気が付くと透香は山頂を覆う霧の境目の目の間にいた。
「あれ・・・?私なんでこんなところに・・・」
記憶が朧気ではっきりとしない。
「確か、河童の罠に引っかかって、それで、山頂の方向に飛ばされて、それから・・・」
ゆっくりと記憶を思い返すも山頂に飛ばされた後の記憶がよく思い出せない。
この山頂と同様に霧がかかったかのようだ。
非常にもやもやとする気持ちを抱えながら、透香は目の前の霧に手を伸ばす。
しかし、
「なにこれ・・・壁?入れない?」
手を伸ばした先は結界なのか何なのか、壁のようになっており、入れなくなっていた。
朧げな記憶では飛ばされた時にはこのような壁はなく、そのまま山頂に入っていったような気がしたが・・・と、透香は目の前の壁を触り続ける。
ーーーーー
それを遠くから見る黒天狗が1匹・・・
「ヒャッハ、呑気な巫女が呑気な事してるぜ。
・・・ここで巫女を捕縛し、主に届ければ大手柄だな。fufufu…」
黒天狗は不敵な笑みを浮かべ、そう呟くと、一気に透香へと飛んで向かっていく。
透香はそれに気づかず、目の前の壁に夢中になっている。
楽な仕事だと黒天狗が内心あざ笑う。
ーーーーー
ここで、黒天狗が透香を殺害しようとしたならば、為す術はなかっただろう。
しかし、黒天狗は忠実に任務を守り、捕縛しようとしていた。
ゆえに、透香の反撃が間に合うのだ。
「はっ!!」
「え?」
透香を抱きかかえようとした黒天狗の顔に御札が貼られる。
貼られた衝撃で黒天狗は透香をつかみ損ね、空中でひっくり返り、地面に倒れてしまった。
「ぐえ」
「・・・え!?なに!?」
黒天狗が地面に倒れたのを見て、透香は今起こったこと、自分がしたことに驚いてしまう。
さらには
「ぐ、ぐああ・・・!」
黒天狗のお札の貼られた部分から焼けるような音と煙が発生する。
急な展開に透香は驚き、戸惑っている間に黒天狗の焼けるような音と煙は全身に回り、数十秒もかからないうちに消えてしまった。
「本当に何が起こったの・・・」
咄嗟に動いた自分の体を確認するも、特に異常はなさそうだ。
これは山頂での出来事の残滓。
透香は覚えていないが、歴代の巫女を心身共に知ったことで、今一瞬だけその動きが出来るようになったのだ。今はもう出来なくなってしまったが。
そして、黒天狗がいた場所を見ると、1枚の御札があった。
透香の一連の動きの中でいつの間にか取り出し、黒天狗に張り付けたものだ。
「この御札は・・・回復の御札・・・」
回復といったものの、実際のところは体の自然治癒力を高める程度のものだ。
なのだが、それであれほどの効果を発揮したことに驚きを禁じ得ない。
「確かに椛の赤黒い妖気を浄化するときに一緒にこの御札も使っていたけど・・・
それでなんでこんな現象が起きて・・・」
透香は少し考えるが・・・
「考えても仕方ないわね。今は文たちと合流するのが先決よ」
今の天狗の山に1人でいるのは危険だと思い直し、透香はどこに向かうべきか考え始める。
「黒天狗に襲われる前くらいまで、なんか強い妖力を感じていたのよね。それも2つ」
歴代巫女の残滓があった時の記憶が朧げに思い出される。
強い妖力で、かつ2つとなると、今思い当たるのはちょうど2匹。
天狗の主である天魔、そして反乱の首謀者たる大天狗だ。
距離的には大天狗の方が近かった気がすると透香は考える。
「私が行方知らずになったから、文たちは大天狗の方に向かうはず。なら、私も大天狗に向かいつつ、その途中で文たちと合流できるような道順がいいわね」
といっても、不慣れな天狗の山で正確にその行程を辿れるとは思わない。
多少ずれても文か椛が見つけてくれるという確信を以て、透香は移動を開始した。
妖怪の山 中腹
あれからどのくらい経ったのか、どのくらい進めたのか…
透香は天狗たちに見つからないよう、時に隠れ、時に不意打ちをかけ、時に逃走しながら、敵の本陣を目指し、進んでいた。
そして、今もまた木々の間に隠れて、天狗の集団をやり過ごしていた。
透香は息を付き、ふと周りを見渡す。
そこは、整然と整えられていた木々も戦闘の影響によりいくらか倒されてしまい、雑然とした見栄えとなっていた。
周りから見えにくく、木々が戦闘の余波を防いでくれそうな感じに、透香は軽く休憩することにした。
そして、独りごちる。
「主犯の大天狗はこっちだと思うんだけど、本当にこの方向でいいのかしら・・・」
文から聞いた話から察するに、敵対した天狗と黒天狗を合わせると結構な数がいるはずである。
そうなれば、敵陣に近づけば近づくほど遭遇する敵の数も増えるはずであるが…密集しているところがあれば、逆に穴が空いたようにほとんどいないところもあった。
それに何となくちぐはぐな感じを透香は抱いていた。
「単独の身としては今の状況は隠れやすくてありがたいんだけど、
このまま進んでいいのか迷うわね・・・」
「いや、こっちで合っているぞ」
何となく呟いた言葉に返答があり、透香は驚きも半々に瞬時に抗敵体勢を取る。
振り向いた先には、文が透香の方を覗き込むようにして枝の上に立っていた。
「む、反応が早くなったな。山頂で何かあったか?」
透香の反応の速さは意外だったようで、文は少し驚いていた。
「って、文さん!
良かった。直感は正しかったのね」
そして、文の後ろには、
「わう!透香さんも無事で良かったです」
「椛さん!茉依さんも!」
椛や茉依もいた。
透香の下に椛が駆け寄り、透香と椛は両手を取り合って喜び合う。
それを茉依がすました顔で見ながらこう話す。
「あら、生きてたのね。山頂に飛ばされた時はもう死んだものと思ってたわ」
その言葉に椛が怒るような顔をする一方で、透香は微笑みながらこう返す。
「その辛辣さも懐かしいくらいね。
さて、ようやく合流できたし、これでまともに動けるわ」
茉依は虚を突かれたような顔になる。
「む…なんか強かになったわね。本当に山頂で何かあったの?」
茉依たちにとっては短い時間であるが、あの空間内においてはそうではない。その影響は透香の思考を変化させるには十分過ぎるほどであった。
「残念だけど、あんまり覚えていないの」
しかし、あの空間の特殊性故、そのことを透香は覚えていない。
「そうなのか。よほどのことがあったように思えるが」
「本当に朧気なのよ。山頂の霧のようにね・・・
それよりも現況を教えてもらえるかしら?」
思い出そうとする透香であったが、考えようとした瞬間に思考が霧がかったようになったため、首を振って中断した。
今は異変の解決が先と、現状把握に思考を切り替えた。
「ふむ、そうだな。あまり時間的余裕もない。手短に情報共有といこうか」
文は透香に天魔に出会ったこと、反乱の首謀者が豊前姫彦丸であること、そして豊前姫を討伐する作戦中であることを話した。
「豊前姫彦丸、ね。そいつはどういう奴なのかしら?」
「良く言えば正義感に溢れた頼れる良い奴。悪く言えば、生真面目すぎて融通が利かない奴、ってとこだな。困ったやつを放っておけないんだよ。あいつは…」
文は彦丸を思い返し、悲しそうな悔しそうな顔をした。
深い付き合いである大天狗同士、思うところがあるのだろうと透香は察した。
「なるほどね。頼られたけど現状を打破できない、でも何とかしなきゃいけない。その生真面目さから今回の反乱を起こしてしまったというところかしら」
「完全に悪いところが出てしまった形だな。何とも情けない話だ…」
拳を握る文には一言で言い表せない感情が溢れていた。
透香はそんな文の言葉を首を振って諭した。
「別にそうは思わないわ。今は幻想郷全体が異常だもの。天狗に限らず、妖怪に悪影響が出るのは仕方ないわ。
出てしまった以上は対処して解決する。今はそれが最善よ」
透香のその言葉に文は一瞬虚を突かれた。
「む…そう、だな。今は悔いるより解決に動くのが先か。
巫女に諭されるとは業腹だな」
「業腹は酷くない?」
軽く笑う文に、透香もつられて苦笑いを浮かべた。
「だが、それもまた一興だ。援護を頼むぞ、透香」
「!
ええ、元よりそのつもりよ」
文に戦力として認められたその言葉に透香は嬉しくなり、気合を入れ直した。
向かうは彦丸の現在地、天魔の屋敷である。
【道中】
「そういえば一つ気になったことがあったのだけど」
「何だ?」
「なんというか…厳重な監視網にしては変に偏りがある気がするのよね。ちぐはぐってやつ?」
「ちぐはぐ、か。確かによく観察すれば分かるようなものだか…よく気づいたな?」
「まあそのおかげで隠れることも出来たわけだし、こちらとしてはありがたいけど、あちら側にとってはそうではないでしょ?」
「その通りだな。まあ、そのちぐはぐさは彦丸側について離反した天狗たちが原因だろう。黒天狗や洗脳された天狗と違って、己の意思があるからな。それか時に邪魔になることもあるだろう」
「そこを付くのが効率的だろう。統率された意思とそうでない自由な意思。軍隊においてその乱れは弱点となる」
天魔の屋敷前
天狗たちの目を掻い潜り、透香一行は反乱の首謀者かいる天魔の屋敷近くまでやってきた。
その屋敷を見渡して透香がポツリと言った。
「ここが、天魔の屋敷…今にも崩れそうだけど、突入するの?」
屋敷はあらゆるところが破壊され、無残な姿となっていた。むしろ、崩れずにカタチが残っているのが不思議な程である。
透香の言葉に文は首を振って答えた。
「いや、その必要はない、よ!」
文が話し始めた瞬間、屋敷の中から突風が起こり、屋敷の破片を伴いながら、文たちへと襲いかかった。
しかし、まるで来ることがわかっていたかのように文が扇を振りかざし、返しの突風を起こした。
屋敷と文たちの中間でぶつかり合った風は、物凄い音を立てながら、相殺し、消え去った。
透香は細かい破片から手で顔を庇いつつ、煙を立てながら完全に崩れた天魔の屋敷を見据える。
崩れた屋敷の中から一体の天狗が出てきた。
「はっ、流石。奇襲なんぞは効かないねえ、りく…
「やめろ、私は射命丸文だ。底辺の天狗だ。それ以外は何もない」
天狗の中でも一際高い身長を持ち、細身ながらも強そうな肉体と正義感にあふれる顔つきである。服は白い上着と袴を身に着け、青と白の結袈裟を掛けている。
上司として頼るならこの人。
豊前姫彦丸はそんな第一印象を抱かせる天狗であった。
「…そうやって逃げ続けるつもりか。なぜ責務を果たさない」
「果たすも何も、底辺である私には課せられたものはない。仮にあったとしても、それをやる意義はないね」
「っ!お前がそんなんだからこんな状況に…いや、いい。こうなってしまった以上は、話し合いは無用。力尽くだ」
「そう、最初からそうするしかないのさ」
「無念だよ…」
一連の問答から悔しさを滲ませる豊前姫と苦しそうに顔を背ける文。
近しさを感じながらも絶対に相容れないことがはっきり感じられてしまったのであった。
「何か一気に話が進んだみたいだけど…あなたがこの異変の首謀者ね。幻想郷のためにも、退治させてもらうわよ」
「巫女か…何も知らない部外者は黙っていてもらおうか。これは私の命をかけた抗争。邪魔はしないでもらおうか。
それに、貴様の相手はこちらではないぞ」
「なっ!?」
豊前姫の言葉と同時に背後から攻撃がやってくる。
妖力の動きを察知した透香は咄嗟に体を捻り、その攻撃を…拳をかわした。
「ちっ、やっぱり強くなったわねお前」
「茉依さん!?」
透香に攻撃をしたのは、茉依であった。
突然の反逆に驚きの声を上げたのは椛である。
「あの状況じゃ、逃げられるわけないでしょ。だから、取引をしたのよ。
身の安全の代わりにクソ上司と巫女をここに連れてくるというね」
「だから、今、私はあちら側の天狗ってことなんだけど…それももうやめるわ」
「なに?」
「取引は、ここに連れてくるところまで。その先は
「だから言ったじゃん。この天狗は殺した方がいいって」
「誰!?」
「じゃーん!突然現れたかわいくプリティーな謎女は、私だ!」
「…誰?」
「おいおい、私を知らないとは勉強不足だな。彦丸、教えてあげなよ」
「…だれだお前?」
「嘘でしょ!?」
「いや、すまない、覚えている…一瞬記憶が飛んでしまっていたようだ」
「あらあら〜、力を使いすぎたようですね。それ以上使い続けると、死にますよ?」
「ふん、言っただろう。命をかけていると。目的を果たすまでは止まらん」
「ふーん、頑張り屋さん過ぎるのも考えものですね。サポートも大変なんですよ?」
「お前の苦労など知らん…と言いたいところだが、対価はちゃんと払っているだろう」
「んふふ、あなたの身を案じて言ったのですよ。まあ、もひとつサービスしますかね」