人の身を、そしてこころを得て学んだことがある。物事というのは得てして曖昧で、夢も、現も、幻も、嘘も、真も、それをそうと決めるのは、結局は自分のおもいだ。人の記録や言葉はすぐに形を変える。鋼であった俺たちにとって、安易に形を変えるものはとても心もとない。
陽炎のかげおくり
8/18/2019
俺は、初期刀ではない山姥切国広として、この本丸に顕現した。この本丸の刀剣男士としては、先輩よりも後輩の方がよほど多い。俺たちの主は他の審神者と同じ任務に加えて少し特殊な任務を請け負っており、この本丸には、時々他の本丸で顕現された刀剣がやってくる。彼らはみな、何らかの理由で刀剣としての自己を歪められ、行くことも退くこともできなくなっていて、俺たちは彼らが前にしろ後ろにしろ、横にしろ、進めるようになる手助をけする。主は人のこころを癒す医者だったそうで、俺たちーーーこの本丸に顕現した刀剣は皆、主から手ほどきを受けている。手ほどきと言っても医術だとかそういう類を習うというよりは、とことん己と向かい合う事を要求される。顕現し、刀剣としての生活に慣れ、戦場での強さを得て、出陣の頻度が減ると、それは始まる。俺たちは主の問いに、一つ一つこたえなければならない。そこに正解は無く、主も決して急かしたり、否定したりしない。けれどそれはどの戦よりも重く、辛く、胃をひっくり返してもう一度ひっくり返し直すような心地だ。これは必ず主と一対一で行われるし、本丸の中で二振以上が並行して行う事は無い。誰かがその問答の最中であるとき、他のものは皆それを見守り、遠くから近くからそれとなく支える。それが一日で終わるものもあれば、長く時間のかかる場合もある。しかし俺たちにはそれが必要だ。進退窮まった刀剣たちとふれあう時に、こちら側が揺らぐ事はできない。自分が何者で、どういった考えを持っているのかを、強く強く知り、いかなる嵐にも耐えられるように重く重く構えなければならない。
他の本丸から刀剣がやってくる時には、その刀剣と同じ刀剣が主に面倒を見ることになる。揺らぎない己と向き合うことで自らの状態を知り、健康的な影響を受けるためだ。それからもう一人、その刀剣と親しかったり、縁があったりする刀剣がサポートをする。こころを癒すには、自己と他、両方の手助けが必要なんだそうだ。
そして一週間と少し前、この本丸に、山姥切長義が寄越された。これは少し異例な事だった。というのは、この本丸の本歌はまだ、主との問答の真っ最中だからだ。誰もがすんなりと終えるだろうと思っていたそれを、本歌はすでに二ヶ月ほど乗り越えられずにいる。そのせいか、主との一対一が基本であるはずのそれに、南泉一文字が手助けとして参加するようになっていた。そんな状態で、有り体に言えば準備の整っていない状況でなぜ山姥切長義を受け入れたのかと言えば、どうやら結構な数の山姥切長義がこの本丸を訪れる順番待ちをしているそうで、政府から催促が来たらしい。本歌は審神者達にとって初めての、政府職員経験のある刀剣だからだろうか。本丸配属に際し、問題が浮上することの多い刀剣となってしまったようだ。さすがの主も政府からの再三の通達に否やを通せず、今回、山姥切長義がやってきたのだった。そうして俺は、山姥切長義のサポート役となり、南泉は、まだ問答を終えていない本歌のサポート役として、表立ってではないけれどこの件に任命された。
そんな訳で、ここ一週間ほど、俺たちは山姥切長義と過ごしている。彼は口を開けば刀解しろの一点張りで、主の事は無視するし、本歌に対しても態度が悪い。幸い、この本丸でずっと過ごしている俺たちはそういった刀剣の扱いに慣れているから、特に気分を悪くするでもなく、かといって過剰に気を遣うのでもなく、そういうものはそういうものなんだという態度で過ごしている。主はいつも、必要最低限の注意事項のみ俺たちに伝える。何があってそうなってしまったのか、本刃が何を希望しているのか、そういった事は滅多に伝えられることがない。俺たちは俺たちのふれあいの中で、相手が知ってほしいと思った事を知り、そして、語りたくない事は知らないままだ。こころとこころのふれあいというのはそう言うものなんだそうだ。主が言うのだから、きっとそうなんだろう。俺たちの主は、本刃が刀解を望むならそれもよしという考えの持ち主だが、先述の通り山姥切長義は政府と関わりの強い刀で、そして政府から、できるだけ刀解は避けたいという旨のお達しが来ているそうだ。その点については、俺は少し、山姥切長義に同情をしている。
「偽物くん」
「写しは、偽物とは違う」
このやり取りを、この一週間ちょっとで百回はしたのではないかと思う。山姥切長義は用も無いのに俺を偽物と呼び、そうして俺に「写しは偽物とは違う」と言わせたいようだった。なので、何回でも付き合っている。俺は、こういうのは鍛錬と同じだと思う。何度も何度も繰り返すうち、ある時突然、その先が見えることがある。きっと山姥切長義は、このやり取りの先にある何かを求めているんだろうと思った。
俺たちがほぼ一日中このやり取りをしている横で、本歌はその様子を静かに見ている。見守っているわけではない。ただ、見ている。それは俺が対応を間違えないか見張っているようでもあったし、山姥切長義が、他の何かを口にするのを慮っているようでもあった。南泉は、そんな俺たちのところへたまにやってきては本歌や山姥切長義にちょっかいを出して、そして去っていった。
そんな事を一週間続けて、それから更に数日続けた。はじめ、ただ俺しか見ず、俺にしか話しかけなかった山姥切長義も、本歌や南泉の存在に気づいたらしく、彼らとも少しずつ、「刀解しろ」以外の言葉を交わすようになった。変化というものは、とても良いものだ。それまで立ち尽くす事しかできなかったのが、どの方向にしろ、一歩足を動かしたという事なんだから。俺たちはそれがどの方向に向かっているのかを見つけなければならないが、焦りを見せて、せっかく踏み出したその足を引かせてしまってはならない。
「偽物くん」
「写しは、偽物とは違う」
「君は俺が、言葉の意味もわからずに使っていると思っているのかな」
「そうは思っていない。きっと何か意味があるんだろう」
二週間目が終わろうという頃、やり取りの内容が増えた。何を言われようと、俺は俺の言葉を返すだけだ。俺は、俺たちは、この山姥切長義がひどく疲れて、歪んで、傷ついている事を知っている。知っているから、彼がこうして余裕なく、こちらを傷つけようとしてきても、観察はしても、腹を立てることはない。俺のそうした態度にもっと癇癪を起こすかと思っていたが、今の所そういった様子は無い。だからといってこれからも無いとは限らないが、以前他の刀剣を受け入れたのをきっかけに、俺たちは他の本丸からの刀剣を預かっている時、皆が常に御守を身につけるようになった。目立たない程度に、主の護衛も強くしている。万が一は、あってからでは遅すぎる。
「偽物くん」
「写しは、偽物とは違う」
四週間目に入る頃、やりとりの内容が振り出しに戻った。だからといって、全てが元に戻った訳ではない。きっと山姥切長義の中で何かが変わったんだろう。刀剣男士というこの身体は、こころの思うままに動く。山姥切長義は変化を続けていて、それは、とてもよい事だと思う。たとえ後ろ向きにだったとしても、進み続けることは、こころを持って生きているという事だから。
「偽物くん」
「写しは、偽物とは違う」
以前と違うところといえば、やりとりの頻度が更に上がった事だ。起きてから寝るまで、食事中も、内番中も、休憩中も、ふとした折に縁側で茶を飲んでいる時も、とにかく声をかけてくる。本歌は相変わらず、そんな山姥切長義と俺を静かに見ている。感情の篭っているような、篭っていないような目で、じっと。山姥切長義とのやりとりを繰り返しながら、俺は時々、本歌の様子が心配になった。そういう不安を感じた時、一人で抱えるのはよくないので、山姥切長義を少しの時間本歌に任せて、南泉と話をした。南泉はいつもめんどくさそうな態度を見せるが、その実面倒見がよくて優しい刀だ。そして、本歌の隣で短くない時を過ごしている刀でもある。南泉は今回の件では本歌のサポートとして動いていて、だからこそ、俺の心配をきちんと理解し、本歌のことは大丈夫だと言ってくれた。南泉はこの本丸では後輩にあたるが、顕現日数だけが経験の全てではない。揺るがない様子で大丈夫だと言われれば、俺は簡単に安心してしまって、山姥切長義との問答へ戻ることができた。
山姥切長義が来てからもうすぐ一月になろうかという頃、彼は突然、何も言わなくなった。ただ黙々と、与えられた仕事をしている。そんな日々が二、三日続いた頃、縁側で並んでアイスを食べていると、本歌がゴミをまとめて捨ててくると言って席を外した。俺は事前にこの事を伝えられていた。俺と二人にしたら、山姥切長義が何かを話すのではないかと。本歌も南泉も、気配は完全に消えているが近くにいる。
「…やけに時間がかかっているな。誰かにつかまりでもしたか」
ゴミを捨てるだけならとっくに戻ってきても不思議ではない程度の時間が経ったので、俺はそう言った。ぼんやりと庭を見つめている山姥切長義がそれを聞いているのかどうかはわからなかったが、彼がゆっくりと目を閉じ、開いたのを見て、聞いていたんだなと思った。
「偽物くん」
「写しは、偽物とは違う」
「では、写しくん」
「なんだ、山姥切長義」
突然、やりとりが再開されたのかと思ったが、それは、会話だった。
「…君は、俺のことは本歌とは呼ばないね」
「預かり刀剣は、できるだけ名で呼ぶようにと言われている」
「そうか」
山姥切長義は、相変わらず庭を見つめていた。
「俺は、山姥切長義という名なんだな」
「そうだ」
「そしてお前は、俺の写し」
「その通りだ」
俺が答えると、ぼんやりと庭を見ていたその目が、鈍く光って俺を映した。
「俺もお前も偽物だ」
「何故そうなる」
「この世に『山姥切長義』という刀は存在しない。国広の最高傑作である山姥切国広は山姥を切った刀だが、お前は山姥を切っていないと言う。俺は俺こそが山姥を切ったと名乗る『山姥切長義』という偽物の刀、そしてお前は、山姥を切っていない、『山姥切国広の偽物』だ」
驚くほとすらすらと、彼は言葉を続けた。ようやく知ることができた。これが、山姥切長義につけられた深い傷。本歌本人にはもう話したのかもしれないが、きっと、本歌も俺に聞かせたかったんだろう。だから席を外したんだ。
「そうかもしれない」
もう少し何かを話して欲しくてそれだけを口にしたが、山姥切長義は目と口を閉じて俯いてしまった。だから、俺は庭に目を移して続けた。
「でも、俺は、俺だ。偽物であったとしても、国広の最高傑作と謳われた刀と遜色ない刀を持つ、山姥切長義の写しで、刀剣男士だ。俺たちはこの身を得たことで、ただの刀では居られなくなった。ただの刀ではないから、自分が何者なのか、自分で決めることさえできてしまう。俺は俺であることを決めた。あんたの言う通り、俺は国広の最高傑作としては偽物なのかもしれないが、それでも間違いなくあんたの写しだ。そして俺は、それを、とても誇りに思っている」
人の身を、そしてこころを得て学んだことがある。物事というのは得てして曖昧で、夢も、現も、幻も、嘘も、真も、それをそうと決めるのは、結局は自分のおもいだ。人の記録や言葉はすぐに形を変える。鋼であった俺たちにとって、安易に形を変えるものはとても心もとない。しかし俺たち刀剣男士の根本とも言えるものは、鋼の記憶ではなく、人の記録によるところが大きい。だからこそ揺らぐこともあり、だからこそ簡単に歪められてしまう。
山姥切長義は、夕陽がすっかり沈んでしまうまで、縁側で俯いていた。夕餉の報せは来なかった。おそらく、本歌と南泉が俺たちに近づくなと言ってくれたんだと思う。夜がやってきて、流石に腹が空いてきた頃、
「何か食べよう。きっと俺たちのぶんは残しておいてくれてある」
と、山姥切長義に声をかけた。顔を上げた彼の目は、星をまぶしたように輝いていた。
「刀解してくれ」
俺は、すぐには頷くことができなかった。だって、彼は、俺の本歌だ。だけど、俺たちはこの本丸の刀剣だから、こういう場合に自分の感情を優先することはできない。
「…あんたの希望が通るように、俺と本歌から、主に伝えよう」
二日後、山姥切長義は、政府から刀解を許可されて、実に晴れ晴れとした顔で本丸を去った。
そしてその翌日、保留となっていた主と本歌の問答が終わった。問答が終わってからも、本歌は相変わらず南泉と連れ立っている。鈍い俺でも流石にわかる。きっと彼らは、特別な仲なんだ。それから本歌は、折にふれおやつをくれるようになった。流石に不思議だったので理由を尋ねたら、
「お前が俺のかわいい写しだからだよ」
と上機嫌に返ってきた。あの時の山姥切長義との会話を、本歌も聞いていたんだと、改めて思った。俺はくすぐったいような、うれしいような気持ちになった。
「それは本当か」
「俺はどんな時も、本当のことしか言わないよ」
そう言って笑う本歌の目は、あの夜の山姥切長義のように、星をまぶしたように輝いていた。
〜おわり〜