4/10/2016












やあ、僕は歌仙兼定。歴代兼定でも随一と呼ばれる二代目、通称之定の作で、風流を愛する文系の刀さ。どうぞよろしく。そんな刀の僕が何故こうして筆を走らせているかと言えば、暇なんだ。雅でない部分は省略するが、色々あって一度折られ、昨日再び主の元へかえって来た所なのだけれどね。昨夜は色々なお祝いにとこの本丸を挙げての宴と、それから主と二人きりの宴も楽しんで、さあ今日からまた戦だと思っていたら、主が寝込んでしまったんだ。無理も無い。随分と長い間、一人で頑張っていたからね。疲れが出たんだろう。ゆっくり休養してほしいと思う。まあそんなわけで、久々の再会という事もあって、しばらく近侍を僕が受け持つ事になった。主が快復するまでは、看病役とも言うね。今も同じ部屋の中で、主がふうふう言いながら眠っている。人の身というのはどうにも脆くて恐ろしいね。薬研に看てもらったんだが、どうやら悪い病気では無さそうだ。ゆっくり休んで、きちんと元気になってほしいな。同時に、こうして人の身となるのも久々なので、僕は静かに歌でも詠もうかと、こうして墨を擦って、筆を執ったわけさ。

けれど歌を詠む前に、少し覚え書きをしておこう。先ほど薬研に言われて気づいたんだが、この本丸の仲間達は主の事を何も知らない。僕の居ない間、大事が無くて本当に幸運だったと実感したよ。今後何が起こるか分からないからね。万に一つでも僕に何かあった時には、主の事は誰かに託さなくてはならない。得てしてそういった事態というのは突然に起こるものだ。その時になって全てを伝えるなんて事は、きっと無理だと思う。だからこそ、こうして時間のある時に、可及的速やかに必要な事は済ませておくのが雅というものだ。そうだろう?


さて、主である花之の事を語るのは、少し長くなってしまう。けれど大事な事しか書き残さないからね、きちんと読んでくれたまえよ。


まずは最初に、先ほど薬研に伝えた事を書こう。主の健康のために、とても大切な事だ。

主は、本丸生まれ、本丸育ちの、生粋の本丸っ子(とでも言えばいいかい?)なんだ。だから体調が優れないからと、現世に連れて行ってはいけないよ。この本丸に来る前に一度現世へ寄った時に、それはそれは辛そうだった。彼は、霊気や瘴気、妖気の類いには慣れ親しんでいるんだが、もっと直接的な五感への耐性が殆ど無いようなんだ。本丸という空間には、霊的な事は除くとして、いつだって清涼な空気が満ちている。僕たちの衣類も全て絹、木綿、麻など、土から生まれたものだし、井戸水や畑で穫れる野菜だってそうだ。変な薬の混じっていない湧き水でできた池に、手入れを怠ればすぐに様々な草花の生い茂る土。暑さ寒さを凌ぐ方法も、僕たちの慣れ親しんだ七輪や水浴びなどが普通だろう?風呂だって薪で沸かす。例外があるとすれば厨房と厠だ。特にあの、冷蔵庫と言う箱は素晴らしい!何がどうなっているのかはよく分からないが、食べ物を保存しておけるというのは本当に素晴らしい事だと思う。厠もね、何がどうなってああなっているのか全く分からないが、白くてつやのある椅子は雅だ。

おっと、話が逸れてしまったね。とにかく、そういった本丸で生まれ育った主は、現世の空気の匂いが耐えられないようなんだ。現世に着いた途端に口を閉じたかと思うと、その数分後には耐えられなかったらしく嘔吐してしまった。僕は人の身を受けてはいるが、刀だからね。酷い匂いを嗅いだからといって、体中がそれを拒否するという反応は出ないようだ。幸運にもね。けれど主はずっと青い顔をして、香を焚き込めた僕の着物の袖を口元に当てていたよ。本当はすぐにでも本丸へ戻られれば良かったのだけど、その頃僕たちには帰る本丸が無かった。数日間は現世へ滞在しなければならないと言われていたので、せめてと頼み込んで、きちんとした畳のある部屋を一部屋借りたんだ。二日程経つ頃には主もだいぶ慣れたようで、何とか歩けるようになった。色々調べてみたんだが、どうやら現世という場所は油でできたものに溢れているんだね。建物の外を見れば地面は真っ黒だし、鉄の馬が油を食べて黒くて臭い屁を出しながら走っていた。主に会いに来る人間達は誰も彼もが油で織られた布をまとっていたし、文字を書くための道具だと渡されたぺんとやらからは、油そのものが出て来ていたよ。現世では油で文字を書くのかと驚いたものさ。ためしに書かれた文字の匂いを嗅いでみたが、墨の匂いのほうがよほど雅だったよ。


そんな訳なので、主が体調を崩しても、絶対に現世に連れて行ってはいけない。

人間の健康については、薬研か石切丸、それか宗三に相談するといい。徳川家康が不老不死を求めていたというのは有名な話だが、その関係か、宗三も色々な薬草やなんかに詳しいんだ。彼自身が二度も焼けているせいか、刀剣の不調にも少し詳しい。見た目がああだから少し近寄り難いかもしれないが、誇り高い左文字の刀さ。求められた助けをはね除けるような事は絶対にしないよ。


宗三の話題が出た所で、僕たちがこの本丸へ辿り着いた経緯を書いておこう。先ほども少し述べたが、僕たちは一時期、本丸を持っていなかった。その頃は主と僕と二人で、野宿をしながら戦場を転々としていたよ。幸い、二人とも食べられる野草の知識は得ていたし、主も、脆い人間とはいえ[[rb:男 > お]]の子だからね、胆の据わったものだった。歴史修正主義者の駒に出くわせば僕が切り捨てたし、打ち捨てられた刀を見つけては供養したりもした。通常は本丸を失った人間というのは現世に行くものなんだろう?けれど主にはその意志が一切無かった。だから僕もそういう物なんだと思って、二人で旅を続けていたんだ。とはいえ時代を移るためのからくりを使ってはどこかの本丸へ行ってしまうかもしれないからね、ひたすらに同じ場所をぐるぐると回っていただけなんだけれど。

そんなある日、僕たちはある宗三左文字と出会った。戦場の片隅で、ほぼ折れてしまった状態で蹲っていた。主は手入れ部屋が無くても少しは手入れができるから(時間はかかるけれどね)、慌てて手持ちの資材で彼を修復しようとしたよ。けれど宗三左文字は手入れどうこうよりもよほど切羽詰まった事情があったようで、主の姿を認めるなりまくしたてた。

「ああ、人間ですね…?お願いです…小夜を、彼らを、どうか…ああ…、憎たらしい…!人ごときの身で我らを貶めるとは…!…山城の…小童めが…!!ああ、どうか…どうかお願いです…!あの憎たらしい審神者…許さない…許してなるものか…!!」

とても恐ろしい姿だったよ。その宗三は自分の耳飾りをむしり取って主に投げて寄越すと、どんどんと姿を変えていったんだ。自らの鞘を握りつぶし、呪いの言葉を吐きながら鬼になっていった。僕はあれを前に見た事がある。人間達が検非違使と呼んでいるものだ。宗三を見て、僕は思ったよ。検非違使と呼ばれる者は皆、人間が嫌いなのではないかな。歴史修正主義者も、審神者と同じ人間だからね。嫌いというのは生温いだろうか。心の底から憎んでいるんだろう。刀の柄元に人間が居るのだと知っているからこそ、僕たちの前に現れるのだろうね。主も同じ事を思ったんだろう、耳飾りを握りしめたまま、瞬きも忘れて涙を流していたよ。花之は本当に泣き虫なんだ。僕は主を守らなければならないから、刀に手をかけた。正直、勝機は五分といったところだったけれど、鬼は主を一瞥すると、どこかへ消えて行ってしまったよ。きっと、どこかの刀剣の気配を辿ったんだろう。

残念な事に、刀剣が人を憎む姿を見るのは、主も僕も初めてではなかったから、どうしてそうなってしまったかの心当たりも少しだけあった。主が迷わなかったから、僕も迷わなかったよ。僕たちはからくりを使って、どこかの本丸へお邪魔した。そこから現世の某とかいう機関に連絡をとってもらい、現世に行く事になった。


現世に行って最初の数日は、前述のような状態だったので何もできなかったけれど、主の体調が落ち着いた頃、奇妙な着物を着た者達が訪ねてくるようになった。宗三が投げて寄越した耳飾りの気を辿って、彼が居た本丸を突き止める事ができたと言っていた。耳飾りを寄越したのは、あの宗三の最後の理性だったんだろう。まぁそこまでは良かったんだが、それよりも主の存在の方が彼らにとって問題だったようだ。腹立たしいがね。慎ましく生きている者のほうが、刀剣を折っている者よりも由々しいと考えるとは。今思い出しても全く腹立たしい!主は本丸という空間で、審神者同士が不貞を働いた上で生まれた存在だったから、現世の戸籍とやらに記録が無かったんだ。それどころか、どの時代に属している者なのかもあいまいだった。どうやら、主の父君と母君の出身時代が異なっているそうで、主の存在自体が現世の歴史に齟齬を与えているらしい。主はきっとこうなる事がわかっていたから、現世に来ようとしなかったんだろう。それでも宗三の仲間を助けるために現世までやってきた主の目の前で、主の存在を「無かった事にする」手段の話が始まってしまったのを見て、僕の怒りは来る所まで来てしまった。堪忍袋の緒が切れるというやつだね。僕は文系で、雅を愛する刀だけれど、だからこそ、非礼と無礼には容赦はしないよ。

確かに主の存在は、人間達にとっては困ったものなんだろう。けれどこの僕が、主の呼びかけに応えて力を貸してやろうと姿を現してやったのに、主を無かった事にするとは一体どういう了見なのだろうね。僕が手を貸してやると決めた事も、実際手を貸した事実も無かった事にして、感謝の一つも無しにするって言うのかい?思い上がるのも程々にした方が良い。この世の全ての歌仙兼定にこの怒りを伝えて、全面的に手を引かせてもらおう!勝手にするがいい!

…というような事を、僕は言ったらしい。らしいというのは、後から花之に聞いたからだ。怒りに我を忘れるというのは雅じゃないね。少しだけ反省したよ。気づけば目の前の湯のみは全員分まっ二つに割れていたし、現世の者達の首元の帯(ねくたいと言うのだったかな?)は首もとで裂けていた。あと少しで彼らの首が飛ぶところだったね、危ない危ない。何にせよ、主が僕を顕現したのがこうまでも幸いするとは思っていなかった。しきりに主自身による鍛刀と顕現を勧めたのも宗三だったと言うから、僕たちは宗三との縁が深いのかもしれない。それ以上に、宗三の慧眼が僕は少しおそろしくもあり、もちろんそれ以上に頼もしいけれどね。

そんな危ない橋を渡った甲斐もあって、僕たちは件の本丸へ行く事になった。そこの審神者を捕らえたら、本丸を立て直して欲しいと言われた。どうやらこういった事は何度か起きているようだね。問題のあった本丸で過ごす刀剣達がどうなるのか、彼らは知っていたようだったし、主も僕も知っていた。旅をしている間に、色々な刀剣と出会ったからね。僕たちに否やは無かった。汚臭の酷い現世をすぐにでも離れようと、僕たちはそのままこの本丸へやって来たんだ。


そうそう、主の生まれた本丸の事も書いておかなければね。先ほども書いたけれど、主は現世にそれぞれの家庭を持つ審神者同士が不義を働いた末の子だ。父君はその存在を知らされていなかったらしく、ずっと母君の本丸で育ったんだよ。僕はご両親の審神者名をもちろん知っているが、ここには記さないでおく。経緯がどうであれ、彼らが居なければ花之が生まれないのだから。

さて、僕が顕現されたのは主がまだ赤ん坊の頃だった。主は審神者同士の子だというだけあって、審神者に適した生まれをしたんだろうね。悲しい事だが、母君は主を産み落とした後、主への愛情と、家族を裏切ったという罪悪感に板挟みにされていたらしい。そしてとうとう、主が乳以外も食べられるようになると、さっさと刀剣達に主の世話を任せ、主がまるで存在していないかのように振る舞う事が増えていったそうだ。その様子を見た宗三が母君を上手く丸め込み(と言うと聞こえは悪いが、育児に専門の者が居た方が何かと便利だとか何とか言ったらしい)、赤ん坊だった主を式神に引き合わせ、僕を鍛刀した。刀ができても顕現までできるか少し不安だったそうだが、僕はこの通り問題無く顕現し、赤ん坊だった主を抱き上げたんだ。赤子というのはどんな動物であってもかわいいものだけれどね、主はいっとうかわいかったよ。今でもかわいいがね。ふくふくとした頬が柔らかくて、僕が触れたらそれだけで皮膚が裂けてしまうのではないかと怖かったものさ。たまに乳を吸いたそうにされたけれど、僕からは出ないからね、とりあえず抱き上げて散歩をして紛らわしたよ。おしめの取り替え方も次郎に習ったし、赤ん坊用の料理の仕方も本を見たり、刀剣達の知恵を絞ったりして何とかした。赤ん坊というのはすぐに熱を出したり吐いたりするものなんだという事も怖かった。大きく育った人間ですらあっけなく命を落とすのに、こんなにも小さくてやわいものがどうして生きられるのかと思ったりもしたよ。けれど人というのは脆いばかりでは無いんだね。夜泣きしたり人見知りしたりしながら、主は順調に育って行った。母君からの扱いはどんどんと酷いものになっていってしまったが、その分本丸中の刀剣達が主を慈しんだよ。そして僕も、育児ばかりだと練度が上がらないからと、折りをみてもう一人の歌仙と入れ替わって戦場へ出て、少しずつ練度を上げていった。この助言をしたのも宗三だったから、本当に彼には頭が上がらない。

そんな中、一つだけ僕たちが心配していた事があった。人というのは他の動物に比べてゆっくりと育つものだと誰もが思っていたんだが、どうにも主の成長が早かったんだ。おそらくは主が主軸とする時代が存在していない事や、生まれた時から人ならざる者に囲まれている事が影響しているのだろうが…成長が早い生き物というのは、その分寿命も短いものだろう?きっと主もそう長くは生きられないのだろうと、僕たちは少し寂しい気持ちになって、主を甘やかす輩が増えたものさ。それは少し危険な事だったけれどね、この僕が主の教育を任されているのだから、まっとうな人間に育て上げたさ。それはもう誰もが知っている事だと思うがね。成長の早い主は、あっという間に赤子から童へ、童から若者へと成長していったよ。所作は僕が叩き込んだんだ、それはもう雅なものさ。けれど残念なことに、意志がはっきりとしてくる頃には、母君は相当に心を病まれてしまっていた。終わらない戦にも、滅多に会えないご家族にも、そして主を身籠ってから一度も会っていない主の父君にも、心を痛めているようだった。優しい方だったのだと思うよ。加州が、何度も声をかけていた。石切丸が、祈祷をしていた。燭台切は滋養のある食事を調べていたし、長谷部ですら彼女のために花を活けた。

人も本丸も、外からの襲撃よりも、内側から崩れて行く事のほうがよほど怖いと思わないかい?自滅というやつだね。母君はとうとう、塞ぎ込んでしまわれた。きっとそこで、現世へ戻れば良かったんだろう。けれど心の片隅に、いつも素通りしているはずの主の存在があったんだ。彼女が現世へ戻れば、主の存在が明るみに出る。そうなれば現世で待つ家族はどう思うだろうか。そんな事を考えていたのだと思うよ。幸いにも彼女は、刀剣達に当たり散らすという事はしなかった。けれど、彼女の心の内は容赦無く本丸に反映されてしまうからね。庭は枯れ、池は濁り、母屋は傷んだ。刀剣達も動きが鈍り、怪我が増えていったよ。少しずつ少しずつ、彼らは瘴気を纏うようになってしまった。誰もが分かっていたんだ。このままではいけないと。けれど母君は、頑なに現世に戻らなかった。不幸中の幸いというべきか、僕は主の刀だからね、母君の影響を受ける事は殆ど無かった。僕にできたのは、少しでも多く部隊に加わって戦場へ行き、わずかでも彼らの怪我が減るように努める事だけだった。

最初に折れたのは、江雪だったよ。彼は彼で、難しく考える質だからね、色々と思いつめていたんだろう。ついに戦場で、仲間を庇って砕けてしまった。僕の目の前でね。僕は咄嗟に思ったよ、宗三と小夜に何て言おう、って。でも実際に帰還してみると、言葉なんて必要なかった。戻った者の中に江雪が居ないのを見るや否や、宗三は僕に、主を連れて本丸を出ろと言って来た。潮時だ、と。僕は驚いたよ。そんな事を言われるとは思ってもみなかった。周りを見回すと、その場に居た刀剣全員が僕を見て頷いた。

「この本丸は、徐々にその力を失っています。このままでは、敵襲を受ける日も遠くはないでしょう。僕たちは主の刀ですから、最後まであの方と共にあります…けれど歌仙、貴方は若の刀です。どうか、若をお護りください」

皆からそう望まれていると知ってしまったら、僕には頷くしかできなかった。


その日の夜の事だよ、大事件が起きたんだ。

僕は主と二人で、旅支度をしていた。現世には行かないというから、じゃあ旅でもしようという話になってね。実際はそんなにのんきなものではないけれど、何事も楽しんだ方が雅だろう?そんなわけで、主とこれからの事を考えながら話をしていたんだ。

「そういえば、この本丸から出れば、他の審神者に会う事もあるんじゃないかい?」

「そうかもしれないね」

ふと、僕は思ったんだ。そういえば主が審神者名を使っている所を見た事が無い、とね。

「君、審神者名は何と言うんだい?」

僕たちは本来、人の身を持たない妖のようなものだからね。音としての形を確固として持っている言葉というものに非常に重きを置いている。言霊というやつだね。だからこそ、容易に名を明かしはしないし、ましてや人間の名を握ろうともしない。本丸の皆は主の事を若とか若様と呼んでいたし、僕も彼の事はずっと主と呼んでいたから、名前を知らないでいるのも不自然な事じゃない。とはいえこの先、自分の主の呼び名も知らないようではいけないかな、と思って聞いてみたんだ。

「…え?」

そうしたら主は、目をまんまるにして、首を傾げるじゃないか。そんな風にして説明を求められても、こちらが質問をしている側なんだ。あの時は本当に困ったよ。

「…僕の名前は、わか、というのではないの?」

「え…!?」

「だってみんなそう呼ぶじゃないか」

なんと、主にはそれまで名前が無かったんだ!僕とした事がそんな事にも気づかないなんてと、ものすごく情けない気持ちになったよ!名も持たず、軸とする時間も持たず、本丸のような曖昧な場所に居るのだから、きっと主は現世の生き物というよりは僕たち寄りの存在として成り立っていたのだと思う。そう考えれば、成長速度がおかしかったのも少し納得がいったよ。

「主、皆が君を若と呼ぶのは、主である母君のお子だからだよ」

僕はそう言って、呼び名の習わしについて今一度主に説いた。そうしたら主は、何て言ったと思う?

「じゃあ僕に名前を付けてくれるかい」

だよ。僕は呆れるとか驚くとか以前に、反射的に口を開いていた。理屈とか道理以前に、この世にはこの世の在り方というものがある。

「僕は主の刀なのだから、主に名を与える事はできないよ」

「そうなの?」

「ああ」

「じゃあ僕の主になればいいよ、歌仙」

主はそうやってとんでもない事を言って、ふんわりと笑った。その様子を、今でもとてもよく覚えているよ。

「礼のとり方は歌仙に教わったから、きっと大丈夫だと思う。それにこれから何があるか分からないから、その方がきっと安全だよ」

主は今度は背筋を伸ばして座り直すと、美しい所作で僕に頭を下げた。さすが僕が教育しただけあって、文句の無い姿勢だったよ。

「どうか」

主にそこまでされてしまっては、断るわけにはいかないじゃないか。けれど名前だなんて、そんなに簡単に与えられるものでは無いからね。翌日、本丸を出たら与えると約束をして、その日は早めに床についた。そしてその翌朝、早い時間に僕たちは本丸を出た。皆がひっそりと見送ってくれた。その後皆がどうしているのか、僕は未だに知らないし、花之も知らない。それで良いんだと思う。全てを知るという重荷は、背負える者だけが背負えば良い。

本丸を出た後、僕は約束通り主に名を与え、ついでに花之という審神者名も二人で決めた。良い名だろう?之定の之の字が入っているのさ。真名に等しいものを主に与えた事によって、僕は主の主になった。ところで、僕は何かに名前を与えるという事をしたのは後にも先にもこれっきりなんだが、これほどやっかいな物だとは思っていなかったよ。名前をつけると情がわく、という言葉の意味を身を以て知ったんだ。それはもう、名前を与えて呼んだ途端に、まだ赤ん坊だった頃からの花之の姿が脳裏を駆け、目の前に居る花之を思わず抱きしめてしまったよ。その衝動を、人は「いとしさ」と呼ぶのだろうね。僕は自分が人の身を得た事には随分と慣れていたが、どうやら心を持った事にはあまり慣れていなかったようなんだ。歌が次々に頭の中に生まれては消えていくような心地がしたよ。正直に白状すると、それは今も続いているんだけれどね。こういう事は本人達の秘め事とした方が雅だろうから詳細は省くとして、僕たちは旅を続けながら絆と縁を深めていったんだ。

そんな風にして、僕たちはこの本丸へやってきたのさ。そこからの顛末は、知る者が知る通り。


そうそう、一つだけ、奇跡のように思われても困るからね、これだけは明かしておこう。僕は一度折られ、再び顕現されたけれど、それは縁とか運とかそういう物ではないよ。僕たちはこの本丸へ来る前に、約束をしたんだ。花之が降ろす歌仙兼定は、彼の魂が続く限り、この僕一人だけだとね。それこそ彼の名と僕の名を二つとも縛っての約束さ。お互いに違える事など絶対に無い。

僕たちの間柄は、他の者から見れば奇妙なものなのかもしれないね。けれどそんな事を気にしてどうなる。人というのは短い命で華やかに咲くものだ。僕は主の刀として、そして花之の主として、それを助け、見届け、褒めて、慈しんでやりたい。花之は頼もしい審神者だ。それはこの二年と少しの間に、本丸の誰もが認めた事だろう。そしてこれからも、歴史修正主義者との戦の中で、より多くの者がそれを知る事になるはずだ。


手慰みにと書き物を始めたはずが、随分と長いものになってしまったな。そろそろ主の寝間着を着替えさせてやらないと。汗をかいたままというのはよくない。歌はまた後で詠む事にしよう。しばらくしたら、主の快気祝いにまた宴が催されるだろうからね。









せっせっせぇの、よいよいよい









「主」

歌仙は小さく穏やかな声でそう呼びながら、眠る花之の頬にそっと触れた。いつもより少し赤味の強いそこを何となくつついていると、唸り声が聞こえてくる。

「そろそろ寝間着を替えよう」

歌仙は笑って、水の張られた桶に手ぬぐいを浸して、硬く絞る。水音に誘われてか、花之がのっそりと目を開いた。歌仙は手ぬぐいと替えの寝間着を用意すると、ぽんぽん、と布団を叩いた。

「君のおしめを取り替えたのも、ぐらついた歯を抜いてやったのも僕だ。安心して身を任せてくれ」

そう言ってゆっくりと布団をめくると、花之は突然の寒気にふるりとした。けれど歌仙は容赦はしない。てきぱきと汗で湿った寝間着を脱がせ、手ぬぐいでさっと身体を清め、清潔な寝間着を着せていく。一度布団を全て持ち上げ、籠った熱も逃がしてしまうと、布団に空気を入れ直してふわりと花之にかけなおした。

「喉は乾いているかい?」

そう訪ねれば眠そうに頷くので白湯を飲ませてやる。厠へはまだ行かないと言うので、無理に起こす事はしなかった。たくさん眠って、早く元気になるようにと、歌仙は再び、落ち着きを取り戻した布団を軽く叩き、花之の額を撫でた。隣に居るだけで、花之が熱い事がわかる。触れてみれば、より鮮明だった。赤ん坊の頃より随分と丈夫になったと思っていたが、やはり花之は人なのだと、こういう時ばかりは少しだけ落ち着かない。

「…宗三に返さないと…」

眠りに落ちる途中の声で、花之がそう呟いた。きっと、耳飾りの事だろう。花之の文机の引き出しに、それは今も入っている。この本丸に居る宗三左文字は、少し前に小夜が差し出して来た刀を、花之が顕現させた宗三だ。耳飾りの持ち主とは違う、同じ名を持つ宗三左文字。

歌仙は笑って是と言うと、花之を寝かしつけるためにその耳元に口を寄せた。

「花占(かせん)、今はゆっくりお休み」

人ならざる者に名を呼ばれた人の子は、抗う術を持たない。況や、名を与えたその者からであったのならば。

そしてその名を知るものは、本人を除けば、この世にたった一人だけ。


歌仙はそっと花之の手を取ると、軽く上下に振って笑った。





〜おわり〜