こわれたものがしまわれている
8/3/2019
よく晴れ雨の降る、敷き詰められた雲の隙間から雪がちらつく日のことだった。虹を背負って咲き誇る桜の幹で蝉は命を鳴らし、手を振る紅葉は真っ白な雪面を彩っていた。小狐丸の鳴らす槌の音が遠くに響き、石切丸の薫く香がしめやかに流れていた。太郎太刀と次郎太刀は竹箒を持って庭に居る。寒くも暑くもない昼だった。いつものように、受取箱が音を立てた。
歌仙兼定が初期刀を務めるその本丸は、こわれたものがしまわれている場所だった。不定期に政府から送られてくる大量の刀剣を保管しつつ、小狐丸が少しずつ打ち直している。打ち直されたものから政府に返却され、そしてまた、次の刀剣が送られてくる。石切丸は修繕のできそうにない刀剣を審神者と共に見送り、太郎と次郎は敷地内を清く保った。政府からは、時折こわれた骨董品も送られてくる。歌仙はそれを直しながら、審神者の生活を手伝った。
この本丸に、蔵は無い。打ち直しや見送りを待つ刀剣たちは、集められて部屋に置かれていた。人の身を写しているのは、この本丸に属する五振だけだった。あとはこわれた刀剣の姿のまま、各々の部屋で横になっている。そうして、遠くから響いてくる槌の音を聞いていた。もしかしたら、彼らは密やかに言葉を交わしているのかもしれなかったが、審神者がその声を聞くことは無かった。
広間とも呼べない居間には、ブラウン管のテレビがあった。物々しい大きな箱で、電源を入れるとぶぅんと鳴って、小狐丸の髪はふわりと引き寄せられた。このテレビもこわれているので、必要に応じて、審神者は優しく叩いたり、うさぎの耳のような針金の角度を変えてみたりした。本丸に届くのは電波ではないので、関係はないのだけれど。こわれたテレビは叩くものだと石切丸が言うので、皆それに倣った。
歌仙の作る菓子は、いつも美しかった。もちろん最初から器用にこなせていたわけではなく、時間をかけて技を磨いた。この本丸の刀剣は出陣をする事がないので、歌仙は、そして他の四振も、この本丸に寄越される前に強さは極めていた。ここでは、時間の流れはよくわからない。こわれた景趣は季節を教えてくれることはないし、こわれた時計は時を刻むことはない。歌仙はなんとなくその日の季節を定めて、菓子を作った。花を模したり、節句の縁起をかついだりした。
静かな、静かな場所だった。審神者の鼻歌が、どこにいても聞こえたが、それよりも鳥の声の方が大きかった。星は鈴のように鳴って、月は笛のように奏でた。
「ぬしさま」
大きな狐が、今日も直した刀剣を持ってくる。審神者はそれを、厳かに受け取った。鞘を払い、目視。一度霊力を注いで満たして、それからすっと空っぽにする。
「きれいに直っている。ありがとう小狐丸」
そうして検分した瑕疵の無い刀を、審神者は送信箱へ入れた。数刻もしないうちに、その刀は政府に回収されることだろう。一仕事終えた小狐丸を労りながら、審神者と一振は居間へと向かった。そろそろ歌仙が、おやつを用意してくれている頃だろう。濡れ縁を通る時に太郎と次郎の姿が見えたので、審神者は彼らにも声をかけた。いつの間にかやってきた石切丸も加わって、大きな体に囲まれた小さな体は、涼やかに笑んでいる。
歌仙の作ったおやつは、その日は珍しく洋菓子だった。素朴な食感の焼き菓子で、もみの木の形をしていた。出されたお茶は、香りの強い、紅いお茶だった。庭を、何かが駆けていった。どこかから入り込んで、どこかから出ていくのだろう。隙間はいくらもである。
菓子は、とても甘かった。次郎はいそいそと酒を持ち出してきた。
「主、あんたもう酒は飲めるんだっけ?」
人の世には、ややこしい決まり事がいくつもあって、次郎はいつも、それを忘れてしまう。
「うーん、どうだったっけ…わからないからやめとこうかな」
審神者も、いつも忘れてしまうので、念の為やめておく。次郎は、早くおおきくなりな、と笑いながら、自らの杯を干した。
この本丸は、こわれたものがしまわれている場所だった。こわれていないものは長居をしない。直された刀剣も、通りすがりの小動物も。この美しい場所で、それぞれ役割を果たしながらも、この本丸にはこわれていないものはない。明るく優しい次郎は色々なものをすぐに忘れてしまうし、穏やかでゆったりとした太郎は朝から晩まで掃除をしている。何事も器用にこなす小狐丸には片目が無く、人の世の暮らしに詳しい石切丸は眠ってばかりいた。いつもおいしいものを作る歌仙は肉を切ることができず、故にこの本丸で肉料理が出ることはない。
戦時にあって、実に平和な毎日だった。送られてくるたくさんの刀剣を一つずつ丁寧に直し、送り返す。戦場でこわれてしまったものも、他の場所でこわれてしまったものもあるだろう。直せるものもあるし、直せないものもある。その性質故か、この本丸は、一際澄んだ場所でもあった。穢れは、生まれた端から祓われていく。迷いは、生まれた端から飲み込まれていく。飢えは、生まれた端から満たされていった。
人も刀剣も、好んで近寄らない場所だった。なにせ、現世とかけ離れすぎている。
よく晴れ雨の降る、敷き詰められた雲の隙間から雪がちらつく日のことだった。虹を背負って咲き誇る桜の幹で蝉は命を鳴らし、手を振る紅葉は真っ白な雪面を彩っていた。小狐丸の慣らす槌の音が遠くに響き、石切丸の薫く香がしめやかに流れていた。太郎太刀と次郎太刀は竹箒を持って庭に居る。寒くも暑くもない昼だった。
いつものように、突然景色が消えた。
明るくも暗くもない空間に、ぽつんと建物が浮かんでいる。庭を掃除していた太郎と次郎はふわふわと濡れ縁にたどり着いた。歌仙が、濡れた手を拭いつつ、厨房から審神者の部屋をつなぐ廊下を早足て歩いていく。太郎も次郎も、それから石切丸も小狐丸もそれに続いた。小さく、赤子の泣き声が響いていた。
この本丸は、こわれたものがしまわれている場所なので、こわれていないものは長居をしない。その身の理のこわれた審神者は、時折こうして、突然赤子に生まれかわる。歌仙たちは、いつも審神者を育て直す。審神者が直ることはないので、政府に送り返される事もなかった。戦時にあって「とりあえず後で対応する」とされたものが、この場所にはしまわれている。直せるものを直しだしたのが誰だったのか、誰も覚えていない。直したものに政府が気付き、それを回収していくようになったのがいつだったのか、誰も覚えていない。
この本丸は、こわれたものがしまわれている場所なので、こわれていないものは長居をしない。直せないほどこわれたものも、長居はしない。
こわれた景趣は季節を教えてくれることはないし、こわれた時計は時を刻むことはない。
毎日毎日、よく晴れ雨の降る、敷き詰められた雲の隙間から雪がちらつく美しい空の下、虹を背負って咲き誇る桜の幹で蝉は命を鳴らし、手を振る紅葉は真っ白な雪面を彩っている。
赤子をあやす彼らのうしろで、いつものように受取箱が音を立てた。
~おわり~