新型コロナウィルスの流行と〈発病占〉研究
佐々木聡
2020年4月1日、新型コロナウィルスへの対応をめぐり、国内外の教育機関・教育関係者が右往左往する中で、科研費の採否が通知された。筆者も慣れない形態での授業準備に追われており、前年に申請した若手研究「〈発病占〉についての社会史的研究:近世以降を中心に」が採択されたことを確認できたのは夕方になってからだった。さっそく採択の手続きを済ませたものの、しばらくの間はオンライン授業などの準備に手一杯で、ようやくまともに研究に着手できたのは、夏季休暇に入る頃だったかと思う。
「発病占」とは病気うらないの一種である。病を発症した日時により、病気の経過や快癒するか否か、病の原因となっている鬼神・モノノケなどをうらなうことから、筆者はこのように呼んでいる。『易』のように確固とした経典があるのではなく、様々な占辞(うらないのことば)が作られながら一つの類型として受け継がれてきた占法である。古くは戦国末期まで遡り、20世紀に入ってからも使用された。その歴史は優に二千年を超える。
近年、陳于柱『敦煌吐魯番出土発病書整理研究』(科学出版、2016年)に代表されるように、中世もしくは古代の発病占が注目されている。これは出土資料や敦煌文献として「発見」されたことが殊更に大きい。その一方で、近世以降の伝本は、ほとんどが研究の対象とは見なされず、所謂「俗書」として捨て置かれてきた。しかし社会史や文化史の観点から見れば、発病占は前近代を通じて継承・発展してきた術数文化の一つであり、断代的な研究だけでは不十分である。経典という権威を持たない発病占が、一つの類型を持つ占法として二千年以上も命脈を保ってきたという事実は、歴史学的に考えても決して軽くはない。
しかし実は今、近世以降、とりわけ清末・民国期に撰述された発病占書が散佚の危機にある。これらの多くは、今日なお中国の古書市場に流通しており、研究者や研究機関による収集がほとんど進んでいないからである。古典籍としての価値を持たない「俗書」――それが現在の発病占書が置かれている立場である。既に宋代以降の発病占書は大部分が散佚してしまい、わずかに日用類書や通書の中に引用された占辞から、そうした書物がかつて存在したことを窺えるにすぎない。清末以降の発病占書も、このままでは同じ道をたどることになる。そこで筆者は、これらの発病占書を収集して保全するために、冒頭の科研費を申請したのであった。しかし順調に採択されたものの、コロナ禍の影響により、この計画は思わぬ停滞を余儀なくされることになった。
そもそも中国では、2007年以降、清朝以前の文物を国外に持ち出すことが禁じられている。そのため中国の古書市場から発病占書を収集したとしても、そのまま中国国内で保管しなければならない。そこで筆者は、中国在住の術数学研究者大野裕司氏(大連外国語大学)に協力を依頼し、購入して順次データ化を進めて頂き、それを元に研究を進める予定であった。筆者と大野氏はかれこれ10年以上オンラインで研究会を行っており、こうしたリモート環境で共同研究を行う下地も整っていた。したがって、科研費採択時にも新型コロナウィルス流行の影響は既に深刻化していたが、研究計画の遂行については、比較的楽観視していた。しかし実際には、厳格なコロナ対策により大野氏は一時帰国を余儀なくされ、長らく中国に戻ることができなかった。結局、新たに収集活動を開始できたのは、二年目の夏になってからである。
こうして計画は大きく遅れることとなったが、大野氏の手厚い御協力もあり、二年目に史料収集を開始すると、ネット上の古書市場から7部の新出抄本を収集し、電子データ化や基礎的な書誌整理を進めることができた。この成果は近々研究会などで発表する予定である。また既に論文で紹介した伝本から、影印を付した校訂本を作成し、ウェブ公開にもこぎ着けた(https://researchmap.jp/sasaki_satoshi/「研究ブログ」「資料公開」参照)。こうして基礎研究の枠組みは出来上がりつつある。今後継続して発病占書の収集・整理・検討を進められれば、一定の成果が期待できるだろう。
このように、元々リモートでの共同研究が前提だったため、コロナ禍の下でも研究を軌道に乗せることができた。ところが、ここに来て新たな問題が持ち上がってきた。現地調査の見通しが立たないことである。本来であれば、ネット上の古書市場だけでなく、各地で開催されている古玩(骨董)市などでも収集を行う予定であった。これまでも陳于柱氏が山東省、筆者が湖南省でそれぞれ入手した例があるからである。くわえて宗教者や占術家の利用実態も調査する必要があった。例えば、清初の小説である『醒世姻縁伝』には、役人の家族が道士から発病占書を借りて病をうらなう場面が描かれる。こうしたイメージを裏付ける史料は見つかっていないが、現在も寺廟やその周辺で実際に用いられている可能性がある。既に20世紀後半に用いられた痕跡のある発病占書も見つかっているから、そうした可能性も十分首肯できよう。
また、現在流布している発病占書の抄本には、表紙に個人名が見えるものが多い(下図参照)。これらは発病占書を抄写した人物や撰述した人物であり、発病占の実践者にほかならないが、言うまでもなく史書に名を残すような人物ではありえない。したがって、「彼らがどのような人々であったか」という問いに対し、文献史学的アプローチはほとんど無力と言ってよい。これもまた現地調査が必要となる所以である。
光緒23年(1897)の紀年と「郭洪興号」の署名を持つ発病占書(2021年収集)
むろん、フィールドワークが本業ではない筆者が現地調査を行ったところで、直ちに答えを得られる訳ではないだろう。それでもやはり現地調査は必要である。筆者にとって、歴史人類学的研究方法の導入は、当初からの課題であった。しかし新型コロナウィルスの流行により、現地調査、ひいては現存史料と現代文化の繋がりを考究する機会が奪われてしまった。ここにきて筆者も、オンラインやリモートでの研究の限界を切実に痛感しはじめている。
とはいえ、こうした苦境はあくまで一時的なものだろう。思えば、発病占の二千年史においても、悪疫の流行は幾度となくあったはずだが、それほど変容することなく現代まで受け継がれてきた。筆者もわずか数年の疫禍に倦むことなく、やがて可能となるだろう現地調査に向けて、今しばらく文献屋の仕事に専念することとしたい。(2022年5月13日寄稿)
コロナ禍の下、変わったこと、変わらないこと
竹松幸香
金沢大学大学院社環研を2002年に修了した竹松です。修了直後の2002年4月より金沢市長町武家屋敷界隈にある前田土佐守家資料館という小さな博物館で学芸員をしております。おかげさまにて今年で勤続20年を迎えました。学芸員の配置が少ないのは「小さい博物館あるある」ですが、「学芸員1名限り」というのは全国見回してもあまりないのではないでしょうか。ちなみに金沢市が設置した博物館は金沢21世紀美術館を除き、皆「1名限り」です。一人なので係も担当もありません。企画展や講座、その他イベントごと、資料の保存管理、果ては建物管理まで全部一人でやります。2020年春から感染拡大した新型コロナ感染症の影響で、当館も1か月以上の長期休館が3回あり、それにともない、企画展やその他の事業の変更・中止を余儀なくされました。では長期休館中はさぞかし時間がたっぷりあったでしょうと思われるかもしれませんが、その間は、結果的に20年近く放置となった所蔵資料の点検、整理、確認をようやく行い、それに終始しました。2021年秋以降は、少々状況の改善がみられ、長期休館することもなくなりましたが、感染拡大防止、密を避けるため、定数を半分に、回数を倍にして各種講座等実施しているので、コマネズミ状態に拍車がかかっております。
そして新型コロナウイルス感染症が流行して3度目の夏を迎える今年、偶然重なっただけともいえなくはないのですが、我が身上にも大きな変化がありました。
一つめ。金沢市設立の博物館(一部除く)では2021年7月より週1回の定休日が設けられました。以前は定休日なしで、加えて当館は2002年4月の開館以来ずっと、年末は大晦日まで、年始は元旦からと、文字通り「年中無休」で開館しておりましたが、新型コロナ流行から二度目を迎える昨年度の年末年始より人並みに年末年始休館となりました。新型コロナ流行のためというわけではないですが、きっかけの一つにはなったのではないかと思います。流行がなければおそらく、ずっと年中無休で働き続けたことでしょう。博物館での活動をいろいろ制限され、予定が狂い、モヤモヤが残るコロナ禍の下でしたが、立ち止まって考える時間が与えられたことは幸いでした。
続いて学芸員「1名限り」の配置に奇跡! 2022年4月よりもう1名学芸員が採用され、着任しました!! これまで同職種の人と一緒に働くという経験が皆無だったので、もう、それだけで嬉しい! 史料の解釈なども二人で話をしながら「こういう解釈もあるのだな、こんな考え方もあるのだな」と気づかされること多々、これまでいかに一人の思い込みでいろいろなことを書いたり話したりしていたかと足りない自分を思い知らされ、ぞっとしておりますが、日々と新しい発見があり楽しいです。このように毎日が嬉しい!楽しい!一方、実際は学芸員2名配置など許されるはずもなく、これまで金沢市職員OBが担っていた副館長職の兼務を命じられました(身上変化二つめ)。事実上、学芸員業務からの撤退勧告です。学芸員という職が向いているとも天職とも到底思えませんでしたが、撤退勧告は存外辛く、この仕事、結構好きだったのだなと改めて気がつきました。今後コロナ感染拡大の状況がまた酷くなれば、管理責任等、気を回さなければならないことも多々あるのだろうな(本当に向いていません)。お題がコロナ禍の下での近況報告なのに、自身の愚痴とも何ともつかぬ話となっている感もありますが、どうかご海容ください。これが小さい博物館の現状です。
そして、館へ足を運んでくださる方々について、コロナ禍を経験して変わったと感じることを。新型コロナ流行前にはあまり足を運んでいただけなかった、比較的若い方々(20代?30代?)を最近、館内でよく見かけるようになりました。しかも熱心に、それこそ食い入るように展示資料を見てくださる方が多いです。当館、SNSの活用などはあまり取り組んでおりませんが、それを駆使するような年代で熱心に見てくださる方々も増えたように思います。以前は、古文書ばかり並ぶ地味でマニアックな展示に「紙モノばっか、しょぼい、つまんねー、金返せ」と捨て台詞を吐かれることが度々ありましたが、近頃は、そんなことも少なくなり(全体的に来館者が減っているせいかもしれませんが、ともあれ)、「みんな、本物を見ることに飢えているのだなあ」という印象をうけます。
最後に、当館は開館以来「地道に粛々と」がモットーです(私が勝手に決めたものですが)。1名限りの学芸員が大半は古文書という地味な所蔵資料を使って、前田土佐守家というマイナーな家を紹介する館で、それなりに博物館らしい活動を続けていくには、「降りかかってきたことを淡々と受け止め、できることを地道に粛々と続ける」ことが大事と思い、やってまいりましたが、方向性としては間違っていなかったと思います。コロナ禍の下では、ますますこのモットーが活きてくるのではないかと、手前味噌ながら思っております。会員のみなさま、お近くにお越しの際はどうか当館にもお立ち寄りくださいませ。(2022年7月31日寄稿)
コロナ禍の活動ノート
宮下和幸
COVID-19の感染拡大以降、自身がどう活動してきたかを思い出しながら書いてみるが、個人的な備忘録になることをご容赦いただきたい。
私は学芸員として金沢市立図書館近世史料館に勤務しているが、緊急事態宣言が出された2020年の4月から当館は1ヶ月程度休館している。ただ、職員は出勤しており、自宅勤務ではなかったと記憶している。開館すると他の施設と同様、館内入口を一ヶ所にして検温の機械を設置し、史料館でも閲覧室の座席数を減らすなどの対応をとった。その後、まん延防止措置によって金沢市内の博物館は幾度か休館したが、当館は図書館附属施設との位置付けもあって、図書館と連動して開館し続けた。業務内容に大きな変化があったかと聞かれれば、人数制限によって古文書講座を分割開催したことなどが挙げられるが、何かしらの業務を停止するといった大きな影響はなかったといえる。理由としては、当館が他館から史料を借用して展示する施設ではないことや(博物館などは展示にかかる借用・運搬体制など大幅な変更を余儀なくされている)、史料の収集・保存・閲覧に制限がかからなかったことがあるだろう(閲覧は若干かかってはいた)。そして遠隔勤務については、史料館の勤務は傍らに史料があってはじめて業務になることから、とかく相性が悪いという実感がある。
また、私は2020年度から大学で非常勤をしているが、むしろこちらの方が影響は大きかったと感じる。2021年夏にデルタ株が蔓延したが、そのときは対面→オンデマンド配信→対面と講義の形式がかわり、対面も受講者が多かったことから幾度も講義室が変更になった。また、冬の講義も年末までは対面だったが、年明けからは配信に変更となり、非常勤の立場としてはやや困惑した感は否めなかった。そのなかで、対面は勿論のこと、配信であっても受講する学生の意欲・熱量が感じられたことが救いだった。講義ごとにコメントを提出してもらっていたが、(対面のときも書かれていたが)配信になると入力できるためか、総じて長文になった。学生が講義を踏まえて何を感じて考えたのかが伝わるため、こちらのモチベーションに繋がったことは間違いない(ただし、そのリプライに時間をかけたことで、講義時間を相当圧迫して学生に迷惑をかけた)。
あと、ここで書くことでもないのだが、講義によってネット配信のスキルがそれなりに身に付いてしまったことは想定外だった。2020年度は当初からオンデマンドを想定したため、PowerPointで作成し、それに音声をつけて動画を作成、動画サイトにアップロードしていた。しかし、2021年度は対面を想定してWordで配布資料を作成していたため、途中で配信に切り替わったときにどう対応しようかと悩み、結果としてPDFに音声を付け、それを圧縮して動画を作成することで対応した。加えて、デルタ株が蔓延しはじめた頃には、対面で講義した自身の音声を録音し、それに画像を付けて動画を作成、その動画をアップすることで講義に出席できなかった学生にも対応を試みた。私自身、そもそも動画サイトに動画をアップした経験がなかったため、その手順も含め、思わぬ理解が進んでしまったが、それ自体楽しめた面もある。しかしながら、この作業にはかなり時間をとられたため、自身の研究活動にも影響が出てしまった。
このことは不手際でしかなく、ここで書くのも恥ずかしいが、拙著刊行後一息つこうとした頃からいくつかお話しをいただいて複数の原稿執筆を抱えた矢先にコロナが蔓延し、その対応などですべてが後ろにずれ込んでしまった。また、オンラインでの学会開催が浸透したことで、これまで参加していなかった学会にも自宅から参加できるようになり、学ぶ機会が確実に増えた一方、コロナ前に比べると慌ただしくなった。また、科研費への参加や中央学会の委員になり、打ち合わせに参加することもオンラインで容易になったが、それらの活動も結果的に(自身の遅筆を前提にして)原稿の遅れに繋がってしまった。
私のような研究費がない人間にとっては、交通費や宿泊費の負担は大きいため、オンラインが普及することでかなり助かっていることは間違いないが、一方でその費用面を自分なりの理由にして、(とくに意識することなく)研究活動の量的バランスを図ってきたことも事実だろう。あまり熟考せずに行動する私のようなタイプだと、それが良い意味での枷にもなっていたのだろうが、オンラインにより枷が外れたことで、自身の能力と研究活動の量的バランスが難しくなっている気がしている(気がするだけなら良いが、実際に現在進行形でご迷惑をおかけしている)。
正直、コロナ禍での研究活動について大きな視点で考えることはできておらず、むしろ自身の研究活動のあり方自体を問わなければいけなくなってしまった。オンラインがなくなることはないだろうし、併用が浸透していくものと思われるが、周囲に感謝しながらどのようにバランスをもって研究活動を続けていけば良いのか、模索が続きそうな気がしている。(2022年8月3日寄稿)