指は切らずにおいてやる
4/10/2022
初対面の刀剣男士が自ら名乗る前に、その名を口にしてはならない。
審神者歴史修正主義者との争いが長引き、人手不足によりとにかく数だけを確保しようとした結果の様々な内部問題を経て、時の政府は審神者養成部なるものを作り、招集されたり志願したりで集まった者たちを教育し、そして場合によってはふるいにかけるようになった。「初対面の刀剣男士が自ら名乗る前に、その名を口にしてはならない」というのは、そこで一番最初に教えられ、一番最後まで繰り返し繰り返し聞かされる事だった。それは、政府が刀剣と交わした数々の制約の中の、一番基本的な、言ってしまえば制約以前の礼儀のようなもので、けれど、妖の類である刀剣男士にとっての名の重みを、理解しない、しようとしない、できない、考えの及ばない者は少なからず存在した。そういった者たちは、たとえ政府職員であろうとも、刀剣男士と絶対に関わることのない部署に配属され、審神者候補であった場合はその資格が永久に剥奪される。時の政府が刀剣たちと交わしたその約束の重さを知る者のみが、審神者として、刀剣たちと命を預け合い、信を寄せ合い、関係を育んだ。
その日、宗三左文字と薬研藤四郎、不動行光は、審神者と初期刀とともに、現世にある時の政府の施設に訪れていた。審神者として古参にあたる彼らの主が呼び出され、その護衛として付き添ったのだ。審神者は今、初期刀とともにとある部屋に通され、宗三たち三振は、ドアの近くで部屋の外を守っている。先日、いくつかの本丸が遡行軍の襲撃を受ける事態が発生した。宗三たちの本丸には異常無く、救援要請も来なかったので自陣の守りに徹した。しかし、彼らの主の友が一人、亡くなった。審神者はその遺品の仕分けに、呼び出されたのだった。
時の政府の施設に訪れるのは、これが初めてではない。しかし普段とは少し違う場所に、彼らは居た。審神者管理と刀剣管理の部署は今、事後処理のために、蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。そのため、亡くなった審神者の遺品の仕分け作業は、会議室の並ぶ一角の、奥まった場所に注連縄を張り、その奥で行われている。一般人は立ち入ることのできないエリアで、政府の者も皆、注連縄の奥に刀剣男士がいることも、彼らを束ねる審神者がいることも知っており、できるだけ該当場所には近づかないようにと言い含められている。何か失礼があって、貴重な戦力を失うことは、絶対に避けなければならないからだった。
閉ざされたドアの前で、三振は、会話もなく控えていた。皆、極めた姿で、刀剣レベルとやらもそれなりに高い。ドアの向こうで、審神者が涙に濡れた声で、政府の者にこれは誰それに、それは処分してほしい、これはもらってもいいだろうか、などと話しているのが聞こえる。滅多に無い、主の泣き声だった。初期刀はその隣に控え、審神者の背に手を添えているだろう、と思った。この世は何事も、運が全てだ。一つ何かが違っていれば、ドアの向こうで泣いているのは主の友人で、自分たちは主を守りきれず、本丸を守りきれず。運が良ければ遺品の一部に、そうでなければ戦場の芥と消えていただろう。審神者も、それはわかっているはずで、けれどだからといって、涙を惜しむ理由にはなりはしなかった。
審神者の作業が、そろそろ終わろうかという頃だった。少し離れた場所の会議室のドアが開いて、何人かがぞろぞろと出てきた。審神者の居る部屋から注連縄まではそれなりに距離がある。注連縄よりこちら側の会議室だったので、審神者もしくは刀剣男士の関係者であろうと知れた。宗三たちは、視線を向けもしなかった。彼らは、ドアの向こうの自らの主と、その主に害をなそうとするものの有無に気を配っている。それが、この場所での彼らの役目だった。
「宗三左文字…さん」
先ほど廊下に出てきた者のうちの一人が、宗三の名を呼んだ。宗三がそちらに視線を向ける前に、最後に部屋から出てきた政府職員が顔色をサッと無くし、
「も、申し訳ございません!」
と名を呼んだ者の頭を無理やり下げさせながら、自らも頭を下げた。
「なんですか、斉藤かな子さん。齢は二十七…三股かけて修羅場だったくせに、今も二股をかけているなんて…」
宗三は下げられた二つの頭には興味を示さず、つらつらと並べ立てた。政府職員の手を振り払って頭を上げた人の子は、怒りか羞恥か、真っ赤な顔をして口を引き結んでいる。薬研も不動も、止めに入るでもなく、ただ苦笑いをしてそんな人の子の様子を見ていた。
「なるほど、お父上に頼み込んでむりやり審神者候補になったのですね…。どおりで粗が目立つはずです。実力では何も手に入れられない…」
鋭くもなく、ただ冷めた目をチラリと向け、興味のなさそうに無感情な顔で続けた宗三は、ふと言葉を止めた。ついに震え始めた人の子が口を開こうとしたその時、宗三の守っていたドアが開き、中から審神者と初期刀が出てきた。審神者はおまたせと言いながらその場をさっと見回すと、不動に目をやった。
「なんでもないよ」
不動がそう言って笑うと、審神者は何の躊躇いもなくそれを信じた。そして、用は済んだので帰ろう、と声をかけて歩き出す。審神者がその場の人々に軽く頭を下げると、刀剣たちも目礼した。薬研は目の端で、何かを言おうとする人の子の口を、政府職員が慌てて塞いでいるのを見た。
後日、審神者のもとに、時の政府から宗三宛にと菓子折りが届いた。本当は何があったのかと問うと、宗三は、ひどい痴漢にあいました、とだけ答えた。
名乗るというのは、自分をその名で呼ぶのを許すということ。許してもいないのに気安く呼ばれることを、刀剣たちは多かれ少なかれ嫌った。だからこそ、人の子には名乗るまで呼ぶなと言い、そのかわり彼らが何を見て何を知っても、人の子が許すまでそれを口には出さない、という約束事が取り決められている。出会い頭に相手の嫌がることをしないよう、その後の関係を築きやすいようにと、審神者候補には一番最初に教えられ、一番最後まで繰り返し繰り返し聞かされることだった。その約束ひとつ守れず、どうして仲間を、ひいては歴史を守れるというのだろうか。
「そのくらいいいじゃない」
人の子が、政府職員の手のひら越しに放った言葉を、刀剣たちは皆聞いていた。ドアの向こうにいた初期刀も、廊下の出来事は聞こえており、全てを知っている。友が亡くなり、形見わけを終えた審神者が少しでも安らかであるようにと、彼らは件の人の子をその場で裁くことはしなかった。ただそれだけの事だった。
宗三が菓子折りの箱を開けると、一言だけ、メモ書きが添えてあった。件の者は、審神者資格を剥奪されたらしい。宗三はすぐにその紙切れへの興味を無くして、さっさとくず入れに丸めて捨てた。個包装された菓子は、この本丸で生活する者、全員分の数がある。久しぶりに配り歩くかと腰を上げ、宗三は、まず審神者の部屋へと向かった。
〜おわり〜