この句は松尾芭蕉が星崎にてこの地を詠んだものです。
当時、堤(現東海道)の周りには何本も桃の木があったと云われており、その前を七里の渡し船が毎日往来しておりました。
芭蕉が自分と同じ旅人を乗せた渡し船を詠んだものと想像されます。
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