天使からの問いにこたえよ

6/12/2024






「楽しければそれでよかったはずなのに、どんどんむなしくなっちゃうのはどうしてなんだろうね」

駅から遠くない、建ったばかりのマンションの、四階の、ベランダだった。宗三が一服嗜んでいると、不意に、手すりより向こう側、夕焼けよりこちら側から、穏やかな声がした。状況から見て人間ではないだろうから、宗三は遠慮なく煙を吹きかけた。

「なんですか?」

それだけ言って再びタバコに吸い付く宗三に、声の主は煙たがるでもなく手すりに肘をつく。

「僕は実休。君を迎えに来た天使だよ」

にこり、とご機嫌に笑うその顔の半分には、炎のような模様があって、規則性もファッション性も無さそうな髪は少しパサついているのが夜目にもわかった。宗三は、ふぅ、ともう一度、煙をたっぷりと実休に吹きかける。

「やげーん」

息を吸うついでのように、実休から目を逸らさず、宗三はそう呼んだ。少しの間も置かず、ベランダにもう一つの影が増える。

「おっ」

「あれ、薬研くん、久しぶり」

「なんだ、知り合いですか。なら話は早い。僕にはもう、薬研という天使がついてますので、他を当たってもらって大丈夫ですよ」

姿を現し実休をみとめた途端に眉を跳ねさせた薬研と、そんな薬研の顔を見るなり片手を上げた実休に、宗三は手元にできたばかりのチューハイの空き缶に、タバコを突っ込んだ。

「では」

お疲れさまで〜す、と酷く魅力的な笑顔を浮かべ、宗三はさっさと部屋に入り、掃き出し窓を閉め、音を立てて鍵をかけ、容赦無く遮光カーテンを閉めた。取り残された実休と薬研は顔を見合わせ、やれやれとため息をつく。

「悪魔って名乗っときゃよかったな」

「後から来たのは僕だよ。もうちょっと様子を見てからにすればよかった」

「とりあえずいつもの感じで行くか」

「そうだね、じゃあ中に入れてもらおうか」

「ちいっと待て。今シャワーを浴びてるみてぇだ。風呂場に押しかけるのはさすがにデカ尻がなさすぎる」

「デリカシーかな?」

「それだ」

ベランダでの少しばかりの打ち合わせを終え、宗三が着替えてリビングに落ち着くのを見計らって、薬研と実休もリビングに姿を現した。宗三は特に驚きもせず、テレビを流したままスマートフォンをいじっている。

「なんですかぁ」

形だけはコミュニケーションをとってくれるようで、興味の無いことは丸わかりではあったが、そう声をかけてくれた。

「実は実休さんは悪魔なんだ」

「ふぅん」

「騙されないで、悪魔なのは薬研くんのほうだよ」

「へぇ」

「悪魔は天使の顔をして近づいてくる、って言うでしょう?」

「顔かぁ〜」

「実休さんだって天使を名乗っただろ」

「でも顔は天使じゃないですからねぇ」

「えっ僕かわいいでしょ?」

「そうですねぇ、かわいいかわいい」

薬研と実休が何を言おうと、宗三はスマートフォンから顔を上げなかった。面倒くさそうにあしらわれるわけでは無いが、きちんと聞いているのかといえば決してそうではない。実休と薬研は、再び顔を見合わせた。

「…とりあえず今日はもう遅いし、明日また来るね」

実休がそう言うと、宗三は初めて顔を上げた。ちらりと薬研を一瞥して、笑顔で実休に手を振る。

「はぁい、さようなら」

薬研と実休は手を振りながら、宗三の部屋を去った。



「どのくらい一緒にいるの?」

七階建てのマンションの屋上で、実休と薬研は少し話をすることにした。

「うーん、八年くらいかな」

「八年…」

「とりあえず興味を持ってもらわねぇと始まらないってんで、色々やったぜ。同僚になってみたり、小説家になったり、喫茶店開いてみたり…」

「仕事は何してるの?」

「ホスト」

「ホスト?」

「同僚作戦は、実休さんが来るまで待った方がよかったかもなぁ」

噂をすればなんとやら。薬研がふと視線を下げたので実休がその先を追うと、宗三がマンションを出ていくのが見えた。軽くも重くもない足取りで、ふらつきもせず、かといって堅実とも言えない足音を立てて。薬研と実休は顔を合わせると、宗三の後を追うことにした。



「あれは何をやってるの?」

「なんでも話聞いて媚びた相槌打って、酒飲んで機嫌とってんだ」

実休と薬研は、宗三の働くホストクラブの、天井の装飾の裏側に身を潜めて様子をうかがった。キラキラと光り輝くフロアとは対照的に、シャンデリアの裏や天井の装飾の裏など、光の届かない場所にはずいぶんとホコリが溜まっている。見えない部分を磨く余裕がないのだろうと、実休は思った。

「宗三が?」

「ああ、宗三が」

「される側じゃなく?」

「される側じゃなく」

困った顔で笑う薬研に、実休は口をへの字にした。

「僕、ちょっとのんびりしすぎちゃったね、ごめん」

「いや、俺っちがたまたますぐに宗三を見つけただけさ。それに、一人ではそろそろ策も尽きるところだった」

薬研と実休が再び宗三のテーブルへ視線を向けると、宗三は慣れた様子で隣に座る女性に愛想を振り撒き、先ほどの対応はなんだったのだと思うほどに興味津々に話を聞いている。

「頑張り屋だぜ。会話は全部覚えて、仕事が終わったらちゃんとメモに残してる。名前、誕生日、仕事、友達の名前、どれひとつとして間違ったことは一度も無い」

「楽しんでやってるならいいけど」

「どう、だろうなぁ…」

宗三の仕事ぶりを一晩眺めた薬研と実休は、宗三が帰宅するのに合わせてマンションの屋上へ戻った。宗三は無理には酒を勧めず、次の来店を請うこともしなかった。会話の内容をよくよく聞いてみれば宗三の客の話の大体が人生相談で、それとなく聞き耳を立てたり事務所の資料をのぞいて見ると、客の入れ替わりは多い方だが、安定した稼ぎを上げている、そういうタイプのようだった。きっと、行く先の開けた客は、この店にはーーーもしかしたらこの繁華街にーーーもう戻ってこないのだろう。

「宗三は宗三だなぁ」

「はは、そりゃそうだ」

実休がしみじみと、屋上から下の方を覗き込むと、数時間前に夕焼けを見送ったベランダで、宗三が朝焼けを見ながらタバコを吸っていた。長めの前髪に隠れているが、見えなくてもわかる。きっとまた、この世の全てに興味が無いような顔をして、自分の吐く煙が、ただ、ちらほらと明かりがつき始めた住宅街へと溶けていくのを見ているのだろう。実休が見ている先で、宗三は今度は手にしていた灰皿にタバコを押し付けて、部屋の中へ入っていった。

「話を聞いてもらうためにゃ、興味を持ってもらわねえと。なんかいい案はねえか」

「…お客さんとしてお店に行くとか?」

「それはもうやった。女にもなったし男でも行った」

「じゃあ…ライバル店で働くとか…」

「そりゃぁ…興味は持ってもらえるかもしれねえが、口もきいてくれねえだろうな…」

太陽が、少しずつ光り出し、電車の走る音が聞こえ出す。がやがやと、世界が目を覚ました。そして宗三は、これから眠りにつく。

「ちょっとリサーチしてくる」

実休はそう言うと、姿を消した。薬研はそれを見送って、こちらもまた、姿を消した。



「アイドルになるのはどう?」

「あいどる…!?」

夕方、宗三が出勤する少し前に戻ってきた実休は、薬研を呼び出すなりそう言った。

「どうやら最近の人間は、『推し』っていうのに出会うと世界が変わるらしい」

「俺たちがそれになるってのか」

「そう」

薬研は一旦、腕を組んで考えた。

「だが、宗三、あいどるとか好きなタイプか…?」

実休は、一度入ったことのある宗三の部屋のリビングルームの様子を思い出した。テレビで流れていたのは適当なバラエティ番組だったし、誰かの写真やポスターなんかも無かった。というか全体的に物が少なく、すっきりしていたように思う。もしかしたら、ホームセンターの家具売り場の方が生活感があるかもしれない。

「…宗三の方のリサーチも必要だね。寝室とかに祭壇とか作ってるかもしれないけど」

「祭壇…が何かはわからねぇが、どの部屋も大体あんな感じだぞ」

読書が好きなようだが特定の作家のファンというわけでもなく、美味しいものも好きだろうが美食を追ってどこまでもというタイプでもない。SNSに映える場所は一応チェックしているようだが本人はSNSアカウントを持っていないし、映画鑑賞は話題のための義務で、ドラマやアニメは倍速のながら視聴。身なりに気を遣ってはいるものの、季節ごとの新作コスメをチェックするのは得意客のためだし、煙草の銘柄すらこだわりは無く適当。友人はそれなりにいるし、勤務先の先輩後輩ともうまくやっている。けれどそのうちの誰かが急にいなくなったとしても、きっと宗三はそういうものだと割り切るだろう。薬研が八年間で得た情報をつらつらと並べていくと、薬研と実休の眉は、仲良くハの字になっていった。

そしてしばらくの、沈黙が落ちる。

薬研と実休が、出勤する宗三の背を見送って、一番星も夜空に紛れたころ。それまで並んで景色を見ていた実休がふと、薬研を見た。

「宗三をアイドルにしよう」

「え?」

「歌って踊るのが嫌だったら…モデルとかになってもらおう」

「…一旦聞こう」

「興味を持ってもらうには、誰もやりそうにないことをやればいいんじゃない?今の所誰も、宗三をアイドルにしようとかそういうことはしてないでしょう」

「一理あるかもしれねぇな」

「僕と薬研くんは、なんていうんだっけ、マネジメント?とかをやろうよ。宗三をプロデュースして、天下を獲ろう」

「まぁ、悪くねえな」

薬研と実休は得意げに笑い合った。



「なんなんですか?」

正午を少し過ぎたころ、寝室から出てきた宗三は、リビングで待ち構えていた薬研と実休に少しだけびっくりしたが、すぐに落ち着いて文句を言った。

「宗三、アイドルやらない?」

「モデルでもいいぜ」

薬研と実休は、仕立てのいいスーツを着て、それらしい名刺を差し出した。

「宗三を売り出したくて、事務所も作ったし伝手も作ったんだ」

「俺たちは天使とか悪魔だから、なんでもできるんだぜ」

「…一旦、コーヒーを飲んでもいいですか?」

「もちろん」

宗三は、煙草に火をつけるよりもずいぶんと丁寧にコーヒーを淹れた。それを見た実休が薬研に目を向けるが、薬研は肩をすくめた。こだわりのコーヒーを出す喫茶店は数店やったが、どれも宗三の興味は長続きしなかったのだ。

実休は、閃いてしまった。

「アイドルが嫌なら、喫茶店やろうよ。薬研が料理して、宗三がコーヒー入れて、僕は…僕はうーんと、かわいい担当やるから」

ずずず、と、宗三がコーヒーをすする音がした。宗三はマグカップを口元から離さず、次の言葉を考えている。薬研は、そんな宗三を見て、それから実休を見た。薬研も、閃いてしまったのだ。薬研は宗三に何かをしてやることばかりを考えていたが、実休は宗三に何かをしてもらうことを考えている。もしかしたら、そちらの方が興味を引くのかもしれない。つまり、三人で喫茶店を開く案は、強い。

「宗三が好きそうな物件はいくつか目星がついてるぜ。明日休みだろ?見に行こう」

「アイドルはいいんですか?」

「宗三がやりたいことじゃないなら、どうでもいいさ」

実休と薬研の手の中で、そして宗三の目の前で、先ほどまで差し出されていた名刺は跡形も無く消えた。代わりに、物件情報が印刷された紙が数枚、ふわりと出てくる。

「言っただろ、俺たちは天使とか悪魔だから、なんでもできる」

宗三は静かにマグカップを置いて、腕を組んだ。そしてじっと、薬研と実休を見る。

「あなた達が天使なら、きっとこれは無償でしょう。でも悪魔なら、僕に対価を求めるはずです」

ハキハキとものを言う宗三を見て、実休は楽しそうに笑った。

「宗三には、僕たちはどっちに見える?」

「二人とも、天使だと名乗りましたね。でも悪魔は天使の顔をして近づくらしいじゃないですか。わかりませんよ。でも…悪魔だって慈善事業じゃないんだから、対価というのは何かしら僕が支払えるものなんでしょう?」

「僕たちは天使だから、対価を求めることは無いよ」

実休は、綺麗に笑った。それを見た薬研は愉快な気持ちになってしまって、わっはっはと笑いそうになり、間一髪、それを堪えた。宗三はそんな二人を見て、組んでいた長い腕を解き、再びマグカップを手に取り、空いている手を薬研に向かって突き出した。

「見せてください、物件情報。どうせわからないでしょう?マーケティングとか」

「おっ、やる気か、いいねぇ。よろしく頼むぜ!」

薬研は、紙の束を宗三に渡した。



「ご注文はお決まりですか?」

その喫茶店は、ある日突然オープンした。普段は子供の姿だった薬研も青年の形をとり、実休も髪を整え、顔の模様は長めの髪で隠した。宗三は煙草をやめ、コーヒーに関しては伝手があるから、と薬研と実休の手を借りずに機材も仕入れも確保した。もしかしたら、喫茶店を開くためにホストをしていたのかもしれないと、薬研と実休は少し思ったが、言葉にはしなかった。

「ふわふわオムライス一丁!」

可愛いらしい外観のメルヘンな喫茶店では、儚げな見た目の青年がラーメン屋のような勢いで料理をし、華やかというよりもじゅわりとした魅力を持つ青年が美味しいコーヒーを淹れて親身に話を聞いてくれて、体が大きくて少し見た目が怖い青年がのんびりニコニコと給仕をしてくれると評判になった。ホスト時代の客は喫茶店にも訪れたし、通りかかった者がふらりと入ってくることも、SNSで見かけた、と言って足を運ぶ者もいた。経営は大繁盛とはいかないまでも概ね順調で、薬研と実休が不思議パワーとやらで整えた物件やらなにやらの諸費は宗三には知らされておらず、忙しくとも充実した毎日の中で、宗三は朝起きて夜眠る生活にもなんとか慣れた。

「そろそろ休憩しましょうか」

ランチ目当ての客が落ち着き、お茶の時間にやってくる客が増える前の一瞬、ふと店内から客がいなくなったタイミングで、宗三はドアにかけているプレートをひっくり返し、店を閉じた。数日に一度ある、客のいない休憩時間に、薬研は手早く賄いを作り、宗三はその日のおすすめブレンドのコーヒーを淹れる。実休はテーブルを拭いたり食器を出したりしてそれを手伝った。宗三はいつものように、コーヒーミルに豆を入れ、ハンドルをぐるぐると回した。ごりごりと音がして、強い香りが漂ってくる。荒めの挽きにしようと、ハンドルに伝わってくる感覚に注意しながら作業を進めていると、ふと、宗三は手を止めた。ぐるぐると同じところを回っていたハンドルも合わせて動きを止め、小気味よく響いていた音も止まった。ただ、濃厚な香りだけは、止まる事を知らずにふわりふわりと広がっていく。

「…宗三?」

マグカップを用意していた実休が、おそるおそる、その背中に声をかけた。その声を聞いて、薬研もキッチンから顔を覗かせた。

「ふ…ふふっ」

宗三の肩が震えて、なんともいえない笑い声が漏れた。実休と薬研は顔を見合わせ、肩を落とした。

「あはは、もう…また、僕の勝ちじゃないですか」

宗三は笑いながら顔を上げた。もしかしたら、泣いているのかもしれなかった。

「今回こそはいけると思ったんだがなぁ…とりあえず飯食うか」

「宗三…」

薬研は苦く笑いながらも軽食をテーブルに運び、宗三はコーヒーを淹れた。実休は隠しもせず背を丸くし、さっさとテーブルについて、項垂れた。



「っていうかあのアイドル云々はなんだったんですか?」

サンドイッチを頬張りながら、宗三はまだ笑っている。

「お前さんの気を引きたくてな」

「宗三の推しになりたかったんだ」

「でも宗三があいどるを追うタイプじゃなさそうってんで」

「じゃあ宗三をアイドルにしようって思って」

薬研と実休の返事を聞いて、宗三はことさら、楽しそうに笑った。

「意外性はありましたけど…喫茶店案が出てきてよかった」

「結果的には、負けたけどね…」

もうずっと、拗ねた顔でサンドイッチを突いている実休は、ついに宗三に、食べ物で遊ぶなと注意を受けた。



彼らはずっと、未来を賭けた勝負をしている。

ことの始まりは、地獄と呼ばれる場所で、薬研と実休が聞きつけた噂話だった。何でも人の世に、それはそれはたおやかな天人が姿を見せることがあるのだと。大罪を犯し八千八万の死者の魂を引き連れて地獄へやってきた者が、天界に昇りたい一心で「自分はそそのかされただけなのだ」と喚いたそれが、地獄に住む者の口と耳とを伝って薬研と実休に届いたのだった。地獄と言っても、天界から弾き出された者がうようよとしているだけで、所構わず拷問や虐殺が行われているわけでは無い。現に薬研も実休も、地獄の片隅で医局と薬局を営んでいた。そんな気軽な身分であったから、ふたりは噂の天人を見てみようと人の世へ繰り出した。

結論から言うと、二人はとても運が良く、件の天人と会うことができた。宗三と名乗る彼は、どう見ても罪を唆すようには見えずーーーそもそもそのような性質であったら天界などすぐに追い出されて地獄へやってくるのだがーーー、突然現れて突然話しかけた薬研と実休とも、当たり障りのない知人になり、友人となり、親しい友人となり、それ以上にもなった。彼らの住居の中間地点が人の世なので、色々な時代の色々な地域で逢瀬を楽しみ、宗三は人を導き、薬研と実休は人の世の医学や薬学を学んだ。

彼らの性質上、同じ時代、同じ地域に留まりすぎると噂が噂を呼び、人の世を乱しかねないと学んでから、彼らは転々と、行き来を繰り返した。

「なんかめんどくさいですね…」

そして宗三がふとそう口にした時、薬研と実休は、顔を見合わせた。

「俺っちたちのとこに来ねえか?」

「僕らは天には上がれないけど…宗三ならこっちに来られるんじゃない?」

それを聞いて、宗三は一瞬目を丸くしたあと、あははと大きな口を開けて笑った。

「そりゃぁ行けますけど、一度行ったらもう戻れないんですよ」

「いいじゃねぇか、ずっと一緒に暮らそうや」

「きっと楽しいよ」

楽しそうに笑う二人を見て、宗三はふむ、と考えた。

「じゃぁ、僕が天人であるうちにできる最後の遊びをしましょうよ」

宗三がそう言うと、薬研と実休は首を傾げる。流石に、詳細を聞かずに頷くことはしなかった。

「僕は記憶を封じて人として生まれましょう。二人はそれぞれ、時代は合わせても場所は賽の目で決めたところから出発です。僕が死ぬ前に、そして記憶を取り戻す前に、二人が僕を見つけて家族になったらそちらの勝ち。そっちに行きます。それができなかったら、適当なところでその回は終わり。また最初からやり直しです。どうですか?」

天人は、たまに人の生を楽しむ事ができるが、一度地獄に触れた者はそれができない。宗三はいずれ地獄に行く前提でその遊びを提案し、薬研も実休も、楽しそうだと頷いた。



「というか、天使とか悪魔とかってなんなんです?」

宗三は、サンドイッチの最後の一切れを飲み込んでなお、おさまらない笑いを喉で飼い慣らせずにいた。

「時代とかの世界観に合わせようと思って…」

しどろもどろと実休がそう言うと、宗三はまた笑った。

「もうやめますか?むなしくなっちゃったんでしょう?」

実休の第一声を思い出し、宗三が少し寂しそうに言うと、実休は力強く首を横に振った。

「いや、勝ってみせるよ。宗三を連れていきたいもん」

宗三はその言葉を聞いて、薬研を見た。薬研も、口の中がサンドイッチでいっぱいで言葉こそないが、諦めきれない顔をしている。

「仕方がないですねぇ。この調子だと僕、いつまで経ってもそっちに行けそうにありませんよ。ルールを変えましょう」

その言葉に、薬研と実休は顔を見合わせ、それから揃って宗三を見た。

「あなた達は人間として生まれることはできませんが、大体の操作はできますよね。二人で、そうだな…兄弟とかそういう設定でどこかの家庭で子供時代からやってもらいましょうか。準備が整ったら、二人の体が人間みたいに成長するようにだけ仕組んでおいて、記憶は封じます。それから何年か、人間みたいに過ごしてみてください。きっとたくさん発見がありますよ。僕は頃合いを見て二人に近づきます。二人が寿命を…そうですね、兄役が五十歳を迎えるタイミングにしましょうか。それまでに記憶を取り戻したらあなた達の勝ち。そうできなかったら僕の勝ち。またもとのルールに戻すだけです」

どうですか、という宗三に、実休と薬研は力強く頷いた。

「僕も薬研も、宗三のことを忘れるなんて、できっこないさ」

「一目で思い出すと思うぜ」

「では、そうしましょう」

三人はそうして昼休憩を終え、お茶の時間の営業に戻った。

ある日突然オープンした喫茶店は、ある日ひっそりと、その姿を消した。街角からも、人々の記憶からも。











「こんにちは」

大学の長期休みの、バイトも休みの日、薬研が歳の離れた弟の実休を連れて動物園を歩いていると、ヘビクイワシのケージの前で、急に声をかけられた。二人が振り返ると、そこにはフラミンゴのような色の髪を揺らす、たおやかな青年が立っていた。薬研と実休は一度顔を見合わせると、それでも一応、挨拶を返す。青年は楽しそうに笑って、それから少しだけ緊張した面持ちで、二人に尋ねた。

「僕のこと、覚えてます?」
















〜おわり〜