(会報51号の内容を転記いたしました)
平素は北陸史学会の活動に一方ならぬご助力を賜りまして、誠にありがとうございます。
さて、早速ですが、今年の11月末に予定されていた大会と総会について、大切なお知らせがございます。会員のみなさまもご承知の通り、今回のコロナ禍の状況に鑑み、事務局で5月以来大会・総会のもち方について討議を重ね、さらにそこで提議された結論を運営委員会で慎重に議論した結果、誠に残念ながら、今度の大会は中止し、総会は書面付議という方法で開催することといたしました。そのように判断した主な理由は以下の通りです。
(1)まず、新型コロナウィルスに感染するリスクを警戒しなければならない状況の長期化が予想されることが挙げられます。この文書を準備している2020 年9月10日現在の時点では、緊急事態宣言が解除された直後からの、明らかに第二波と思われる急激な感染者増加が進行しております。また、一部の専門家からは、秋以降になると、コロナ禍に例年のインフルエンザ流行が加わったパンデミックが到来することが予見されています。こういう状況からして、従来通りの時期に、従来通りの規模で大会を開催することは困難であると考えました。また、図書館・資料館の利用制限も続いている状況の下では、大会報告を依頼された側も引き受け難いでしょうし、引き受けたとしても報告の準備がままならないように思われます。
(2)会員の皆様の中からは、オンラインによる大会開催など、従来とは異なる形式での大会会開催を求める声が上がるかもしれませんが、若干名の金沢大学教員だけで事務局を構成している本会におきましては、そこまで準備することは難しいと考えます。むしろ、この1年間の非常事態への対応から習得したノウハウを、次年度以降に活かそうとする方がよいと考えます。
以上の理由により、今度の大会は中止することを決定した次第です。ただし、上記の決定は、会活動そのものを全面的に停止するのではなく、総会は書面付議という方法で開催し、しばらくは会誌と会報による活動にとどめ、その間会活動そのものが停滞することのないように、さまざまな対応を講じる、という含意です。そして、その対応の一環として、今回の会報より、「コロナ禍の下での近況報告」というテーマで、会員のみなさまの近況報告を募って掲載する特別企画を始めました。今回のコロナ禍は明らかに世界史的な出来事です。したがいまして、このコロナ禍で体験したこと、感じたこと、考えたことを記録することは、後世に引き継がれるべき貴重な歴史遺産になると思います。まずは私からささやかな随想を書きました。ご笑覧いただければありがたく思いますとともに、会員のみなさまからの近況報告をふるってご寄稿くださいますよう、お願い申し上げます。
2020年9月10日
北陸史学会会長 東田雅博
【特別企画:コロナ禍の下での近況報告】
コロナ禍と歴史学
東田雅博
今年は大会が中止となってしまいました。会長としては何か手段を探るべきだったのかも、と思いますが中止はやむ得なかったようです。来年は開催できると願ってはいますが、コロナ禍はそう簡単には終わりにはならないような気もします。
本当のところ、今年は私の最後の著書を出版しようと考えていましたがとてもそんな状況ではなくなってしまいました。そこで、その著書の原稿を前にしながら、この機会にコロナ禍と歴史学について少しばかり述べて見たいと思います。私には、もちろんコロナがこの先どうなるのかなどについて述べる力はありません。コロナとはかなり長いつき合いになるだろうし、このなかで社会の格差がさらに広がり、社会のムードもますます険悪になるだろうと思うだけです。
今われわれは何をなすべきなのでしょうか。コロナ禍で自粛に追い込まれているこの時間に自分の仕事、われわれにとっては歴史学の問題を改めて見つめ直してはどうかと思います。歴史学の可能性について考えてみたいのです。すでにペストやコレラなどの疫病の歴史はあります。改めてウイルスの歴史を辿る試みもあるでしょう。あるいは、コロナとともに大きな災害をもたらしている、環境問題を論じる必要もあるでしょう。だが、歴史学の可能性は無限です。様々な歴史を描けます。
そもそも歴史学には何ができるのだろうか。 まずは歴史とは何かという問いに答えなければなりません。E・H・カーの『歴史とは何か』はじめ多くの答えが与えられてきました。カーの「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」との誰でも知っている一節などはとりわけ読む度にうなずきつつ、しかし、これ以上の正答があるだろうかと思ってしまいます。やはりこの絶えざる「現在と過去との会話」のなかに歴史学の可能性を探るしかないでしょう。この対話のなかに浮かぶ問題をつぎつぎととりあげるしかない。歴史学の可能性は確かに無限であるが、この問題は先ずはわれわれの時代が抱えている課題を取り上げるべきでしょう。歴史学はその時代の問題を取り上げ、歴史学なりの処方箋を提出すればよいのです。それぞれの時代にとりわけ必要とする問題があり、それを集中的に取り上げるべきなのでしょう。じつは、これまでも時代のそれぞれの特有の問題を取り上げてきたのです。冷戦の問題を取り上げてきた時代もあり、あるいは文明の衝突の問題を取り上げてきたこともあります。世界システムを取り上げもしていました。
今はやはり疫病の歴史や、環境の歴史などを取り上げる時代なのでしょう。こうした問題に人は集中するだろう。しかし、これはこれとして、歴史学はじつに多くの問題を、多くの領域を取り上げることができるのだから、われわれは各人の「現在と過去との会話」のなかから生まれた問題に取り組んでいけばよいのです。
私は、これまで文明と文化の出会いで何が起こるのかという問題に関心を持ち、17、18世紀に起きたヨーロッパでの中国趣味、シノワズリーや19世紀に欧米に芸術と文化に甚大な影響を与えた日本趣味、ジャポニスムなどを研究してきました。今、目の前にある原稿はジャポニスム研究の最後の成果です。現在のコロナ禍のなかに世界に広まるアニメや和食などのクール・ジャパンの源流であるジャポニスムを探るこの著書を世に送ることもそれなりに意味があると考えています。これはコロナ禍のなかでの白日夢でしょうか。
大変な時代でありますが皆さんもお元気にお過ごし下さい。