透香は、足早に境内へと進む。
先程の言葉が棘のように胸に刺さり、透香の感情を揺さぶる。
その気持ちの乱高下を表すかのように、透香の顔は段々と俯いていき、沈む気持ちで重くなる胸を自然と握りしめていた。
そして、段々と足取りも重くなり、紫の死体があった場所で立ち止まる。
そこに死体はない。
透香はほっとするものの、しかし、嫌な予感は消えない。
わだかまりが残る気持ちを抱えつつ、透香は顔を上げる。
その先…石畳の上には、血痕が付いていた。
ぞわりと透香の背筋に冷たいものが走る。
血痕は点々とどこかに繋がるかのように付いている。
透香は見たくない気持ちを堪え、その血痕を追っていく。
すると、賽銭箱のすぐそばに誰かが倒れているのが見えた。
「っ!?」
言葉にならない声を上げ、体中から血の気が引いていく。
倒れているヒト・・・いや、妖怪には見覚えがある。
それにあの紫の死体を思い出してしまうが・・・体に動きが見られる。どうやらまだ生きているようだ。
その様子に透香は謎の安堵を感じつつ、急いで倒れている妖怪に駆け寄る。
近くまでくるとその妖怪の正体とその状態がわかってくる。
セミロングの黒髪に血で赤く染まってはいるが元は白い長袖のシャツ、黒いフリルの付いた長めのスカートは…やはり、最近は会っていなかったが、知り合いの妖怪だ。
「文さん!?」
倒れている妖怪は射命丸文と呼ばれていた。
射命丸文、先代巫女の好敵手兼親友であり、妖怪の山に住む天狗である。
先代巫女の時には神社に頻繁に遊びに…ではなく決闘をしにきていた。
まあ、返り討ちにあって、そのままお菓子とお茶を食べつつ談笑になってしまうのが定番であったが。
ちなみに、とある事情で本名ではなくペンネームであるらしい。その理由と本名は一部の天狗と先代しか知らない。
そんな射命丸文であるが、酷い怪我をしていた。
全身を斬りつけられたのか、服は至る所が破れており、破れたところから切創がいくつも見える。
特に目立つのは、左肩近くにあるえぐられた様な刺し傷と、背中に一文字に付けられた大きな刀傷である。今もそこから血が滴り落ちている。
一目でわかる重傷具合ではある。が、天狗の頑丈な身体故か、傷は塞がってきており、見た目の割に出血の量は少ないようだ。
しかし、傷の具合と失血したであろう量をみるに、あまり良くない状態であることは察せられた。
どうしようか悩む透香であったが、そんな時に文の意識が戻る。
「ん…あ…ここは…」
「文さん!」
そう言いながら、透香は急いで文の近くまで寄っていった。
「その声は…透香か。ということは…神社か。
ふふ、無意識で来てしまうとは…
やはりあいつを…ごふ」
先代巫女を思い出し、苦笑する文であったが、言い切る前に吐血してしまっていた。
それに焦りが増す透香。
「文さん!?待ってて下さい。今手当を」
「…いや、その余裕はないようだ」
「え?」
治療を要する状況であるが、異変は待ってくれない。
文の視線を追うように透香も背後を振り返ると…
そこには、3匹の天狗が飛んできていた。
先頭の1匹は狼のような耳と尻尾を持つ白色の短髪の白い上着と裾に赤白の飾りのついた黒いスカートを来た白狼天狗と呼ばれる妖怪。
残り2匹は烏天狗だろうか?黒髪に黒い上下であまり特徴が見えない。団扇を持っているため、烏であろう予想しかできない。
そして、先頭に立っていた1匹が持っている刀の切先を文に向けながら、こう話す。
「射命丸文!我らから逃げることなど叶わぬぞ!今ここで貴様を捕らえ、我らが主への手土産としよう!」
彼女の名は犬走椛。千里先まで見通す程度の能力を持つ。
山の見回りを主としており、山の外まで出てきてくるのは稀であった。
「ふん、その言い草。すっかりあちら側の言いなりだね。いや、飼い犬と言ったほうがいいか」
「…どうやら死にたいようだな。ここを貴様の墓場としてやろう」
「それは…こっちのセリフだ」
文は重傷具合からは考えられないような俊敏さで、椛の背後へと周り込みつつ、後ろにいた天狗二人を吹き飛ばす。
それに椛の意識が背後に向くが、次の瞬間には椛前方上空から文は現れ、扇を薙ぐ
「やった!?」
「甘い!」
文のフェイントに椛は惑わされず、手にした大太刀を振り、扇ごと文を吹き飛ばす。
文は、風を使って衝撃を和らげるも、うまく着地出来ずに態勢を崩し、膝を付いてしまう。
「ぐっ、やる」
「我が眼は千里先までの全てを見通す。風を操り偽ろうとも、その姿は丸見えだ」
椛の能力は多角にわたり、近距離であれば背後を見ることも出来るのであった。
「やっかいな能力だ。隠れようにもその能力ですぐにバレてしまうか」
「降参し、我らに従うならば一考はしてやろう。だか、抗うならそこの巫女もろともだ」
「え!?私も!?」
「・・・そういうことか。最初から巫女が目標か」
「!?」
「流石は射命丸文といったところか。だが、わかったところで貴様の状況は変わらん」
「いや、そうでもないわ」
「きゃっ」
文がぐっと足に力をこめると、透香の方に飛び、そのまま透香の体を抱きかかえて、大きく横に移動する。
「な、なにするの!?」
「注意不足よ。天狗の早さは見てからでは遅いわ」
透香が先ほどの場所に目を向けると、先ほど文が吹き飛ばした天狗2匹がそれぞれ透香と文の背後に立っていた。
その手には液体がぽたぽたと滴る短剣を握って・・・
「ちっ、失敗したか」
「あれは・・・」
「毒とは殺す気満々じゃないか。攫うんじゃなかったのか?」
天狗たちが持っている短剣の刃に塗布された液体は麻痺毒。
蛇や蜂などの毒を混合したものであるらしいが、その中でも強力な毒を持ってきており、かすっただけで全身が動かなくなってしまうほどであった。
(まともに刺されてしまうと死んでしまうくらいである)
「ふん、生死は問わんからな。それに巫女は殺すくらいでないと毒が効かないと聞く」
「・・・確かに、あいつは異常なくらいに頑強だったな」
「姉さんを基準にしないで!?」
霊力とそれに付随する特殊な能力を持っている以外は普通な人間の博麗の巫女であるが、先代は先々代の異様な力強さから霊力の有用性に気付き、その使用用途を拡大していた。
つまりは、肉体の強化、そして免疫強化である。
天狗たちが話す毒の効きにくさはこれが理由であった。
だが、これも強い霊力を以てしてのものなため、平凡な霊力しかない透香は先代ほどの強さはない。
故に、先ほどの短剣で刺されたら普通に死んでいただろう。
「む・・・はあ、弱いな。貴様」
「やめて。悲しくなるから」
近づいたことで透香の霊力保護が先代より弱いことに気付いたのだろう。
文はそのことにがっかりしたのであった。
勝手に失望されたことに若干いらつく透香であったが、事実であるために段々と悲しくなってくる。
「まあ、どうにかするしかあるまい。遅れるなよ、透香」
「それは無理!でもやるしかないわね」
普通の巫女である透香が天狗に付いていくのは無理である。が、博麗の巫女は妖怪退治の専門家である。対処する術は持っていた。
そうして、文は椛へ突撃し、それを援護するように透香が針を投げる。
こうして、本格的な戦いが始まった。
<透香視点>
私が投げた針を椛が大太刀で弾くのを見る前に、右脚で地面を蹴り、横へと飛ぶ。
これは予測、というよりはほぼ確信に近かった。
その予測の正しさを示すように、私のいた位置には先ほどと同様に短剣が突き出されていた。一人の黒天狗が背後から来ていたのだ。
しかし、避けられたことに安堵する余裕はない。
飛んだ先に殺気を感じて目を向けると、そこにはもう一人の黒天狗が短剣をこちらに向けて飛んできていた。
結果として、私からその短剣に向かって飛んでしまったような形だ。
段々と凶刃の刃がせまってくる。
横っ飛びになった体はもはや反応することも出来ず、刹那に近づいてくるはずの刃が永遠にも感じる。
だけど、その刃が私に届くことは無かった。
黒天狗の横から風刃が飛んできて、黒天狗を吹き飛ばしてしまったのだ。
咄嗟に風刃の来た方向に顔を向けると、文さんが椛の少し手前で扇を振るった姿が見えた。
なんと椛が私の針の対処で出来た隙を私を助けるために使ったのだ。
何故、と感じてもそれを考える暇はない。
「私の目の前で背中を見せるとは余裕じゃないか!」
椛が文さんに向けて大太刀を振り下ろす。
それを文さんは見ずに、しかし、大太刀を避けるように宙返りしながら空中へと高く飛び上がったかと思うと、次の瞬間には、私の背後にいる黒天狗に突撃していた。
吹き飛ぶ黒天狗とその反動を使い、くるっと回転して着地する文さん。
文さんはちらりとこちらを見ると、こう強い口調で言う。
「黒天狗共は殺す。お前は撹乱と避けに徹しろ」
返事をする間も無く、文さんは黒天狗に向かっていく。
そして、竜巻のようにあちこちで暴風が起きる。
文さんが姿が見えなくなるほど高速で動いているようだ。
先ほど、黒天狗に何か因縁があるのか、文さんは強い殺気を向けていた。
変に行動すると私ごとヤられそうなため、言われた通りに行動するしかなさそうだ。
私はまず地面に御札を貼り、結界を貼る。
これは、一瞬だけだが強力な結界で、背後から来ていた椛の大太刀を防ぐことも出来るものだ。
「!?固いっ」
「普通の巫女だけど、舐めないでよね」
もう1枚、御札に霊力を通す。
これは霊撃という御札で周囲に軽い衝撃波を飛ばすことが出来るものだ。
ただ、よろけさせる程度で、吹き飛ばすことは出来ないのだけれど・・・
隙を作ることは出来る。
この隙で、振り向きざまに御札を3枚投げる。
これは拘束能力のあるもので、動きを鈍くすることが出来る御札だ。
軽く貼り付いただけで効果なのだが、千里眼で見られたのか椛は大きく避けていった。
期せず椛との距離が離れたので、一瞬、文さんと黒天狗の方に目を向ける。
けれど、やはり何も見えなかった。
いや、何かが動き、風がそこら中で起こっているのはわかるけど、その動きが早すぎて目が追い付かない。
天狗の高速戦闘。普通の人間ではそれを見ることは敵わないわ。
ただ、見えないけれど、予測は出来る。
先ほどより弱いが、持続時間が数秒ある結界を発動する。
「なに!?」
それに阻まれる黒天狗が一人。
こちらを狙っているのはわかっていたけれど、タイミングが分からなかったため、少し長めの結界を張ったのが功を奏したようだ。
そして、その隙を逃す文さんではない。
「ぐあ!?」
黒天狗の横っ腹に風弾がぶち当たる。
圧縮された風弾だったようで、ゴリゴリゴリと黒天狗の体内が色々折れる音が聞こえてきた。
風弾の勢いそのままに黒天狗が吹き飛んでいき、地面に叩きつけられる。
そこに文さんが追撃するように上空からかまいたちを放つと、黒天狗は全身をずたずたに切り付けられ、地面に落ちていく。
そして、血が流れていくようにその存在ごと空気に流されて、そのまま消えていってしまった。
「!?」
突然の消失に驚く私と文さん。
しかしそれは、大きな隙となってしまう。
「覚悟!」
私の左右から椛と黒天狗が近づいてくる。
それはもう数瞬のことであり、対処する余裕はない。
私にできるのは・・・
「受けろ!巫女!」
叫ぶように聞こえたその声の方を見ると、文さんが扇を振りかざすのが見えた。
その次の瞬間、私は暴風に巻き込まれ、後ろへと吹き飛ばされる。
敢えて身を任せて吹き飛ばされることで、挟撃を回避することは出来た。
しかし、空中に吹き飛ばされ、暴風で回転する体は無防備になる。
ゆえに、黒天狗が私を追撃してくるのは当然の帰結と言える。
ここで、普通の人間ならば何もできず、そのまま刺されてしまうだろう。
でも、私は博麗の巫女だ。
手に持っていた陰陽玉を目の前に出し、霊力を流して大きくする。
その陰陽玉を打ち出す要領でその逆方向に(黒天狗の方向になるように)自分の体を飛ばす。
陰陽玉、代々博麗の巫女に受け継がれるもので霊力を持つため、重力を無視してあらゆる方向に飛ばすことが可能なものだ。
そして、重力を無視するということは、空中で踏み台にすることも出来るということである。
博麗の巫女は、空を飛ぶ。博麗の巫女の必須技能の一つだ。
(まあ、私は自力で飛び立つことは出来ないけれど・・・)
黒天狗は、空中で方向を変えて向かってきた私に一瞬驚いたようだけど、すぐに短刀を構え直して、スピードを上げてくる。
ここは間合いが重要。
もう避けることが出来ないと確信させる間合いが一番だ。
「っ!」
その間合いに入った瞬間に、靴裏にくっつけておいた陰陽玉を使って、上に飛ぶ。
「なっ!?」
自分の直下を通り過ぎていく黒天狗、その顔には2度目の驚愕の顔が浮かんでいた、と思う。
急に上に飛んだため、体が慣性に引っ張られるが、攻撃の機会は一瞬だ。
腕を無理やり動かして、自分の両手を黒天狗に向ける。
「ここ!!」
そして、手の内に溜めていた霊力を勢いよく放つ。
とある場所では八卦と呼ばれる技。
これは、妖怪の強靭な肉体に対して有効打として姉さん(先代)が開発した技であり、溜めた力の大きさ、放つときの勢いが大きいほど、その衝撃は大きいものとなる。
「がっ」
背中にまともに食らった黒天狗は、その勢いのまま地面に叩きつけられた。
「いまいちぱっとしない評価を受けがちな透香だが、あれでも3年、巫女をやっているんだ。弱いはずがないよ」
誰かのつぶやきが風に吹かれて消えていった。
地面に叩きつけられた黒天狗が、血を吐きながら起き上がろうとする。
「がはっ。・・・くそ、楽な仕事だと思ったのにこのざまか」
しかし、文はそれを許さない。
「ふっ」
文が黒天狗に横から蹴りを放つ。
蹴りを食らった黒天狗が転がっていく。
その先には・・・椛がいた。
「これ以上は厳しいか。ならばこうするしかあるまい」
黒天狗は椛の背後に回る。
「む、あなた何を」
「全てをぶち壊せ!白狼!」
黒天狗は椛の背中を叩くように強く手を押し付けると、その手の先から爆発するように赤黒い妖力が椛に流れ込む。
全ての妖力をつぎ込んだのか、黒天狗はそのまま空気に溶け込むように消えてしまった。
「何!?」
「嘘!?」
黒天狗の突然の行動とその後の現象に驚く文と透香。
その次の瞬間、椛の全身から先ほどの赤黒い妖気が溢れ出す。
「う、わおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!!」
突然咆哮する椛の毛は逆立ち、目は血走り赤く光る。
その瞳は文を捉えると、異様な瞬発力で文に飛び掛かり、大太刀を振る。
「ぐるおおおおおお!」
「む!」
文はすんでのところで後方に飛び、太刀を避ける。
その太刀は地面まで突き当たったかと思うと、そのまま石が砕ける。
「力も上がっているのか!?」
文が神社の敷石が砕かれたことに少し目を見張る。
博麗神社の床に敷き詰められている石は通常の石とは違い、巫女の霊力が込められ硬度があがっている。そのため、鬼が全力を出すくらいでなければ砕けないようになっているのだ。
しかし、驚いている余裕も今の椛相手には存在しない。
「があ!」
「!?」
文が驚いた次の瞬間には、椛の太刀が目の前に迫っている。
体を反らして、何とか太刀を避ける。
更に風を使って、椛から距離を離そうと試みる。
しかし、
「ぐるああ!」
「な!?」
椛は文に追い付き、更に太刀を振りかざしてきた。
文は椛のあり得ない速度に扇で太刀を受けるしかなくなった。
「うぐ」
椛の予想以上の力に文は太刀を受けきれず、吹き飛ばされる。
そして、文はそのまま地面を転がり、透香の目の前で止まったかと思うと、口から血を吐いた。
「文さん!?」
透香は咄嗟に椛に向けて御札を放り、一緒に自分の周囲にも御札を放つ。
拘束と防御の結界。
強い妖怪ならばすぐ破られてしまうような普通の結界だが、どうやらあの椛には有効なようで、結界の中で苦しむような様子を見せていた。
少し猶予が出来たため、透香が文の体を見ると背中の傷が開いており、止めどなく血が流れていた。
「傷が・・・」
先ほどまでの戦闘に加え、異様な様子の椛の攻撃を受けたのだ。
塞がりかけていた傷も開くというもの。
「まったく、情けない体だ・・・」
文は力なくも悔しそうにつぶやくが、ここまでやれていたこと自体、凄いことだ。むしろ、感謝したいくらいである。
しかし、透香にとってあの椛を倒すためには文の力が必要なのも自明である。
ならば・・・
透香は袖から1つの御札を出し、それを文の背中の傷に貼り付ける。
「うぐっ。なにを…これは!」
何かをやられたことに不快感を抱く文であったが、次第に現れる御札の効果に驚いていた。
「これは回復の御札よ。文さんに効くように調整した姉さん謹製の…ね」
「…またあいつに助けられてしまったのか。死んでも貸しを作られるとか、私は破産してしまうぞ」
これは先代から透香に渡されていた護身用の切り札の中の一枚。文が味方に付く時が必ずあると見越して作られた御札だ。
御札の効果は治癒効果の向上だけなので、巫女の透香でもこれくらいの大きな傷は止血くらいにしかならない。
しかし、天狗である文の場合、素の治癒力が高いため、御札が絶大な効果を現す。
つまり、傷が完全に治ってしまうのだ。
「この借りは倍にして返すわ」
完治した文はスッと立ち上がり、結界を割ってこちらに向かってくる椛を見据えていた。
その姿は先ほどまでの不調感はなく、威厳すら出ている。
「がああああああ!!!」
近づいてきた椛が獣のように咆哮しながら大太刀を上段から振り下ろしてくる。
文はそれをさっと横に躱す。
勢いよく振り下ろされた大太刀が先ほどと同様に敷石を砕く。
砕けた石が透香にも飛んできたため、避けるためにその場を動く。
その間にも椛の応酬は続いていた。
文に向けて縦横無尽に振るわれる大太刀。
少し前までは必死に避けていた文だったが、今は軽く避ける上に追撃する余裕すらあった。
「外部妖力による肉体強化と暴走…理性の減衰といったところか。力は強くても一直線なら避けるのは容易い」
時折、真空波で傷つけるも、椛はそれをまったく意に介さない。
まるで野生にいる狼のように、狂暴に強烈に大太刀を振り回しており、その威圧感は並大抵のものではなかった。
文はならばと一旦距離を離して、風弾を飛ばして遠距離からの攻撃に切り替える。
撃つたびに場所を移動し、椛をかく乱しようとするが、本能で反応しているのか、異常な速度で対応し、文へと向かっていく。
しかし、その反応の仕方で文は何かに気付く。
「なるほど、能力は使えなくなったようだ」
犬走椛は千里先まで見通す程度の能力を持つ。
逆に千里先まで見通す程度の能力を持つ者が犬走椛の名を持つことになるのだが今は省く。
何が言いたいかというと、どんな風に動こうと椛は文を見失うことがないのだ。
だが、先ほどの椛はほんの一瞬だが文を見失う素振りを見せた。
故に
「これが効く」
初撃の再現
文が椛の背後に回りつつ、風を吹かせ突撃をかける。
だが、椛は初撃より異常に速い速度で背後にいる文に向けて大太刀を振り切る。
いや、振り切ってしまった。
椛の背後に文はいない。
実は椛の背後に回らず、前方上空にいたのである。
(これは動くときに発生する風の動きを利用した攻撃である)
椛が大太刀を振り切ったのを見て、文は椛の後頭部にかかと落としを食らわせたのであった。
「がっ!?」
頭に強い衝撃を食らった椛はそのまま倒れ、地面で痙攣しながら動かなくなった。
文はそれを見て、息をつく。
「獣に近づけば近づくほどフェイントに引っかかりやすくなる。強い力だが、私はごめんだ」
「強い…姉さんに毎度片手間で遊ばれていた天狗とは思えない…」
「その話はしないで!?」
「この異常な妖気を無くせば、話は聞けると思うから、何とかできないか?」
文がこう頼んできた。
こうして気絶した椛から赤黒い妖気を取り除くため、透香は試行錯誤することになった。
とりあえず戦闘中効果のあった結界に封じ込め、悪霊などに効果のある浄化の御札を使う。霊力をぶつけてみる。手に霊力を込めて軽く叩いてみるなど、色々試してみたものの、完全に取り除くことは出来なかったため、透香は悩んでしまった。
そこでしびれを切らした文が妖力をこめて椛を思いきり蹴飛ばしてしまう。
勢い良く地面を転がる椛(意識なし)と慌てる透香であったが、なんと椛から赤黒い妖気がなくなっていたのである。
この手(暴力)に限ると鼻を鳴らす文であった。
そして椛は手当のため、神社内、縁側近くの1室に運ぶことになった。
【博麗神社縁側】
それから四半刻も経たない位、布団の上に寝かしていた椛の目が覚める。
「わう…?ここはどこですか?」
椛は布団から起き上がり、周りを見渡す。
その姿には先ほどの凶暴さやその前の殺気立った感じはまったくなかった。
むしろ愛らしささえ感じる。
縁側に腰掛けていた文が、椛を片目で見つつ、話しかける。
「目覚めたか?駄犬」
「誰が犬ですか!?私は犬走椛という由緒正しい白狼天狗で…って文さんじゃないですか!
…それよりここは…博麗神社?」
犬扱いに怒る椛であったが、自分が今いる場所に気付いて首を傾げる。
どうやら記憶がないようだ。
「そう、私と巫女を殺しにここまで追ってきたんだよ駄犬」
「!?…くーん…そんなことを…ごめんなさい、記憶がないです〜」
椛は文の言葉に驚き、そして耳を下げ申し訳なさそうにそのことを謝罪する。
文は、はぁとため息をつく。
「まあ、そんなことだろうとは思ってたけどね…
逆に記憶があるのはどれくらいだ?」
椛は少し考え込んでから話し始める。
「うーん…見覚えのない天狗たちを見かけて、所属を聞いてたんですけど、なんか回答があやふやだったんで、詰め寄ろうとしたところまでは覚えてるのですが…」
いつもの哨戒任務で山の麓を見回っていたときに見かけたようだ。
「じゃあ、そこでやられたんだね。おそらく1名伏兵がいたのだろう」
2匹の黒天狗がいたようだが、周りには木が多い上に、霧も若干かかっており、見通しが悪かったらしい。
文は、その霧には幻惑効果があって、1匹の黒天狗が隠れていたのではないかと推測した。
「わうう…千里を見通す目を持ちながら伏兵にやられるとは…不覚です!」
椛は非常に悔しそうにする。
推測のため、実際は何かわからないものの、椛の能力を欺けるとなると相当強力なモノ、または能力となるため、要注意だなと文は頭の片隅に記憶した。
ここで気になっていたことが1つ。
「ね、ねえ…」
「ん?どうした?」
「彼女、さっきまで殺し合っていた間柄よね?それに随分と雰囲気が…」
気になったのは椛の様子である。先ほどとは真逆の雰囲気で、人懐っこささえ感じていた。文が犬扱いするのも納得するほどに…
「ああ、椛は元々私の部下だぞ。先程までは敵側に何かで操られていたようだがな。迂闊だよ」
烏天狗と白狼天狗は何かといがみ合う関係であることが多い間柄である。
しかし、千里を見通す目を持つ椛は文にとって重宝する存在であった。このため、色々あって一緒に任務をこなしていく内に上司部下の関係になったと文は話す。
「あ、そうなんだ」
「あと雰囲気は多少忠犬っぽくはなっているが元々こんな感じだな」
文がここ最近何となく感じていた雰囲気だが、実際にこうなったのは今回が初めてのようだ。
「だから犬じゃなくて狼ですよお」
椛は両腕を振りながら抗議する。その姿には犬っぽい可愛らしさにしか見えなかった。
「さっきから思ってたけど、犬以外の部分はいいのね…」
「そこ以外は否定しようがないですから」
椛は真顔でそう返す。
「そうなんだ…」
何か無駄に疲れを感じてしまった透香であった。
「忠誠度が高いのも困りものだな…」
文も肩を竦める。
ーーーーー
「それで、椛への説明はどうするの?」
透香は椛が寝ている間に状況の説明と協力の要請を受けていた。
「ああ、なに、簡単だ。
椛」
文は椛に真っ直ぐ向いて話しかける。
「はい、文さん」
耳をピンと立て、正座をする椛。
「大天狗が反乱した。鎮圧に協力しろ」
「かしこまりました!お供します!」
椛は敬礼をする。
「かるっ。それでいいの」
透香はあまりに単純な説明、というか命令に驚いてしまう。
「なに、私と椛の仲だ。必要なら移動中に話せばいい」
「文さんに付いて行けば大体わかりますからね。それで十分です」
「ほえ~、信頼の仲なのね~」
二人の阿吽の様子に感心してしまう透香なのであった。