あたたかい螺旋
6/24/2019
前世の記憶を持って生まれる事がよいことなのかそうでないのか、前世の記憶を持って生まれた俺にはよくわらからない。
よくわからないが、刀であった頃から、俺はかなりの強運を持っていたと思う。
永く在るというのに確固たる由縁を持ち、磨上げられもせず、焼かれもせず。刀剣男士となっても強靭な心身を得て、そして今人として生きる段となっても、知己の両親を得、前世から受け継いだ美貌や知識、知恵を惜しみなく使い、大した事故も病も得ずにここまでくる事が出来ている。更にはにっかりより先に亀甲を探し出し、なんやかんやの末、この腕の中にその心を囲う事ができた。やはり俺という魂はかなり運が強いのだろう。そして、それは存在する上でとても重要な事なのだと思う。運の強さというのは人それぞれ、魂それぞれに違うものなのだ。これぞ、天賦の才と言っても差し支えは無いだろう。
さて、亀甲の背中の下の方、殆ど腰のあたりには、いくつもの小さな、古い火傷の痕がある。人間となった俺たちの身体は手入れができないから、文献ではなく、こうして身体にその歴史を直接刻むことになるのだ。その火傷の痕を見つけたのはまだ亀甲が記憶を取り戻す前、初めて共寝をした時で、その時の亀甲の様子を、俺はものすごくよく覚えている。これはどうしたと尋ねる俺に、最初亀甲は「見てきもちのいいものではないよね」と謝罪し、そうではなくてどのようにしてそれを得たのかと尋ねれば「知らないままの方が、綺麗な思い出にできることもあるよ」と笑った。結局そのままうまい具合に流されてしまって、その後その話をすることは無かった。記憶のない亀甲の身体に残る火傷の痕は、まるで、由来のあやふやな刀身に刻まれていた亀甲紋を思わせたが、それは、雅さのかけらもない、単なる暴力の記録だと知っている。守ってやらねばならぬとは思わない。亀甲も立派な成人男子であるし、もしかしたら今生では、俺よりも強いかもしれない。守ってやらねばとは思わないが、それとは別として、これ以上このような痕が残らないようにしたいとは思っている。亀甲が弱いからではない。大切だからだ。
もともと朝の早い俺は、先日すぱだりになると宣言してから、朝の時間を亀甲のために使うことにしている。亀甲が俺の布団で目覚める朝には、朝食を作り(段々と料理が上手くなってきたのだぞ)、こーひーを淹れて(こちらも徐々に塩梅がわかってきた)、自分の身なりを整えてから亀甲を起こしに行く。刀であった頃は早寝早起きであったはずだが、人になった亀甲の朝はあまり早くない。勤務日には、家を出る三十分前までむにゃむにゃと布団から出ないし、休日も寝起きが悪く、一度、いつまで眠るのだろうかと起こさずにいたら昼近くまで眠っていた。疲れているのか、どこか悪いのかとさりげなく聞いてみたが、特にそのような事は無いらしい。けれどそれは刀としての記憶を取り戻す前の事であるから、もしかしたらもう一度尋ねてみる必要があるのかもしれない。刀剣男士であった時、俺たちの身体は健康そのものだった。手入れにより常に最高の状態に保たれていたし、疲労も休めばすぐに回復した。だから俺たちは、健康な心身がどのような心地なのかを知っているし、だからこそ、人となりそれが損なわれた時にいち早く自覚する事ができるはずなのだ。
とにかく、今朝も食卓と俺の身なりを整え、自慢のこの顔で亀甲を起こしに行った。亀甲はこの顔がすきなのだ。俺はこの顔を持って生まれてよかったと思う。部屋に近づいていくと、亀甲のすまあとふぉんが鳴っているのがドア越しにも聞こえてきた。かなりの音量にも関わらず目を覚まさない亀甲が、少し心配でもあり、かわいらしくもある。そっと扉を開けて覗いてみると、敷布団から半分はみ出るようにして掛け布団に包まって丸くなっている亀甲が、その布団から右手を出してぱたぱたとすまあとふぉんを探しているようだった。目当てのものはその手とは反対側に転がっているのが見えたので、俺はそっと部屋に入り、そっと亀甲の手にすまあとふぉんを持たせてやった。すると亀甲の右腕は、のたのたと布団の中に収納されていき、着信音がふつりと途切れた。それだけでは電話に出たのか音を消しただけなのかわからなかったが、しばらくするとまた右腕がにゅっと出てきて、すまあとふぉんを放り出して布団へ戻っていった。その様子がおもしろいやら愛らしいやらで、俺はしばらく布団の塊を眺めていたが、このままでは朝食が冷めてしまう事を思い出した。
「亀甲や、そろそろ起きてくれ」
言いながら布団の塊を揺すったり、布団を持ち上げようとしたりする。これを繰り返していると、まず足がゆっくり出てきて、伸びをしたと思うとまた布団の中に入っていく。それから布団ごと左右にごろごろ動いたかと思うと、むくりと起き上がるのだ。そのままその場で正座して一、二分ほどじっとした後、亀甲はようやく目と口を開く。
「おはよう…」
「うむ、おはよう」
それから亀甲がゆっくり立ち上がるのを、俺は待つ。待つのは苦では無い。目の前に愛い姿があるのであれば、それはもはや何を待つのでもなく、単に幸せを眺めている時間となる。
「そういえば、電話が鳴っていたぞ」
そのまま布団を畳もうとする亀甲に、ふと思い出してすまあとふぉんを拾い、手渡した。亀甲はのっそりとそれを受け取って、おそらく着信履歴を見ると、ハッと目を覚ました様子でこちらを見た。
「なんだ、急ぎの用事か?席を外そう」
浅く無い仲とはいえ、聞かれて困る事もあるだろう。親しき中にも何とやらというやつだ。そう思って部屋を出ようとすると、亀甲が遠慮がちに俺を呼び止めた。
「あの…ちょっと大きい声出すから、物置を借りるね…」
「?構わんぞ。好きなところで電話をかけるといい。俺は食卓に居るからな」
亀甲が何をばつの悪そうにしているのか分からなかったが、俺はそう告げて台所に戻った。彼は仕事が仕事であるから、大きい声を出さねばならぬ事もあるのだろう。今までは以前のままの、どちらかというと穏やかで静かな亀甲だったので、彼が大声を出すというのがどんなものなのか多少気になったが、俺はすぱだりなのだ。好奇心のままに他人の電話を盗み聞く事などはしない。更には、あえて大きな音をたてるために、こーひーの豆を挽き始めた。亀甲が眠っている間はできない作業であるし、朝なので手挽きではなく電動だ。ぎゅいいいんと音を立てる豆挽き機と、ふわりと立ち上るこーひーの香りを楽しんでいると、なんと、その音を通り越して亀甲の声がかすかに聞こえてきた。さすがに何を言っているのかまではわからなかったが、ものすごい声量だと思いながら、その声が止むまで、いつもより細かめに豆を挽いた。大丈夫、今の俺は、平野の特訓を乗り越え、どのような豆をどのように挽き、どのようにこーひーにすれば亀甲の好みなのかちゃんと分かっているのだ。何故なら俺はすぱだりなのだから。
こーひーをかっぷに注ぎ終わる頃、亀甲はそわそわとした様子で台所へやってきた。
「…聞こえたかい?」
「少しな。でも豆を挽いていたから、よくわからん」
言いながらこーひーと、牛乳と砂糖を出してやると、亀甲はようやく、一心地ついたように笑って椅子に座った。
最近の俺は、突然思いついたとある一つの仮説の真偽を明らかにするために空いた時間を使っている。
亀甲の、本当の両親の事だ。
仮説は仮説でしかないため、この話はまだ亀甲にはしていない。はじめは光忠と大倶利伽羅のところへ話を聞きに言ったが、亀甲の両親や保護者について、彼らが知っている事はわずかだった。彼らが亀甲を引き取ったのは本当に若い頃だったので、彼らと亀甲の年齢は十も離れていない。その家業の特殊性ゆえか、それでも子供を引き取る事ができた代わりに、彼の事を公的機関で調べるのには限度があったらしい。ただ、亀甲の背中に痕を残した輩については素性まで調べ上げられていたので、今後の参考にとその情報は分けてもらった。刀であった頃、力とは戦闘力と持久力の事であったが、人となった今、情報も大きな力だ。持つと持たざるとでは、当に、生死を分かつ事がある。光忠は一度、亀甲に、火傷の痕を消す整形手術があるという話をした事があるそうだ。しかし亀甲は、曖昧に笑っただけだったと言う。その真意は、今も誰にも分からない。そういえば、光忠が身篭ったらしい。太鼓鐘あたりが生まれてくるのではないだろうか。亀甲には本人たちから伝えたいと言うので、俺は忘れる事にする。
それから俺は、左文字の寺を訪ねた。亀甲から重ねて言われていたので、きちんと事前に連絡を入れてから行った。坊主頭の江雪は何度見ても違和感があったが、いずれすぐ、この江雪を見慣れるのだろうと思うと感慨深いものがあった。小夜は学校へ行っていて、宗三は臥せっていた。江雪に聞いたところ、宗三の人の身はあまり丈夫にはできていないらしい。特に感情の起伏で体調を崩す事が多く、なんだかんだと職に就いていない理由の一つにもなっているのではないかとの事だった。難儀な事ではあるが、俺には心当たりがあった。俺の母親は一期一振なのだが、彼も、いや、彼女も、いたって健康とは言えなかった。これは推測でしかないが、おそらく再刃をされた刀は、刀剣男士となる時にその影響を最小限にされ、その皺寄せが人の身に起こっているのではないかと思う。鶴丸もーーー俺の父親も、概ねその考えには同意してくれた。一期は粟田口全員を産み落とす心算であったらしいが、俺を産む時にそれはもう大変で、命の危機にまで及んだらしく、しかも生まれたのが俺だったので、子供は一人で充分だと考えを改め、今は鶴丸とともにこの世の広さを楽しんでいる。
そして宗三は、この寺で薬研を待っている。
それは、彼らを知る誰もが存じている事であり、案じている事でもある。この世に「絶対」は殆ど無いが、「万が一」は溢れ返っている。薬研は、転生に失敗しているかもしれない。生まれてすぐ、何らかの理由でこの世を去ったかもしれない。まだ生まれていないのかもしれないし、もしかしたら、生まれる時代がずれてしまって、会えないかもしれない。宗三はきっと、ずっと、そういった可能性を考え、考えている事を隠し、自信満々の様子で薬研を待っているのだ。江雪は、そんな宗三を見守っている。小夜もだ。きっと、「家族」しかできない方法で。それはとても、尊いことのように思う。
そんなような話をしながら、俺は亀甲の事を尋ねた。宗三に直接は会えなかったが、江雪が、亀甲の歴代の姓を教えてくれた。宗三が面白がって、寺にやってくる野良猫にそれらの名前をつけているらしい。計算してのことなのかそうでないのか、相変わらず、天下人の刀の考える事はよくわからないが、俺としてはとても助かった。柿を象った和菓子を土産に置いて、俺は寺を去った。
俺は、運が強い。
亀甲の両親の命を奪った事故についての情報は、すぐに見つかった。江雪に教えてもらった彼の姓名がとても役に立った。それから更に、少し時間がかかったが、彼の両親の写真を手に入れる事ができた。亀甲すら持っていないものだ。亀甲は、親戚中を転々としていた時に、思い出の品々をことごとく失っていた。両親の写真さえ。だからこそ、俺はなんとかしてこの写真が欲しかったし、それを見た今、例の仮説は正しかったとわかった。俺はその写真を丁寧に写真立てに入れて、亀甲に連絡をした。突然会いに行くのではなく、事前に一言声をかけるのだ。亀甲はそれをとても大事な事だと言ったので、俺にとってもとても大事な事になった。
その夜、仕事を終えた亀甲が俺の家にやってきた。俺はそわそわとしてしまって、それこそ初陣の準備をしていた時のような心地だった。興奮して、緊張して、少し不安で、しかし待ちきれなかった。俺は玄関で亀甲を待っていて、彼が呼び鈴を押す前に戸を引いた。ぽかんとする亀甲の腕を掴んで中に引き入れ、そのまま俺の部屋へ連れて行った。廊下ですれ違った平野に、玄関の戸締りを頼んだ。
「ど、どうしたんだい?」
亀甲は不思議そうにしながらも、勧められるままに腰を下ろし、そわそわと写真立てを取り出す俺を見ていた。
「亀甲や、実は俺は、お前のご両親の事を少し調べたのだ。勝手な事をしてすまない」
「え…?おか…燭台切くんと大倶利伽羅くんのことかい?」
「そうではない、そうではなく…」
「…ぼくを生んだお母さんとお父さんのほうかい?」
「そうだ」
俺はついに、写真立てを亀甲に手渡した。
「ご両親で間違いないか?」
「うん…」
「なら、気づく事はないか?今の亀甲ならばわかる事が」
亀甲は、震える指先で写真を撫でた。ほろりと、愛のこもった水滴が、落ちるのを見た。
「ご主人様、だったんだ…」
亀甲は、ついにしゃくりあげて泣き出した。俺は、亀甲の肩を抱いた。
「これは全て俺の考えに過ぎないが、確か記憶を持たずに人になったのは亀甲だけだったな。きっと主はお前の事を心配して、本来ならば為らぬ事を、無理やり成したのであろう。無理やりであったゆえに、この世から早々に追い出されてしまったのであろうよ」
「すごい…ぼく、ご主人様の、子だっ、た…!」
「そうだぞ、つまり、お前の身体の半分は主でできているのだ、もうさみしがる事はないぞ」
長谷部あたりにはとても聞かせられない言葉だとは思うが、ここに長谷部は居ないので、俺は亀甲にしっかりとそう言い聞かせた。
「ありがとう三日月さん…この写真…ありがとう…」
亀甲は二時間ほど泣きじゃくった。俺はその背中をずっと撫でながら、時折茶を飲ませ、眠そうになってきたところで着替えさせて、ついでに歯磨きを促して布団を敷いた。俺はすぱだりなので、甲斐甲斐しいのだ。そして亀甲の寝顔が、泣き腫らした目元であったとしてもとても幸せそうだったので、俺もとても嬉しかった。
翌朝、俺はいつものように早起きをして、朝食を整えた。それから自分の身なりを整えて、亀甲を起こしに行った。
「亀甲や」
扉を開けながら声をかけると、亀甲は既に起きていた。すまあとふぉんを握りしめ、何やら興奮している。
「ど、どうしたのだ」
少し驚いて声をかけると、目を真っ赤に腫らした亀甲がこちらを向いた。あまりに腫れていて更に驚いたが、この場合は蒸したおるだったか、冷やすたおるだったかと考えていると、目の前にすまあとふぉんが差し出された。何やら動画が表示されており、亀甲が昨夜と同じように震える指先で再生の三角に触れると、ぱしゃぱしゃとかめらの音から動画は始まった。何かの記者会見だろうか。ちらりと亀甲を見上げると、動画を見ろと促されたので視線を戻した。画面では、何人かの男性が歩いてきて、席についたところだった。あいどるだろうかと思ったところで、どうやらあいどるだったらしく、団体名と個人名が表示された。どこかで見た事があるような気がする。有名なあいどるだろうか。そう思った途端の事だった。本日はお時間をありがとうございますという声が終わるや否や、一人が徐にまいくを掴むと立ち上がった。
『突然だが、俺っちは人を探している。そのために全国放送までこぎつけた。心当たりがあったら、頼む、うちの事務所まで連絡をくれないか。本当なら俺っちから迎えに行かなきゃならねえはずが、本当にすまん!絶対に埋め合わせはする!!頼む!!!』
相変わらずのよく通る低い声でそう言い切ると、彼は慌てた司会に話を振られ、仲間からも助け舟を出されながら本来の会見へと戻っていった。
「あなや」
「のぶ…宗三くんに教えなきゃ!」
心当たりのある俺たちは、事務所ではなく宗三に連絡をとった。宗三は今朝、てれびでその記者会見を見たそうで、そのまま倒れて寝込んでいたが、すまあとふぉんというのは便利なもので、事務所へは連絡をとったらしい。世間では人気あいどるの人探しが話題となる事だろう。そしておそらく、これを切欠として、多くの刀の記憶を持つ者たちが再び顔を合わせる日も、遠くない。
前世の記憶を持って生まれる事がよいことなのかそうでないのか、前世の記憶を持って生まれた俺にはよくわらからない。よくわからないが、刀であった頃から、俺はかなりの強運を持っている。俺はその運が、皆に幸せを運んでくる事を願っている。特にこの、亀甲という魂の元へ。
俺は亀甲のすぱだりなので、これからも、彼を贔屓するのだ。
〜おわり〜