(会報54号の内容を転記いたしました)
ウィズ・コロナ時代の歴史研究
北川千恵
COVID-19(新型コロナウイルス)によるパンデミックに翻弄された2020年は、研究だけでなく生活全体にさまざまな制約が課せられた年だった。しかし、誤解を恐れずに言えば、2020年は、歴史研究・教育に携わる者にとって、歴史的転換期の始まりを同時代的に自分自身の体験として得ることができた貴重な一年であった。私の研究対象地域はアメリカであるが、国内各地で再燃した人種問題、ジェンダーや文化的マイノリティなどの諸問題(それらの多くはアメリカ史を貫く諸問題である)をめぐり対立する知性主義と反知性主義の相克を、メディアやネットを通して「目撃」した。トランプ政権末期の歴史的事件(連邦議会への不法侵入)やバイデン政権への移行プロセスを目撃し、そしてグローバル世界におけるアメリカの位置づけが変わりつつあることを実感した一年だった。
また2020年は、自分が研究してきた時代・地域への考察をじっくり掘り下げていく時間が与えられた年でもあったと感じている。17~18世紀英領植民地時代における天然痘、19世紀アメリカを見舞ったコレラ禍において、ピューリタン植民地の聖職者はどのような解釈を行なっていたのか、19世紀アメリカ文学にコレラ禍がどのように描かれているのか、これまで留意していなかった視点をもつことができた。
ウィズ・コロナ時代、歴史研究において、何が変わるのか、変わらないのか。2020年度末(2021年3月)時点での私の近況報告と所感を、以下に述べたい。
私の研究は、17世紀北米英領植民地におけるピューリタニズムに始まる。北陸史学会では、金沢大学大学院文学研究科在学時より大会発表と論文掲載の機会をいただいてきた。その後、ピューリタンが用いた賛美歌集についての考察を『北陸史学』に掲載していただいた(「十七世紀における『ベイ詩編歌集』」『北陸史学』第59号、2012年10月)。研究対象をアメリカにおいて賛美歌が果たした社会的文化的役割に移し、それを博士論文とし(「H.B.ストウの『アンクル・トムの小屋』における賛美歌研究」2015年、聖学院大学大学院)、最近はアメリカの賛美歌集出版史に注目している。いずれ北陸史学会で発表の機会をいただきたいと思っているが、成果をまとめるにはまだ時間がかかるだろう。
私の研究を顧みると、資料のデジタル化、オンライン化の恩恵を受け続けてきたことに気づかされる。まず、17-18世紀アメリカの一次資料は、Early American Imprints, Series 1: Evans, 1639-1800によって収集できる。これは17~18世紀アメリカで出版されたほぼ全ての印刷物-植民地特許状、商取引時の契約書、地図、聖書、賛美歌、説教集、小説、個人の日記など-が網羅的に収集されマイクロフィルム化されたコレクションである。国内では東京大学アメリカ太平洋地域研究センターが所蔵しており、必要な資料はほぼ入手できる。また、賛美歌については、アメリカ・カナダ賛美歌学会が主体となって運営するウェブサイトHymnary.org が、アメリカで出版された膨大な数の賛美歌集、楽譜を公開している。歌詞検索や、用いられている韻律(meter)による分類、作詞者および作曲者別検索、著作権の有無など、論文作成のために必要な情報の多くを得ることができる。現在私は、研究環境において「アンテ・コロナ」(アメリカ史において南北戦争前を表す「アンテ・べラム(Antebellum)」になぞらえて)とほぼ同じ状態を保つことができている。古代中世をもたないアメリカ合衆国史の特殊性による恩恵である。
ウィズ・コロナ時代、世界各地の歴史資料のデジタル化、古墳や埋蔵品や建築物など立体資料のデジタル化が、急速に進められると期待している。コロナ禍の正の遺産であると考えたい。しかし、資料の公開性が保たれているか、資料閲覧に政治的経済的格差が生じないシステムになっているか、歴史研究者の一人として常に目を光らせ続けなければならないと感じている。
ウィズ・コロナ時代は、留学や在外研究のための移動が制限される状況に否応なくおかれることになる。私たちはそれぞれの現場で、歴史認識を研鑽し、研究の質を高めていく時代になるだろう。近代史を見続けてきた私にとって、実体験的な異文化理解が困難であった時代、つまり近代以前における異文化理解のプロセスがどのようなものであったのか、比較史的視野をじっくりと広げていくチャンスが到来したのである。(2021年3月30日寄稿)
211勉強会に寄せて
大木紗英子
2021年2月11日、人間社会第一講義棟において211勉強会が開催された。211勉強会とは、能川泰治先生が近現代史ゼミの課外授業の一環として毎年行っている勉強会であり、歴史学が直面する現代的課題について考え、議論する場として設けられている。今年は、「石川の『スペイン・インフルエンザ』流行から考える―コロナ時代の歴史学―」と題し、約100年前のいわゆる「スペイン・インフルエンザ」の流行を事例に、「コロナ禍の時代に歴史学には何ができるのか」考えることを目的として行われた。
勉強会は、大きく3部に分かれており、「スペイン・インフルエンザ」の史実を再確認するパート、石川県における「スペイン・インフルエンザ」の影響について新聞史料を用いて検討するパート、そしてこのコロナ禍において知識人たちが発表してきた評論を読み、歴史学にできることを考えるパートである。
この勉強会の中で、過去から現在を考えるためのヒントとして示唆的であった点を三つあげたい。二つは、私自身が報告担当であった識者たちの提言から考えたことである。まず一つ目は、知識人たちは現在が感染症の流行によって生命が脅かされるという危機的状態であることを踏まえた上で、コロナ後の世界がどう変わるかというところに注目していることである。毎日の感染者数の増減に一喜一憂してしまいがちであり、また、コロナ対策か経済対策かというわかりやすい二項対立の構図で今を理解しようとしていた私にとって示唆的な内容であった。特に彼らが注視しているのは、民主主義の危機である。緊急事態に乗じた国家権力の拡大とそれを無批判に支持してしまう国民に懸念の声が集まっており、これは現在進行形で注視しなくてはならない点である。
二つ目は、グローバル・ノースの立場から我々は世界を、そして歴史を見ているという指摘である。感染症によってもたらされる死がもともと身近であったグローバル・サウスとそうではないグローバル・ノースという構造的な格差がコロナによって露呈したと今回取り上げた小沢弘明氏の評論では述べられている。この発言から、知らず知らずのうちに自分の視点が偏っているということに気付かされた。また、過去から現在を考えるためには、自分が世界や歴史をどのような立場から見ているのかを知ることも重要である。
最後は、能川先生から話題提供として述べられた「スペイン・インフルエンザ」が記憶されなかった理由についての考察である。多くの犠牲者を出したにもかかわらず、「スペイン・インフルエンザ」が記憶されなかったのは、第一次世界大戦が勃発していた最中のことであったからという分析が先行研究においてなされている。しかしながら、能川先生は「スペイン・インフルエンザ」が記憶されなかった理由をそのような外的要因にばかり求めるのではなく、当時の死生観といった内的要因に目を配る必要があるのではないかと問題提起を行った。このような指摘から、過去から教訓を学ぼうとするときには、単純に現象を比較するのでは十分ではなく、当時の人々の声を具体的に拾い上げる必要があると言える。
今回の勉強会は、歴史を学ぶことによって今がどのような時代なのかを考える実践的な試みであった。識者たちの提言からは、過去から現在を考えるためには大きな社会の仕組みがどう変化しようとしているのか見通す広い視野と自分がどの立場から世界を見ているのか客観的に捉える力が必要であるということが伺えた。また、過去と現在を比較する際、当時を生きた人々の声にまで目を配り、当時と現在の違いに留意する必要があるということも重要な指摘であった。今回の勉強会で得たヒントを2年目に入ったコロナ禍という現在を過去から考えるために、それから進学先での研究に活かしていきたいと思う。(2021年6月17日寄稿)
ミュージアムの可能性 ―ポストコロナを見据えて―
塩崎久代
オリンピックイヤーのはずだった2020年。新年を迎えた時には、まさかこんなにも世界が大きく変わるとは思ってもみなかった。
2020年4月に発令された緊急事態宣言により、筆者が勤務する石川県立歴史博物館も突然の臨時休館を余儀なくされた。普段であれば児童・生徒の春の遠足でにぎわう博物館はひっそりとし、4月中旬から予定されていた春季特別展はもちろん、夏・秋の特別展も翌年以降に延期となった。教育普及を担当する部署に所属する筆者は、広報や友の会・ボランティア運営などを担当していたが、2020年度の年間スケジュールはすべて狂い、状況がめまぐるしく変化する中、イベントの中止・延期の対応や人数制限といった感染防止策を検討し、決定した方針をホームページ等で発信することが業務の中心になってしまった。さらに、友の会やボランティアのメンバーも高齢者が多いことから活動停止、学校団体や中学生の職場体験もキャンセル、前年まで増加傾向にあった外国人入館者も当然ながら激減し、予定されていたインバウンド事業も取りやめとなった。「不要不急」の外出を控えなければならない=来館者がほとんどない中、自分たちに何ができるのか。そんなことを考えながら、歯がゆい思いをしていた。石川県よりも早く感染が拡大していた北海道では、北海道博物館が学校休校により家で過ごすことが多くなった児童・生徒向けに「おうちミュージアム」というオンラインコンテンツを配信していることを参考にし、これと連携してSNS(Twitter)を用いて「おうちで楽しむ石川れきはく」という取り組みを学芸員全員で行うことになった。緊急事態宣言解除後も「おうちミュージアム」には全国200余りのミュージアムが参加しており、2021年1月にはZoomでの交流会を行い、課題を共有しながら新しい生活様式の中での活動のあり方を模索している。
その後、5月はテレワークを導入し隔日出勤となったが、6月からは通常勤務に戻った。再開後の展示室では、部屋ごとに人数制限を設けるとともに、タッチパネルを用いた展示やハンズオン(触れてみる)展示、映像スタートスイッチは感染拡大防止の観点から定期的に消毒を行うことになり、映像シアターは密閉空間として中止あるいは人数制限を設けた。7月には冬に予定されていた企画展を急遽前倒しして行い、講座などもコロナ対策を徹底した上で定員を減らして再開し、春に行うはずだった特別展は10月にようやく会期を短縮して開催することができた。
誰もが経験したことのない混乱・危機に直面し、ミュージアムも大きな転機を迎えている。すなわち、これまでは入館者数(集客力)が展覧会やそのミュージアムの一つの大きな評価基準となっていたように思うが、大行列ができて混雑するような展覧会はコロナの時代には社会的に受け入れられなくなったのである。何か人智を超えた大きな存在にガツンと頭を叩かれたかのような、従来の常識・価値観を根底から揺るがす変化であった。こうした中、例えば、ルーブル美術館は所蔵する48万2000点以上のコレクションをオンラインで無料鑑賞できるデータベースを開設し、企業とコラボしてオンラインストアを拡充するよう迅速かつ戦略的に方向転換を進めており、日本でも東京などの大都市を中心にオンライン展覧会や動画配信に注力する動きが広がっている。これからは、オンラインである程度のサービスを提供できるミュージアムでないと生き残っていけないのではないかと考える。
また、展覧会・イベントさえやっていればいい、というような消費型の活動や観光客を重視するような風潮が見られるが、地元の方に愛され、求められるミュージアムであることの価値を今一度見直す必要があるのではないだろうか。感染防止策を講じた上で講座を再開した際、「こんな大変な時に、講座を開いていただき感謝します。」といった受講者の声が寄せられた。歴史を学びたい、あるいは歴史を通じて仲間や来館者と交流したい方々のニーズに応えることも大切である。展示はミュージアムの「顔」ともいえる重要な事業であり、収益・採算を度外視してもよいと言うつもりはないが、学芸員の調査・研究活動や未来を担う子どもたちの教育に資する活動はもちろん、レファレンスサービスやオンラインコンテンツの拡充、データベース構築による館蔵品情報の発信といった基盤事業を地域と連携しながら厚くし、ブランド力を高めることがポストコロナ時代のミュージアムに求められているように思う。
今年は春季特別展を予定通り開催できたが、4月30日の午後3時頃、5月1日から5日まで予定されていた体験型イベントの中止が決定し、参加者への連絡等に追われた。想定していたこととはいえ、楽しみにされていた参加者、とくに子どもたちに申し訳ない結果になってしまった。後日、体験キットをお届けすることになったが、人と人との交流の場としてのミュージアムの機能は今年も十分に発揮できずにいる。毎日マスクを着けるのが当たり前になり、最近は仕事やプライベートでPC・スマホの画面越しの「交流」をすることにも慣れてきたが、同じ空間を共有していないことが、これほど味気ないものだとは思わなかった。人と人が真の意味で交流できなくなっていることは本当に残念である。私たちが研究している歴史も、先人たちが生きた交流の中で紡いできたものなのだから。(2021年5月2日寄稿)