1/30/2016












月さやけき 霧立つ水面の夢にありて

いずこよりこし 花ぞ香りぬ





私は、前田藤四郎と申します。藤四郎の眷属の末席に座するものです。この度、歴史修正主義者なるものとの戦にお力添えするため、血肉を備えたこの身を得るに至りました。こうして人の形をとってなお、私達の本質は刀剣です。私たちを手にとりお使いくださる主無しには、意図せず芽生えた心も、そして存在する喜びも悲しみも、全てはただの絵空事となってしまいます。幸いにも私達は、[[rb:花之 > はなの]]様とおっしゃる審神者を主君にお迎えする事ができました。それは、とても長い道のりでした。いずれこの戦が終わり、平和が続くようになりましたら、花之様のお名前も、そして主君に仕えた私達の喜びも、人々の記憶からは忘れ去られてしまうでしょう。けれど、私の消えた後も、どうかこの喜びだけは後世に残したいと思い、今こうして、筆を執った次第です。全てを語るにはあまりにも重く、心を掌で何度も握りしめる事となります。けれど私は書き残したいと思います。主君の歩まれた道に比べましたら、私の見聞きした経緯など、取るに足らないものなのですから。


さて、何から始めればよろしいでしょうか。実は私には、花之様が当本丸にいらっしゃった頃の記憶が無いのです。後から聞いたところによれば、花之様は当本丸の二人目の審神者殿との事でした。一人目の審神者殿は、この本丸を立ち上げ、私達刀剣を集め、そして育て、慈しまれていたそうです。その頃のお話を伺った時、今剣様はうっすらと笑っておいででした。今剣様は短刀でありながら、相当な荒波を経験して来られた方ですので、時々そのように、平安じみた笑みとでも申しましょうか、目を細める事でお話を切り上げる事がございます。そのような時は大抵、岩融様がどこからともなく現れて、お二人はじゃれつくようにお部屋へと下がられるのです。そのようにして、一人目の審神者殿のお話は、あまり詳しく伺えた事がありません。ただ、とても悲しい出来事があり、その方は酷く変わってしまわれたそうです。我が子のように大切にされていた刀剣達に乱暴をはたらいたり、手入れをせずに出陣の命を繰り返し、苛立ちまぎれに刀を折るような状況がしばらく続きました。その頃には、戦場で拾われた刀は審神者殿に献上される事無く、縁ある者の部屋や軒下、屋根裏などに隠されるようになりました。私もその一振です。私は何も知らないまま、守られていました。

そんなある日、花之様が歌仙様を携え、本丸にいらっしゃったそうです。花之様は前任の審神者殿を捕らえ、本丸の外へ連れて行かれました。審神者殿は刀剣達に迎撃を命じられましたが、人の身と心を得た僥倖、私達は私達の心に従う事ができるのです。どなたも、審神者殿をお守りしようとはしませんでした。そのようにして、この本丸は花之様のものとなりました。

本丸の主になられたからと言って、刀剣達の主になるという訳ではありません。私達は顕現された際に、そのまま現世に留まるお約束と、戦の手助けをするお約束を致します。それはある種契約のようなものですが、そこには主従関係を強制する力はありません。ただ、先にもお伝えいたしましたが、私達は仕え、使われる事でこの身の意味を見出す性質を持っています。この身と心を与えられるまで、ただ見守るばかりだった人間達の『主従』という関係に憧れる者も少なくありません。故に私達は本丸の主を主君と呼び慕うのが通常です。しかし、前任の審神者殿との事もあり、花之様を主君と呼ぶ者はありませんでした。私は本丸にいらっしゃった花之様に見つけられ顕現されましたが、姿を得てすぐに一期兄上に腕を引かれ、花之様へのご挨拶もそこそこに引き離されてしまいました。私には何が起こっているのか、全くわかりませんでした。ただ、同じように、顕現されては花之様から引き離される刀剣達を何振か見ては、口を噤むしかなかったのです。人の身を得た際、私達短刀は、子供のような姿になりました。打刀や太刀のように、大きな身体を得た方々に腕を引かれれば、成す術がありません。彼らはその大きさ故に、刀であった時に人間の美しい側面を見る事が多かったのだと思います。私達短刀は、人間が綺麗なだけの生き物ではない事を知っています。そして、醜いだけの存在でもない事を知っているのです。けれど、それを一期兄上に伝えるには私は力不足で、彼らの見ていた夢も、それを壊された怖れも、私にはどうする事もできませんでした。


そのような刀剣達の気配を悟ってか、花之様は私達に何も命じる事はありませんでした。毎日歌仙様と連れ立って、荒れてしまった畑を整え、馬の世話をし、薄汚れてしまった本丸を隅から隅まで丁寧に掃除なさっていました。私が顕現された頃には刀剣達の手入れや修復も一通り終えられており、私は傷ついた方々を見た事はありませんでしたが、後から聞いた所によると、その際にも一悶着があったそうです。心というものはとても厄介で、経験や感情で容易く形を変えて行きます。一人目の審神者殿に裏切られた方々が花之様のお心遣いを受け取るまでには、相当の葛藤があった事でしょう。心を持つ者は人間も刀剣も同じなのだと思います。

歌仙様は刀剣という事もあり、花之様とは一切お言葉を交わさない一期兄上や三日月様、鶴丸様も、折りにふれお話をされているようでした。歌仙様は花之様を良くも悪くも言う事はありませんでした。私達が花之様について尋ねれば、嫌な顔一つせずに答えてくださいましたし、顕現して間もない私に、箸の使い方や髪の整え方、香の薫き込め方などを教えてくださいました。ただ一度、花之様とお話をしてみたいとお願いした際には、困ったように笑っていらっしゃいました。

「僕はかまわないけれどね、一期が心配するだろう」

そうおっしゃいました。私は一期兄上に心配をかける事はしたくはありませんでしたので、花之様にお会いする事も、そして主君と呼びたいという気持ちも、その時は諦めたのです。

そのような日々がしばらく続きました。本丸の中が日に日に清潔に、そして清浄になっていくのがわかりました。燭台切様が歌仙様と並んで厨房に立たれる事もありました。私はそうして、幾重にも氷の糸の張られたようだった本丸内の空気が、少しずつほどけていくのを感じていました。畑や厩を手伝い、そうしていつか、花之様を主君と呼べる日が来るだろうと、そう思っていました。


しかしその前に、避けて通る事のできなかったあの日がやってきたのです。


私はその日、畑のお手伝いを申し出ようと意気込んでいました。歌仙様に習ったように髪を整え、程よく香を薫き込めた外套を羽織りました。帽子を脇に抱え、花之様のお部屋へと向かいました。一歩廊下を進むごとに、空気が研ぎ澄まされていくようでしたが、それは私自身の緊張によるものだと疑いませんでした。花之様のお部屋に到着すると、お声をかけるまでもなく、縁側に面した襖が開いていました。中から声が聞こえたので、私は気配を消して、中を窺いました。

そこには、上座に花之様と、その前に白装束の歌仙様、歌仙様の両側には、三日月様と岩融様がいらっしゃいました。花之様は唇を噛んでおいででした。いつも涼しいお顔をされているその目元は赤くも青くもあり、膝の上で握られた両手は真っ白になっていました。私は息を飲み、そのまま息を潜めました。

「そなた、いつになったらここを出ていくのだ?」

三日月様が、おそろしい程に冷たい声でおっしゃいました。それを聞いて、私は理解しました。平和に見えたしばらくの暮らしも、そう見えていただけだったのだと。私達は、刀剣に宿ったものです。刀剣が貫く美しさとその真っすぐな刃の性質は、何よりも強く私達の心を支配します。前の審神者殿との思い出のある刀剣の方々は、そのまっすぐな心で人間を厭うておられたのです。おそらく花之様は、そして歌仙様も、それをご存知でいらっしゃいました。だからこそ、歌仙様は私に、花之様に会うなとおっしゃったのでしょう。

「そなたがここで真に孤独となれば、嫌気もさすであろうな」

何も答えない花之様に、三日月様はそうおっしゃいました。岩融様の手の中に、歌仙様の本体が握られているのが見えました。私は飛び出して行きそうになる自らの足を必死に踏み留まらせました。歌仙様は、ふと、笑いました。その背中から力が抜けるのを、私は見たのです。

「花之、我が主よ。君は僕が認めた主なのだから、そう情けない顔をするものではないよ」

歌仙様は、いつもの調子で話し始めました。花之様は小さく、歌仙様のお名前を呼ばれました。

「僕がこれから折られる事は、かけらも君のせいじゃない。僕の力不足さ…計算ごとは苦手でね。絶対に気に病んではいけないよ」

歌仙様が訥々と語られるのを、三日月様も岩融様も、黙って聞いていらっしゃいました。花之様は、とても怖いお顔で、歌仙様をまっすぐに見ていらっしゃいました。しばらく沈黙が続いた後、岩融様が立ち上がり、歌仙様の本体に手をかけました。歌仙様は床に手をつき、深く、頭を垂れました。

「花之様、貴方様を主と仰ぐ事、この歌仙兼定の誉れでございます。今また、主のために差し出す命のある喜びを得、恐悦至極にございます、どうか」

刀が折れる音というのは、どうしてこうも、耳に残るのでしょうか。

「お強くあられますよう」

それが、歌仙様の最期のお言葉でした。

情けないのですが、その日の事は、よく覚えていません。部屋から出て来られた三日月様と岩融様に連れられて、部屋に戻ったのだと思います。その時の私は、自分がどうなってしまったのか、全くわかりませんでした。ただひたすらに、体中が重苦しくなり、息ができませんでした。意気込んで出て行った私がそのような状態で戻ったのに驚いた同室の平野が、一期兄上を呼んで来ました。花之様のお部屋から戻った私がそのような状態であるのを見ると、一期兄上は途端に険しい顔になりました。

「何があった!言いなさい前田!」

私はそんな一期兄上が恐ろしくて、余計に何も言えなくなりました。泣き出す事もできずに居た私を救ってくださったのは、今剣様でした。

「みてしまったのですよ」

開け放した障子から顔を覗かせ、今剣様は一期兄上にそうおっしゃいました。

「ね、前田。みてしまったのですよね」

今度は私に向かってそう言われたので、私は力なく頷く事しかできませんでした。今剣様はまた、うっそりと微笑まれました。

「三日月と岩融が、歌仙をおったのですよ」


それから数日間、私はずっと部屋に籠っていました。歌仙様の折られる音が耳から頭から離れず、何かの呪いのように私の身体に巻き付いていました。そうして、一期兄上をはじめとする古株の刀剣達が乗り越えて来たものを理解したのです。おそらく、この本丸での一振目の私は、前の審神者殿にあのように折られたのでしょう。いえ、私だけではありません。考えたくもありませんが、起こってしまった悲しみは、どうあっても消す事はできないのです。塞ぎ込む私を心配して、兄弟達があれこれと話しかけてくれました。姿の見えない歌仙様の事は、既に本丸内では衆知の事となっていましたし、歌仙様に懐いていた私の事を気にかけてくださる刀剣は、それなりに多かったのです。

そんな折、乱が菓子を持ってやってきました。淡い色をしたあられでした。聞けば、数日前に花之様が買って来られ、歌仙様が乱にくださったものだそうです。歌仙様との思い出の慰めにと持って来てくれたようなのですが、そのあられを見て、私は気づいてしまったのです。塞ぎ込むべきは私ではないのだと。

私は急いで花之様のお部屋へと向かいました。あの日のように、襖は開いていました。

「花之様」

私は廊下に膝をつき、部屋の中へ声をかけました。穏やかな返事が聞こえ、机に向かわれていた花之様がこちらを振り返りました。

「お邪魔してもよろしいでしょうか」

震える声で尋ねる私に、花之様は微かに笑って、座布団を出してくださいました。このお部屋には、座布団は花之様の物の他に、一つしかありません。ずっと歌仙様が使われていたのであろうそれに、私は所作に気をつけて座りました。お茶を用意されようとする花之様を引き止めると、私は、あの日の歌仙様のように頭を下げました。

「花之様、どうか、貴方を主君とする願いを受けていただけないでしょうか」

この本丸で、花之様を主と呼ぶのは歌仙様ただお一人でした。そして、花之様が気を置かれずに接していらっしゃったのも、歌仙様お一人でした。花之様が最初から携えていたのは、歌仙様お一人でした。この部屋で寝起きし、花之様の身の回りのお手伝いをなさっていたのも、歌仙様お一人でした。しかしその歌仙様は、あの日この部屋で、嫌な音を立てて折られてしまったのです。その事実に気づいてしまうと、私は花之様が心配でなりませんでした。私は持ち主を護り、その健やかな生活をお助けするのを本懐とした短刀、前田藤四郎です。藤四郎の眷属の末席に座するものですが、だからと言って自ら何も行動を起こせない訳ではありません。人の身と心を得た僥倖、私達は私達の心に従う事ができるのです。

「前田様、お気持ちは大変ありがたく、この上ない栄誉でございます。けれど、そのお心を花之に向けてはなりません」

花之様は穏やかに、そして酷く暖かに、そうおっしゃいました。私は顔をあげ、何故、と問いました。花之様はまっすぐに、私を見ておられました。

「歌仙が折られたのは、私があれの主であったゆえにございますよ。前田様はご兄弟も多いのです。皆様を大事になされませ」

「しかし、それではどなたが花之様をお護りするのですか」

「私には歌仙が居ます」

食い下がる私に、花之様は視線で床の間を示されました。目を向けると、おそらくは鞘の中で折れているであろう歌仙様の本体が置かれていました。しかしそれはあくまでも折れた刀であり、歌仙様の気配は全くいたしませんでした。にも関わらず、私には、歌仙様が誇らしげに笑っておられる様子が目に浮かびました。そしてそれを、心底羨ましいと感じたのです。奥歯を噛み締める私を見て、花之様は微笑まれました。

「前田様、私にも主がございます。次はいつ会えるやも判らぬお方ですが、私は主と約束をいたしました。皆様のお心を慰め、健やかに笑ってお過ごしいただけるようにできる限りの事をする、と」

そこには、私達の憧れて止まない、人間達の主従の絆がありました。

「もう、お一人でここへ来られてはなりませんよ」

花之様はそうおっしゃると、私が部屋を辞すまで、ずっと頭を下げておいででした。


花之様のお部屋を下がると、私はその足で一期兄上のもとへ向かいました。その時の衝動を、何と表現してよいものか、未だに判りかねます。酷く腹立たしいような、悲しいような心持ちでした。主君と仰ぎお護りしたいと願った相手に頭を下げられ、もう来るなと言われたのです。けれど幸いな事に、その勢いのある心の動きは、私を前へ前へと進ませました。半ば、意地になっていたのかもしれません。どうにかして花之様を主君とするために、私はできる事を全てやろうと思ったのです。

一期兄上は、中庭で布団を干していらっしゃいました。布団を干すと気持ちよく眠れるので定期的に干すようにと、歌仙様から教わった事でした。その時の私は、歌仙様の思い出が引き金となり、余計腹が立ってしまいました。お恥ずかしい事ですが、相当鼻息荒く歩いていたのでしょう。一期兄上はすぐに私に気づくと、手を止め、こちらに向き直りました。

「前田?」

一期兄上が地面に膝をつき、私と視線を合わせました。そう、私は短刀の前田藤四郎。この身は小さく、この掌も小さく、護れるものなど、そう多くは無いのです。

「何故、花之様を主君としてはいけないのですか?」

私がそう尋ねると、一期兄上が息を飲まれました。優しげな目を大きく開いて、私の頭を撫でようとしていた手は宙で止まりました。

「何故、歌仙様はあのような事に?この身を得た私は、主君を持たず何をすれば良いのですか?私は短刀です、主君のお傍にあってお護りするのが喜びです!何故それがいけないのですか?花之様は徒らに刀を折るような方ではありません!花之様の刀を折ったのは、私達ではありませんか!」

この身を得て初めて大声で喚く私に、一期兄上は驚いていらっしゃいました。当然です。私自身も驚いていたのですから。刀の身であった頃には考えられない事でした。自分の声がどんどんと大きくなっていく事も、非礼を承知しながらも言葉を止められない事も、ついに、握りしめた両手で一期兄上の肩を叩いてしまった事も。

「前田」

「花之様が何をしたと言うのです!あの方はここへ来られて、畑をなおし、馬達の面倒を見て、菓子を買ってくださり、この場所の汚れを拭き落としてくださいました!何故歌仙様は折られなければならなかったのですか?私は前の審神者殿の事は存じませんが、酷いのは私達ではありませんか!」

「前田!」

叫び続ける私の肩を、一期兄上は強い力で掴みました。その瞳が燃えているようで、私は途端に声が出なくなりました。

「知らない事を知るというのは、元に戻れない道を歩むのと同じ事だ」

そう言うと、一期兄上は、強く私を抱き込みました。その腕は酷く震えていました。

「お前も知っただろう、目の前で刀が折られるというのがどういう事なのか…私はもう、お前達が誰一人として折られる所を見たくない」

耳元で、一期兄上の息も、震えていました。息というものは「生き」にも通じるのだと、以前に歌仙様がおっしゃっていました。雅を愛するあの方は、言葉の綾を大切になさっていました。歌仙様は花之様に、強くあれとおっしゃいました。あれは、花之様だけに向けられていたのでしょうか。

「一期兄上」

私は何とか声を絞り出して、随分と大きなはずの一期兄上の背へと両手を回しました。この身の大きさでは、縋り付くように見えていた事でしょう。けれど私は、いつも一期兄上がしてくださるように、兄上を抱きしめて差し上げたかったのです。

「元に戻れない道を、あなたは歩んでいるのですか?その道の上で、立ち止まっていらっしゃるだけではないでしょうか」

「前田」

「退く事のできない状況で前に進むという事は、それほどまでにおそろしい事でしょうか?顔を上げ、目を開いても、そこには後ろしか見えませんか?貴方の後ろには、花之様はいらっしゃいませんよ…!」

一期一振という刀は、粟田口吉光の手による唯一の太刀です。磨上げや再刃を経てなお、その気高さを失わない立派な刀です。私はそんな刀が兄上である事を、心から誇りに思っています。

一期兄上は私を抱いていた腕に力を込め、しばらくそのまま息を詰めていらっしゃいました。私はもう何も言う事ができず、鼻の奥がつんとするのを、ただひたすらに耐えていました。


私達は同じ家の中で、皆がそれぞれ歩んで来た道を振り返っていたのだと思います。今に至るそれぞれの道は、決して同じではありません。この先歩んで行く道も、全く同じでは無いでしょう。けれど、その道の隣を花之様が歩き出した事に気づきながらも認めようとせず、その場に立ち止まっていたのだと思います。花之様はそんな私達を見て、自らも歩みを止め、私達が歩き出すのをお待ち下さっていたのです。私達は皆、正しく刀剣なのです。意味も無く生まれたわけではありません。人の手によって作り出され、呼び起こされ、そして、振るわれる事を喜びとします。いつまでも立ち止まっているのは、私達の本来の姿ではないのです。


その日、布団を干し終えた一期兄上は、粟田口一同を部屋に集めました。私達兄弟は数が多く、揃うと実に十三振にもなりますが、きちんとした席での座順は決まっております。皆迷う事なく腰を下ろしました。普段はあまり部屋の外を歩き回らない者もいますので、久々に顔を合わせる者同士もあったようです。一同が落ち着くと、上座に座った一期兄上が口を開きました。

「何だか、こうして揃うのは久しぶりだな…」

ため息のようなその言葉に、どれほどの感慨があったのか、私には判りません。けれど以前から変わらずここにある薬研や乱などは、明るく笑いました。

「だっていち兄ってば、いっつも怖い顔して布団干してるんだもん…せっかく新しい主が来たって言うのに、本丸の中も何だかピリピリしてるしさ〜」

「ぼ、僕たちは…その…新しい主様に、お、お会いする事はできないのでしょうか…?」

「俺っち達はな、いち兄。ずっと待ってるんだ。いち兄達が人間を克服するのをさ」

次々に続けられた言葉に、一期兄上は驚いていらっしゃるようでした。正直、私も少し驚きました。花之様の事は口に出してはいけないという空気に飲まれ、兄弟達ともあまり話をした事はありませんでしたが、おそらく皆、私と同じような気持ちであったのでしょう。私達短刀は、主人の身の安全が、とても気になるものなのです。短刀ではなくとも、好奇心旺盛な鯰尾兄上や、私と同じ時期に顕現された鳴狐兄上と骨喰兄上も、おそらくずっと花之様の事を気にしていらっしゃったはずです。一期兄上は一度目を閉じ、大きく息を吐かれました。

「…情けないが、他の者がどのように思うのかは、私にはまだわからない。けれど、私の小気でお前達の自由を奪っていた事は、ここに謝罪したい。すまなかった」

頭を下げる一期兄上を、誰も止める事はしませんでした。そして皆が、その謝罪を受け入れました。

「お前達が花之様にお仕えしたいというのは、間違いないか」

顔を上げた一期兄上は、そう言って一同を見回しました。各々がしっかりと頷きました。一期兄上は最後に私と目が合うと、一つ笑い、立ち上がりました。

「皆、身なりを整え、すぐにここへ戻るように。前田、お前は花之様へご都合のお伺いを。鳴狐、何か菓子を包んでくれるか」

一期兄上の凛とした声を、久しぶりに聞いたような気がしました。私達は一も二もなく返事をし、立ち上がりました。

こうして私達粟田口一同は、花之様をご主君とする事ができました。私達を率いた一期兄上が主君のお部屋で頭を下げた時、主君は少しだけ震えておいででした。そしてそれ以上に、私達の心は震えていたのです。


さて、主君の顛末はこれで終わりではありません。私達が花之様を主君として、実に二年もの月日が経ちました。他の刀派のご事情を私が語るのもご無礼かと存じますので、その後の事はここでは控えさせていただきます。けれど、これだけは書き残さねばなりません。主君は二年の時をかけ、全ての刀剣と主従の絆を結ばれました。最初は私達粟田口、最後は歌仙様を折られた三条の皆様でした。彼らの間に何があったのか、詳しくは存じ上げません。しかし、もうずっと当本丸にいらっしゃったという石切丸様をはじめとした大太刀四振がそのお姿を現すと、三条の皆様はすぐに膝を折ったと聞き及んでおります。私も大太刀の皆様を見るのは初めてでした。神社にお住まいだという方々からは、歌仙様に教えていただいたものとは異なる香りがいたしましたし、その大きさに驚いたりもしました。

それが、つい数日前の事です。二年前より近侍を多く勤めております私は、三条と大太刀の皆々様がずらりと頭を下げたその日も、主君のお傍に控えていました。何か償える事は無いかと尋ねた三日月様に、主君はこの本丸へ来て初めて、願い事を口に出されたのです。


そして本日、その願いは聞き届けられる運びとなりました。ああ、私は今でも信じられない気持ちでいます。本日、主君は折れていた歌仙様を玉鋼に戻し、新たに鍛刀をされました。この本丸での主君の鍛刀は、初めての事でした。皆、主君がどなたを打っているのか、判っていたのだと思います。そして同時に、一度依代を追われた私達が、同じ記憶と心を持って違う依代に降ろされる事など無いのだと、主君に言えずにいました。主君は一言も、何も、おっしゃいませんでした。いつものように静かな佇まいをして、決して乱れない呼吸を続け、強い瞳をされていました。

刀を打ち終わり、主君が歌仙様を手にお部屋へ戻られる時、近侍の私もそれについて行きました。お二人にした方が良いのかとも思いましたが、主君の知らない歌仙様と二人にしてよいものかどうか、心を決められずにいました。廊下ですれ違った者は皆、主君の手の中にある歌仙様を見ては、覚悟を決めたように主君を見ました。主君は、足を速めるでもなく、常と変わらない堅実な足取りで、お部屋へ戻られました。


お部屋へ戻られた主君は、上座へあの座布団を出し、その上へ歌仙様を置かれました。私は部屋の隅に控え、座布団の上に人の形をした歌仙様が現れるのを見ていました。きっと、間の抜けた顔をしていた事でしょう。刀が顕現されるのを見るのは初めてだったのです。歌仙様がそのお姿を結ぶのを見届ける前に、主君は突然、歌仙様に頭を下げました。その上に、桜でしょうか、桃色の花弁がひらりひらりと散りました。歌仙様でした。

「やぁ花之。君なら必ずやり遂げると、信じていたよ」

私は驚きのあまり、声を出すどころか、息をする事も忘れていたと思います。現れた歌仙様は、二年前に折られたはずの、あの歌仙様だったのです。

「ありがたき、お言葉…っ!」

そう言って泣き崩れる主君に、私は理解しました。花之様のご主君とは、歌仙様であったのです。お二人は、お互いにお互いのご主君でいらっしゃいました。私達のような曖昧な存在にとって僕を持つという事は、自らの個を強めるという意味もあるのです。人間が自らを見出すために、他人との接触を必要とするのと同じです。

「こらこら、そんな風に泣くんじゃない、君は僕の主なのだから、しゃんとしてくれ」

主君の身の内に、これだけの水源があった事を、私は知りませんでした。歌仙様が懐から懐紙を取り出して主君の顔を拭こうとすると、主君は慌てて自らのてぬぐいをお出しになりました。

「懐紙は痛いからいやだ」

「まったく、君ときたら」

まるで見た事の無い主君が、そこにはいらっしゃいました。子供のように口をへの字にし、止まらない涙を隠しもせず、必死に鼻をすすり、歌仙様に縋り付いておいででした。そんな主君をあやすように抱きしめ、その髪に頬を寄せていた歌仙様が、ふと、こちらを見ました。私は静かに、部屋を辞しました。


自室へ戻ると、平野がお茶を淹れてくれました。鶯丸様からいただいた、玄米茶だそうです。乱が、桜餅を持ってやってきました。淡い桃色が、先ほどの歌仙様を思わせました。二人が何も言わないので、私も何も言わないまま、桜餅をいただきました。塩漬けにされた葉が、鼻の奥をつんとさせました。

「…歌仙様が、戻られました」

私が静かに告げると、平野と乱は目を丸くしました。二の句を継ぐ前に、乱の叫び声で、耳がおかしくなるかと思いました。その声を聞きつけた一期兄上や他の兄弟達、そして、主君と歌仙様を気にしていたのであろう皆様が、わらわらと姿を現しました。皆様に歌仙様の事を告げると、わっ、と宴の準備が始まりました。泣いている方もいらっしゃいました。私にとっては初めての宴で、右も左もわからずに居ると、一期兄上がそっと頭を撫でてくださいました。

「お前も、主役の一人だよ。まずはほら、桜餅をいただきなさい」

「…はい」

そして私は改めて、花之様を主君と仰ぐことのできる喜びと、そして誇りを、この心に知ったのです。


どうか、幾代の先、全ての争いが無くなり、何もかもが忘れ去られたとしても、この覚書がのこりますように。私の書き残した花之様のお強さと、歌仙様との絆が、多くの人々の心に触れますように。そして、この本丸の刀剣達の誇りが、末永く語り継がれますよう。今宵は宴ですが、私は明日からも、変わらずお勤めを果たす所存です。



記 前田藤四郎








すき、きらい、すき、きらい、すき









翌朝、前田藤四郎がいつものように主君の部屋へ足を運ぶと、歌仙兼定が縁側で煙管をくわえていた。ふと向けられた視線に、前田は、主人と歌仙との間に何があったのかを察し、はにかむように笑った。短刀とは、機微に聡いのである。

「おはようございます」

「ああ、おはよう」

前田が歌仙の隣に腰を下ろしながら挨拶をすると、歌仙は静かに煙管の灰を落とした。池の鯉が跳ねる音がする。穏やかな朝だった。視線を巡らせれば、廚から湯気が上っている。燭台切が朝食の準備をしているのだろう。厩からは、馬のいななきと、誰かの叫び声が聞こえる。ここからは見えないが、畑にも誰かが水をやりに行っているだろうし、血の気の多い者たちは道場で朝食前の手合わせを行っている事だろう。

ぼんやりとそんな事を考えていると、

「花占いというものを知っているかい?」

と、歌仙から声をかけられた。前田は一瞬首を傾げたあと、素直に知らないと答えた。歌仙は庭に降りると雑草を掴み、それを掲げて見せた。

「これは葉だけれど、本来は花で行うんだ。こんな風に一枚ずつ、花弁をちぎって、恋や何かを占うものだよ」

すき、きらい、すき、きらい、と唱えながら、前田の目の前で、歌仙は全ての葉をちぎった。葉の数は奇数だったので、すき、と最後に呟いて笑う。

「花は、探せばいくらでもある。望む結果が出るまで、何度でも続ける事ができるのさ。けれど諦めてしまえば、それで終わり」

歌仙は手に残った草を払いながら、優雅な仕草で立ち上がる。

「ずっと、見ていたんだ」

僅かな風が揺らした葉の音に乗せて、歌仙が口を開いた。

「ありがとう」

花之を主君と認めてくれて。寄り添ってくれて。支え、気遣い、そして見つめてくれて。

花を探し続ける———生き続けるという事は大層な事だ。それは強く、そして難しい。まして、孤独と戦いながらそれをするとなると、諦めへの誘惑はより強くなる。三日月はそれを知っていたからこそ、あの日、歌仙を折ったのだった。

「はい」

前田は短く答え、笑った。

それを見ると、歌仙は静かに襖を開けた。部屋の中、花弁をまとった前田の主君が、布団にくるまって団子のようになっている。

「おはようございます、主君。お加減はいかがですか?」

「さあ、今日は何して過ごすんだい?」

畳の上と、布団の上と、そして花之の肌の上と。

この部屋の中の花弁の数は奇数なのだろうと、前田は思った。





〜おわり〜