円覚寺の境内では、ナンテン・ドクダミ・イチョウ・ヨモギ・ミョウガ・梅・松など、薬草と言われる草木が今でも大切にされています。
それにはこんな話が伝わっています。
昔、伊勢の里に、一度聞いたことはけっして忘れないと云う大変聡明で、尚かつ力も十人力と云う童が住んでいました。
そんな童が力を持て余し、悶々と虚しい日々を送っていたある日、得意の水泳を終え、河原で日向ぼっこをしていると、江戸帰りの村人が「尾張の熱田のお宮様は伊勢の神宮と同じくらい立派で大変な人で賑わっておった」と話してるのを聞きます。
そこに行けばなにかが見つかるかも知れない、と思うと居ても立っても居られず、童はそのままザブンと川に飛び込み、泳いで熱田の宮まで行くことにしました。
しかし、折り悪く途中嵐にあい、さしもの童も波にもまれ、一片の流木につかまったところで気を失ってしまいました。
ところかわって
その日、いつもの様に円覚寺の住職がお寺の前に広がる御新田の堤に流木を拾いに出かけると、見たことのない異形の童が木に抱きついたまま打ち上げられていました。まだかろうじて息があったので寺に連れ帰り看病をすると、童はみるみる元気を取り戻し、事の一部始終を住職に話します。
それを聞いた住職は「全て神様仏様のお導きじゃ。一度死んだも同然の身なれば、これからはその持てる力を世の為人の為に使いなさい」とおさとしになられました。
以後、寺僧となった童は、お寺の為、村人の為に田植え、稲刈り、治水作業等一生懸命に働きました。
ある年、日照りが続き、村人が大変困っていると小僧さんは、どこからともなく「虹起石」「雲根石」と云われる霊石を持ってきて、本堂に安置しました。村人達は日照りの時には雲根石に、雨続きの時には虹起石にお祈りをささげるようになり、以後、この地域には干ばつや大雨の災害がなくなったと伝えられています。
また、小僧さんは薬草にも非常に詳しく村人の頼みに応じて、様々な薬を処方したといわれています。今でも小僧さんの使用した、薬臼、薬研が残されています。(ゆえに境内に薬草が多いのです)
村人に伊勢の小法師様と親しまれ、苦楽を共にした小僧さんでしたが、住職の遷化と共に「私もこれより後、御本尊様の眷属となりて未来永劫、お寺とこの地域をお守りします」と言葉を残されて姿を隠されました。
後々、村人は「法師様は伊勢から来た天狗様で、苦労の多い新田の私達を助けに来てくれた」と信じ深く感謝し、像を造って毎年作物を捧げてお参りをしました。
現在、法師様ゆかりの神田、薬草畑は農地開放の後に住宅や施設などに姿を変え、法師様の御像は山内にて、流れ観音様(海でしがみついたとされる流木)、虹起石、雲根石と共に大切にお祀りされています。