羽化にふれる
11/27/2021




「こりゃあ、俺っちじゃなくて石切丸か監査官だな」

南海太郎朝尊の瞳を覗き込みながら、薬研はそう告げた。朝尊は、刀を抱えてちょこんと座っている。覗き込まれれば素直に目を合わせ、何もわかってはいない様子で、けれど首をかしげもしない。

「この丸は?」

朝尊の座っている、地面に描かれた円を指して、薬研は尋ねた。

「よくわからないが、丸の中に居ようとするんだ。丸を描いておかないと、探しに行こうとする」

出陣先からこの朝尊を連れ帰ってきた部隊の鶴丸が、木の枝を揺らしながら言った。ふむ、と薬研はもう一度朝尊を見やる。薄汚れいて、衣類もそこかしこがほつれている。髪も乱れに乱れ、櫛は通らないだろう。目立った怪我は無さそうだが、まるで無防備な笑みを浮かべて、先ほどから一言も発さずにじっとしていた。

「やあ、待たせてしまったかな」

そこへ、畑当番だったのであろうこの本丸の朝尊がやってきた。当然のように、肥前がその三歩後ろをついてくる。走って来たのだろう、額の汗を拭いながら、朝尊の興味はすぐに目の前に座る朝尊に移ったようだった。

「目をみてみてくれ」

薬研が場所を譲りながらそう言うと、朝尊はすぐにしゃがみこんで、もう一人の朝尊に手を伸ばす。失礼するよ、と軽く言って、下瞼のあたりに親指を添えた。

「ふむふむ」

相変わらず静かににこにことする朝尊の目には、打ち消し線のように黒い線が入っている。瞳孔を覆う程の太さのそれは、虹彩から少しはみ出していて、眼球を動かすと、それに合わせて揺れた。視界を奪われているようでは無さそうだが、朝尊の様子が少しおかしいのは明らかだった。朝尊は声をかけてみたり、目の前で手を振ってみたり、肥前を紹介してみたり、座り込む朝尊を立たせて円から出し、彼が円を探してその中に戻って座り込む様子を観察したりと忙しかった。肥前はその一部始終を、ずっと見ていた。

「遅くなったね」

そこへ、長義と則宗がやってきた。誰かが呼びに行っていてくれたらしい。石切丸は遠征中とのことだった。座り込む朝尊をつ、と眺めたあと、則宗が口を開いた。

「どうだ、朝尊」

「どうやら、思考というか、意思というか…そういうものを封じられているみたいだね。好奇心も無いし、何かを疑問に思うことも無く、言われた通りに円の中で待機している。お腹が空いたり、眠くなったりという事も殆ど無いのではないかな」

「先生も、少しくらい待機っつー概念を理解してくれりゃあな…」

朝尊の説明の後、誰に聞かせるでも無さそうな呟きが、肥前からこぼれた。彼の苦労を知る者は、聞かなかったふりをして、けれど後で菓子でも差し入れようと思った。そうして、皆が聞かなかった事にはしなかったその言葉は、けれど当の朝尊には届いていなかったようで、口元に手を当てたまま、何事かを忙しなく考えている。

「おそらく人の手によるものだろうね。御守で再構築したとして、解除されるかどうかは現時点ではわからないな。石切丸くんにみてもらえばもう少し詳しくわかるかもしれないが…」

「彼が帰ってくるのは二十四時間後だよ」

「ふむ。みたところ攻撃性も無さそうだし、部屋に入れても大丈夫じゃないかな?丸を描いておけばそこに留まるだろうからね。とりあえず僕の部屋に置いておこうか」

南海太郎朝尊という刀剣男士は、若さゆえか、無頓着ゆえか、目の前で自分と全く同じ形をしている存在に対しても、そこに意思や心が見られなければ、何のためらいもなく「置いておく」などと言える者だった。周囲でちらほらと苦笑いをされている事にも気づかない。興味が無いからだろう。危険性は低いと判断された朝尊は、そこでようやく審神者へと報告がなされ、本丸に受け入れられた。処分が必要なのであれば審神者に知らせる必要は無いと、誰もが考えていたのだった。


朝尊の部屋に養生テープで円が作られると、手入れを受けて身なりのさっぱりとした朝尊は、やはり大人しくそこに収まった。猫みたいだなと肥前が言ったので、朝尊は猫の生態を一通り調べたようだったが、何も手がかりは無かった。審神者も政府に報告をしたものの、緊急性無しと判断されたのか、返事はまだ届いていない。座り込む朝尊は、食事も睡眠もとらなかった。目の前に食べ物を差し出しても、興味を示すでもなくじっと見つめて、それで終わりだ。睡眠も食事もとらないでいると、流石の刀剣男士といえども多少は衰弱の様子を見せる。その度に、審神者は朝尊を手入れした。

一週間が、あっという間に過ぎた。審神者は確認の連絡を入れたが、政府からは相変わらず音沙汰が無い。遠征から戻った石切丸も、朝尊に施されているものが人由来のものである事以外は、よくわからないようだった。肥前を伴って、朝尊は朝尊をよく観察した。記録は増えたが、新しく判明する事実は無かった。

そんなある日の事だった。朝尊は、じっと、座り込んでいる個体を見つめていたかと思うと、肥前を伴って審神者を訪った。

「手段や手法を明かすことはできないが、彼に何が起きているかを解析し、可能であれば復旧することができないでもない。どうする?」

そう告げる背中を、肥前はいつものようにじとりと見ていたし、まるで飄々と告げるその顔に、審神者は少し驚いた素振りを見せた。

「…それ、僕に言っちゃってよかったの?」

「あまり良くはないね。でも、僕は主のことはそれなりに思っているし、何も言わずに全部解決してもそれはそれで怪しいだろう」

内容を告げる事はしないが、秘密を持つ事を明かした朝尊に、審神者は曖昧に笑った。

「危険は無いよ。ただ、少しの間、眠っているような感じになるからね。緊急事態には肥前くんを寄越してくれたまえ。彼は、僕を迎えにくるのが上手だから」

そう続ける朝尊に、審神者は頷いた。

「他言はしないし、きっと政府にも言わないほうが良いんでしょう?危険や無理が無いなら、お願いしたい」

「僕も詳細を知りたいからね。感謝するよ」

ニコリとする朝尊の後ろで、肥前は小さくため息をついた。


それから朝尊は、座り込んだ朝尊に何かしらを行ってから、秘密基地とやらへ出かけた。出かけたと言っても、物理的な体は部屋に残してある。座り込んだ朝尊の隣に自分も座り込んで、居眠りをするような姿勢で置いてあった。

『南海太郎朝尊』の秘密基地は、朝尊以外が触れられないところにある。秘密基地なのだから当然だった。鳥居やちょっとした通り、はたまた森や畑など、そういった目印は何も作っていなかった。気を逸らすものを途中に置かない方が良いだろうという、朝尊達の話し合いの末の事でもあったが、何より一番は、その場所が他の誰にも見つからないようにするためだった。その場所は、政府はもちろん、審神者にも知られていない。刀剣男士の中には、その存在に気づいている者も居るだろうが、黙認されている。ふんわりと、暗闇のような、明るい場所のような、水の中のような、星空のような、洞窟のような、草原のような場所を漂ってふらふらしていくと、秘密基地に到達する。朝尊はその道筋をだれにも説明できない。これもまた、その場所を秘匿するための彼らの技術だった。

「やあ」

朝尊が挨拶をすると、その場にいた別の朝尊達が顔を上げた。三人の朝尊達が、それぞれ調べ物をしており、その奥に一人、この場所を管理する朝尊が座っている。広大な書庫に見えるその場所は、けれど、蓄えられているものはすべて、パソコンのようなもので検索や閲覧ができるようになっている。この場に、物理は存在していない。全ては概念で、厳密に言えばデータですらない。保存容量に制限はなく、修正や変更が成されれば必ずその記録も残るようになっていた。朝尊は管理人の朝尊に近づいていくと、挨拶もそこそこに話を始めた。その場にいるのはみな朝尊なので、誰も気にしない。

「九日前に拾われて来た朝尊がいるんだがね、何かが施されているようなんだ。それが何なのか、解除できるのかを知りたくてね」

「なるほどね。その朝尊の個体識別コードはわかるかい?」

「ああ。それは覗けるようになっていたよ」

「じゃあそれをここに入力してくれたまえ」

促されるまま、朝尊は画面のようなものに個体識別コードを入力した。ここへ来る前に、座り込む朝尊から特定の方法で入手してきたものだ。

全ての南海太郎朝尊には、自主的に個別識別コードが割り振られ、それぞれの個体がどの本丸に顕現され、どのように生活し、出陣し、破損し、手入れされ、何を食べ、何を楽しみ、何を楽しまなかった、などの詳細な記録が残るようになっている。もちろん政府の知るところではない。これは、文久土佐で調査を始めてすぐ、敵個体の識別方法が欲しいなあなどと考えていた時にどこかの朝尊が思いつき、他の朝尊が賛同し、オリジナルの朝尊も面白そうだと協賛し、この秘密基地とともに仕組みがつくられた。以来、先行調査中に破壊された個体のもの、戦闘中に破壊された個体のものや、問題のある本丸に顕現された個体が経験したものまで、あらゆる個体の記録が集まりに集まっている。朝尊はもともと、共感より興味が勝る性質であるので、凄惨な記録であっても、人や戦、政府を理解するために淡々とそれらを処理している。そうして今回のように、折に触れ困ったことが起きた時、本丸や政府で顕現している朝尊は、関連情報や解決策を探し、この秘密基地にやってきたりする。

「ふむ」

物理の関係ない世界なので、紐づいた情報は待ち時間皆無で手元に降りてくる。二人の朝尊は、それを興味深く覗き込んだ。

「なるほど…思考や情緒を封じ、刀剣男士を純粋な戦力として運営できないかという実験だったようだね」

「それならば、最初からそういうものとして呼び出した方が効率が良さそうだが」

「方針がそう決まったらそうする予定だったのではないかな。見たまえ。通常の出陣や遠征は問題無かったようだが、本丸が襲撃された時に誰も何も思考できず、審神者が全員に指示を出し続けられるはずもなく全滅したとある」

「確かに。うちに居る彼も、身の回りで何が起きても、自分から何かをしようとはしない」

「政府に救援要請を出した時も、あまり詳細を説明する時間も無かったようだね。事態を察した政府の僕からとにかく僕と一緒に外に出ろと言われたようだ。それが叶って、こうして君に記録が届いたというわけだね」

「審神者は、残念ながら逃げ出した先で事切れたようだ。丸だけ描いておいてくれて助かったよ」

朝尊達は、記録を読み進めていった。

「…思考や情緒は封じられているだけで、失われてはいないようだね」

「かなり強力な処置のような感じだったが」

「ふむ…君、蝶の羽化を見た事はあるかね?」

「いや、まだ無いんだ。肥前くんに蛹を一緒に探してもらっているのだけど」

「早く見つかるといいね。おもしろいものだよ。蝶は、羽化してすぐ、乾いて固定される前の翅に触ってしまうと、翅が綺麗に広がらず、一生飛べなくなってしまうんだ」

「へえ。肥前くんが好きそうだ」

「はは、たしかにね。幸い僕らは手入れが可能だから、暇な時にでも羽化してあげるといい。きっと手折った後に大泣きするよ」

「僕はあんまりいじわるはしたくないかな」

「まあそれは君たちが決めればいいけれど、とにかく、僕たちが顕現する時の、形を得た直後の、まだ形が定まっていない、その一瞬に処置をしたようだ」

「なるほど、だからその形で固まってしまって、手入れをしてもそのままなのだね」

「つまり、『直す』方法は無いね」

一通りの情報収集を終えて、朝尊達は顔を見合わせた。しばらく、沈黙が続く。

「政府に渡そうか」

「そうだね。僕もそれがいいと思う」

「政府が彼に何をするのかも興味がある」

「うん」

人の子は見ていて飽きないね、と笑い合って、朝尊は帰路についた。



座り込んでいた朝尊は、程なくして政府に引き取られていった。朝尊は審神者に、彼をどうにかできる術は無いとだけ告げた。審神者は痛ましく思っているのを隠しきれずに、けれど丁寧に朝尊に礼を言った。審神者は朝尊の調査について、政府に何も言わなかったし、朝尊も、秘密基地で得た知識を審神者に伝える事は無かった。円の中に座る朝尊が去り、本丸にはすぐに日常が戻った。

「あの先生、幸せそうだった」

肥前と朝尊が揃って馬当番の日、厩の掃除をしながら、肥前がぽつりとつぶやいた。

「僕は幸せそうじゃないということかね?」

「先生だけじゃねぇ。俺たちみんな、どっか幸せじゃねぇだろ…そういうのが無かったってことだよ」

朝尊は腕を組み、言葉を探した。

「不幸になるためには、ある程度の知性が必要だからね。君の言う『どっか幸せじゃない』というのは、自分の意志で生きているという証明でもあると思うよ。健康の一部だ」

「…あんたみたいのをぽじてぶって言うんだってよ」

「そうかもしれないね。面白そうなことがたくさんあって困るよ」

少しずつ噛み合わなくなっていく会話に、肥前は止めていた手を再び動かし始めた。掃除は、嫌いではない。少し気分がよくなる。服についた埃を払いながら、ふと、肥前はポケットに手を入れた。

「そういや、見つかったぜ、サナギ。なんの蝶かはわかんねぇけど」

つい先ほど見つけてポケットに入れておいたのを忘れていた。うっかり潰してしまう前に思い出してよかったと、肥前は草の茎のようなものと、それにくっついている蛹を朝尊に渡した。

「おお!ありがとう!楽しみだ」

朝尊はもう、馬当番の事など忘れてしまったように、色々な角度から、まじまじと蛹を観察して、口元を楽しげに緩めている。やれやれと埃を払い直そうとした肥前に、朝尊はふと声をかけた。

「知っているかね、蝶は羽化の途中で翅にさわってしまうと、そのまま固まって一生飛べなくなってしまうそうだよ」

「…ぜってぇやめろ」

「おや、そうかい?君はそういうの、好きかと思っていたよ」

肥前はそれを、否定はしなかった。けれど全てを諦めたような顔で笑って、

「俺は今の先生の世話で手一杯だよ」

とだけ言った。







~おわり~