本堂 御本尊 阿弥陀如来(元文年間)
仏殿 主尊 薬師如来
合掌殿 主尊 釈迦牟尼如来(室町時代)
五角堂 主尊 三國伝燈釈迦牟尼如来
円覚寺は元文元年(1736)に大応義全禅師を御開山として開基の鬼頭徳左衛門義仲(大庄屋、杁守役)により建立されました。
この辺り一帯が熱田御新田(通称 番割り新田)として尾張藩家老、成瀬隼人正によって干拓、開発された87年後にあたり、港では最古の仏教寺院となります。
小さな伽藍ながらも御本尊の阿弥陀如来、三十三観音、生類供養菩薩を中心に信仰を集め、地域の方々に親しまれて参りました。
昭和20年(1945)、太平洋戦争での空襲によって本堂・庫裡などの伽藍が炎上、観音堂も破損。
地域の方々の助けにより御本尊の阿弥陀如来をはじめ石仏以外の仏像は防空壕で保護され、その多くが難を逃れるが、伽藍のほぼ半分が焼失してしまいました。
努力のすえ昭和22年には本堂・庫裡が、昭和26年には観音堂が再建されましたが、それも束の間、昭和34年の伊勢湾台風により境内の一部が浸水、地域と共に大きな被害を受けてしまいました。
しかしこの時も、各方面の人々の協力を得て復興への努力がなされ、翌年には三十三観音堂、書院・地蔵堂等の建物も次々に再興され現在ではほぼ旧観に復しています。
さらに地域に寺院が少なく、檀信徒各家の宗派が混在(主に曹洞宗、浄土真宗、真言宗)していたこともあり、曹洞宗の包括法人から単立へ移行。曹洞宗系の単立寺院として仏法興隆と達磨大師の精神の高揚を本願とするお寺として再生しました。
近年、地域の発展に伴い檀信徒の数が増加を続け、平成2年には仏殿、平成16年には萬宗院・五角堂、令和元年には合掌殿が建立。地域の方々に親しまれながら、随時、寺観を整えてまいりました。
また療病院・施薬院を中心とした社会福祉の各事業、街角地蔵堂運動(寺社仏閣の少ない地域に地蔵堂を建立する活動)等の地域貢献も継承発展させています。
当時はたび重なる戦火や災害に見舞われ、多くが焼失しましたが、地域の方の協力により再興され、現在でも人々の幸せを願うお寺として広く門戸を開放しております。