円空上人が同地を訪れたのは、延宝年間で荒子の観音寺に滞在していた頃と思われます。当時この地は新田西組大庄屋鬼頭家の屋敷だった頃で円覚寺開山の五十年ほど前になります。
上人が庄屋家に一宿一飯のお礼に仏像を作ろうにも、新田が築かれて間がない同地において木は大切な燃料でした。
上人は笈(おい)の中からご自身の念持仏を取り出し、書と共に当家に残していったと伝えられます。
開基家が前新田に移るにあたり、同地に円覚寺の前身となる阿弥陀仏堂を建立し奉納していったもので、他にも大黒天が奉納され現在も残ります。
また、近年当山の信徒様により円空仏が寄贈され、現在山内には二仏の円空様がお祀りされています。