久方の、光のどけき、春の日に
2/16/2024
「きみ、雑賀に縁があるんでしょう?種子島に詳しい…?」
ようやく色づこうとし始めた庭を二人の兄達と並んで愛でようと、もっぱら古備前御用達となった濡れ縁を整えていた八丁念仏に、穏やかな穏やかな、柔らかい声が降ってきた。手元を落ち着かせてから顔を上げると、初めての冬を終え、これから初めての春を迎えるのであろう、実休光忠が立っている。
「あ、俺?詳しいっていうか、勉強中ではあるかなっ」
生活の中の自由になる大体の時間を、織田の縁者や他の光忠達と過ごすこの刀が、自分に話しかけてくるのはもしかしたら初めてかもしれない。八丁は少し緊張しつつ、持ち前の明るい笑顔でそう答えた。実休はいつものようにぼんやりと微笑んでいて、少し猫背で、恰幅もいいくせに、ちょこん、と立ったまま、そう、と頷く。
「戦力として、どう思う?」
「えっ…と」
続けて投げられた言葉に、八丁は言葉を選ぼうとした。自分たちは刀で、銃は刀を破った武器だというのが、一般的な歴史の答えである。色々なものが混ざってよくわからない自分とは違い、目の前の光忠の太刀は、再刃こそされていないものの、その来歴は確固として燦然たるものだ。
「主の時代の火器は、種子島なんかよりよっぽど精度がいいんでしょう?弾込めの時間もずいぶん短いし、飛距離だって…。種類もずいぶんたくさんあると読んだよ」
実休は、もはや種子島の話をしているのではなかった。時の政府が礎としている時代の、その技術の粋を集めた、各種銃火器の話をしている。そうなってくると八丁はもう、
「うん、まぁ…当たれば強いと思うよ。でも、日本刀なら銃弾を真っ二つにできちゃうんだってさっ」
などという事を言うしかない。撃たれた弾を、刀であれば斬り伏せされるというのは、実験結果として残っている。ただ、それこそ「うまく当たれば」というものではあるが。
「ふぅん」
実休は、軽く頷いた。八丁は、それが少し怖かった。頼りの兄達も、まだここにはいない。
「じゃあ弾とか細かいのじゃなくて、全部吹き飛ばした方がいいのかな」
この刀は、織田信長の影響を強く強く受けていると聞き及んでいる。八丁は、あらゆる災いにつながるかもしれない事を絶対に言いたくはなくて、精一杯、曖昧に笑った。
「火薬の話になってくると、俺はちょっと、専門外かもっ」
三十六計逃げるに如かず。八丁が困ったようにそう言うと、実休はにこりと笑った。そして丁寧に礼を言って、縁側から姿を消した。それを見送って胸を撫で下ろしていると、茶器と茶菓子を盆に乗せた鶯丸と大包平が姿を見せた。
「兄さん〜」
その存在が安堵を更に大きなものと変えて、八丁は思わず、少しだけ桜を散らした。
「朝尊くん、きみ、火薬には詳しい…?」
「おや、珍しいね」
南海太郎朝尊が寛ぐ部屋に、実休は前触れもなく現れた。常ならば当然のように朝尊の部屋に入り浸っている肥前忠弘が、茶を淹れ直して菓子でも持ってこよう、と席を外した頃合いだった。それを狙ったのか、はたまた偶然なのか、のんびりとしたその様子からは、窺い知ることはできない。普段は朝尊の眼鏡を物珍しそうに見やるだけの実休は、丸い硝子など存在していないかのように、真っ直ぐと朝尊の瞳を覗き込んだ。
「火薬かい?興味はあるよ。でも、研究は禁じられているんだ」
「誰に…?」
「時の政府、僕たちの主のその主さ」
「ふぅん…物分かりがいいことだ」
「他にもやりたいことが多くてね。従順というよりは、分別があるのだと…思ってもらえたらいいのだけど」
「なるほどね、わかったよ」
二人の会話は、短かった。実休はきちんと礼を言って、部屋を出た。その後ろ姿を遠目に見た肥前は、抱えた盆を揺らすことなく、猫のようにするりと早足で朝尊の部屋に戻り、変わらず文机で本を広げている朝尊の前に、少々乱暴に湯呑みを置いた。
「何を話した」
尋問のように固く強い声で尋ねられ、朝尊は困ったように笑った。この脇差は、視野が広く頭が回り、朝尊のことをよく理解しているが故に、心配事を多く抱えている。
「火薬の事を聞かれたんだよ。でも、火薬は触るなと言われているだろう?だからそう伝えたんだ」
「そうかよ」
朝尊は、仕事以外では嘘を吐かない。肥前はそのことも知っていたから、湯呑みから手を放した。
「ねぇ、聞きたいことがあるんだけど…」
畑仕事を終えひと風呂浴びて、脱衣所の鏡の前で一息つきながらそのややこしい髪に熱風を当てようか放っておこうかと考えている一文字則宗に、実休はそっと声をかけた。昼過ぎと夕方の間の、中途半端な時間帯、風呂場には他に誰も居なかった。
「おお、どうした。珍しいな、僕に用事か?」
鏡越しに軽く挨拶をして、則宗は振り返る。最近本丸に迎えた長船の一振りが、のっそりと立っていた。則宗は、脱衣所にいくつか置いてある、籐を編んだ椅子を勧めた。実休は、促されるままに腰を下ろす。意図があってのことではないだろうが、深く座って、その長い足を組んだ。随分とどっしりと、圧を持たせる座り方だった。
「時の政府とやらって…やる気はあるの?」
横柄ともとれる態度で、何ともな事を言う。則宗は思わず、笑ってしまった。目の前のこの刀が見た目通りの中身をしていたのなら、多少なりとも身構えるべきではあるが、そうではない事を、則宗をはじめ、この本丸の皆が知っている。二度燃やされ、きちんと再刃がされていないのが理由なのかはわからないが、実休光忠という刀は、このような男士の姿を得たくせに、その情動は幼子とさして変わらない。しかしながら、幼子が持つには過ぎる経験や教養、胆力、知恵を持ち、そのくせ幼子が持ち合わせない損得勘定などは同じように持ち合わせていない。時に幼子には、理が通じない。そんな相手が存分な力を持っているというのは、ひどく恐ろしい事だと、則宗は思っている。
「何に対してだ?」
「この戦さ」
則宗は少し姿勢を崩して、鏡台に肘をついた。頬杖をついて頬を押し上げ、表情を隠す。わずかに首を傾げて、詳しく話せと言外に伝えた。
「もう十年近くも同じ事を繰り返していると聞いたよ。火器を仕入れるでもなく、火薬の研究を禁じているらしいじゃない。遡行軍の拠点を探すわけでもないし…だらだら長引かせたいとしか思えない」
一度言葉を切った実休は、則宗が何も言わないのを見て、膝の上で組んでいた手を崩し、頬杖をつくように口元へ手をやった。
「まぁ…お互い様なんだけどさ…」
実休は、手の下でうっすらと笑う口元を隠しはしない。彼は幼子と大差ないのだ。瞳に宿した疑いを、隠すべきものだと思ってすらいないだろう。対する則宗は、政府に監査官の任を与えられる煌びやかな刀である。ぼさぼさと半乾きの髪は少しずつ嵩を取り戻しながら、目元を隠していった。
実休の言わんとすることはわかる。新しい戦場が開かれたり、戦力の強化のための戦場が見つかったり、放棄された世界へ派遣されたり。些事は多いが、大局を見れば殆ど何も変わらない。戦場が増えていくのは劣勢なのかと思いきや、目立った損害の報告は共有されない。まるで飯事のような戦だと、きっとこの、安土桃山の時を生きた刀は、あるいは刀達は、感じていることだろう。ただ、今まではそれを明確に言葉にする者がいなかった、それだけの事なのだ。
「人の子には、彼らなりの目的があるのさ」
「それは、主の望みと同じものなの?」
「どうだろうなぁ、人の子の数だけ、夢もあろう」
「いらいらしちゃうから、誤魔化さないでよ」
「そうかい…。お前さんは、主が何を望んでいると思う」
「わからない。天下をとりたいわけじゃない事は確かだけど」
「そうだな。主ももう、ここで暮らして九年になる。長く共にあれば、情もわく。離れがたい気持ちも生まれるだろうさ」
「そうだね。政府はそれを利用しているんでしょう…?」
「うはは!お前さんは手強いなぁ」
則宗は最初から、実休を煙に巻けるとは思っていない。さてどうしたものかと、目を一度閉じて、開いた。
「お前さんは早く終わらせたいわけだな」
「戦は短いに越したことはない」
「その通りだが、宗三左文字や薬研藤四郎と、もう少し共に過ごしたいとは思わんのか?」
「まやかしの幸せは長く続くべきではないよ。特に僕たちのように、心を拠り所に存在しているものは」
強まった語気に、則宗はなるほどと頷いた。
「どちらだ」
則宗がそう問うと、実休は首を傾げた。
「どちらが揺らいでいる。宗三か?」
二振とも、本丸稼働の初期からある刀だった。すぐ終わるだろうと見越して参じた戦が長引いているのであれば、疲れがこころを蝕むのも自然なことだ。特に、天下人の刀と名高い宗三左文字は、そもそもこの戦に乗り気ではなかったと聞いている。本丸配属前に政府でいくらか時間を過ごす間、漏れ聞こえる噂話の多さに辟易したものだったが、意外なところで役に立つものだと、則宗はため息をついた。修行も終え、生き生きと日々を暮らすように見えているが、何しろ長く天下人のもとにあった刀なのだ、誰に何を見せるべきで何を見せるべきでないのかは、おそらくその辺の人の子よりも弁えているだろう。則宗の問いに、実休は口を閉じた。先ほどまで饒舌だった瞳からも口元からも、情報は全て消えている。隠そうとしているのではない、それを上回る猜疑心が見えているだけだ。
「強い刀だよ。揺らぐわけがないじゃない」
「そうか」
「でも、宗三は、政のひっくり返し方を知ってる者のひとりだよ。ここにいる刀剣達のこともよく知ってる。誰に何ができて、誰が何に向いてて、誰が何を欲しがってるか、とかさ。薬研は、宗三がやりたいことはなんだって全部手伝うよ。僕だってそう。でも僕は、こんな戦ごときで『宗三左文字』に傷がつくのはいやだなあとも思ってるんだ」
世が世なら下剋上と呼ばれるだろうそれを、楽しむ刀は多いことだろう。それを厭う刀が多いのと同じように。ただ、そのどちらもが、一人の人間を主としているこの場所で、主の一声があってしまえば、それは鶴の一声よりもはるかに力を持つ。宗三は、主をその気にさせることができてしまうかもしれない。その後に降りかかる汚名など気にならないほど、この戦に飽きて疲れる日が来てしまえば、きっとあの物憂げな顔をして、主の部屋を訪れるのだ。
「僕は、織田信長の刀にしては、分別のある行いをしていると思わない…?」
実休は、機嫌をうかがうように則宗を見た。
「で、政府はやる気があるのかな…?」
則宗は、笑みを変えない。
「僕には言えることと言えないことがある。政府のことはとりあえず置いておいて、お前さんには報連相というのを教えてやろう」
「ほうれん草?」
「報告、連絡、相談の文字をとって報連相だ。何か起きたら然るべき相手に報告する、共有しなければならないものはきちんと連絡する、困ったことが起きたら、一人で行動を起こす前に誰かに相談する」
「人の子みたい」
「僕らは今、人の形をしているだろう?だから人の子みたいな事をするのさ。お前さんはとりあえず、歌仙のところに行くべきだな。この本丸で一番長く過ごしている刀だ。主のことも、一番知っている。解決してきた問題も、きっと一番多いだろう」
「そう」
実休はそれを聞くと、頷いて立ち上がる。
「いざという時は、もう一度僕へ声をかけろ。政府にはまだ知己が多い」
「それは…どうだろう。あなたがどういう立場なのか、ちょっとわかった気がするから、約束はできないな」
則宗の言葉に正直にそう返して、実休は脱衣所を出て行った。殆ど乾いた則宗の髪は、ごわごわとその存在を主張している。則宗は大きく息をついて、伸びをした。自分もあちら側でありたかったと、思わないこともない。しかし、監査官の任を受け入れた時に心は決めてあった。やれやれと立ち上がると、また大柄な影が脱衣所に入ってくる。今度はなんだと目をやれば、そこには日光一文字が立っていた。
「おうおう、どうした」
先ほどよりも気安く声を掛けると、日光は特に何の感情も見せずに口を開く。
「なかなかお戻りにならないので、もしや頭でも打って湯船に浮かんではいないかと…南泉が心配するので見にきました」
そう言われ、則宗は遠慮なく相好を崩した。
「お前さんはかわいいなぁ、どれ、ふるーつ牛乳でもご馳走してやろう」
「いえ、結構です」
拒否を厭わない日光の頭をぐしゃぐしゃと撫でながら、則宗は、共用の冷蔵庫から、自分用のコーヒー牛乳を取り出して笑った。
そういえばこの本丸にやってきた時に、何かあったらまず歌仙のところへ行けと、誰からともなく言われた気がする。実休はぼんやりとそんな事を考えながら廊下を歩いた。本丸は広いが、出陣や当番の無い時の歌仙は大抵、厨か自室、主の部屋のどこかに居る。渡り廊下に差し掛かってふと目をやると、手入れのされた中庭が見えた。静かな静かな冬の庭先は、この頃ではもう、浮つく気配をその内に包み込めずに春の準備をしている。古備前の太刀連中が庭を愛でながら茶を飲もうとするのも頷けた。もっとも、彼らはどの季節の庭であっても愛でながら茶を飲んでいる。彼らはそういう、のんびりとした気質なのだ。植えられた木のあちらこちらで、思い出したように芽が膨らんできている。実休は、冬を過ごすのも、春を見るのも初めてだった。季節の巡りは何度でも訪れる。しかしそのどれひとつとして、同じものは無いらしい。実休は、そんなこともまだ、聞き及んでいるだけで、実際に目にしたことはなかった。
「なんだかもう、どうでもいいな…」
酒にめっぽう強く、酔うことを知らない宗三は、あの日も顔色を変えずにしこたま飲んで喧騒を眺めていた。その膝の上に酔い潰れた実休の頭を乗せて、反対側にはこれまた酔い潰れた薬研を抱えるようにして。実休にぼんやりと意識があったことを、もしかしたら気づいていたのかもしれないし、気づいていなかったのかもしれない。ぽつりと、本当に小さく小さく降ってきた言葉は、どんな酒よりも実休の胃の腑を焼いた。
宗三はことあるごとに、主が天下を望んでいない事を実休に言い聞かせた。だから変な気は起こすなと。そんな宗三を見ながら、薬研は一度だけ、この戦が終われば実休も自分も、宗三を置いてどこかへ消えるのだと言った。実休はずっと、何故宗三が参陣を決めたのかを考えている。刀剣達が政府に手を貸す理由は様々だ。単なる好奇心の者もあれば、戦えるから、という理由の者もある。依代を持たず、この戦のためにその存在を練り上げられた者もあれば、本来の姿を歪められて喚び出された者もある。その根底が刀ばかりかと思えば、死者を宿すかのように刀に閉じ込められた者もあった。実休はと言えば、焼けたままの鋼を寝床にしてぼんやりとしていたらいつの間にか身体を得ていたから、きっとそうやって、曖昧なうちに縛り付けられてしまった者もあるのだろう。宗三がこの戦に、それも初期の初期から参じている理由を、実休は知らない。刀を振るうのは楽しそうだ。きっとそこに嘘はない。薬研や実休と人の身での暮らしを営むのも慣れたもので、そこに嫌悪などといったものは見られない。へし切りにちょっかいを出している時など、本当に生き生きとしている。江雪に甘え、小夜を慈しみ、不動や無骨をうまく褒め、天下人の刀に憧れを抱く者を時にからかい。戦のために喚ばれ、きちんと務めを果たしながら、余暇を楽しんでいるのだと思っていた。もしそうでないのなら、さっさと全てを終わらせて、ゆっくりと休むのが良いのではと、実休は思った。そう思い、どうしようかなと思ったので、ふらふらと本丸の中を歩き回っている。
「おや、どうかしたかい」
厨の裏にある水場で、歌仙は大根を洗っていた。実休がちらりと周りを窺うのを見て、歌仙は大根を一旦置いた。
「場所を変えるかい?」
この刀は、本来は人見知りなのだと風の噂に聞いたが、初期刀ともなるとそうは言っていられないのだろう。人は、必要に応じて変わっていく。それを成長と呼ぶか諦めと呼ぶかは、当人が決めれば良い。
「じゃあその前に、手伝うよ」
実休はそう言って内番着の袖をまくる。歌仙は助かるよと礼を言って、泥だらけの大根を数本、実休に渡した。水は冷たかったが、刺すような鋭さはもう無かった。
「主って、天下を目指したりはしないの?」
大根をこすりながら、実休は口を開いた。歌仙は面白そうに笑った。
「そういう性質ではないみたいだよ」
「主はどうして審神者をしてるの?」
「成り行きだと言っていたかな」
「成り行きだけで何年も?」
「そうは言うけどね、この世のものは大体が、成り行きでそうなってるんじゃないかい?」
歌仙にこともなくそう言われ、実休は口を閉じた。手は動かしたまま、少し考えてみる。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。そう思った。その様子が伝わったのだろう、歌仙はずっと、柔らかに笑っている。
「次を次をと先を読もうとしてしまうのもわかるけれどね、先のことはわからないよ。主だって人の子なのだから、今夜にでも突然儚くなるかもしれない」
軽く投げられた言葉に、流石の実休も息を飲んだ。言葉もなくまんまるにした目を歌仙に向けるが、彼は笑みを崩さずに大根を洗っている。
「もうすぐ春だ。君は初めてだろう?桜はもちろん、いろいろなものがとても華やかだよ。先のことなんて、そのくらいの範囲で良いんだ。見ているものが多いほど、あまり考えると疲れてしまうからね」
歌仙の手元で、大根は泥を落とされてさっぱりとしていく。実休も気を取り直して、再び大根を洗い始めた。
「咲いたものは、散るんだよ。花も人も、僕たちも。いずれ、成り行きで」
歌仙は、少し首を伸ばせば見える木の、まだ芽も吹かない枝を見やる。
「ひさかたの、光のどけき春の日に、静心なく花の散るらむ。理由なんか無いのさ。誉をとっても花は散るし、急に冷え込んだからと散る花もある」
そう言うと歌仙は、視線を実休に移した。
「宗三は君より強い。そして主を気に入っているよ。たとえ君といえど、主の害になるのなら、それが散る理由になる。それが宗三の手によるものか、僕の手によるものか、また別の誰かの手によるものかはわからないけれど」
「うん」
歌仙の言葉に、実休は、朴訥に頷いた。
「戦は、短いに越したことはないさ」
そう言いながら歌仙は、大根を洗う。何をどこまで見破られているのかと、実休はほんの少し怖くなった。これがこの本丸の初期刀を務める、歌仙兼定なのだと、改めて思い知る。
「けれどこの戦、主も駒の一つでしかない。主を守るために僕たちができることは、成り行きに身を任せることと…」
歌仙は一度言葉を切って、けれど視線は、大根から外さなかった。
「備えを怠らないことだ」
歌仙の使う言葉は、宗三の使うそれとは随分と違うなと、実休は思った。歌仙の言葉は、含みが多い。雅を愛する文系名刀ゆえに、そしてその名が示すように、会話すら歌詠みの一環なのかもしれない。
「君はまだ、一年がどのように巡るのかも知らないだろう。先を急ぐ前に、学ぶことは多くあると思うよ」
「…たしかに」
実休はしみじみと頷いて、大根を洗った。狭い視野のままに先を読もうとするのは、悪手に他ならない。
「ありがとう」
実休が真摯に礼を言うと、歌仙は少し意外そうな顔をして、それから、十年近くも初期刀を務める彼は、まるで人の子のように笑った。
「実休あなた、暇なんですか?」
洗った大根を歌仙に託し、お駄賃だよと饅頭を三つもらった実休が、こたつを求めて宗三の部屋に向かうと、頬杖をついた宗三は開口一番、呆れたようにそう言った。何のことかと実休が首を傾げると、とりあえずこたつに入れと促される。既にこたつで本を読んでいたらしい薬研は、実休の分のお茶を淹れてくれた。実休は湯呑みを受け取りながら、もらったばかりの饅頭を配った。
「火薬について聞いて回っているという垂れ込みがありました」
「!」
饅頭を半分に割って口に入れたところで宗三にそう言われ、実休はわずかに目を見開いた。そういえばそうだったと思い出す。歌仙と話してすっかり方針を変えてしまったので、殆どその事を忘れてしまっていた。実休は急いで饅頭を飲み込むと、まだ熱い茶を啜って、小さく咳払いをして喉を整えた。
「それはもう、よくなった」
「どういう事です?」
「火薬を使ったらもっと効率よく勝てると思ったんだけど、どうやら色々、僕が考えていたよりも、事情が複雑だったみたいだ」
「と、いうと?」
宗三は追及を緩めない。
「聞いてまわっていたら、政府の色々が出てきてね…最終的に歌仙くんに話をしに行って、火薬はまだいいかなってなった…」
諦めたとは言わなかった。宗三に嘘をつくことはできない。
「そうですか」
納得したらしい宗三は、饅頭に手を伸ばす。薬研はそんな二振りを、面白そうに眺めていた。
「だめだった…?」
実休が控えめに尋ねると、宗三は饅頭を齧りながら片方の眉をひょいと上げた。西洋の仕草だと、実休は思った。
「学ぶことは良いことです。が…誰かに嘘をつきはじめるなら、それが覚悟を決める時ですよ」
「わかった」
実休はほっと息をついて、饅頭を口に入れた。
「半分食べるかい?」
もぐもぐと口を動かしていると、薬研が饅頭を半分差し出してきた。美味しい饅頭だったので、実休は素直に喜んで、それを受け取る。ひらりと散る桜の花びらに、宗三も薬研も口元を緩めた。桜は、一番美しい姿のまま華々しく散る。あふれてこぼれる心がその形をしているのを、彼らは存外、気に入っていた。
時が来るまで咲いて、時がくれば散る。それでいいやと思うようになるまでの葛藤は、宗三の中にはもう残っていない。考えることに疲れた時に、もうどうでもいいと切って捨てた。それを成長と呼ぶか諦めと呼ぶかは、当人が決めればいい。
饅頭を食べ終えた実休は、ひとつあくびをした。外で遊んできて、こたつでおやつを食べたら、眠くなる。見た目ばかりいかつい幼子を笑って、薬研と宗三は、こたつの中で実休の足を蹴った。
〜おわり〜