趣旨説明
2022年2月24日、ロシアは突如としてウクライナへの軍事侵攻を開始した。この趣旨説明文を書いているのは8月26日なので、つい2日前に軍事侵攻開始から半年が経過したことになる。戦闘は膠着状態に入ったように見えるが、ロシアにはウクライナへの侵略行為をやめようとする気配はなく、停戦交渉も棚上げ状態が続いている。その間にロシアが占領した地域では、老若男女を問わない市民の殺戮や、文化財も含めた市街地の破壊も行われていることが、メディアによって報じられている。
しかしながら、この事態に対する世界の動きに目をやると、必ずしもロシアに対する国際的な非難と反戦平和の世論が盛り上がっているとは言えない。それどころか、世界的に新たな軍事的緊張の種がまかれつつあるように思われる。そして日本の国内では、日本の核武装やアメリカとの核兵器共有を主張する声が上がるなど、あたかも戦争に備えることが必要であるかのような雰囲気が徐々に醸成されつつあるように感じる。これを座視してよいのであろうか。そもそもなぜこのような事態に至ったのであろうか。歴史学に携わる者として何ができるのであろうか。
北陸史学会では、運営委員有志(能川泰治、古畑徹、小林信介)からの上のような問題提起を経て、5月の運営委員会で議論した結果、会報に新たな特別企画を設け、ロシアによるウクライナ侵攻が惹起した問題について、歴史学に携わる者として何ができるのかを考える場を設定することとした。まず手始めに、石川県内で引揚げ体験を語り継ぐ活動に取り組む宮岸清衛氏と、金沢大学の教員でロシア・ソヴィエト文学を専門とする平松潤奈氏に、「ロシアによる軍事侵攻をどうみるか」という問題についてのご寄稿を依頼した。お二人からは、自己の戦争体験にもとづく切実な危機感と、専門的見地にもとづく鋭い考察を語っていただいている。会員諸氏のご味読を乞うとともに、各自がこの問題をどう考えるのかということについての、積極的なリプライを期待したい。(文責 能川泰治)
ウクライナが心配
宮岸清衛(北陸満友会会長、1935年生)
ロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始したとき、私は、80年以上前の満州国建国の時代と、ソ連が1945年5月にヒットラー率いるドイツを破り、さらに8月には日ソ中立条約を破棄して満州等を侵攻したときのことを思い出した。それは略奪、収奪、強姦、惨殺の惨劇だった。
そんな私の歴史認識と現状認識を重ね合わせると、クリミヤ半島が満州国で、東部ウクライナは中国本土北部にあたる。クリミヤ併合以後現在に至るまでのロシアの動向は、満州国誕生後の日本の動向とよく似ている。当時の日本は、国際連盟各国からABCD包囲網を敷かれて石油や物資の供給を絶たれていた。今はロシアが、2014年のクリミヤ併合により国際連合から経済制裁を受けてじり貧に追い込まれ、ウクライナへの特別軍事作戦を開始した。さらにロシアは、この作戦行動を戦争ではなくネオナチ撲滅の特別軍事作戦だと言い張っている。
21世紀の時代にこんな戦争が起こるとは民主主義教育を受けた我々日本人には考えられないことである。聞くところによれば、ウクライナは、15世紀以降にロシアをはじめとする封建国家による抑圧を嫌って辺境に逃れ、そこで軍事共同体を組織したコサックが集住した地域でもあるという。そして、ロシア帝国の統治下に入ったあとも、大規模な反乱を繰り返していたらしい。そのような歴史的経験があるからこそ、ウクライナは、今回のロシアによる侵略に対して勇敢に迎え撃っているのだろう。それに対して日本には、かつて大和魂が強調されていたが、今回と同じような事態を迎えたときに、ウクライナのように立ち迎えるか疑問だ。
プーチン大統領は、「ウクライナはロシアの歴史的領土であり、それが反ロシア的になることは許されない」と主張して軍事侵攻を進め、そしてロシア軍はウクライナ領土内で破壊と強奪と殺戮を繰り返している。それに対して西欧等自由民主主義諸国は経済制裁を加えているが、世界全体を見渡すと、支持や中立も多い。何故なんだろう。どうやら国どうしの経済、軍事上の利害関係が関係しているらしい。
問題はロシアが核を使わないように、使えないようにすることだ。経済制裁を加えることで和解に導こうとしているが、もしも現在のロシアの体制がそのまま引き継がれたら大変だ。自由民主主義の敗北になる。すると世界は、かつての明治期日本のように、自由民権運動を通じて自由と民主主義を要求しなければならない時代に逆戻りしてしまうだろう。
侵略が利益になるようなウクライナ戦は絶対に認められない。ロシアに得をさせてはならない!
“戦争をしてはいけない”という思想を世界に広げるにはどうすればよいか!(2022年7月30日寄稿)
ウクライナとしてのロシア:辺境における小さな差異について
平松潤奈(金沢大学国際基幹教育院外国語教育系)
私は金沢大学でロシア語を中心に授業を担当している。本年2月末にロシアがウクライナに侵攻し、停戦する気配を見せないなか、ロシア語を教えることの難しい立ち位置を感じている。だが他方で、起こっている出来事を批判的に理解するためにこそ、当該の言語や文化の理解が必要だという思いもある。そのような立場から、言語の問題を糸口にロシアとウクライナの問題について少し書いてみたい。
ロシア語の辞書を引くと、「ウクライナ」は、大文字で始まる国名だけでなく、「辺境」という意味の小文字で始まる普通名詞としても立項されていることがわかる(ただしアクセントの位置が違い、また現在では「辺境」という意味では、「ウクライナ」ではなく「オクライナ」という一文字違いの語を使う)。「ウクライナ」のもととなる語「クライ」には「端」「辺境」ととともに「地方」「国」という意味があり、ウクライナ専門家によれば、この地にあった中世の国家キーウ・ルーシの12-13世紀の年代記には、「ウクライナ」が、キーウ・ルーシを構成する「諸地方」の意味で使われているという(原田義也「ウクライナとは何か――国名の由来とその解釈――」服部倫卓・原田義也編『ウクライナを知るための65章』明石書店、2018年)。だが14-17世紀にこの地域を支配下に置いたリトアニア大公国とポーランド王国は、この地域を「辺境」という意味で「ウクライナ」と呼んだ。そして17世紀半ばからモスクワ国家がこの地域を保護下におき、次第にその自治を奪っていくにつれ、今度はモスクワがこの地を自らの「辺境=ウクライナ」とみなしはじめる。逆に言えば、この地域がモスクワに対する「辺境=ウクライナ」となることによってこそ、モスクワ国家はルーシを支配するロシア帝国だと名乗る基盤を得たのである。
21世紀の現在においてもロシア人がウクライナを自国の「辺境」とみなしていることを示す事例は、身近な言語表現にも見出せる。大学1年次の初級ロシア語で扱うロシア語の前置詞 「ヴ」と「ナ」は、それぞれ英語の in と on にあたり、どちらも 「〜で」と訳せるが、国名と組み合わせるときは、ふつう「ヴ」を使う。「日本で」は 「ヴ・ヤポーニー」であり、「ロシアで」は「ヴ・ロッシーイ」となる。だが「ウクライナで」と言うときには「ナ・ウクライーネ」というふうに、「ナ」を使うロシア人が非常に多い。この「ヴ」と「ナ」 の違いは、その地をれっきとした主権国家として扱っているか、国家とはいえない辺境として扱っているか、という点にある。「ナ」は、なんらかの領域の端や辺境に関して使われる前置詞なのである。ロシアでもたとえば政府の公式文書においては「ヴ・ウクライーネ」と記されるが、ロシア人の多くは日常的・無意識的に「ナ・ウクライーネ」 と言う。これは単なる伝統や習慣にすぎないともいえるが(ウクライナ侵攻に反対するロシア知識人でさえ、「ナ・ウクライーネ」と言う人がいるし、私の使っている露和辞典にも「ナ・ウクライーネ」という記載がある)、ロシアの帝国意識が自然化され、固定化されているのだと見ることもできよう。プーチン大統領が2021年の論文において主張した「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」 は、ウクライナを自らの内部の辺境の地位におしとどめ、その自立性を認めない日常的な言語習慣をグロテスクに誇張したものだといえる。「ヴ」と「ナ」の違いは、第2クォーターの初回あたりの授業で扱うが、大学の安全な教室と、遠いウクライナの殺戮現場が重なり合い、苦しい気分になる本年である。このような状況にもかかわらずロシア語を履修してくれた学生たちには、「ナ・ウクライーネ」ではなく「ヴ・ウクライーネ」と言ってください、と例年以上に強調した。
このように、ロシアの帝国的無意識から見るとウクライナはいまだにロシアの「辺境」である。しかしながら実は、11-12世紀のキーウ・ルーシ時代には、のちにモスクワが現れロシア帝国の中心となっていく北東地域こそが、ルーシの中心たるキーウにとっての「ウクライナ=辺境」だった。モスクワ方面は「森の向こうのウクライナ」などと呼ばれ、南西ルーシの人々の植民先だったのである。
モスクワやロシアは、このようにキーウ・ルーシにとっての「ウクライナ=辺境」であっただけでない。13-15世紀にルーシの地を支配したモンゴルにとっても、近代以降ロシアの憧憬対象となったヨーロッパにとっても、モスクワやロシアはやはり「ウクライナ=辺境」であった。ロシアの「ウクライナ性=辺境性」は、単に地理的なものにとどまらない。近代ロシアは、近代世界システムの中心たる西欧に対する周縁国家、原料供給国として圧倒的な劣位にとどまり、経済的には半植民地の境遇にあったといっても過言ではない。しかしながら少なくとも政治的にはウクライナやポーランドが経験したような国家消滅を免れるため、集権体制を敷いて強大な軍事国家となり、ナポレオン戦争や、(ソ連として)第二次世界大戦に勝利し、一時はアメリカと並ぶ二大超大国の一つにまでなった(そのために犠牲になったのが、国内植民地=辺境にされたウクライナなどである)。
2022年にロシアがウクライナに侵攻したのは、一度は世界の中心にまでのぼりつめたモスクワ・ロシアが、ふたたび「ウクライナ=辺境」になってしまいつつあることを感知し、恐れ、否認したいからであろう。ロシアの「辺境」として、ロシアの帝国的地位を可能にしてきたウクライナが欧米(EUやNATO)の側につくことは、ロシアがキーウ・ルーシ時代のように再びウクライナに対する「ウクライナ」となることを意味するのである。「ウクライナ」とはこのように、小文字の辺境概念としても、大文字の国家としても、ロシアが世界のなかで自己定位しようとするときの鏡であった。
ジェノサイドは、大きな差異ではなく、小さな差異から生じる、という理論がある(Alexander Etkind (2022): “Ukraine, Russia, and Genocide of Minor Differences,” Journal of Genocide Research, DOI: 10.1080/14623528.2022.2082911)。自分と違うからではなく、よく似ていてすぐ隣にいる他者であるからこそ、その他者のもつ小さな差異が、愛憎をかきたてる巨大な意味をもちはじめ、ジェノサイドの口実となるのである(ユーゴスラヴィア内戦やルワンダ虐殺はその典型例であり、東アジアについても似たような問題が見出せるかもしれない)。言い換えれば、差異の小さな他者は、自己のもつ欠点や不安や憧憬をより拡大して見せてくれる鏡なのであり、この似かよった自己と他者は、なんらかのきっかけで立場が反転しうる関係性にある。ロシアは、「ウクライナ性=辺境性」を乗り越えようとしている主権国家ウクライナへの嫉妬と、自らが「ウクライナ性=辺境性」を帯びはじめたことへの不安から、この小さな差異をもった自己像たるウクライナを打ち砕こうとし、ジェノサイドと言われかねない生物学的・文化的抹殺を開始した。「ヴ」と「ナ」の反転を押し留めようとするこの暴力的な試みが一刻も早く終わり、対等な「ヴ」の関係でウクライナとロシアが向き合える日が来ることを、不安な思いで待ち望んでいる。(2022年7月31日寄稿)