(会報53号の内容を転記いたしました)
パンデミック元年、史料の遺し方を考える
木越隆三
昨年の2月21日(金曜)、近所の研究仲間と会食した折、「石川県でも、ついにコロナ感染者」というニュースに接した。それからちょうど1年。パンデミックに翻弄され、様々な自粛あるいは「新生活様式」を模索する日々が今も続く。
2020年、身辺でおきたコロナに起因する生活変容、政府や自治体が繰り出した感染対策や市民の反応など、できるだけ丁寧に記録し、残せるものは残しておくべきと1年前の4月、自粛中に考えついた。
1年たって、どこまでそれができたかとなると怪しい。自粛に慣れてきたこと、記述すべきことが余りに多く、しかも不確かなことばかりで収拾がつかないためである。最初、驚きと不安から、ふと思い付いたにすぎないことゆえ慣れるに従い関心が薄れ、新生活様式が日常のなかに溶け込んでしまうと記録する意味も感じなくなったのであろう。
もうすぐ3月11日。東日本大震災と福島原発メルトダウンから10年目を迎える。あのような大災害が瞬時に起きたことに心底驚き、町内の有志と被災地に向かったが、今もっと大きな惨禍が、世界各地で緩慢に進行中なのかもしれない。
今年、齢70を迎え、70年という年月の長さを想像してみた。私は朝鮮戦争のさなか1951年1月生まれだが、同年9月のサンフランシスコ条約で占領の時代が終わり、2021年、70歳となってパンデミックに遭遇している。
これを嘉永6年、1853年の黒船来航時に生まれた人にあてはめると、1923年、大正12年9月の関東大震災のとき70歳を迎えたことになる。彼は維新変革と文明開化、また日清・日露戦争、大正デモクラシーに大震災、こうした事件や社会変容をどのように受け止めたのか、多様な反応が予想される。
関東大震災のときに生まれた人は1993年、宮沢内閣の平成5年に70歳である。大正・昭和・平成の三つの時代にまたがる。私の場合、昭和・平成・令和と三つの時代にまたがる。黒船来航から関東大震災までの激動に比べると、平穏な70年であった。高度成長からバブル崩壊を経て長期の経済不振、アベノミクスへと変転したが、総じて繁栄を謳歌した時代であった。平均余命が男子81歳、女子87歳まで伸び、百歳以上人口が6万人という数字がこれを象徴する。朝鮮戦争以後の70年、対外戦争に巻き込まれなかったという意味で「平和な70年」ともいえる。
50年前金沢大学に入学し大学院まで在籍、日本海文化研究室に3年間研究員として勤務した1970年代は、現在と連続する時代だと受け止めている。しかし、高校入学までの村の風景は、戦前農村の雰囲気が残り別の時代であったと思う。東京オリンピックと新幹線、大阪万博と高速道路網、田中角栄の列島改造で社会が一変したように思う。高校入学以前の金沢市内は石置き屋根の民家が連なり、あの姿が今も続いていたなら「世界遺産」の価値はある。だが石置き屋根を壊し、街並みを近代化したことは必然であり、逆戻りの必要はない。
今度のコロナ禍を記述するとき、covid19によるパンデミックとみて、世界的視点をもつことが重要であろう。収束や拡大を判断するときも、世界の感染者や死者の動向をみて判断すべきであろう。国内のコロナ報道は世界的視点が乏しく、報道姿勢の一国主義の狭量さが目にたつ。地元新聞ばかり読んでいると、世界のパンデミック情報が乏しく、視野が狭くなってゆく焦燥を覚える。
とりとめのない咄になったが、この雑感の目的は、2020年のパンデミックについて、100年後(西暦2120年)の歴史家たちは、どのような史料をもとにどんな評価を下すか、想像してみたい、ということにある。権力者の「自粛のお願い」だけで、なぜ抑制できるのか不思議でならない。戦時中の「隣組」の経験はないが類似するのかも。世界各地の感染状況や収束の動向から、民族や地域によってどんな変化が看取されるのか、その背景や要因はどのように考察されるのか興味深く思うからである。100年後の歴史研究者が、2020パンデミックを考察する姿勢を想定しながら、いま進行中のパンデミックをめぐり、日本人はどう対処したか記録する価値は十分ある。その際、われわれは今、このパンデミックの影響の深さを知らない、また惨禍の実情も十分知らないまま、こうした記録をせねばならない。この葛藤に気付くことも、史料批判や史料研究を行うとき有益である、ということを、ここで述べたかった。
300年前の近世史料を分析し、日々論文をまとめているが、基本となる史料の読み取りや史料批判を行うとき、歴史の証拠となる文献記録は、上述の如き葛藤のなかで書かれたものではないか。記述史料は誰が何を意図し作成したか明記されていれば、とても有難い。我々の自粛生活の記録そのものが、100年後歴史史料になるとしたら、記述動機や記述原則を明記し、記録を残すことも必要ではと思っている。
3年前、出身高校の校長から『金沢三中・桜丘高校 百年史』の編集を託され、2020年10月の記念式典にむけ刊行準備をしてきたが、パンデミックの影響で式典などすべて一年先送りとなった。これを機に2020年の金沢桜丘高校は、covid19感染拡大で、どのような事態に遭遇したか、克明に記録し残したいと学校側にもとめた。それで大正10年(1921)創立からの百年史の最後は2020パンデミックの記録で締めくくる予定である。今年はそのことに専念せねばならない。これまで現代史に向き合う時間がなく、近世史ばかりクローズアップし史料によって追体験してきた。これを機に自らの生きた時代をもっと丁寧にみていきたい。過去を読み解くヒントが沢山あるように思うからである。
コロナ禍の教育現場で考えたこと
宮崎嵩啓
これが文明化した社会の姿なのか
2011年3月11日,まだ高校生だった私は大学受験のため仙台空港にいました。辛くも難を逃れたものの,被災した地元東北の姿に,「これが文明化した社会の姿なのか」との疑問・違和感を覚え,私はその後歴史学の道に進みました。そして今,私は金沢大学附属高校に教員として勤務していますが,連日発表される新型コロナウイルスの感染者数,梅雨の終盤に奇襲攻撃のように各地を襲う豪雨,そして災害級の酷暑。「これが文明化した社会の姿なのか」との問いが,いよいよ私のなかで大きくなっています。
新型コロナは現代の黒船
最近「新型コロナは現代の黒船」が私の口癖となっています。黒船のインパクトがいかに巨大だったかは改めて語るまでもないことですが,既存の秩序は崩壊し,ペリー来航からわずか15年で幕府は滅びました。代わって誕生した明治政府は新たな時代を切り拓いた一方で,新政府誕生の陰で日本社会にはいくつもの分断が生まれました。その最たる例が戊辰戦争であり,西南戦争かと思います。翻って現代社会,新型コロナウイルスは私たちの暮らしや価値観を大きく揺さぶり,今後も揺さぶり続けることでしょう。学校生活を例にとっても,オンライン授業は当たり前になり,マスクの着用はもはや常識となっています。一方で社会全体では,いまだに感染者の責任を追及する動きも見られ,偏見や差別も深刻化しています。1年前,こんな現実を誰が予測したでしょうか。あたかもそれは黒船が来航し,それまでの常識が通用しなくなった幕末維新期と相似形をなすように私には思えました。
いま何を学ぶかが問われている
パンデミックの真っ只中にいて,私自身歴史に対する問いかけが大きく変化しました。これまでも歴史「を」学ぶのではなく,歴史「で」学びたい,そんなスタンスで授業を構想してきましたが,今の時代ほど歴史から学ばねばならない時代もないような気がするのです。今我々は「明日の暮らしはどうなるのか」,「有事に際してリーダーには何が求められるのか」など,現状の打破に向けてまさに各々が探究している最中ですが,こうした問いは歴史上何度も問われてきたのではないでしょうか。私たちは日々,様々な課題に直面しては,それを解決するために試行錯誤しています。しかし,私たちや私たちの社会が悩んでいることは大抵,先人たちも悩んでいるものです。ならば,先人たちはどう悩み,何を最終的に選択したのか,そしてその選択は最良だったのか,そこに副作用はないか,あるとすれば代替策を検討できないか。こうしたことを考えるうえで,歴史は最適な題材と言えるでしょう。
最近はオンライン授業の要請などもあり,生徒が「どのように学ぶか」をめぐって議論が盛んに行われています。「アクティブラーニング」という言葉はその代名詞です。そのことの重要性は認めたうえで,しかし,この予測困難な時代に「何を学ぶか」,ここでこそ我々教員の力が試されるのだろうと思います。そのためにはまず,我々教員が歴史に何を問いかけるかだと思います。「黒船来航に幕府はどう向き合ったのか?」「なぜ幕府は滅んだのか?」など個々の事象ごとに課題解決を試みる問いや,「なぜ対立は生まれるのか?」「異議申し立てにはどんな方法があるか?」のように人間社会に対する普遍的な問いも必要でしょう。また「なぜ近年,感染症が急増しているのか?」「ウィズ・コロナ/アフター・コロナ時代の未来予想図は?」のように,パンデミックそのものを主題にしたり,パンデミック後の時代を,歴史を手がかりに予測する視点も必要ではないでしょうか。この危機の時代に,歴史=先人たちの遺してくれた教材から「何を学ぶか」が決定的に重要だと私は思うのです。
新たな時代を切り拓く動き
コロナ禍の中で,これまでの学校文化のあり方に疑問を抱き,行動に移した生徒がいます。その生徒は「臨時休業やオンライン授業,分散登校と目まぐるしく対応を迫られる中で,私たち生徒も学校のステークホルダーなのに,学校運営の意思決定過程に参入できないのはおかしい」のではないかと考え,生徒+教員でこれからの学校について語り合う場を創ってくれました。2020年5月,生徒たちは以下のような提言をしてくれました。
実現可能かはわからないが,生徒の意見を直接先生方に,先生方のリアルな声を生徒に,そして,互いに良い学校を作るとき に,「職員会議に生徒が参加する」というのは面白いのではないかと思った。公式の場であり,容易に叶えられるものではないだろうが,まずは,生徒主催のものに先生に参加していただく,生徒が入っても差し支えのない範囲から行っていく,など,考えられることは多いと思うので,少しづつ対話を深める方法を模索していこうと思う。
生徒が学校の意思決定に直接参画するというのは,これまでの学校文化には欠如していた視点です。今までは疑うことのなかった常識が,コロナ禍を経験する中でおかしいと感じ,新たな常識を創ろうとするこの運動を(まるで自由民権運動ですが),私は非常に頼もしく感じています。
危機を経験したときこそ,人間は学びを深めてきました。生徒も教員も初めて体験するパンデミックです。かつての松下村塾のように師も弟子もなく,皆が現状を打開すべく学びを深められればと思います。
本稿は Benesse High School Online 掲載の拙稿「新型コロナは現代の黒船,いま何を学ぶかが問われている」(2020年9月7日,https://bhso.benesse.ne.jp/hs_online/info/guide/teachercolumn/vol11.html)に加筆修正を加えたものである。