丑三つ時のめざめ
8/15/2024
実休は、穏やかに暮らしていた。
家賃の安い小さなアパートは、それでも風呂やトイレは各部屋についている。洗濯機を置くスペースは無かったから、近所のコインランドリーを利用していた。小さなコンロと適当な鍋があれば、困ることはなかった。どうやら世の中の多くの人々はスマートフォンを持っているようだったけれど、最低限の連絡先を作れと持たされた携帯電話は、たまに思い出して充電をされる以外は、上着のポケットの中で眠っている。朝と呼べる時間に家に帰って、陽が落ちきる前に目を覚ます。夜が更けたら家を出て、少し歩いたところにあるコンビニエンスストアで働いた。生きることに情熱は無かったが、不満も無かった。家賃や水光熱費は滞納したことが無いし、食うに困ったことも無い。病や怪我も無く、ご近所トラブルも無い。実休は、とても穏やかに暮らしている。
深夜のコンビニには、元気溌剌な客は殆ど来ない。泥酔しているか、なんらかの薬物の影響下にあるか、はたまたプロポーズに成功したか、子供が産まれたか。そういったケースを除いて、みな静かで、ぼんやりと薄い霧を纏っていた。だから実休も、万引きや犯罪には気を付けるものの、愛想を振り撒かなくてよかったし、吶々と作業をこなせばよかった。商品が多少ずれて並んでいても気にならなかったし、けれど冷蔵ケースのドアが少しでも空いていればすぐ気づくことができた。実休の時間帯はいつも、スタッフは彼一人で、やることがない時間は、ぼうっとレジの前に立っていた。蛍光灯の音と、空調の音と、思い出したように響く家鳴りと。静かな静かな夜を、いくつもいくつもそうして過ごした。
来店があると、店内に電子音が鳴り響く。実休は、その音でいつも我に返った。
「いらっしゃいませ…」
ぼそぼそと、反射的にそう口にする。ちらりと客を見ると、彼も実休を見ていたようで、パチリと目が合った。桃色の髪を派手にセットした、派手な男がニコリと笑った。
「久しぶりですね。元気にしていましたか?」
「え…?」
桃色の男は店内を見回し、他に客が居ないのを確認すると、するりとレジへ歩み寄った。先ほどの問いへの答えを促すように、微かに首をかしげる。ふわりと動くその髪を、実休は思わず目で追ってしまった。
「実休…?」
名を呼ばれ、ぽかんと開けていた口を一度閉じ、また開く。
「僕のこと…知ってるの?」
実休がそう言うと、今度は男が目を瞠った。その様子に、実休は申し訳なさそうに笑った。
「ごめんね、僕…ちょっと記憶があやふやで…。知り合いなんだよね、きっと」
男は、気にしないでほしいと笑い、宗三と名乗った。
「自分の名前を手放さなかった、それで充分ですよ」
宗三はタバコを買って、去っていった。
「ありがとうございました…」
ドアの開閉音にかき消されながらそう口にした声は、彼に届いただろうか。ドアが閉まって、電子音の余韻も消えると、店内はまた静かになった。鮮やかな桃色の隙間から見えた青い瞳も、隠されずに輝いた緑色の瞳も、やけに澄んでいた。実休は、自分が長らく青空を目にしていないなあと気づいた。瞬きをしない蛍光灯は、その様子をずっと見ていた。
次の、そのまた次の夜だった。店内の清掃を終え、いつものように実休がレジのそばでぼうっと立っていると、来客の電子音が響いた。
「いらっしゃいませ…」
無意識にそうつぶやいてドアの方を見ると、子供が二人入ってきた。こんな時間に、と思うが、見る限り清潔で健康そうだったので、一旦何も考えないことにした。子供達は実休を見るなり、ぱっと破顔して駆け寄ってくる。
「本当にいる」
「久しぶりだな、息災か」
どうやらまた、知り合いのようだった。
「知り合いなのかな。ごめんね、僕…少し前に火事にあって、その前の記憶があんまり無くて」
「火事か。そりゃぁ大変だったな」
「無事で何よりだよ」
子供達は、薬研と不動と名乗った。彼らはおつまみとアルコール飲料を買おうとしたが、実休が止めた。
「未成年にはお酒は売れないよ」
実休がそう言うと、二人は驚いたような顔をしたあと、面白そうに笑った。
「そうだな、すまんすまん」
「うっかりしてたよ」
そう言って二人で商品をケースに戻し、ジュースのペットボトルを持ってきたので、実休は会計をした。薬研と不動は、また来る、と言い残して、ドアの開閉音に見送られて出ていった。
「ありがとうございました…」
ぽつんと一人になった店内で、実休は思い出したようにそう言った。それまで静かだった空調が働き出し、その声を食べてしまった。
その次の夜だった。実休がシフトに入ってすぐだった。髪を真っ白にして目つきの鋭い男が訪れた。実休は少し身構えて、それでも
「いらっしゃいませ…」
と挨拶をした。男は実休を見るなりぱかっと口を開けて笑い、レジに駆け寄ろうとして、ハッとしたかと思うと辺りを見回して、そばにあったビニール傘を一つ手に取ると、それを持ってレジに来た。
「此レは、人間無骨と言ウ…」
ピッ、とバーコードを読む音を見送ってから、男が名乗った。
「…強そうな名前、ですね…」
話しかけられているのだと気づいた実休が、ビニール傘に支払い済みシールを貼りながらぽそりと返した。雨は、降っていない。無骨が少し悲しそうな顔をしたので、実休は気まずくなった。
「あの…もしかして、僕をご存知ですか…?実は少し前に火事にあって、その前の事をよく覚えてなくて…」
ぼそぼそとそう言うと、無骨は強く頷いた。
「火事というノは、いつごろの事ダ?」
「えっ…と、」
尋ねられるままに答えようとして、実休は言葉に詰まった。
「いつ、だったかな…」
レジカウンターを挟んで、無骨は、まっすぐに実休を見つめ、次の言葉を待っていた。刺さるような視線を受けて、すっと静寂が訪れる。蛍光灯は音を立てず店内を照らし、空調は不意に音を止めた。
「たしか…五月、いや…六月の」
記憶の切れ端を掴んだ気がしてそう言うと、けたたましい電子音に囃し立てられてドアが開いた。
「あ、いらっしゃいませ」
実休は、新しく入ってきた客に声をかけながら、無骨に傘を渡した。無骨は傘を受け取って、また来ル、と言って去った。
「ありがとう、ございました…」
ふと目を下げれば、腕まくりをした左腕には、炎のような模様が浮き出ている。火傷の痕だと思っていたこれは、本当は何なのだろう。空調が仕事を再開し、蛍光灯が一つ、一瞬だけ点滅した。いつの間にか先ほどの客がレジ前に辿り着いていた。カウンターに商品の入ったカゴが置かれて、実休はそれを手繰り寄せた。
彼らは、三日と空けず、代わる代わる深夜のコンビニにやってきた。
「今日が何月何日かわかりますか?」
「去年の冬は何をしてたんだ?」
「兄弟はいるかい?」
「いつかラこの仕事ヲ?」
一つ一つかけられる問いのどれにも、実休ははっきりと答えることができなかった。そんな実休に呆れるでもなく、彼らはいつも穏やかに笑って、またの来店を約束して去っていった。
その夜も、雨は降っていなかった。もしかしたら実休は、雨の日というものを知らないのかもしれなかった。
宗三はその日、花火とライターをカウンターに置いた。
「…僕のこと、本当に覚えてないんですか?」
きっと、宗三に会ってから初めてのことだった。その声音が感情を含んでいて、実休はなぜだかとても慌ててしまい、急いで顔を上げる。
「…ごめんね」
けれど他に何も言えずにいると、宗三はいつものように笑った。そうして財布から小銭を出し、ちゃりんとカルトンにばら撒くようにして乗せる。実休はそれを丁寧に拾って数えた。表示された請求金額と一円の違いもないそれらをレジにしまって、それからレシートを差し出した。宗三はレシートに伸ばした手でそのまま実休の手首を掴み、強く引く。驚いて丸くなった実休の瞳を埋めるように顔を寄せて、唇に息を吹き込むかのような距離で一言、
「薄情者」
と吐き捨てた。あまりのことで、実休には宗三の表情はよくわからなかった。宗三はレシートを受け取ることなく、花火とライターと、少しだけ煙草のかおりをカウンターに置いたまま店を出ていった。何事も無かったようにドアの開閉音が響いて、空調も動き出す。いつだったかにウインクをした蛍光灯は、ついに苦しそうに瞬きを繰り返した。
翌日、実休が出勤すると、蛍光灯はまだ交換されていなかった。仕方なく奥から脚立と備品を出してきて、交換し、申し送りのための書類に記入をした。そうこうしていると、薬研と不動が来店した。この二人は、いつも一緒にやってくる。時間が時間だから、もしかしたら防犯のためなのかもしれなかった。
「宗三を怒らせたって?」
他に客の居ないのを見て、二人は商品も持たずレジカウンターに寄りかかった。
「知り合いなの?」
「言ってなかったか?」
「聞いてない」
「そりゃ悪かった」
揶揄うでもなく、慰めるでもなかった。薬研は仕方がないとでもいうように笑って、不動は安心させるように笑った。
「知り合いなんだったら、これ、渡しておいてもらえないかな」
実休はそう言って、カウンターの下から花火とライターを取り出した。前の日に、宗三が置いていったものだった。それを、薬研は断った。実休が困った顔をすると、不動が口を開く。
「それ、宗三から実休さんへの贈り物だと思うよ」
「え…?」
「近くに公園があるのは知ってる?明日、出勤前にそこに寄ってよ。一緒にやろう」
ね、と楽しそうに言われ、実休がしっかりと頷く前に、薬研と不動は帰っていった。レジカウンターの上に、花火とライターを置いたまま。
翌日、特に用事も無いので、実休は言われたように公園へ向かった。花火とライターを忘れずにきちんと持って、それから花火のパッケージに書いてあったように、水を入れるバケツも持った。近所の公園は、ぼんやりと存在は知っていたものの、しっかりと足を踏み入れたのは初めてだった。ざわざわと揺れる植え込みの影が、辺りをいっそう暗くしているように感じる。ぽつんぽつんと立っている電灯の一つの下に、四つの人影があった。宗三と、薬研と不動と、それから無骨だった。みんな知り合いだったのか、と思いながら、実休は招かれるように歩み寄る。近づきながらそっとうかがうと、宗三はもう、怒ってはいないようだった。
「おっ、来たかい」
どうやって声をかけようかと迷っているうちに、薬研が実休を見つけて声をかけた。実休はほっとして、花火とライターを宗三に差し出す。不動がするりとバケツを持っていって、どこかにある蛇口からだろう、水を汲んできた。宗三はばりばりと花火の包装を引きちぎり、中身を出す。随分と大胆な開封だった。そのまま棒状の花火をばらばらとその場に落とすので、実休が拾おうと身を屈めると、どうぞ、と目の前に線香花火が差し出された。実休がそれを受け取って、地面に散らばった花火を集め終わる頃には、皆、それぞれ一つずつ線香花火を持ってしゃがんでいた。
「線香花火をするんだね」
実休がそう確かめると、無骨が、花火のセットに入っていた小さな蝋燭に火を付けた。
「勝負ですよ」
宗三はそう言うと一番に自分の花火に火を付けた。
各々の手の先で、こよられた紙が燃え、火薬が弾け、炎だったものが、熱だけを涙の形にしてぶらさがる。風は、全く無かった。
「…穏やかだなぁ」
薬研がつぶやいた。途端に彼の火の玉は地面に落ちて、その輝きは薬研と共にふっと消えた。驚いた実休が震えそうになると、不動は実休の背に手を添えた。
「大丈夫だよ」
柔らかくそう言うと、不動の花火も、それから不動も、薬研のように消えてしまった。
「この光が、道標となルだろウ」
無骨は、自ら花火を手放した。そして二人の後を追うように、音もなく消える。最後に残った宗三は、じっと実休をみつめていた。
「宗三」
実休がすがるように名を呼ぶと、宗三は優しく笑って、花火をつまむ指を揺らした。
「しゃんとしなさい」
柔らかい声でそう言うと、宗三も、花火と一緒に消えてしまった。小さな蝋燭と、それから実休の手の先にある線香花火だけが、公園に残った。実休はしばらく呆然と、じくじくと光る手元を見ていたが、ついにその涙も地に吸い込まれた。辺りは暗くて、蝋燭の灯りだけでは公園の時計は読めなかった。もしかしたら遅刻かもしれないし、早すぎるのかもしれないけれど、とにかくコンビニへ行こう、と、実休は立ち上がる。それから蝋燭の存在を思い出してもう一度しゃがみこみ、ふ、と蝋燭に息をかけた。
蝋燭の火は消えた。
火は消え、夜も暗闇も消えていた。急な明るさに上下も左右もわからなくなり、咄嗟に目をつむる。呼吸を整えてゆっくりと目を開けると、どうやら実休は横になっているようだった。戸惑いながらも起き上がると、視界が回って驚いた。小さくうめいて再び横になると、どうやら枕と布団が実休を支えた。
「お、目が覚めたかい」
真っ白だった視界に裂け目が入り、そこから薬研が顔を出した。よく見れば、天井から吊られたカーテンだったらしい。訳もわからず目を白黒とさせていると、薬研は手早く実休の脈をとり、目の下をめくったり目に光を当てたりした。
「気分はどうだ?」
そう尋ねられ、実休は何とか声を出す。
「…え?」
けれど戸惑いしか形にはならず、それでも何とか起き上がることには成功した。もう、目眩は襲ってこない。薬研が差し出したペットボトルを受け取ると、難なく封を切って入っていた水を飲んだ。
「大丈夫そうだな」
「ここは…」
ようやく疑問が口を出ると、鋭い音を立てて、カーテンがさらに開かれた。目を向けると、宗三ともう一人、実休が立っている。自分がもう一人存在していることに一瞬恐怖を感じたが、ふと、それは自然なことだと思い出した。実休は、そして薬研も宗三も刀のつくもかみで、刀剣男士として人間に力を貸している。遡行軍の数に対抗するために、政府軍側も、同位体を増やすことで質を保ちながら量を増やす策を講じているため、同じ姿形で同じ名前のつくもかみが、山と存在しているのだ。
「政府の保護室ですよ。僕たちは本丸に属さず、政府で働いています」
「最近、張番から連絡があってね、色々な場所の見回りが強化されたんだ。君は場所と場所のあいだの隙間で、迷子になっていたんだよ」
宗三と実休が、ゆったりと腰を下ろしながら説明をしてくれた。
「張番…?」
「…異去のことは、知っていますか?」
聞き慣れない言葉を繰り返すと、更に聞き慣れない言葉が返ってきた。正直に首を横に振ると、宗三は実休に、自分の主の名は覚えているかと尋ねた。実休は、コンビニの店長の名前を告げる。素早く端末で確認したらしい薬研が、該当する審神者のデータを無事に見つけたようだった。
「大丈夫ですよ」
宗三はそう言ってしばらく実休の背に手を添えた後、薬研と共に人の子を呼びに行った。
しゃんとしなさい
扉を出ていく宗三の背を見送ると、最後にかけられた声を思い出した。しゃんと、しなければならない。実休はそう思って、飲みかけだった水を飲み干すと、ベッドから足を下ろし、自分の姿を見下ろした。戦装束は薄汚れていて、目立った傷はないものの、ぴかぴかに輝いてもいない。一緒に布団に入れられていた本体を手に取ると、ようやく、はっきりと目の覚める心地がした。
「話がある」
実休は、もう一人の実休を見上げてそう言った。
「…かっこ悪い話だから、誰にも聞かれたくない」
殊勝な態度を前面に押し出して、実休は訴えた。もう一人の実休は、困ったように笑って見せ、懐から小さな紙を取り出した。そこに息を吹きかけて何事かを言うと二つにちぎり、片方を実休に差し出す。実休はそれを受け取ると、二人を包む何かができあがったのを感じた。
「これでしばらく、この紙を持っている同士の二人の話は、誰にも聞くことはできないよ」
「…この部屋、見られてもいるのかな」
「多分ね」
実休たちは表情を変えずに言葉を交わした。
「僕の隣に座って、元気づけるみたいに背中を撫でてくれる?」
「もちろん」
これから話す内容は、決して人の子に知られてはいけないのだと、実休は仄めかし、もう一人の実休も正しくそれを理解した。二人は並んでベッドに座り、内緒話をするように距離を詰める。
「放棄された世界、というのがあるでしょう」
「あるね」
「政府は世界を放棄する時、都合の悪いーーー例えば歴史改変の結果として生まれてしまった審神者や本丸を、一緒に放棄する。それは知っていた?」
「…いや、知らないな」
「士気に関わるからね。知らされはしないさ」
「君は」
「そう、おそらく、たまたまそこからこぼれ落ちてきたんだ。さっきの話からするに、今、境目が騒がしいんでしょう?」
「…これからどうする?」
「主のデータがあるということは、僕はこれから、しらを切り通さないといけない。でないときっと、面倒臭いことになる」
「だろうね」
「…僕はたぶん、主の記憶の中にあったコンビニで、働いていたんだ」
「そう」
「みんな消えてしまった…あぁ、思い出してきたよ。そう、みんな消えてしまった。戦ではなく、病でもなく、急に。放棄されたと同時に、みんな、主も消えちゃったんだ…きっと僕もそうなって、でも、たまたま近侍だったから、本丸…というか、主の記憶にひっかかってしまったのかな…」
監視カメラのために添えたはずだった手で、実休は、優しく実休の背を撫でた。
「僕は」
実休が言葉を重ねようとした時、かちゃりと部屋のドアが開いた。政府の実休はそっと紙切れを回収して、二枚まとめてくしゃくしゃとポケットにしまった。二人の実休は少しだけ目を合わせて、わずかにわずかに頷き合った。その様子を、宗三と薬研はじっと見ていたが、白衣を纏った人の子は、気にした様子もなく、愛想良く実休に声をかけた。
人の子によって作成された報告書には、隙間で保護された実休について、大まかにまとめるとこう書かれた。
主である審神者の記録はあるが、本丸が襲撃された末に亡くなっている。その襲撃により、本丸は壊滅したと思われるが、実休はおそらく遡行軍に連れられて色々な場所を転々としていた。本刃の記憶は曖昧で、はっきりしている最後の記憶は襲撃直前の昼食。政府にて手入れと状態診断を行った後は、本刃の希望で政府に所属予定。配属部署は、経過と適性を検討後、決定の予定。件の実休光忠は、目覚めた時に側にいた境界調査部所属の実休と親しく、おそらく同部署に配属するのが円滑と思われる。
しばらく後、報告書で提案された通り、実休は境界調査部の所属となった。
実休は、穏やかに暮らしている。
政府に所属する刀剣男士のために用意された居住棟は、本丸に比べれば閉塞感は強いものの、風呂やトイレ、洗濯スペースやキッチンなどが完備されていて、刀種によって狭くないように、けれど広い部屋が苦手な者も無理をしないようにと、さまざまなサイズの個室が揃えられている。実休は、小さなコンロと適当な鍋があれば、困ることはなかった。どうやら多くの刀剣男士は最新式の携帯端末を持っているようだったけれど、最低限の連絡先を作れと持たされたスマートフォンは、たまに外出や食事の誘いを伝える以外は、上着のポケットの中で眠っている。朝と呼べる時間に目を覚まし、時間や時空を渡って任務を果たして、陽が落ちた後に部屋に戻った。夜が更けるまでは仲の良い実休と過ごしたり、彼と同じ本丸出身だという宗三や薬研、不動や無骨と過ごしたりした。日々に情熱は無かったが、目的はあった。いつか、あの時一緒に花火をした彼らを見つけ出し、もう一度、今度こそ、薄情者という汚名を返上し、宗三に禁煙をさせ、薬研と不動に酒を注ぎ、無骨に洒落た傘を買ってやりたい。そして叶うことならば、あのコンビニの蛍光灯を交換したことを、審神者に褒めてもらいたかった。
実休は、とても穏やかに暮らしている。
今はその全てが偽りでも、真実はいつか、目を覚ますだろう。
〜おわり〜