猫にこんにちは(紫白+元化)
9/3/2025
猫にこんにちは(紫白+元化)
9/3/2025
「紫鸞どのもですけど、器用ですね」
白鸞が種々の薬草を手際よく粉末にし、練り合わせて小さく丸くしていくのを見て、元化は感心したように呟いた。近くの椅子にひっかかるようにして、名前を出された紫鸞はうんともすんとも言わずに酔い潰れている。いつもの酒宴の、本日の飲まされ役だった。自分もだいぶん飲まされながらもなんとか紫鸞を回収して家へ運んでやった白鸞は、いつだったかに酔いつぶされた夜を思い出して少し同情し、元化に材料を分けてもらって酒を抜く丸薬を作っている。
「紫鸞のできることは、だいたいできる」
寝台に寝かせないのは、紫鸞がぐずったからだ。正体をなくしているくせに、変なところで頑固になる。泥酔した者は、だいたいそうだ。床であろうと横になれば楽だろうと思って、少しずつ椅子からずり落ちていく紫鸞をそのままにして、二人は机の上で作業を進めていく。ころん、と机から落ちそうになった小さな丸に白鸞が手を伸ばすと、何を思ったのか紫鸞は顎を乗せた。使えなくなった手の代わりに慌てて足をのばせば紫鸞はそれにしがみついた。元化が笑いながらも丸薬を無事受け止めて机の上に戻すと、白鸞は少々乱暴に紫鸞をふりほどく。
「身も世もなく泣き喚いたりも、できるんですか?」
もう夜も更けていて元化も眠かったので、ふと思いついたことが口から出ていった。白鸞は元化を一瞥すると、
「…紫鸞のできることは、だいたいできる」
とだけ言って、黙々と作業に戻った。元化は、紫鸞が泣き喚くところは見たことがないから、どちらの意味なのかわからなかった。できるのかできないのか、どっちなのかなぁ、となんとなく紫鸞に目をやると、床の上でぐったりとしている。どうやら眠ったらしい。元化の視線を追った白鸞もその様子に気づくと、ため息をついて立ち上がり、ひょいと紫鸞を担いで寝室まで運んで行った。
「どっちなのかなぁ」
少しずつ膨らんでしまう疑問が、また口から出ていった。とても小さい音だったが、きっと白鸞には聞こえている。聞こえていて、聞こえないふりをするのだろう。それは、全てが顔に出てしまう紫鸞にはなかなか出来ないことだ。白鸞は、紫鸞にできることは大体できると言いながら、紫鸞のように自身のことを教えてはくれない。元化に対する気配りは細やかに感じるのに、いざ元化が声をかけるとするりと去っていく。以前、元化は紫鸞を猫のようだと書き物に記したが、白鸞も猫のようだなと思う。であれば、懐いてくれるのを待つしか無いのだ。ぼんやりとそんなことを考えていた元化の耳に、どうやら紫鸞が水を飲もうとして咽せているのと、白鸞が呆れながらも介抱しているらしいのが聞こえてきて、元化はやれやれと丸薬作りを再開した。自分で丸めた薬をころんと皿に乗せると、白鸞の作ったものの隣に転がっていった。見事なまでに均一な大きさと形のそれらを見て、元化はしみじみと感心する。
「本当に器用だなぁ」
その潔癖なまでの器用さで損してそうだな、という言葉は、すんでのところで飲み込んだ。白鸞は聞かなかったことにしてくれるだろう。けれど、紫鸞はそうはできないであろうから。
いずれあなたとする笑い話(紫白と韓当と程普)
9/12/2025
長生きしてくれ。
ある日、たまたま城ですれ違った紫鸞に急にそう言われ、程普と韓当は面食らって立ち止まった。
白鸞は、どうやら程普に懐いている。紫鸞がそのことに気づいたのは、酒宴の席で程普の近くにいる白鸞をよく見るからだった。他の者と違って程普が過剰に干渉してこないからであろうが、何にせよ、えらく気を許したものだ、と紫鸞は思う。いつだったか、皆で茶を飲んでいる時に程普がこぼした
「たまには顔を見せに来いと言ったら、ちゃんとたまに顔を見せに来ている」
という言葉にも、紫鸞は少し驚いた。程普によれば、本当に顔を見せるだけ見せて帰っていくらしい。手土産もなく現れ、そっと姿を見せて、会話もせずしばらく近くに留まり、気づけば姿が消えているそうだ。それを聞いていた元化は本当に猫みたいですねと笑い、韓当は俺のところには来ないぞと悔しがった。
そんな白鸞だったが、紫鸞には、もう一つ気づいていることがある。近頃の白鸞は、宴や会議でそっと韓当を見ているのだ。おそらく、目立たずに存在する方法を盗もうとしている。もともと、表立って働くことを好まない男だ。気配を消すことも姿を消すことも白鸞にとっては簡単だが、急に姿を見せなくなるのは逆に目立ってしまう。人々の記憶から自然に消えていくのには、少し手間がかかるらしい。白鸞はいずれ、少しずつ少しずつ空気にとけていく。誰かが「そういえば最後に会ったのはいつだったか」と口にする頃にはもう、誰にもその行方がわからなくなっているだろう。ただ一人、紫鸞を除いて。白鸞は紫鸞には甘い。その自覚はある。だからきっと、探せば見つけられるはずだ。けれどこの厄介な、面倒見の良い大人たちに気に入られている間は、消えていくのは難しい気がする。冷たく見えて、白鸞こそ情に厚い。思い出と生きるのが上手いくせに、目の前の命に、代わりが無いことも知っているのだ。ここのところそんな事を考えていたから、紫鸞は、たまたま鉢合わせた程普と韓当の、健康と長寿を願った。
「どうしたのだ」
「何かあったか?」
程普が訝しげに、韓当が少しの心配を滲ませてそう言うと、紫鸞は力強く頷いた。
「うん、じゃなくてだなぁ」
もう少し話を聞こうとして、けれど二人は孫権に呼ばれて去っていった。紫鸞は二人を見送って、なんだか清々しい気持ちで帰路についた。程普と韓当の背に、色濃く戸惑いが張り付いていることには気づかなかった。
一石三鳥(紫白+元化)
10/22/2025
「今日は無名様が登城されているんですって」
「そうなの?見に行きましょうよ!」
「あの美しいお顔、元気が出るわ〜!」
用事を済ませて目立たぬように城内を歩いていた白鸞の耳に、きゃらきゃらと女官たちの声が聞こえてきた。その内容が知己の噂話のようで一応耳をそばだててみたものの、特に留意すべき内容ではなかったので、まあいいか、と、紫鸞の屋敷に足を向けた。
城から少し遠いところにある屋敷の廊下を勝手知ったる様子で歩いていると、元化の部屋から気配がした。訪問の理由は元化に薬草を届けることだったので、白鸞はそのまま、元化の部屋へ向かう。開け放たれた入り口からそっと中を伺うと、弟子は遣いにでも行っているのか、元化は一人だった。これ幸いと声をかけて部屋に入ると、元化はいつものようににこやかに挨拶をした。持ってきた薬草を渡せば、白鸞の目の前で仕分けをしながらそれぞれの名前を確認する。それに一つずつ答えながら、白鸞は元化の顔を見た。
「?どうかしましたか?」
「いや…」
元化がすぐに気づいて首を傾げるが、白鸞はそのまま元化を見つめる。
「…紫鸞は…顔が美しいのか?」
「え?あぁ、ええ、まあ…整った顔をしてると思いますけど…」
「そうか…」
紫鸞の無口に隠れがちだが、白鸞も慣れてくると大概突拍子も無い会話の始め方をすると、元化は思う。けれど、元化はそれが嫌いではなかった。
「急にどうしたんですか?」
「城で、侍女たちが噂していた」
「ああ、なるほど」
白鸞は、尋ねれば必ずきちんと答えが返ってくる。その内容と、未だに腑に落ちない顔をしているのをみて、元化は少し笑ってしまった。たしかに白鸞は、人々の容姿、美醜には興味がなさそうではある。
「整った顔を見ると、元気が出るものなのか?」
「それも侍女さんが?」
「ああ」
尋ねられた元化は、面白いなと思う。紫鸞などは、よくわからないことがあっても、特に興味がなければそのままだが、白鸞はこうして、理解しようとする。なんでも一人で片付けようとする白鸞の、こういう一面が本来の彼の性質なのかもしれないと思った。
「見ていて気持ちがいい、ずっと見ていたいと思うものを美しいと呼ぶんだと思いますよ。白鸞殿は、ずっと見ていたいと思いますか?紫鸞殿の顔」
「…いや、ずっと見ていると腹が立つ」
「あはは」
それは容姿が理由ではないなぁ、と元化は笑う。きっと本当に、白鸞は人の顔の良し悪しなど気にしたことがないのだろう。元化からすれば、それはとても好もしく思えた。
「紫鸞殿、もうすぐ帰ってくると思いますよ。顔でも見て、元気になって帰ってください」
元化がそう言うと、白鸞はわかりやすく顔を顰めた。
「私は健康だが」
「そうですか?じゃあそのクマは俺の見間違いかなぁ」
「医者の不養生には気をつけろ」
白鸞は吐き捨てるように元化を気遣って、部屋から出ていった。その背中にちゃんと寝てくださいねと声をかけながら、元化も薬草に向き直る。紫鸞はいつも、白鸞に会えるかどうかは運次第だと言っているから、せめて幸運を祈ることにした。さて、と薬草に手を伸ばしたところで、廊下の奥から白鸞の声が聞こえてきた。ちょうど、紫鸞が戻ってきたらしい。紫鸞の運の強さで、白鸞も元気になるのだから、一石二鳥とはこのことなのだろうと思う。随分と大きく、随分と貴重な鳥ではあるが。
「白鸞殿も、顔がいいと思いますけどね」
どうせ紫鸞に言ってみたところで、先ほどの白鸞と同じように首を傾げるのは目に見えている。それでも紫鸞は、白鸞の顔ならずっと見ていたいと言うだろうけれど。その様子がありありと想像できてしまって、元化はついつい、一人で笑ってしまった。
花実は止血に、木は魔除けとして(紫白+元化)
10/24/2025
秋はきもちがいいと元化は思う。空は軽くなり、陽は夏に刺した肌を労るように撫でてくれる。過ごしやすく、食欲も出て、夜もぐっすり眠れるようになる。さらには木々は葉の色を変えて目を楽しませ、多くの田畑が収穫を迎えるのだ。秋の実りは甘いものも多い。秋は、きもちよさと甘さを含んでいる。
そんなことを思いながら、秋のうちに蓄えておかねばならない薬草を探しに山に入った元化は、近くでせっせと木の実を拾ったり採ったりする紫鸞を、視界の端に捉えていた。その場で口に入れるのかと思いきや、手持ちの布を広げて包んでいる。たまたまついてきただけの紫鸞だったが、今や元化が薬草を探すよりも熱心に木の実を集めていた。食べられるものも、食べられないものも、元化がよく知らないものも。元化は薬草を摘みながら、楽しいならまあいいか、と特に尋ねることもしなかった。
秋の夕は、せっかちにやってくる。傾き始めた陽に気づいた元化がそろそろ帰ろうと腰を上げると、紫鸞の姿が見えなかった。木の実を求めて藪の奥へ入っていってしまったのだろう。やれやれ、と大声て紫鸞を呼ぶと背後でざわりと低木が動いて振り返る。
「そろそろ帰…」
りましょうか、とは続けられなかった。そこにいたのが熊だったからだ。永遠とも思える一瞬、見つめあって、
「うわぁー!!!!!!」
元化はなんとか、大声で叫んだ。熊が一歩下がるのと同時に急に強く後ろに引かれ、吸おうとした息が詰まる。もう一頭いたのかと思った矢先、近くから小さく謝罪が聞こえてきて、どうやら紫鸞が元化を抱えて走っているのだと知れた。紫鸞はそのまま、待たせていた馬に飛び乗って走り出す。紫鸞の馬は急かされるままにしばらく全力で走った。元化はとにかく、摘んだ薬草を落とさないようにと必死だった。
「いやぁ、びっくりしました」
無事に屋敷に辿り着き、元化が一息つきながら薬草を入れた籠を下ろすと、紫鸞もじゃらりと木の実を包んだ布を置いた。木の実を集めるのに夢中になって、熊に気づくのが遅れたらしい。秋でよかった。冬眠を控えた彼らは食べ物を探してはいるが、腹を空かせた春の熊よりも少しばかり穏やかだ。元化は、自分の不注意も謝罪して、助けられたことに感謝を述べた。それから、元化は紫鸞の布の包みを見やる。
「随分集めましたね。食べるんですか?」
そう尋ねると、紫鸞は布を開いて中身を見せた。
———薬になるものがある。あとは、次に白鸞が来たらどれが食べられるか聞く
紫鸞はじゃらじゃらと木の実をかき混ぜながら、薬になる(はずだ)というものを次々と拾って元化に渡した。槐の実だった。
———それからこれは
木の実の仕分けを続ける紫鸞を眺めていると、紫鸞はふと手を止めて、乾いた木片を取り出した。
———お守りになる
なるほど。倒れた木もあったらしい。元化は、その木片の使い道に予想がついて微笑んだ。紫鸞の健気さを見るのは、元化にとって、きもちがよかった。
数日後、白鸞は、銀杏と栗を持って現れた。栗はすでに火が通してあって、いくつかを紫鸞と並んで食べていた。それから紫鸞の集めた木の実を細かく仕分けて、元化に追加でいくらかの木の実を渡すと、紫鸞の渡した木の珠をいくつか、腰紐に通して帰って行った。白鸞の背を見送った紫鸞の腰紐にも、見慣れない木彫りの飾りが揺れている。白鸞が持ってきたものだ。それもきっと槐だろうと、元化は思う。紫鸞ほどわかりやすくないだけで、健気な人がもう一人居るなぁと思いながら、元化は白鸞の置いて行った栗をつまんだ。秋は、きもちよさと甘さを含んでいる。
今更なんだが、俺は韓当。よろしくな(紫白+韓当)
11/4/2025
紫鸞と白鸞が連れ立っているのを、以前より少しだけ頻繁に見かけるようになって、韓当はふと、気づいたことがあった。彼らは席に着く時、当然のように並んで座るが、時々、間に一つ空席を作るのだ。当初は、喧嘩でもしているのか、それでも隣に座るのだから仲が良いものだと微笑ましく眺めていたが、どうやらそうでも無いらしい。そもそも二人は、紫鸞が白鸞にあれこれ言われる事があるだけで、喧嘩らしい喧嘩をしているのは見た事がない。見慣れている喧嘩が派手なものだから、そうとわからないだけかもしれない、と考えた時期もあったが、よくよく見ていると、どうやらそうでもなさそうだった。間に空席を作る時、二人は特に言葉も交わさず、目配せもせず、さも当然のように一つ空ける。何度かそれを見かけると、韓当はもう、理由が気になって仕方がなかった。
「…別に良いではないか」
程普や黄蓋に話を振ってみても、彼らは存外、個人的な事や細かい事は深掘りはしないようで(それが白鸞が懐く理由でもあるのだが)、するりと流されて取りあってもらえなかった。
韓当は、自分の存在が目立たないのを良いことに、機会があるごとに二人を眺めた。目立たないといってもそれは「一般的に」というだけで、特別眼が良い二人には全てが筒抜けだったようで、程普や黄蓋を経由して何度か苦情が入った。しかし韓当は、直接言われるまではいいだろう、と適当に言い訳を作り、そしてその日も、間に一つ空席をつくって座る二人を眺めていた。運ばれてくる料理を、二人は静かに食べる。彼らの会話は、聞こえる時もあるし、口を開かずに何かを言い合っている時もある。間に一人分の距離を置きながら、紫鸞と白鸞は、その日もああだこうだと言い合いながら(少なくとも韓当にはそう見えた)、料理をするすると腹に収めていく。しばらくすると孫権につかまって、二人してしこたま飲まされ、孫権の注意が他に行った途端に彼らは水を飲んで卓につっぷした。少し同情をしながら、韓当は離れたとこらから悠々とそれを眺め続ける。たしかに、目立たないというのは役に立つなぁと、ようやく思った。しばらくして二人は顔を上げると、ちびちびと、再び食べ物をつまみ始めた。白鸞が小皿に料理を取り分けて紫鸞に渡すのを微笑ましく見ていると、白鸞は二つ目の小皿を空席の前に置いた。それから三つ目の小皿を自分の前に置くと、もう食べ終わりそうな紫鸞に呆れたような眼を向け、自分の分を食べ始めた。それからすぐに自分の小皿を空にした紫鸞は、けれど、空席の前に置かれた皿に手をつける事はなく、他の料理に手を伸ばす。それを見て、韓当は突然にひらめいた。
居るのだ、あの席に。誰か、二人の仲間が。
韓当の背筋は一瞬冷えたが、途端に白鸞と目が合ってしまった。韓当の視線の先が手付かずの小皿に注がれているのに気づくと、白鸞はその小皿を紫鸞の方へ押しやった。こうなってしまってはただ眺めているわけにもいかず、韓当は二人のいる卓へ近づくしかない。正直なところ、少し怖かった。けれど、その誰かと卓を同じくできるのは、なんだかうれしかった。自分がからかえば白鸞はつんけんとするし、食べ物を取り分けてやれば紫鸞はまたするすると平らげる。それが誰なのかはわからないが、二人のそんな様子を見せてやれるのだと思うと、なんだか気分がよかった。
鏡里孤鸞(元化と孫策(と紫白))
11/13/2025
「邪魔するぜぇ」
簡単に礼をとりつつも元気に屋敷に入ってきた孫策を、元化は家主の代わりに迎え入れた。手土産だと渡された肉まんと酒を受け取りながら、
「紫鸞殿なら居ませんよ」
と一応告げてみる。全くこの国の要人たちは、勤めを蔑ろにしているわけでは決してないのに、ふらりと紫鸞を訪ねてきたり、街中に急に現れたりする。元気なのはいいことだと元化は思うので、特に何かを言いたいというわけではないが、その裏でやきもきしている者も少なからず存在していることは知っているので、それを大袈裟に喜んだりもしなかった。雲が風に合わせて流れるように、きっと、そういうものなのだ。
「相変わらずか。どこに行ってんだ?」
「さぁ、俺にはなんとも」
「白鸞のところかぁ?」
「かもしれませんけど、本当に知らないんです」
孫策のそれが独り言に近いのも知っているし、知らないことを知らないと言ったからといって咎めるような男でもない。そうわかってはいても、元化は念の為、紫鸞の行き先も予定も知らないのだと告げた。もし白鸞のところに行っているのだとして、その場所を元化は知らない。紫鸞が決して話さないからだ。
「仲が良いっつーかなんつうか」
気さくな様子だが貴人ではあるので、元化はこの屋敷で一番上等な茶器で、健康に良い茶を淹れた。弟子はといえば、客間には寄り付かず、自室の隅で息を潜めている。
「まぁ、…もし急に、内通者のせいでこの国全部がなくなって、孫策殿と周瑜殿だけ生き残ったら、それって『仲が良い』、なんですかね」
元化の言葉には言葉以上の含みは無かったから、孫策も素直に、言葉通りに受け取った。
「なるほどなぁ」
孫策は窓の外を見ながら相槌を打って、それからさりげなく、茶を褒めた。偉い人も大変だな、と少し思いながら、元化は茶の効能を簡単に説明した。孫策がそれを少し包んで欲しいと言うので元化が支度をする。その横で、孫策は相変わらずのんびりと、窓の外を見ながら茶を飲んだ。
「その割に白鸞はつんけんしてないかぁ?」
「周瑜殿って、あなたに甘いばっかりなんですか?」
「お前は説明が上手い」
「あはは」
元化はついでに、毒消しの薬草も少し包んだ。
「変なきのこ、もう食べちゃだめですよ」
「なんでお前が知ってんだ」
「この前酔い潰れた紫鸞殿を運んできてくれた周瑜殿も酔っていて、五回くらいその話をしてくれました」
「あぁ、あん時か…」
孫策は神妙な顔をして包みを受け取って、礼を言って屋敷を去っていった。元化は弟子を大声で呼んで、自分の作業に戻ることにする。おそらく数日後には、周瑜から茶の礼が届くだろう。
元化は、卓に置かれた肉まんと酒を、紫鸞の部屋に持って行った。なんだかんだ三人前ほどもあるそれを見て、少し笑ってしまう。孫策は細かいことが苦手ではあるが、気を遣えない男ではない。一人で全部食べてもいいし、誰かと食べてもいい。紫鸞はもう、自分から誰かを食事に誘えるようになったのだから。
是是非非/生生流転(程普と白鸞)
11/16/2025
たまには顔を見せろ、と声をかけてから、白鸞はごく稀に、本当に顔を見せにだけ程普の部屋を訪れることがある。
その日も、白鸞は音もなくやってきた。するりと入ってくる白鸞を目の端にとらえると、程普は忙しなく動かしていた筆を置き、顔を上げた。いつものように適当に腰を落ち着ける場所を探していた白鸞は、それに気づいて訝しげに一歩下がる。それを見て程普は、ゆっくりと口を開いた。
「お前に聞けと言われていることがある」
挨拶も無く労りの言葉も無いが、白鸞が過剰なそれらを好まないことは知っていたので、程普は遠慮せず先を続けた。
「答えなくとも良い。また顔を見せに来るのであれば」
要件のみの言葉を聞いて、白鸞はじっと程普を見ると、部屋の入り口あたりの壁に背を預けて腕を組んだ。
「聞くだけ聞こう」
一応は留まる姿勢を示したので、程普も白鸞の方へ向き直る。
「お前が、孫権様のために色々と働いてくれているのは多くの者が知っている。なぜ士官という形を拒むのだ?」
「…魯粛か」
「まぁ、そのあたりだ。紫鸞とて、官位を拒んだにせよ形はとっている。一度は敵対していたからとお前は言うが、甘寧もそうだ。他に理由があるのではないか?」
「聞いてどうする」
「どうもせん。内容によっては、吾輩の胸に留めるのみだ。言ったであろう、答えなくとも良い」
白鸞はじっと程普を見ていた。少し俯いて、長い前髪が目元を隠し、普段通りにただ閉じただけの口元からも、その心は読み取れない。しばらく見合って、程普はため息をつくでもなく、姿勢を戻して筆に手を伸ばした。もとより、黙って入ってきて黙って出ていくのが白鸞だ。役目でもあるから声をかけてはみたものの、好きにすれば良いと思っている。程普は存外、この物静かで、頑固で、自分にも他人にも厳しい若者を気に入っていた。
「紫鸞が記憶を取り戻す前から、あれが『太平の要』だと気づいていた者がいたと聞いた」
程普が白鸞から目を逸らすと、白鸞は口を開いた。本当に猫のようだなと思いながら、相槌は打たないでおく。
「我らがどのようなものかを知りながら、それでもお前たちはあれを戦場に出した」
太平の要は、多くの民の生活を守るために、それを脅かす者の命を奪うことを役目とし、理想への妥協としている。故に戦場に出ることはない。雑兵たちの多くは平時には民であり、そこで奪われる命は、本来太平の要が守るべきものなのだ。
「我らは武人ではない。どのような風が吹いていようとそれに乗って飛ぶ。だが、不快な風の中は飛びたくない」
宙に浮いていた程普の手は、筆には届かず机の上に戻った。相槌は打たないが、外していた視線を白鸞に戻す。
「飛ばずに、生きられるか」
その言葉に、白鸞は一度目を閉じ、おそらく全てを隠してから瞼を上げた。組んでいた腕を解く。
「死なずにいることは、生きることよりもいくらか容易い」
静かにそう言うと、白鸞は壁から背を離した。
「また顔を見せに来くるのだぞ」
背を向けられる前に程普が言うと、白鸞は口を引き結び、踵を返す。返事を期待するというよりは程普の願いだったので、まあよいかと再び筆を取ろうとすると、
「私の足が、まだ動くうちは」
と小さな声が耳に入ってきた。顔を上げて戸口を見やると、白鸞はもう居なかった。時折、白鸞が紫鸞を片翼と呼ぶのを、程普は知っている。おそらくもう片方の翼は、失われたのだろうということも。自らを鳥に喩えながら、彼はもう飛ぶことはないのだと、程普は解した。そして、今度こそ筆を取る。報告のための竹簡に、迷うことなく、答えは得られなかった、と認めた。