赤絲縅鎧(畠山重忠鎧)武州御嶽神社所蔵
赤絲縅鎧(畠山重忠鎧)武州御嶽神社所蔵
赤絲縅鎧(武蔵御嶽神社所蔵)です。
平安時代末期につくられ、畠山重忠(1164~1205年)によって建久2年(1192年)に御嶽神社に奉納されたとされています。日本三大大鎧の1つで、兜を含めて当時のまま残欠がない形で現存している大鎧のなかでは最古の鎧の1つです。ただし、江戸時代と明治時代に修理が施されており、しころや縅毛・絵韋の大部分は後世に補修されたものというのが残念です。補修前は脇板はありませんでした。
関東に残る平安期の大鎧としては唯一のものとなっています。平安時代後期の作とはあくまで推定です。
小札は厚い牛の革。札足7.7cm、札幅3.8cm。綴孔は革紐で綴じて黒漆を塗っています。縅絲は茜染の組絲(御岳打)です。胸板から草摺下端まで胴高60cm(85.0cm)、兜高12.1cm。兜3.8kg、胴13.5kg、脇楯2.4kg、大袖2.2kg、栴檀板0.5kg、鳩尾板0.3kgであり、鎧の総重量は18.9kgとなっています。
兜は厳星をきびしく打った12間14枚張片白星兜(17枚張二方白・片白13間)。空星。1行6点・葵葉座と腰巻各1点、しころ5段、兜前後径19.3cm・左右径18cm、頂辺孔径5.2cmで、遺物中最大です。
立挙前2段、後3段、長側4段、草摺4間5段、大袖6段、1段あたり小札22枚、大袖長39cm(42.4cm)・幅33.3cm。やや裾拡がりの胴と四間の広い草摺のバランスがよいものです。胴回上81cm・発手94cm、胸板幅17.1cm、押付幅29cm。栴檀板冠板の高11.5cm・幅12cmは遺物中最大です。大きな鎧で「著長(きせなが)の鎧」と称されています。
絵韋は別で詳細を記しますが、牡丹襷霰地獅子円文(または雲襷獅子円文とも)です。
江戸時代(享保年間)に修理したもの
明治36年(1903年)に修理を行う以前(『青梅市教育委員会武蔵御嶽神社所蔵国宝赤糸威鎧』より)
江戸時代(享保年間)に修理したもの
明治36年(1903年)の修理では𩊱は全て新しいものに差替え別で保管している(『青梅市教育委員会武蔵御嶽神社所蔵国宝赤糸威鎧』より)
東京国立博物館所蔵
明治36年(1903年)に修理後
(笹目良彦『日本の甲冑武具』)
明治36年(1903年)に修理後
(笹目良彦『日本の甲冑武具』)
明治36年(1903年)に修理後
(笹目良彦『日本の甲冑武具』)
明治36年(1903年)に修理後
(笹目良彦『日本の甲冑武具』)
明治36年(1903年)に修理後
(笹目良彦『日本の甲冑武具』)
『集古十種』
寛政12年(1800年)にはすでに脇板が付けられてしまっているのが分かる
『集古十種』
脇楯の壺板
(笹目良彦『日本の甲冑武具』)
『集古十種』
鳩尾板
(笹目良彦『日本の甲冑武具』)
栴檀板の冠板
(笹目良彦『日本の甲冑武具』)
大袖の冠板
(笹目良彦『日本の甲冑武具』)
押付の化粧板
(笹目良彦『日本の甲冑武具』)
『集古十種』