河童たちの仕掛けた罠に見事に嵌ってしまい、透香は山頂の方に飛ばされてしまう。
(なお、本来飛ばす方向は逆だった模様)
透香は行く先を見ようとするも、山頂を包み込む霧は濃く、段々と何も見えなくなっていく。
飛んでいる高さも、地面までの距離もわからなくなり、非常に危険な状況だ。
いつ地面に激突してもおかしくない状況に巫女は袖から非常用の御札を出そうとする。
・・・出そうとして、巫女は自分が飛べることを思い出した。
い・つ・も・の・よ・う・に・空中で態勢を整え、勢いを殺す。
感覚で地面のありそうな方に降りると、数間もせずに地面に足が付いた。
どうやら地面激突まで本当に間一髪であったらしい。
そのことに巫女は息を吐き、気持ちを落ち着かせる。
そして、周囲を見渡すも、やはり霧が濃く、何も見えない。
帰る方向も分からない今の状況であるが、何となくこの空間に長居してはいけない雰囲気を巫女は感じていた。
今、巫女自身がこの地面に立っているという感覚が定かではなく・・・いや、自分が自分なのかさえ怪しいと巫女は感じていた。
巫女はその嫌な感覚に焦る気持ちを抑えながら、山を下る方角を直感で選び、移動することにした。
その1歩を踏み出した瞬間、
「おや、もう帰るのかい?少し遊んでいきなよ」
背後から声をかけられた。
と同時に背後から異常な気配を感じた。
巫女は咄嗟に後ろに振り向きつつ、お祓い棒を構える。
「誰!?」
先ほどよりも霧が薄れ、少し先が見えるようになっていた。
いつでも攻撃できるようにしつつ、その気配の主を見据える。
そこには目玉が2つ付いた市女笠が特徴的な少女がいた。
少女は地面に胡坐をかき、怪しげに笑っている。
「お、ごめんごめん。驚かせてしまったね。
ここでは時空が不安定なんだ。唐突にヒトやモノが現れるなんてことが起こりえる場所だから、注意した方がいいよ」
私の様にね、と少女はいたずらっぽく笑う。
「こういった空間では過去現在未来が混ざり合う。だから、本来ならあり得ない出会いがあったりするんだ。
だから・・・まずは君の名前を教えてくれるかな。博麗の巫女」
と言ってこちらを見据える少女の目に巫女の心臓は大きく跳ねる。
こちらを見定めるような・・・いや、まるで危険かどうか見極めるような鋭い視線と威圧に巫女は少し驚いてしまっていた。
「あ、私のことはケロちゃんって呼んでいいよ。その方が気楽でしょ」
少女はそう言ってにこやかに笑うが、それで巫女の気が休まることはない。
高鳴る胸を抑えるようにお祓い棒を強く握りしめ、巫女は答える。
「御忠告どうもありがとう。私は透香、博麗透香よ。ここにはちょっと予想外の事態が起こって来てしまったの。急いでるからこのまま帰ってもいいかしら」
「いや、自力以外でこの空間に入ったのなら出ることは出来ないと思うよ。それに下手に動くと何があるかわからないから危険だ」
ここから早く離れたい巫女に対し、危険だから一旦動かないようにと少女は話す。
「うん、早く帰りたいのはわかる。この空間は異常だ。それに、私のことも強大な力を持つ何かとして警戒しているかな。あとは、透香ちゃんは異変解決中みたいだね。そうでもないと天狗の山の中に入ることは無いか」
何かを察するように少女は語る。それは巫女の胸中でもあった。
巫女のお祓い棒を握る手が汗で湿り気を帯びる。
少女は怪しく笑い、巫女に提案する。
「というわけで、私の願いを聞いてくれれば、この空間から出してあげるよ」
「・・・」
巫女は少女の提案に頷きかけるが、その途中で腕を組んで不満そうな顔に変わる。
「あれ?何か不満かな?」
「ここに迷い込んだ原因があなたという可能性もあるわ。だからその提案だけでは私に得がないわね」
「んー強欲だね。それなら私は帰るけど…そしたらここから一生出られないよ?」
「その時はあなたをとっちめて無理矢理出させてもらうだけだわ」
首をポキポキと慣らす巫女の姿は何処か強者の雰囲気があった。
「あれ?おかしいな。私の方が圧倒的に強いはずなんだけど…」
「むしろ今からやってもいいけど」
巫女は腕を振りかぶり、少女に殴りかかる構えを見せる。
その腕は見た目以上に太く、強靭に見えた。
「わ、わかった。一つ、君が直面している異変について情報を一つ教えるよ。それ以上は無理!干渉し過ぎになるから!やばいから!」
少女は巫女の腕を見て汗を噴き出し、焦りながら提案を出す。
その提案を聞いた巫女は、少し考えた後、腕を下げる、そして、若干不満そうな顔をしつつ、こう話す。
「まあ、そこが妥協点かしらね」
その言葉に少女はほっと胸を撫でおろす。
「私が知ってる巫女よりパワフルだったね…この空間のせいかな…」
「で、お願いの内容って何?」
「ああ、うん、そうだね。まあ、単純さ。私と弾幕ごっこをして欲しい」
「弾幕・・・ごっこ・・・?」
「うん?知らない?・・・いや、今理解したかな」
巫女は聞き覚えが無いと思っていた弾幕ごっこだが、なんとなく頭の中に映像が流れ込んでくる。
それは人や妖怪といった種族を超えた少女たちのごっこ遊び。
殺し合いはご法度、自らの能力に制限をかけた上でスペルカードというもので管理し、弾幕の派手さと己の腕力で勝敗を決める遊びだ。
「うん、理解したわ。この空間特有の現象といったところかしら」
「そういうことだね。それで、私が知りたいのは、透香ちゃんのことさ。
これでも私、長生きでね。博麗の巫女に少し知見があるんだ。
でも、透香ちゃんはその私の記憶になくてね。
長い時間のせいで忘れたなんてこともあるから、弾幕ごっこをすれば、思い出すと思うんだ」
「つまり、戦えばいいのね」
「そういうこと。いいかな?」
「まあ、この空間から出してもらえるとなれば、頷く以外ないわね。
いいわよ。早速始める?」
「お、やはり博麗の巫女。勢いがいいね。
あ、でも、1つ忠告いいかな」
「何よ」
「私も弾幕ごっこは久しぶりでね。加減を間違えたらごめんね!」
「・・・は?」
少女が手を挙げた次の瞬間、空に現れたのは不条理の顕現。
縦横無尽に敷き詰められた弾、それに光線もあるようだ。
弾や光線が密集した様は、通り抜ける隙間さえないように見える。
それをどうするか考える暇もなく、弾幕が降ってくる。それも高速で。
巫女は直感で動き始める。対処方法は先ほどと同じように体が教えてくれるような気がした。
直感のままに動くとなんとなく避け方がわかってくる。
弾が全て密着しているわけではない。場所によって隙間(といっても針の穴を通すような狭さだが)があったり、弾の速度の違いで隙間が生まれる瞬間もある。
それに、大きく動く必要はないようだ。逆に最小限の移動で済ませる必要がある。
そうでないと、反撃が出来ないから。
手に持った御札と、あといつの間にか横に浮いていた陰陽玉から霊力で練った弾を放つ。
先代から教えてもらった巫女の遠距離攻撃の手段である。霊力を込めないと放てないため、避けることに集中し過ぎると駄目なのだ。
それでも避けることに比重が偏っているため、あまり多く弾を撃つことが出来ない。
直線3本の弾は、ケロちゃんに簡単に避けられてしまう。
さらには、
「反撃してくるってことは慣れてきたかな。じゃあ、もう少し難易度を上げてみようか」
といって、鉄の輪まで降らせてきた。
鉄の輪はそれなりの大きさがあり、避けるためには大きく動く必要がある。
弾幕の隙間を掻い潜りながら、鉄の輪を避ける。
それは先ほどよりもずっと難しく、反撃する余裕が段々と無くなっていく。
「うんうん、流石は巫女だね。もういっちょ上げてみようか」
そういって、ケロちゃんの近くに現れたのは白い大蛇。
大蛇が口を開けて威圧を放つと、一方向だった弾の動きが変化する。
途中から曲がってくるのだ。こちらに。それもあらゆる方向から。
さっきまででさえ、いっぱいいっぱいだった巫女は、この変化に付いていけなくなる。
直撃は避けられているものの、手足に被弾することが増え、かすり傷が増えていく。
もはや反撃する余裕はなく、避けることさえ満足に出来ていなかった。
視界が全て弾幕に埋め尽くされ、先ほどよりも狭い隙間をなんとか探し当て、そこを突っ切る。
突っ切った先にはまた埋め尽くさんばかりの弾があって・・・この状況はまずいと巫女は思うが、それを打開する手段はなかった。
ここまでいくともはやただの理不尽である。
段々と巫女は焦りの他に何かが溜まっていく。
「っ!?」
体力の消耗、集中力の減少、そういったものが合わさり、巫女は隙間を抜ける間際で弾に当たってしまう。
態勢を崩してしまい、弾幕の壁が迫ってくる。それに鉄の輪も直撃する位置にあるようだ。
目の前に迫ってくる理不尽。それらに当たってしまうと死さえ予感させられた。
それらを見て、
巫女は
溜まっていた怒りを爆発させた。
「ふっっざけんじゃないわ!!」
巫女は弾幕をすり抜ける。
まるで自分がそこにいないかのように
そして巫女が次に現れるのはケロちゃんのすぐ近く。
「・・・へ?」
間抜けな顔をさらすケロちゃんを気にも留めず、巫女はスペルカードを放つ。
「夢想封印!!!!」
「むぎゃあああーーー!?」
相手は死ぬ
行き過ぎた弾幕ごっこは巫女のぶち切れで決着した。
焦げた料理のように体から黒い煙を上げながら苦笑するケロちゃんは話す。
「ごめんごめん、ちょっとやり過ぎたみたいだね。おかげで最強の巫女が出てきちゃったみたいだ」
対する透香は、先ほどの激怒が無かったかのように平静だった。いや、目の前のケロちゃんが黒い煙を上げていることをちょっと心配していた。
「あの、大丈夫ですか?なんか急に体が別人のように動いて、やっちゃったみたいですけど」
「大丈夫大丈夫。ちょっと存在が消されかけたけど、許されたからね」
「・・・それは大事では?」
「結果的に消されなかったから万事OKさ!」
存在が消されかけるという一大事をなんてことないとケロケロと笑うケロちゃんに対し、何とも言えない気持ちになる透香であった。
「まあ、それで、弾幕ごっこについてなんだけど。
透香ちゃん、能力使ってた?」
「え?いえ、私、能力なんて持っていませんけど・・・」
「ん-、まだ発現前ってことかな?
でもおかしいなあ。ここは未来も内包するから発現前でも何かしら起こるはずなんだけど・・・
それであそこまでやり過ぎちゃったわけだし」
「え、私の能力がわからなかったから、あんな理不尽になるまでやったってことですか」
「・・・あ、勘違いしないでね。この空間だと融通が利く程度までは加減してたんだよ。ちょーっとあの巫女の沸点が低かったというか、あ、ごめんなさいごめんなさい。やり過ぎでした謝ります」
割と軽めの理由による理不尽に、先ほどの巫女が顔を出しかけるが、その巫女に怯えて謝罪するケロちゃんを見て、出てくることはなかった。
「ん-、でも、私の能力なんてあるのかなあ・・・?」
自他共に認めるほど一般人な透香であるが、紫が巫女として連れてきた理由はわからない。
紫にその理由を聞いてもただ微笑むだけだったのだ。
「博麗の巫女になるんだ。能力無しなんてことはないよ。過去どれだけ弱い巫女であっても、能力は持っていたことがその証明さ」
なんとなく体が小さい巫女が、むんと能力を出す様が思い浮かんだ。
ケロちゃんの言うことは本当のような気がした。
「わかりにくい能力ってのも過去あったし、透香ちゃんのもそういう系統なのかもね。そういった能力って発現していても自覚するのは難しいから、時間がかかるだろうね。」
そっちを疑っていたけど、私にはわからなかったねと呟き肩をすくめるケロちゃんであった。
自分に能力があること、発現しているかわからないことに戸惑う透香であった。
「それよりもそっちの今は異変解決の方が大事かな。
さて、要望を叶えようか。」
その言葉にハッとする透香。
予想外の出来事があって忘れていたが、天狗の山の異変の真っ最中である。
「異変について1つ情報を教えてくれるのよね?」
「うん。といっても私が知ることはそう多くない。時空の歪みを見ているだけで、実際に君の世界を見ているわけじゃないからね」
「?」
「詳しいことは難しいから省くとして、ざっくりというと、この不安定な時空が出来たのは、博麗大結界が不安定になったからだね」
「え!?」
博麗大結界とは、この世界を覆う巨大な結界である。この結界は外の世界とこの世界を分ける境界の役割を持つ。
外の世界で生きられなくなった妖怪にとってこの結界はなくてはならないものであり、生きるための楔である。
その結界の管理は、八雲紫とその式神が行っていた。かつては博麗の巫女も行っていたが、技術継承の失敗か外の世界との乖離拡大による結界の高度化の影響かは不明だが、今はほとんど行っていなかった。
そんな結界が不安定になる。
思い起こされるのは八雲紫の死体・・・
「いや、不安定になったのは1、2年前だね」
しかし、透香の思考を見透かしたようにケロちゃんがこう話す。
「それも、どこかに穴が開いたせいでとかじゃなくて、全体的にグニャグニャした感じだね。場所場所で薄くなったり濃くなったりまばらな感じであまり良くないかな」
「何それ・・・」
結界の穴については多少はわかる。
見回りした時に偶然見つけたり、いわゆる神隠しにあった人間から聞いて探したりしたこともあった。
しかし、結界がグニャグニャとはどういうことだろうか・・・
いや、そういう柔軟性を持った結界があるにはある。
だけど、博麗大結界は違う。そもそも形を持った結界ではないのだ。
例えるなら敷地である。ここからは私の家ねという感じで境界を作り、それがこの世界と外の世界を隔てたのだ。範囲はあれど、実体は持たないため、柔軟性など持ちようが無い。
紫が気まぐれで結界の揺らぎを作ったりすることはあるものの、今はその紫ももう・・・
「うん、確かにあの状態でまだ存在してること自体が不思議に思えるね。もう少し詳しく調べたいところだけど・・・変に触ると壊れそうだし、何が起こるかわからない。だから、これ以上は無理かな。
ああ、突然消えるとかそういう状態では無いからそこは心配しなくていいよ」
ケロちゃんは最後の一言とともに軽く笑う。
「いや、そもそもそういう状態になったこと自体がとてつもなく不安なんだけど」
意味はわからないが、異様な状態であるということは理解した。
しかし、原因も解決策も今後どうなるかも不明である。悩みが天元突破であった。
「残念ながら私が言えるのはここまで。あとは自分で考えるしかないよ。それじゃあ、送り返そうか」
そんな透香を置き去りに、ケロちゃんが手を掲げると、周りの霧が濃くなってくる。
「あ、ちょっとまだ私は!」
聞きたいことがむしろ増えた透香であったが、霧は容赦なく濃くなり、何も見えなくなっていく。
「ああ、時間の方は気にしなくていいよ。最初に言った通り、ここは時空が不安定だからね。
君がここに飛ばされた直後に戻すなんてことは容易さ」
濃くなっていく霧のどこかから、ケロちゃんのそんな言葉が聞こえてくる。
安心させるように言ってくるが気になるのはそこではない。
「それじゃあ、さよならだ」
しかし、霧は無常にもすべてを包み込む。
そして、何も見えなくなり、何も聞こえなくなった。
ーーーーー
透香が霧に包まれ見えなくなったのを見てケロちゃんがぽつりと呟く。
「・・・時間が経っていようがなかろうが、そこまで影響がないと思うけどね。悪い意味で」
そのつぶやきは霧の中へと消えていった。
透香が飛ばされてから小半時足らず
透香を山の麓とは真逆の方向、つまり、霧がかかっており未知数な危険がある山頂へと飛ばしてしまうという、やらかしをしてしまった河童たち。
一時それを嘆いていた河童たちであったが、それも束の間。自分たちがやばいことに気が付いて、脱兎のごとく逃げ出した。
罠の奇襲と予想外の展開に呆気にとられていた文たちは、反応が遅れてしまう。
気がついたときには、かなり距離が離れてしまっていた。
「はっ!?待て!!」
慌てて追いかける文一行であるが…
この河童ども、背中のリュックから何かを噴射しているのか、やたらと逃げ足が速い。
「くっ、河童の癖に私より逃げ足が速いとかどういうことだ・・・」
全く距離を詰められないまま、河童たちは茂みの向こう、川のある方へと見えなくなってしまった。
文たちも茂みを抜け、川の方に出たものの、周囲に河童たちの姿は無かった。
「ごめんなさい、文様。見失ってしまいました…」
「逃げられた、か」
おそらくこの川を高速で下って行ったのか・・・
音も飛沫も立てずにとは考えにくいが、あの発明品がたくさん詰まった鞄ならば、可能な道具が1つ2つあったのだろう。
さらに、光学迷彩も使ったのか、椛の穴だらけの千里眼では姿の一片さえ見つけることが敵わない。
河童の癖に天狗を振り切るとは・・・
「はあ、はあ…逃げられるとか、幻想郷最速が、聞いて呆れるわね。サボってて、怠けたんじゃ、ないの」
2人の全速力に必死に着いてきた茉依が、息を切らしながら毒を吐く。
文は最速を名乗ったつもりはないがと思いつつも、手加減を加えていた自分を自省する。
「確かに、手段を狭めていたことは認めよう。河童たちを傷つけないようにと考えてしまってな」
「手を出したのは奴らなんだから手加減とか不要でしょ。それを除いても怪しいんだから捕らえて事と次第を聞かなきゃならなかったのに…このクソ上司が」
「…ふぅ、反論の余地がないな」
「…」
茉依が、自分の苦言に怪しい反応をする文を見て、何とも言えない表現を浮かべていると、椛が上流の方からとある一行を見つけていた。
「文様!あちらから天魔様が来られます!」
「なに!?」
文が驚いて振り向いた先には、天魔一行がこちらに向かってきているのが見えた。
天狗たちの長にして、天狗の中で最も力を持つ者、それが天魔である。
こういう非常事態では、天狗の里で最も大きい屋敷で指揮を取り、自身の周りは防衛を固めて、外に出ることはないのだが…
その天魔が直属の大天狗と天狗数名を引き連れ、川に沿って下ってきていた。
すぐさま、文と椛、茉依がその場で跪く。
近くまでやってきた天魔が文を見て、驚いたように発言する。
「ほう、文ではないか。危ういと聞いていたが、生きて戻っていたか」
「はい、不肖射命丸文、危機一髪ながら生き長らえ、戻ってまいりました」
「犬走椛、同じく文様に付き、戻ってまいりました」
「よい、文と私の仲ではないか。跪く必要はない」
立てと天魔が手で仕草するも、文は跪いたまま首を振る。
「そうはいきません。あなたは天魔様であり、そして今は非常時です。そこの区別はしっかり付けるべきかと」
「堅いねえ・・・まあ、そういう規則にしたのは我らだが」
天魔は呆れたように腕を組む。
上下関係の厳しい天狗社会であるが、文は上のものへの敬意を特に厳守していた。し過ぎと言えるほどに…
「それで、天魔様は何故、屋敷を離れこちらに・・・?」
「大天狗派の攻勢が激しすぎてな・・・・同じ場所に留まっている方が危険と判断したため、こうしてあちこち逃げ回っておる」
「大天狗派がそんなところにまで・・・」
「今や我ら天魔派の勢力を上回るほどじゃ。特に文、お前がいなくなってからは特に、だ」
文の天狗社会における影響力は大きく、山にいるかいないかでさえ、戦況を大きく変えてしまうほどであった。
敵側に囲まれ、致命傷を負ったという事態であれば尚更である。
「それは…申し訳ありません」
「いや、それだけあちらが文を警戒していたということだ。戻ってきただけで充分よ。
それより、ほんとによく生きていたな。かなりの数が差し向かれたと聞いていたが」
「いくら集まろうとも雑兵では相手になりません。せめて大天狗でも連れてきてもらわねば」
先代巫女とやり合っていた(ほぼ一方的だが)文である。先代との戦いの中で流れを読む力が鍛えられ、多人数に囲まれた中でも、針の穴を通すように抜けることは可能であった。
致命傷は想定外が発生したためである。
「確か大天狗も1人いたと聞いていたが…」
「会っていないので、わざと避けていたか、どこかでサボってたんじゃないでしょうか」
「大天狗がサボりとはあまり聞きたくないがなあ」
「訳アリとみるのが妥当ではないかと」
八大天狗と呼ばれる大天狗たちは、それぞれが役割をもち、天狗社会に尽くしていた。そのため、役目を怠けることなく果たすのが大天狗の義務であった。
故に、あの時は例外が起こっていたと考えられた。
「その結果として、お主が生きていたというから、向こうにとっては大失策だろうの」
「ええ、九死に一生でした」
話がひと段落すると、天魔は文の周りを見渡す。そして視線の先を椛と茉依に向ける。
「しかして、連れはそこの2人だけか?この山に入るには大変だったろうに」
「いえ、博麗の巫女も付いてきていたのですが…河童のせいで山頂へと飛ばされてしまい…」
文は自分の失態に悔しそうな顔をする。
一方、それを聞いた天魔は不思議な顔をしてこう話した。
「む、山頂か。あそこは今、霧がかかって誰も入れない状態だぞ」
「入れない?どういうことでしょうか?」
「霧の近くで見えない壁のようなものがあってな。山頂を囲うようにグルっと一回り存在するようだ。その壁のせいで山頂には入れなくなっておる」
部下たちの報告に合わせ、天魔自身も遠目ながらに確認したものであった。
結界とはまた違う何か異質なものらしいが、詳しいことは誰にもわからず仕舞いであった。
「それは…でも、巫女はその壁には当たらず霧の中に入っていってしまったようですが…」
椛が千里眼を必死に使って、飛ばされた透香を追っていたが、霧の中から先へは追えなくなってしまったという経緯がある。
「む、博麗の巫女は入れたのか…もしかしたら何が条件があったのかもしれんな。
まあ、そうなった以上は、巫女は放置するしかあるまい。我らはあの中には入れん」
「そうですね…そうするかないでしょう」
こちらからはどうにもできないという事実であるが、文は山頂に視線を向けてしまう。わかっていても、透香の行方が気になってしまうのだ。
「ふむ、気になるのも分からなくはない。だが、今は反乱の鎮圧が先だ」
それを見た天魔は、文の意識を戻すため、1つ命令することにした。
「故に文よ。貴様に任務を与える。心して聞け」
「はっ」
文は、天魔の命令に頭を垂れ、今一度、姿勢を正す。
「この反乱の首謀者、大天狗として最も不届き者である豊前姫彦丸を迅速に討伐せよ」
「…やはり」
首謀者の名を聞き、文は険しい顔をする。
推測していた通りの大天狗に、文は歯噛みする思いであった。
飛ばされた透香に、反乱を起こした豊前姫、懸念することが増えていく。
「居場所も判明している。そこまでの道案内も任せるがいい」
「はっ、任務承知いたしました。ご助力誠にありがたく存じます」
萎えそうな気持ちを切り替え、文は天魔の命令を遂行することに集中し始めた。
「おそらく半日、いやそれ以下も持たぬ可能性が高い。急ぐのだ」
「はっ」
告げられた制限時間は想定以上に短い。
迅速な行動が求められていた。
「…」
その一方で、天魔の命令に訝しげな気持ちになる茉依であった。