明暗
5/6/2022
カラン、と、ドアにくくりつけられているベルが鳴った。来客の報せだった。
バーカウンターの中で丁寧にグラスを磨いていた宗三左文字が入り口に視線をやると、歌仙兼定とにっかり青江が、店内に視線を巡らせているところだった。
「こんにちは」
宗三が声をかけると、歌仙はにっかりの手を引いて、軽く挨拶をしながらバーカウンターへと歩み寄る。
「本日十時に予約していた者だが…」
「ええ、お待ちしてました」
歌仙が名乗ると、宗三はグラスを置いて、どうやら客からは見えない場所にあるボタンか何かを押したらしい。遠くからチロリンと電子音が聞こえたかと思うと、奥からにこやかに亀甲貞宗がやってきた。
「やあ、待っていたよ」
亀甲が親しげに声をかけると、にっかりはぎくりと肩を硬らせ、歌仙は困ったように眉をざわつかせた。
「それじゃあにっかり君、こちらへどうぞ」
促され、三拍ほど置いて、にっかりはようやく歌仙の手を離すと、亀甲の後について歩いて行った。暗い通路にはいくつかのドアが並んでいて、二振はそのうちの一つに入って行った。それを見届けた歌仙が小さく息を吐くと、宗三がたぷりと酒瓶を鳴らす。
「何か飲みます?」
「…まだ昼前なんだが」
「まったく…じゃあお茶とか…ジュースも何かあったはず…」
カウンターの向こうでごそごそと足元を漁り始める宗三に、歌仙はため息をつきながらカウンターに座った。
「玄米茶はいただけるかな」
「玄米茶…ティーバッグでいいですか?」
「…もちろん」
宗三は一度奥へ行くと、その手に個包装のされたティーバッグと、椅子を持って戻ってきた。やかんでお湯を沸かしながらビリビリと封を切り、ついでにおかきをざらりと皿に出した。
「初期刀ですか?」
「ああ、そうだよ」
歌仙に勧める前に自分で一つおかきを齧って、宗三は尋ねた。おかきからはみしりと音がしたので、ちょっと湿気ってますけど、と言いながら、宗三は皿をカウンターに出す。そこでちょうどやかんがしゅるしゅる言い始めたので火から下ろし、ごつごつとした湯呑みの中でティーバッグを湯に浸した。あたりを見回して適当な小皿を見つけるとそれを湯呑みの上に乗せ、歌仙の前にコトリと置いた。
「…ありがとう」
少しして歌仙は小皿を外し、引き上げたティーバッグをその上に置いた。両手で湯呑みを持って、まだ熱いそれに息を吹きかけながら一口啜る。湯気と一緒にほっと息を吐き出して、すでに宗三が半分ほど食べてしまったおかきに手を伸ばした。口の中でみしりとへこんだそれは確かに湿気っていて、どこか懐かしい気持ちがした。
「眠くなったら、眠ってしまって構いませんよ。にっかりが出てくる前に起こしますから」
宗三がそんな事を言うので、歌仙は何かを言おうとして、瞼が異様に重いことに気づいた。
「…きさま…なに、を……」
一服盛られた怒りを露わにしながら、歌仙はカウンターに突っ伏した。宗三はカウンターからフロアに出ると、歌仙を引きずってボックス席へ運んで行き、そこに寝かせてブランケットをかけてやった。
「何も入れてないんですけどね…あなた、そんなにちょろくて大丈夫ですか?」
宗三は、少し強めに『眠かったら眠っていい』と言っただけだった。付喪神たる刀剣男士の「少し強めに」であるにはあったけれど。きっと本人が思っている以上に疲れているのだろうなと思うことにして、宗三は、カウンターに戻って、みしりみしりと湿気ったおかきを食べ始めた。
「好きなところに座って。ぼくはお茶をいれてくるね」
促されて部屋に入ると、亀甲はそう言って、奥に見えるキッチンに向かった。部屋の中は、入り口にあったバーエリアとは全く異なる雰囲気で、大きな窓から日光が入り、柔らかい白色の壁を照らしている。窓際や壁際に、名前を知らない大小の植物が、鉢植えだったり何だったりに入って並べられていた。ローテーブルとソファが並んでいる少し離れたところに、ダイニングテーブルと椅子が並んでいて、にっかりはそちらに座ることにした。それぞれのテーブルの下に敷かれたふわふわの絨毯に土足で上がるのが憚られて、靴を脱ごうか迷っていると、キッチンから、靴のままで大丈夫だよと声がかかった。少しの気まずさを覚えながらも靴は脱がずに部屋を進み、にっかりはダイニングテーブルについた。すると丁度、亀甲が、お盆に乗せた茶器と茶菓子を持ってきた。
「いい香りだね」
「うん。飲んだことある?ぼくは初めてなんだけど…たしか鴨が入ってるお茶」
「カモミールかな?鴨は入ってないよ」
「入ってないのかい?!…じゃあお菓子、足りなかったら言ってね」
「ふふ、ありがとう」
お茶と言いつつも、亀甲は、スープか何かのつもりで持ってきたのかもしれない。確かに午前十時過ぎ、少し小腹の空く時間ではあった。部屋の中は静かで、すりガラスの窓から外は見えない。にっかりがカモミールティを口に含むと、何度か飲んだことのある香りがして、けれど慣れないそれに鼻がくすぐったかった。
亀甲はしばらくにっかりと向かい合って茶を飲んでいたが、頃合いを見て、ティーカップを置いた。にっかりは少し身構えたが、亀甲が何も言わないので、もう一口カモミールティを飲み込んでから、ティーカップを置いた。
「じゃあ…これからいくつか質問をしていくけど」
亀甲が静かに言うので、にっかりは頷いた。
「言いたくない事は言わなくていいからね」
「うん」
にっかりは両手を膝の上に置き直して、少し視線を下げた。
「最後に亀甲貞宗を見たのはいつなんだい?」
「…そうだね、破壊されるところだよ」
「そうなんだ。じゃあ、最期まで近くにいられたんだね」
「…あの時僕たちは全員御守を持っていたんだけど、それでも…何振かは、折れてしまったんだ。亀甲君はそのうちの一振だよ」
「他にも折れてしまった刀がいたんだね」
「うん…。急な事だったからね。事前に連絡のある急襲なんて無いけど…」
にっかりは、うっすらと笑った。亀甲は静かに、そうだねと相槌を打つ。
「本丸が襲われたと聞いたよ」
「…そうなんだ。どうやってうちに路を通したのかはまだ調査中らしい。ものすごく突然だった。前兆のぜの字もなかったよ。僕達は主に言われて、本丸に居る時でもいつも御守を身につけていたんだけど、こういう時のためだったんだなと思った。幸いあちらの通路が開いたのは主の部屋から離れていたから、主は無事だよ。亀甲君は…僕と畑に居たんだけど、本丸に戻る途中で一度…折れて、それから本丸での戦闘中に…」
折れてしまったんだ、という部分は、声にはならずに空気に溶けていった。
「直前には畑にいたんだね」
「うん。当番だったんだ。たしかキャベツのところに芋虫がいて…芋虫ってすべすべしてるだろう?だからちょっと触ってたんだ」
「…そ、そう」
「んふふ、きみも虫は苦手かい?亀甲君も、苦手なものは少なめだったけど、虫はだめみたいだったなぁ。主の影響かな」
「…どうだろう。ぼくのご主人様は虫は結構平気だけど、ぼくはあんまり平気じゃないな…」
「そうなんだ」
「うん。…虫の話は終わってもいい?」
「ふふ、そうしようか」
「ありがとう。本丸ではいつもどんなふうに過ごしてたんだい?」
「そうだなあ…」
にっかりは頬杖をついて、窓の方へと視線を向けた。そうしてしまうと亀甲からは、その特徴的な前髪しか見えなくなる。
「春にはみんなで花見をして…夏は縁側でアイスを一緒に食べたよ。秋には本丸設立の周年日があるからみんなでお菓子やごちそうを作ってお祝いをするんだ。それで冬はね、こたつからなかなか出られないんだ」
「うん」
「年末年始は主が書類とかですごく忙しくて、僕たちは主のためにケーキを焼いたりお蕎麦を打ったり、ツリーを飾ったり門松を作ったり…」
「にぎやかそうだね」
「連隊戦もあるしね」
「ふふ、たしかに」
「亀甲君…結局ずっと、七輪でお餅を焼くのを『踊り食い』って言ってたなぁ」
「…動くからね」
「そうだね。それから僕達、軽装も買ってもらって…」
ぽつりと、にっかりの声音はそのままに、テーブルの上に水滴が落ちた。亀甲はそれに気づかないふりをして、軽装、いいよね、と相槌を打った。
「…初めて見た時、お腹のところがぱんぱんだったからびっくりして、何が入ってるのか聞いたら」
にっかりは、肩を震わせて笑った。
「畳んだ内番着が入ってて」
「え?内番着が?」
「普段洋装だから着物が心許なかったらしくて、念の為持ち歩いてたんだって。ものすごく小声で教えてくれて、おもしろかったなぁ…」
ぽつりぽつりと、テーブルの上の水溜りは広がって行って、それからにっかりは、笑いながらしゃくりあげた。亀甲がすっとティッシュの箱を差し出すと、にっかりは鼻をかんだ。
「ほかには?」
亀甲が先を促すと、にっかりは、ほろほろと涙を流しながら、震える口を開いた。
「歌仙、ちょっと」
「んァ」
頬を容赦無く突かれて、歌仙はパッと目を覚ました。出てしまった声は不覚にも雅ではなく、歌仙は少し慌てた。
「そろそろ終わると思いますよ。あと僕何も盛ってませんからね」
歌仙の前に水の入ったコップを置きながら、宗三はそう言った。歌仙が寝起きの頭でその意味を噛み砕いている間に、小さな音がして、通路に並ぶドアの一つが静かに開いた。亀甲と連れ立って出てくるにっかりを見て状況を思い出し、歌仙は、差し出された水を飲んで手早く身なりを整える。
「こんなところで寝こけてしまうなんて、雅じゃない…」
「疲れが溜まっているんでしょう」
「そんなつもりは無かったんだけどね」
「大丈夫か大丈夫じゃないかは、自分ではコントロールできませんから。気に病むことではありませんよ」
「…肝に銘じておくよ」
歌仙は立ち上がり、軽く身体を動かした。そうこうしているうちに、亀甲とにっかりが近づいてくる。その足取りが軽やかで、歌仙はほっとした。
「お待たせ歌仙くん…おや、お楽しみのところだったかな?」
にっかりのそんな軽口も、久々に聞いた。歌仙が咳払いを一つする隙に、宗三は中くらいのため息をついた。
「お楽しみだったのはそっちでしょう」
歌仙がぎょっとして宗三を見ると、にっかりは、んふふと目を細めた。
「確かにね。カモミールティに鴨が入ってないとわかった時の亀甲君は、おもしろかったよ」
「そうだね」
亀甲は派手に顔を赤らめるでもなく、口元を隠して笑った。
それからにっかりと歌仙は、亀甲と宗三に挨拶をして、入ってきた扉から出て行った。
カラン、と、ドアにくくりつけられているベルが鳴った。一仕事を終えた報せだった。
宗三と亀甲はドアを施錠して、食器を片付けた。にっかりと話をした部屋も軽く掃除して、それからカウンターを軽く水拭きして、キッチンも少し整える。室内をぐるりと見回して、奥の控室に向かった。
「僕らも帰りましょうか」
「そうだね」
話しながら、宗三が灯りを消そうとするのを、亀甲がやんわりと止めた。
「確か午後は石切丸さんと小狐丸さんだから、電気はつけたままにしておこうよ」
「なるほど、そうですね」
宗三は、この次にこの部屋を使う者のことを思い出すと、もう少し片付けておくかという気分になったので、中途半端にしまっていたおかきの袋の口をしっかりとクリップで挟んで、所定の棚に戻した。亀甲はそれを見て、少しだけ笑った。
「お疲れ様でした」
「宗三君もね」
「歌仙がすぐに寝てしまったので、僕は暇でしたよ」
「そうなの?」
「ええ」
ぽつぽつと言葉を交わしながら、二振は従業員用の扉を開けた。扉の先の路地裏からは、表通りが見えた。刀剣も審神者も、連れ立って楽しそうに歩いている。先程の歌仙とにっかりは、早々に本丸に戻っただろうか、それとも、少し寄り道でもしているのだろうか。
宗三が施錠し、亀甲がそれを確認した。この場所は、政府の管轄で、紹介と予約がなければ入る事はできない。たまに間違えて入ってきてしまう者があるので、入り口は居酒屋のような作りになっているのだった。
「どこか寄って帰りますか?労ってあげなくもないですよ」
「ふふ」
答えを待たずに宗三が歩き出すと、亀甲がするりとその隣に立って、宗三の着物の端をつまんだ。その手を宗三が握り直して、二振は、表通りを歩いて行った。
〜おわり〜