うつくしさ、とは、尋常ならざるものに宿る。例えば、人の子らが美しいと称する顔は、目鼻立ちが異常に整っているものだし、人の子らが美しいと愛でる庭は、並々ならぬ努力でもって自然を模していたりする。目で見る事のできるものはもちろん、例えば心の在り方も同じ事。燃え盛る激情に呑まれた心は、げにうつくしきものよ。
もののあはれ
2/2/2019
我は日本刀の父。子らの面倒を見るのはやぶさかではない。ゆえに、我がやってきたこの本丸が他所の刀剣達を受け入れては世話をする役を拝しているのは、僥倖であった。戦というものは、長引けば長引くほど、身の内の虫が騒ぎ出すもの。それらを退治する役目を持つ者が現れるのも、当然の流れと言えよう。
この本丸へ世話を焼かれにやってくる子らは皆、内に鬼を抱えている。鬼は彼らのこころに巣喰い、その在り方を蝕んでいく。我らは刀剣男士となるときに、人によく似た身体を与えられる。その身体を得ると、それまで曖昧な存在だった己のこころとも向き合わねばならなくなる。こころというものは、喜びや楽しみを華やかなものとし、けれど同時に欲も不満も、迷いも生む。それが過ぎると、こころには虚(うつろ)がうまれやすくなる。鬼は、そこにするりと入り込んでくるのだ。我らの主は陰陽師ではないそうだが、審神者となる前は鬼退治を生業としていたらしい。その主の下、教えを受けながら、我らもまた、子らの鬼を退治するのだ。簡単な場合もあれば、ひどく難しい場合もある。救いというものがわかりやすい形である場合もあれば、おそろしく歪で、悲しいものである場合もある。いずれにせよ、我らは鬼を退治するものとして、どのような結果も受け入れなくてはならない。
この本丸が他からの刀剣を預かる際には、いつも、彼らと同じ刀剣と、助けとしてひとりふたりが世話係に任命される。つい三日前にやってきた髭切という刀には、当の髭切と、それから膝丸、そして我が世話係として任命された。髭切と膝丸は別々の刀ではあるが、二振一具と謳われるままに、この本丸ではふたりで一振という扱いを受けている。もちろん、出陣や遠征、演練に赴く際には、我らは頭の数を数えられるゆえ二人分扱いではあるが、このように他からの刀剣の世話を命じられる時、彼らは常に共にある。
髭切という刀がこの本丸にやってくるのは、少なくとも我がここへ顕現して後は、初めての事であった。膝丸のほうは、これまでに何度かやってきた事がある。どの膝丸も、最後には晴れ晴れとした顔で、次の主を探して去っていったものだ。主に呼ばれ、髭切をこの本丸で預かるという話を共に聞いた途端、髭切は、刀剣全員に御守を持たせ、主の側には常に二振以上の刀剣を置くようにと言い、主はそれに頷いた。髭切という刀は、常には惣領然とし、穏やかであり苛烈であり、部隊に気を配りつつも自らを忘れない、そのような刀だ。我がこの本丸へやってきた時にも、事を荒立てる事なく、すんなりと迎え入れた。この戦時下にあってそれが最善策だという事を理解し、そして優先させたのだろうし、髭切にとっては過去の因縁よりも、今この戦に勝つことこそが重要なのだろう。その髭切は、鬼を飼う己に対して非常な警戒を見せた。常にないその様子に、主もはじめは少し驚いた様子だったが、我は髭切の言を強く推した。たしかに、純粋な戦闘力という意味では、修行を終えた短刀が居れば、髭切一振をどうにかすることは難しくは無いだろう。しかし、髭切やーーー他の平安からの古い刀達もそうであるが、彼らの強さは戦闘力のみでなく、「虚を衝く」技にもある。年寄りを自称し、のんびりと過ごしながらも、我ら平安の太刀は、対峙する相手を常に見ている。ほんの一瞬迷うだけで簡単に虚を生むこのこころというものを、どの子らも、そして人の子らも持っている。やってくる髭切が害意を持って虚を衝けば、いかに極めた短刀とて叶わぬ場合も十分にあるだろう。髭切はそれをこそ、警戒しているのだ。
全員が御守を持ち、そして主の護衛の手配も済ませると、その髭切はやってきた。うちの髭切と同じように飄々として、おっとりと歩いている。げえとをくぐりこの本丸の地に足をつけたところで、出迎えの源氏の二振を見るなり駆け寄って行った。
「わあ!弟〜!」
「ちょっと、この子は僕の弟だよ」
「え〜?それってつまり僕の弟でもあるって事じゃない」
その髭切は膝丸の顔を触ったり、抱きしめたりと忙しい。その隣で髭切がなんとか髭切を剥がそうとしている真ん中で、膝丸は満更でもなさそうな顔をしている。膝丸の、そのように素直なところは、好もしい。その様子を眺めつつ、我も一応は世話係であるので挨拶をすると、その髭切は一気に眉根を寄せた。
「え〜っ、君も僕の世話係なの?」
「そうだ」
「なにそれ、うける」
その髭切は不機嫌を隠しもせず、我を見て笑った。その様子には、源氏の惣領たる威厳を感じない。あまりにも無様。そして、ほんに遺憾なことだ。
「うける、とは何だ?」
「平家の刀は最近の言葉を知らないのかい?どうでもいい時の返事の仕方だよ」
「なるほど」
言葉を交わしていると、髭切がちらりとこちらを見遣った。あまり機嫌を損ねるのは上策ではないと告げる瞳であった。我がふと口を閉じれば、その髭切はすぐに膝丸に話しかけた。調子を尋ね、好きな食べ物を問い、顔をその両手で包んで離さない。うちの髭切が無理やりその手を掴んで引き剥がし、客間へと連れて行くまで、ついにその髭切は、膝丸以外に挨拶をすることはなかった。
やってきた髭切は、一通り膝丸を構い倒すと少し落ち着いたようで、二日ほどで身の回りを整えると、内番を手伝うようになった。はしゃいでいるとでも言えばよいのか、髭切としては落ち着きがない個体のようで、悠然と構えるうちの髭切とはやはり違った。とにかく膝丸と話すのが楽しくて仕方がないとでも言うように、そして沈黙をおそれるように、常に膝丸に話しかけていた。その傍らには常にうちの髭切の姿があったが、うちの髭切は殆ど口を開くことなく、ただじっと、やってきた髭切を見ていた。やってきた髭切は、休みなく話していたかと思えば、時々思い出したように何かを話せと膝丸にねだった。何でもいいから話を聞かせてくれと、鬼気迫る様子で詰め寄っているのを見たこともある。兄に請われれば、膝丸はとりとめもなく何でも話した。膝丸が話をする何もかもを、その髭切は幸せそうに聞いていた。我も一応世話係ではあるので常に彼らの近くに居たのだが、あの髭切は、我の事など廊下の木目のようにしか認識していなかったのではないかと思う。人の子には反抗期というものがあると聞くが、まあ、そのようなものだと思えば何でもない。我は刀剣の父ゆえ、子らを見守るのは得意なのだ。
それからしばらくした日のことだった。その日、我らは皆畑当番で、収穫を終えた畝を作り直していた。ふと、いつも休みなしに膝丸をかまっている髭切が静かな事に気づいた。どうしたのだと見やれば、彼は砂利と土を食べていた。主からそのような事があるとは聞いていたが、実際目にすると、なんとも奇妙なものだった。
「やれ、何をしている」
我が声をかけると、うちの髭切と膝丸も気づいたようで、慌てて駆け寄ってきた。その頃には、その髭切は奇妙なつまみ食いを終えたようで、えずいて喉を鳴らしながら、それでも青い顔をして必死に口を閉じていた。
「兄者!我慢をしてはならん、出すのだ!」
うちの髭切と膝丸が二人掛かりで暴れる髭切を押さえ込み、その口をこじ開け指を突っ込むと、髭切はようやく嘔吐した。ついでに昼餉もすべて出したようで一息つくと、白い顔を青くしたまま、虚ろな目をして笑い始めた。
「ああ、よかった、ふふ」
「何がだ、兄者」
うちの髭切が、せっかくだから肥やしにしようと土で吐瀉物を覆っている間に、膝丸が口をゆすげと茶を差し出した。髭切は茶を受け取ることもなく、安心したように笑い続けている。
「ふふ、弟…、この身体はねぇ、食べてはいけないものを食べると、こうして外に戻ってくるんだよ」
「当たり前だ。土など…美味いものでもなかろう」
「ふふ、納豆だっけ…あれも美味しくはないかな」
「ああ、だが、納豆は栄養があるのだ。食べれば兄者の血となり肉となり、ちからとなるのだぞ」
「あはは、そうだねぇ、弟…ふふ、あはは」
何がおかしいのか、髭切は座り込んだまま笑っている。しかし我は、気づいてしまった。この髭切の事を見守っていたがゆえに。
「髭切よ、お主、前の本丸で何を食べたのだ」
我が尋ねると、髭切の空気が変わった。とっさに、うちの二振が腰元に手をやる。しかしこの場では誰も帯刀をしておらず、それは空を掴んだに過ぎなかった。髭切は、うける、とまた言った。どうでもいい時の返事なのだと言っていたが、きっとこれは、どうでもいい事ではないはずだった。我らが答えを得るまで動かないつもりだと察したのか、髭切は目を細めた。ゆるやかに笑う口元から、鬼歯が覗いている。
「膝丸」
甘ったるく、彼は弟の名を呼んだ。
「僕は嫌だって言ったんだよ?だけどねぇ、主が食べろって言ってきかないんだ。人の身の肉をね、少しずつ、口につっこまれて…」
話をする髭切の瞳が、ひときわうつくしく光ったので、源氏の二振に、太刀を持って来いと目配せをした。
「僕は本当に嫌だったんだよ。でもねぇ…口に入れられちゃって、そのあと塞がれちゃったら、飲み込むしかないよねぇ」
話を続ける髭切に気付かれることなく、二振はそっと場を離れた。
「すごくすごく嫌でね、気分も悪かったんだけど…でも弟だから、我慢したんだ。そしたら我慢できちゃった。弟はね、きっと、食べてはいけないものではなかったんだよ。弟はね、僕の血となり肉となり」
髭切は、ひどくうつくしく笑った。
「ちからになったんだ」
うつくしさ、とは、尋常ならざるものに宿る。例えば、人の子らが美しいと称する顔は、目鼻立ちが異常に整っているものだし、人の子らが美しいと愛でる庭は、並々ならぬ努力でもって自然を模していたりする。目で見る事のできるものはもちろん、心の在り方も同じ事燃え盛る激情に呑まれた心は、それはそれはうつくしいものなのだ。目の前の髭切は、そのうつくしさを手にしようとしていた。鬼に成ろうとするこころを、ぎりぎりのところで引き留めている。
「僕はね、小烏丸、刀解を願い出たんだよ。でも、誰も僕を刀解できなかったんだ。たぶんね、弟が僕のちからになったから」
「あわれよな」
「本当だよね。じゃあせめて戦場で折れたいと願えば、刀解できないような刀は戦場へ出せないって言われてさぁ、仕方ないからここへ来たんだよ。そうしたら、弟がいるじゃない。とっても嬉しかった。でもね、あの弟は、ここの僕の弟だものね。僕の弟は、僕が食べちゃったもの、ふふ」
髭切は、話をしながら揺らいでいた。何とか落ち着いて、髭切の太刀に戻ろうとしていた。けれどそれでは、おそらく同じ事の繰り返しだ。髭切はずっと、同じように揺らぎ続けなければならぬだろう。
「膝丸に、討たれたいとは思わんか?」
進むことも戻ることもできないのであれば、終わらせてやることも、慈悲の一つだろう。我がそう尋ねると、髭切は驚いたような顔をした。
「それは…いいね、でも、刀剣男士が他の刀剣男士を手にかけるのは問題ではないの?僕は、弟にそういう面倒をかけたくはないよ」
「何とも弟思いなことだが…少なくともひとつ、方法はある」
「さすが年の功、さっさと教えてくれるかい」
そろそろ、源氏の二振の気配が戻って来ている。我も、手にしているのは農具とはいえ、丸腰ではない。ひたりと、髭切は我の目を見据えていた。
「鬼に成ってしまえばよいのよ」
ざわりと、空気が動いた。目の端に、抜刀する二振が映る。
「髭切よ、お主はよく耐えた。さすが源氏の、惣領の太刀。だがもうよい。恨み辛み、苦しみ、悲しみ、怒り。全てを晒し、鬼に身を委ねよ。鬼となったお主をならば、我らが斬っても何も言われはせん」
「ひざまる」
髭切は、幼子のような目をして膝丸を見遣った。膝丸は、きらめく太刀を構えている。
「僕はお前を、食べてしまったよ」
髭切の注意が完全に髭切に移ったので、我は少しずつ、彼らから距離をとった。
「僕達は二振一具、二振いなければいけないのに、膝丸」
刀が鬼に成る様子は、やはり、とてもうつくしかった。激情を溢れさせる瞳、魂を吐くような声。纏う空気を燃やし、太陽の下夜を呼んだ。喉元をかきむしり、額から角を生やしながら、その髭切は泣いている。
「お前はこの身の中に居るのに、どれだけ呼んでも返事も何も無い、ひどいよ、この兄を、この髭切を無下にするなんて……あは、よりにもよってこの僕を鬼にするだなんて、ふふ、人の子も随分と、偉くなったものだよねぇ」
泣いていたかと思えば笑い出し、ゆらりと立ち上がって膝丸に近づいていく。膝丸は何も言わず、じっと様子を見守っていた。髭切の吐く息は赤く濁り、牙が自らの唇を貫いている。
「ひざまる」
「もう、よいか」
「ひざまる、ひざまる」
鬼の呼びかけには、応えてはならない。けれど膝丸には、返事をしないことはできなかったのであろう。問う事で応とし、そして、もはや正常には会話のできない髭切を、一太刀の元に斬り捨てた。
まるであっけなかった。それこそ、源氏のおわりのように。
鬼を斬った事を主に報告すると、畑の一角は祓いのためにしばらく立ち入り禁止となった。我らは世話係の任を終え、いつものようにれぽおとという報告書を提出した。今回はこの本丸の刀剣男士が預かりの身の刀剣男士を斬ったということであったので、政府の者とやらへの説明が必要であった。我らは主の部屋へ呼ばれ、何があったのかを、問われるままに話した。そして、問われなかった事は話さなかった。刀剣男士が刀剣男士を食らい、その力を得る。それは、連結と称して審神者が行なっている事でもある。今回の髭切と何が違うかと言えば、通常の連結は刀同士で行われ、今回の髭切は人の身同士で行われた事だ。人の子が道を踏み外さぬ事を願うが、我らはただ、見守ることしかできない。
全ての事後処理が終わると、我らには畑当番が回ってきた。休暇の前に、少し日常の業務をこなしたほうが良いとのことだった。注連縄で区切られた一角の残る畑の草を抜いて、肥料を蒔いた。我ら三振、黙々と作業を行えば、かなり日が高いうちにその日の作業は完了した。
「兄者」
「うん?」
膝丸が、立ち上がって畑を見回した。髭切が、その隣に立つ。
「くるしい」
「うん」
膝丸は鼻をすすったが、髭切は、泣き虫だねえとからかう事はしなかった。そのかわりとでも言うように、二振は肩を寄せ合って立っていた。
我は日本刀の父。子らの面倒を見るのはやぶさかではない。しかし、過保護にするのは健康的な父とは言えぬであろう。
我は二人を残し、畑を後にした。
〜おわり〜