)を傾けることで吹返で顔面を防御したといいます。平安時代には飛来する矢を防ぐため吹返を顔面の左右に張り出すようにゆるく小さく返していますが、鎌倉時代には広く大きく返すようになっていき笠形兜(笠𩊱(かさじころ))になっていきます。

𩊱(しころ)を鉢へ付けるには4つの笠鋲(鉢付鋲)が用いられます。平安時代には韋紐で数か所結び留めるものも存在しました。

小桜縅鎧(厳島神社所蔵)、十五枚張星兜鉢(唐沢山神社所蔵)、赤絲縅鎧(御嶽神社所蔵)などは兜鉢の腰巻に小孔が2つずつ5か所ほぼ等間隔に空けられています。

後に、菊鋲や八双鋲など装飾的な鋲が5か所に打たれるようになりました。

吹返

沢潟縅鎧雛形

伝聖徳太子玩具鎧

法隆寺旧蔵

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

吹返

『伴大納言絵詞』に描かれた吹返

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

吹返

年中行事絵巻』に描かれた吹返

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

吹返

小桜韋黄返縅鎧

源為朝

厳島神社所蔵

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

吹返

紺絲縅鎧

平重盛

厳島神社所蔵

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

吹返

赤絲縅鎧

畠山重忠

御嶽神社所蔵

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

兜の八幡座

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

天辺の座

門司市甲宗八幡宮所蔵兜

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

天辺の座

紺絲縅鎧

平重盛鎧

厳島神社所蔵

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

天辺の座

絲縅鎧

畠山重忠

御嶽神社所蔵

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

天辺の座

小桜韋縅鎧

武田楯無

菅田天神社所蔵

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

篠垂

一枚張筋伏兜

源義家鎧

石清水八幡宮旧蔵

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

篠垂

一枚張筋伏兜

甲宗八幡宮所蔵

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

篠垂

十五枚厳星

藤原秀郷鎧

唐沢山神社所蔵

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

篠垂

一枚張筋伏兜

源為朝鎧

厳島神社所蔵

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

篠垂

赤絲縅鎧の

畠山重忠鎧

御嶽神社所蔵

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

篠垂

紺絲縅鎧の兜

平重盛鎧

厳島神社所蔵

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

平安時代の兜(遺物)には1つも鍬形はついていない

立物の1つに鍬形および鍬形台があり、兜の正面に掲げる一双の角状の立物のことです。

平安時代の鎧兜の遺物のなかに鍬形がついている兜は1つもありません。またついていた形跡すらありません。鍬形が兜に見られるのは鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての遺物にのみです。

鎌倉時代後期に長鍬形、南北朝時代にかけて大鍬形、春日神社所蔵赤絲縅鎧(竹雀金物鎧)にみられる末広大鍬形、室町時代にかけて三鍬形、室町時代後期から木葉鍬形などが出現してきます。

鍬形と鍬形台は当初は一体のものであり、鎌倉時代後期以降になると鍬形台から鍬形が外れるようになりました

平安時代の鍬形は、遺物では長野県保科清水寺所蔵の鉄鍬形鉄雲竜文銅象嵌金銀鍍鍬形(京都府法住寺殿跡出土品)のみになります。

その祖型は朔北の騎馬民族の冠と考えられ、日本にもたらされたものが蝦夷の民の神器として呪術的な道具として用いられ、御守として兜の立物になっていったと思われます(笹間良彦氏見解)。

鍬形台は神島八代神社所蔵の鉄鍬形台(鉄獅噛文金銅象嵌鍬形)があり、これら3点が平安時代の遺物となります。

立物

蝦夷の神器

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

立物

アイヌ民族の神器

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

立物

アイヌ民族の神器

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

立物

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

立物

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

立物

神島八代神社所蔵

鉄鍬形台

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

立物

京都府法住寺殿跡出土

鉄鍬形

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

立物

長野県保科清水寺所蔵

鉄鍬形

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

立物

長野県保科清水寺所蔵

鉄鍬形

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

立物

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

立物

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

『伴大納言絵詞』に描かれた兜

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

笹間良彦推定復原

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

年中行事絵巻』に描かれた兜

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

『年中行事絵巻』に描かれた兜

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

笹間良彦推定復原

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)。

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