紺絲縅鎧(源義家鎧)石清水八幡宮旧蔵

紺絲縅鎧(源義家鎧)石清水八幡宮旧蔵

紺絲威鎧(京都府旧石清水八幡宮所蔵 現高津古文化会館所蔵)です。

源義家が石清水八幡宮に奉納したと伝えられる大鎧です。江戸時代に焼失してしまい兜鉢および鉄部分を残すのみとなってしまいました。伝来は高津義之氏です。

新井白石『本朝軍器考集古図説』に描かれており、ややその形式を知ることができますが、通常4段の長側が7段も描かれており古式にはありえない図説となっており、草摺も6段と長めであり、「本朝軍器考」付図は信憑性に乏しいので、参考程度に考えておくとよいとされています。

焼失後の兜の残欠は、横の径21.2cm、前後の径22.7cm、高さ15.7cm、天辺の孔4.5cm

鉄1枚張、六筋伏兜です。1枚の鉄を半球状に打ち出し、左右脇にそれぞれ3枚ずつ筋板を置いて星鋲で留め、前3条・後3条は金銅の篠垂に金銅の星を打ち、天辺の座には金銅の座に11点の星を打ち回しています。

一枚張筋伏星兜鉢の遺例は甲宗八幡の黒漆鉄一枚張八間筋伏星兜鉢と厳島神社の小桜韋黄返縅鎧に付属する黒漆塗鉄一枚張十二間筋伏星兜のみ。保元・平治合戦のころを降らないものと推定されます。

焼失した兜鉢

篠垂や金銅の星は失われた

焼失後の兜の残欠

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)

復原品(レプリカ)

復原品(レプリカ)

復原品(レプリカ)

新井白石『本朝軍器考集古図説』

信憑性には乏しい

脇楯の壺板

(笹目良彦『日本の甲冑武具事典』)

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