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いつもの現パロ宗亀にD/S設定を追加した世界です。

なので職業等同じですがいつもの現パロ宗亀とは違う世界です。




夢の縫い目

3/21/2019


よろこび、とは、かくも容易く与えられて然る可きものだろうかと、亀甲は思う。

悠然とソファに腰を落ち着けた宗三の、そのゆったりと長く伸びた足元、毛足の長い清潔なラグの上に置かれた薄桃色のクッションの上に収まって、亀甲は、宗三の膝に頭を預けている。意識のすぐ近くで、時折ページを捲る音がする。乾いた、それでいてほんのりと感情的でもあるその音は、規則正しい壁掛け時計の音と重なって、静かに、不規則に、しゃくりあげるように息をする。宗三の右手は書籍に、そして左手は亀甲の頭にあった。少しひんやりとした長い指が、気まぐれに髪を混ぜる。いつも冷たいその指先が、隠しきれない心を宿して、暖かく、熱く自分に触れることもあるのだと、亀甲は知っている。その指先は、そして掌は、今はただ、なんの意図も無く亀甲を愛でていた。

部屋の中はとても静かで、時計だけが勤勉に働いている。テーブルの上のマグカップには、もう冷めてしまったコーヒーしか入っていない。今日も通いで手伝いに来ていた不動は、昼食の片づけが終わり、今は買い物に出かけている。腹は満たされ、他に気遣うべき者も無く、自らを所有する主人の足元に甘えきって、亀甲はただ、優しく頭を撫でられていた。宗三の膝は骨ばって硬く、それでも暖かく亀甲の頰を許している。

ベランダに雀が飛んで来た。その小さな足先で手すりを引っ掻きながら少しだけ鳴いて、そして、飛んで行った。亀甲は目を閉じた。平和で、あらゆる物事が満たされている。このまま、少し眠っても良いだろうか。それとも、宗三は眠るなと言うだろうか。ゆるゆるとそんな事を考えながら、亀甲は静かに深く息を吸って、穏やかに長く吐いた。閉じた瞼が、更に重量を増す。首や肩からも少しずつ力が抜けていって、頭はどんどん宗三の足に押し付けられていった。

遠くで、宗三の声がする。

眠りに落ちる瞬間というものを、人は感知する事が出来ないようになっていて、亀甲はそれが夢なのか現実なのか、もうわからなかった。重かった体がふわふわと軽くなり始めたから、きっと自分は眠ったのだと思った。宗三の手は、相変わらず亀甲の髪を撫でている。不規則に、ページを捲る音も続いていた。

平和で、あらゆる物事が満たされていた。

床に投げ出したはずの亀甲の手を、誰かが強く握るまでは。



「起きなさい」

静かな、けれど鋭い宗三の声が脳へ届いて、亀甲はぱちりと目を開いた。床に座っていたはずがいつの間にか布団の中で横になっている。白く、しゅんとした消毒液の匂いのする部屋を背景に、宗三が亀甲を覗き込んでいた。その手は、亀甲の右手を強く握っている。

「起きたよ」

状況がわからない場所で迂闊に知人の名前を呼ばないようにと、亀甲はよく躾けられている。それは、組長の弟である宗三の安全を鑑みての事でもあり、その宗三のパートナーである亀甲の安全を慮っての事でもあった。

「えらいですね。とても良い子」

宗三がそこに居て、手を握ってくれているという事実は、亀甲から十分に不安を取り除くものではあったが、命じられた通りに目を覚ました事を褒められ、宗三の顔が近づいてきたので、亀甲は満足気に目を閉じた。どこに唇を落とされるでもなく額を合わせられ、宗三はそのまましばらくそうしていた。

宗三が身を起こすと、薬研が姿を現した。亀甲はそこで、この場所が薬研の運営する個人病院の一室だと知った。起き上がろうとして宗三に制されまだ横になっているが、さきほどちらりと見た部屋の中には不動も居るようだった。

「よう、気分はどうだい?」

薬研は布団を捲りながら尋ねた。

「とてもいいよ」

先ほどまでのあの満たされた時間を思い出し、亀甲はうっとりと答えた。薬研は亀甲の全身を軽くチェックすると、布団を直してぽんぽんとたたいてくれた。寝ろと言われているように思った亀甲は、未だ手を繋いでいてくれている宗三を見やる。宗三はそれに横柄に頷いたので、亀甲はゆっくりと目を閉じる。宗三がその目元を手のひらで覆い、

「おやすみなさい」

と声をかけると、十秒もしないうちに、亀甲はすんなりと意識を落とした。



「で、どういうこった」

亀甲が眠ってしまうと、薬研は説明を求めるように宗三を窺う。

「骨折れてて気分がとてもいいわきゃ無ぇだろうよ」

布団に隠された足のギプスを、薬研は顎で指した。宗三はやんわりと亀甲の手を握ったまま、氷のような目をしている。

「何かあった時には、幸せな夢を見ながら眠るようにしてあるんですよ。起きるのは僕がそう命じた時だけ、現実に戻ってくるのも、僕がそう命じた後です」

何でもない事のように宗三は語るが、その実それはとんでもなく重要な事だった。

亀甲は、宗三のパートナーである。パートナーという関係は、性染色体によって判別される男女の性別と、未だ由来の判明しておらず全ての人間に発現するわけではないDomとSubという支配・被支配性質の、いずれか又は両方の衝動と相性によって形成され、成立する。宗三と亀甲は二人とも支配・被支配性質の保持者で相性も良く、もう何年も寄り添っている。二人がパートナーになったのはまだ子供の頃だったと言うから、二人はお互いの傍で成長し、様々な物事を乗り越えて今に至っているのだろう。

「亀甲は僕のSubです。僕以外の誰かから何かをされる事なんて…僕が許すと思いますか?」

言葉ではそうやって独占欲と不機嫌を滲ませるが、その実、亀甲に恐怖や苦痛を感じさせないのが一番の目的なのだろうと、こちらも付き合いの長い薬研と不動は理解している。宗三は左文字三兄弟の中では一番気性が荒く、そのくせ冷静に緻密に物事を組み上げる能力を持っている。敵に回すと恐ろしく厄介であるのは、左文字三兄弟の誰をとっても変わらない。今回、散歩途中の一瞬の隙を突いて亀甲を攫った者達がどこの誰であるのか、おそらく既に調べはついているだろう。宗三も今は亀甲の傍に居るために大人しく病院の個室に収まってはいるが、彼に慣れ親しんだ不動でさえ部屋の隅から動こうとしない程度には、全身から怒気を放っていた。

薬研も不動も、支配・被支配の性質を持っては居ないが、左文字組所属の病院であったり、宗三の家政夫だったりする二人は、彼らの性質についての知識と理解がある。自分のSubに危害を加えられたDomは、自らの所有物への独占欲、それを守れなかった自分への怒り、他人のものへ手を出そうとする存在への嫌悪感、その他様々な感情がこれでもかと渦巻いて、性別による伴侶を寝取られた場合以上に苛烈な怒りを宿す。今の宗三がその状態だった。宗三が亀甲を眠りに落とすのは、もしかしたらその状態の自分から彼を守る目的もあるのかもしれない。

「一晩二晩、彼を預かってもらえますか?眠っているとはいえ、トイレと食事はなんとなくできるようにはしてありますから」

組長の弟にそう言われ、薬研は断れるはずもない。

「不動も、僕が不在の間、亀甲の世話をお願いします」

こちらは質問ではなくお願いの形をとった命令だったので、不動も大人しく頷いた。

と、コンコン、とドアがノックされ、左文字の末弟である小夜とその飼い猫の歌仙が現れた。病院内にはできるだけ動物は持ち込まないで欲しいのだが、小夜が常に抱き上げて移動するという事で妥協をしてある。

「宗三兄様、捕まえて、江雪兄様のところに連れてこられたよ」

誰が誰を、という説明は無いが、充分すぎる言葉だった。小夜は、幼いながらに報復のスペシャリストとして成長しつつある。おそらく今回も、相手の素性を調べたり、身柄を拘束したりといったような事を、組の者達に混ざって学んでいるのだろう。

宗三は最後に亀甲の髪を撫でると、静かに立ち上がった。

「行きましょうか。江雪兄様が指を落とし始める前に行かなければ」

宗三、小夜という弟達を律する長兄の江雪は、その穏やかな風貌と物腰、そして物静かな佇まいから穏健派と間違えられやすいが、その実、相手に自分の敵とならない判断を促す猶予を与えているだけで、明らかな敵意に対しては三兄弟の中で一番容赦が無い。組織を束ねる者としての判断力、あらゆる手段で後顧の憂いを断つ強靭さ、泣き喚く相手を前に心を揺らさない非情さを、完璧なまでに持っている。

宗三を見送って、病室のドアが静かに閉められると、薬研と不動は深く息を吐いた。

「おっかね〜」

「亀甲に手を出すなんざ、よほどの馬鹿か死にたがりだな」

二人はようやく冷や汗をかく。宗三が居た時には、汗の一筋も許されない空気だった。

不動はいそいそとボストンバッグからブランケットを出し、亀甲の枕元に丸めて置いてやった。

「これ、家で使ってるやつ。宗三の匂いがついてると思って持ってきたんだ」

不思議そうに眺める薬研にそう説明して、不動は亀甲の寝顔をちらりと横目に見る。

「ほんと、頼むぜ…早く完治してくれよ」

「まあ、亀甲の旦那は動くなって言えば動かないだろうし薬もちゃんと飲むだろうから、治療はやりやすい方だろうな」

不動と薬研は顔を見合わせ、曖昧に笑う。

支配・被支配性質のもたらす影響というものがどういうものなのか、性質を持たない二人にはわからない。けれど、短く無い年月、宗三と亀甲を見てきた二人には、亀甲にちょっかいをかけることがどれだけ危険なのかを深く理解している。それに、亀甲は亀甲で少し変わっているけれど、穏やかで美人で、宗三を大切に思っていることも、宗三に大切に思われていることも知っている。宗三が許さないのであまり話した事は無いが、見ていて微笑ましい相手である事は確かだった。


病院の前に止まっていた車が、走り出す音が聞こえた。

薬研と不動は部屋の照明を落とし、不動は泊まるために備え付けのソファに寝床を整え、薬研は後回しにしていた仕事をするために事務室へと戻った。時計は深夜二時を少し過ぎたところだった。

平穏な夜明けまでは、もう少しかかることだろう。



〜おわり〜