私のニュー・ノーマルでの教え方・生き方
フィリップス・ジェレミー
新型コロナウィルスのワクチン接種率が日々右肩上がりに進んでいる中、まだまだ常態に戻る日は遠いようである。ただし、少しずつ近づいているのは間違いないだろう(と願いたい)。2020年初頭から、世界共通の感染禍の中、運よく、私自身も、家族や友人たちも、無事に乗り越えてきた。また、会員の皆様のご無事も祈っている。
こうした状況のもと、仕事を失った、あるいは大幅に削減された方も大勢いるなか、運よく、個人的に、コロナの影響はそれほどなく、おおむね、従来の仕事をそのまま継続できた。ただし、やはり変化はあった。
恩師である中野節子先生のおかげで、金沢大学国際基幹教育院において共通教育科目(GS科目)「日本史・日本文化」を担当する専任教員に採用されてから、もう6年目となっている。採用された理由は、英語でも授業を担当できるためであった。金沢大学の授業の英語化が進む中、授業の一部もしくは全部を英語で行える立場である。日本の大学において、日本人の学生に、日本の歴史を英語で教える意味は果たしてあるか、と疑問に感じている方もいらっしゃると思うが、英文史料のみならず、英語で講義の一部をすることによって、学生にとって新鮮な目線で自国の歴史や文化を見ることができる(のが理想である)と思う。
担当する授業は全学類の学生が対象となるので、受講生の基礎知識にはばらつきがある。誰でも楽しく受講できる講義にするため、試行錯誤ながら、反省点を踏まえて少しずつ教員として成長できるように努力してきたが、ようやくちょっと慣れたころ、コロナ禍で急遽、オンデマンド型という、まったく新しいスタイルの教法に余儀なく取り組む必要があった。どのようなフォーマットの講義がいいか、どうすればいいか、分からない点も多かった。結局、最も単純に、パワーポイントにナレーションを付けることにしたが、やはり学生に教員の顔が見えるように、場合によっては自分の話している姿を撮影して挿入して、少しでも「顔が見える講義」にしようとした。ただし、やはり学生とのコミュニケーションがほとんどとれない状態であった。アクティブラーニングをどうすればいいか、かなり迷った結果、学生から質問・感想を寄せてもらって、全員で共有する、ということにした。ただし、これで十分にアクティブラーニングになっているとは少しも思っていない。やはり、学生同士の対話が大事であると思うので、今年度からは人数が少ない「日本史・日本文化(英語クラス)」で20-30分ほどのディスカッションも行っている。
また、文化庁の依頼で、2018年から多言語解説整備支援事業の内容監修も担当している。訪日外国人旅行者が地域を訪れた際、観光資源の解説文の乱立や、表記が不十分なため、観光地としての魅力が伝わらないとの声があることから、観光庁が関係省庁等と連携して多言語解説の専門人を選定して、旅行者にとって分かりやすく、地域の面的観光ストーリーを伝える魅力的な解説文を整備し、魅力的な多言語解説文が各地で整備されることが目的である。例えば、日本人なら当たり前のことをそのまま書いたり、専門性の高い内容や細かいことを網羅的に述べたりすると、海外観光客にとって、不便を感じさせるだろう。
そのような問題点を改善するため、英語ネイティブのライターたちが書いた解説文を、歴史専門家の立場から、専門的知見を持ったエグゼクティブ・エディターとして必要に応じて歴史的事実・誤解を確認して、文章を修正する作業である。場合によっては、ライターと同行して現地を訪問することもある。自分の目で確認して、施設管理者のご説明を聞く機会があれば、より充実したリライトは可能であるが、最近のコロナ禍で現地訪問がほとんどできないため、文章のみのチェック作業になっている。
同様に、文化庁以外にも、石川県や加賀市の観光案内の監修も務めたこともある。石川県の場合、観光ウェブサイト作成業者を選定する委員会に参加させていただき、加賀市の場合、たとえば北前船に関する施設の案内版を自ら書き下ろすこともあった。分かりやすくその施設の位置づけを述べるため、当然であるが全体像や背景をしっかり把握する必要がある。その地域の歴史もしっかり確認する必要がある。そうして学んだことの中には、できれば講義内容に反映させたいと思うことも多々あった。
また、最後に個人的なことであるが、2020年末に伝統的な「アズマダチ」形式の古民家を購入して、仕事の合間を縫って、少しずつセルフ・リフォームに挑戦している。「体験型建築史」の感じで、昔の人びとの建造物・住宅に対する知恵や想いに少しでも触れることができて、伝統的な構造や建設方法も勉強できるきっかけでもある。コロナ禍のなか、このように混乱する世の中を忘れて、自分だけの世界に入り込む何かを持つ必要性がより鮮明になってきたと感じる。(2021年11月5日寄稿)
「命と暮らしを守る」とはどういうことか
能川泰治
2020年の正月以来大阪の実家には帰省していない。それ以降現在に至るまで、富山の自宅と金沢大学をひたすら往復するだけの日々を過ごしている。両親は幸にして元気でいるが、二人とも後期高齢者なので、両親の身に何か不測の事態が起きた場合どうすればいいのか、そんなことを気にかけながら毎日を過ごしている。
ただ幸いにして、私自身も家族も身内も、新型コロナウィルスに感染していないし、コロナ禍のあおりで職を失ったわけでもない。その意味では、コロナ禍によって私の暮らしが受けた打撃は軽微なものであるとしなければならない。しかし、第一波の最中に出された緊急事態宣言の下で、子どもがお世話になっている保育園から、警察や医療関係従事者のようにテレワークが不可能な家庭以外は保育園利用を自粛するように依頼する通知が届けられた時は、正直言って困った。当時私は自宅でのテレワークを余儀なくされていたが、私の仕事は子どもの相手をしながらこなせるものではない。ただし、妻が育児を交代で担当するためのシフト表を作成し、さらに妻が育児を担当する時には休暇を取得してくれたおかげで、お互いが仕事と育児を両立させることができたし、休日以外にも子どもと過ごす時間を作ったことによって、子どもと一緒に過ごすことの楽しさと大切さを再認識できた。そして、ようやくワクチンが普及するようになり、不安と緊張を極限まで高めた第五波もピークを過ぎ、各方面で規制や警戒レベルの緩和措置が進んでいる。しかし、いずれ第六波が到来することが予測されているし、海外では感染再拡大が進行している。それに、第五波の下では医療体制が崩壊寸前まで逼迫していることが報じられていたが、それに対して何か有効な対策は講じられているのだろうか。ワクチンを接種したといっても100%感染しないわけではない。もしも私が感染して重症化したら…。ウィルスが子どもにも重症化をもたらす毒素を帯びたものに変異したら…。心配の種は尽きない。
上に述べたような私の不安は、感染症がもたらす社会問題に起因するものであると同時に、現在の日本の政治が私たちの暮らしに根差した不安に向き合おうとしないことを如実に見せつけられたことにも起因している。
新型コロナウィルスが日本国内で猛威を振るうようになって以来、安倍晋三・菅義偉の両首相は、ことあるごとに「国民の命と暮らしを守ることを最優先する」という趣旨のことを公の場で発言してきた。しかし、そうは言いながらも実際に優先してきたのは、かねてからの政権の悲願であった東京オリンピックの開催とGo To トラベルキャンペーンを実現することであり、国民と感染拡大に関する危機感を共有している様子はなかった。
もちろんコロナ禍によって逼塞させられた経済活動を再開させることは大切である。それに、オリンピックを中止してしまえば、そのことによって様々な混乱がもたらされるだろう。そして何より、ワクチンの普及が菅政権の実績であることは認めねばならない。しかしそれでも、安倍・菅両政権の感染拡大問題に臨む姿勢は楽観的で、実際に感染した人びととその家族の声や、医療・教育・福祉の現場と専門家の声を聞くことよりも、オリンピック開催と経済活動再開を重視していた感は否めない。また、緊急事態宣言にしろ、飲食業界への休業要請にしろ、具体的な感染予防対策は、オリンピック開催への影響を最小限度にとどめることや、政権与党としての選挙対策や東京都とのかけひきなど、「命と暮らしを守る」のとは別次元のことが決定要因になっているとしか思えなかった。
さらに、そうした姿勢を批判されたときの両首相の対応もひどかった。今次の第五派で医療が崩壊寸前にまで追いやられていることを指摘されても、菅首相は、なぜこのような状況下でもオリンピックを開催しなければならないのかを説明しようとはしなかった。また、首相退任後の発言であるが、安倍前首相はオリンピック開催に反対する人びとを「反日的」と述べたと聞いたので、どういうことかと思って発言の出どころ(『月刊Hanada』2021年8月号に掲載された櫻井よしことの対談)を見てみたら、それは文脈としては、“野党は五輪開催問題を菅内閣攻撃のために政治利用している”とか、“反対の論陣を張るメディアが一方で開催スポンサーを降りないのはいかがなものか”というもので、反対意見に対して揚げ足取り的な議論のすり替えで対応するものであった。反対論者を「反日」扱いするのとは別次元の稚拙さが垣間見られた。
以上のように、感染症の恐怖という深刻な問題に私たちが直面しているときに、政権担当者は私たちの暮らしに根差した不安を共有しようとしなかったし、批判や異論が出たときに自らが是とする対策についての説明責任を果たそうとはしなかった。それだけ、民主主義の国であるはずの日本で、政権担当者の資質の劣化が進んでいることを、あらためて思い知らされたように思う。そうした中で、今後も感染症がもたらす不安に向き合い続けねばならないことを想起するたびに、憂鬱な気持ちにさせられるのである。
現実の政治にそのような思いを抱いていただけに、たまたま2020年度のゼミでは大正デモクラシーにテーマを定めて勉強してきたので、「命と暮らしを守る」とはどういうことなのかということについて、様々な示唆を与えられた。
例えば、授業の準備のために吉野作造が書き残した民本主義に関する複数の評論をあらためて読み直したが、論文「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」(『中央公論』1916年1月号)で民本主義を提唱してから以後の吉野は、1933年にその生涯を終えるまで、『中央公論』に評論を書くというかたちで政党政治を監視し続けていたことに気づかされた。つまり、民意を尊重する政党による政局運営および政治腐敗の一掃とクリーンな政治の実現を期待しつつ、なかなかそうならない現実の政局運営を吉野は厳しく批判し続けていたのである。その意味では、吉野は民本主義を提起しただけではなく、その後の政局運営を監視し続けることによって、模範的有権者たらんとしていたのではないかと思った。
また、最近は100年前のいわゆる「スペイン・インフルエンザ」の流行について示唆的な評論を書き残していたということで、与謝野晶子が注目されつつある。そこで私も与謝野が書き残した評論に目を通してみた。その中で特に私の目を引いたのは、官公私の衛生機関と富豪とが協力して、中流以下の患者にも薬を廉売するという方法でもって、貧しいがゆえに有効な薬を入手することができず、むざむざ助かるはずの命を落としてしまうことがないようにするべきだと主張していたこと、いわば治療と投薬の格差是正の必要性を提言していた点である(「感冒の床から」『横濱貿易新報』1918年11月10日)。それは、実際に家族の罹患とその介護という苦境を経験した立場からの、まさに生活者としての批判と提言というべきものであろう。
「命と暮らしを守る」とはどういうことか。コロナ禍の下での政治を見つめながら考えてきたこの問題については、私はまだ定見を持てていない。しかし、大正デモクラシーの時代を生きた人びとの批判と提言からは、今を生きる私たちが、有権者として生活者としてどうあるべきかということを考えさせられる。(2021年10月30日寄稿)