今となっては、ブラウン管を使っているテレビを見かけることは殆どありませんが、2000年代初頭まで、多くのテレビにはブラウン管が使われていました。また、ブラウン管はテレビだけでなく、計測、観測などの用途で重用されており、ブラウン管が発明されていなかったら、現代の科学技術の多くは成り立っていなかったかもしれません。
ブラウン管の発明は、2極管や3極管の発明よりも古く、1897年にドイツのF. Braunが最初に発明したと言われています。しかし、ブラウンの発明以前に行われていた真空中の放電現象の研究により、1869年にドイツの J. Plücker、J. W. Hittorf が陰極から放射線が出ていることを発見し、その放射線を1876年にドイツの E. Goldstein が陰極線(Cathode Ray)と名付けたことから、ブラウン管のオリジナルとも言うべき陰極線管(Cathode Ray Tube)が誕生しました。
ブラウン管が発明されたものの、その有用性が広く認められるには、3極管の実用化によって電子回路技術が誕生するのを待たなければなりませんでした。それまでは、物理学の研究用途で試作されるものばかりでした。
世界で最初に製品化されたブラウン管は、1921年に米国Western Electric社が製品化したWE-224A型でした。また、日本で最初に製品化されたブラウン管は、1926年に東京電気が製品化したブラウン管A型でした。何れのブラウン管も、Ar希ガスが封入されている軟真空で、Ar希ガスの放電を利用して電子ビームを発生、収斂させていました。その為、長時間使用することは出来ませんでしたが、電気信号の観測技術や画像生成技術の誕生に大きく貢献したであろうことは想像に難くありません。
尚、1926年に高柳健次郎が日本で最初にテレビの実験に成功した際に使用したブラウン管は、東京電気製ブラウン管A型仕様でした。
HASEKO-KUMA HAL では、WE-224A型ブラウン管と東京電気製ブラウン管A型仕様を展示しています。
WE-224A型や東京電気製のブラウン管A型の後、ブラウン管も高真空技術が導入され、動作特性が安定になるだけでなく、高性能化が進むようになりました。高性能化されたブラウン管によって、様々な観測装置に利用されるだけでなく、テレビの画像デバイスとして、一般家庭でも普及するようになりました。
米国Western Electric社製 WE-224A型ブラウン管
WE-224A型ブラウン管は、1921年に世界で最初に製品化されたブラウン管です。熱陰極から放射される陰極線を2組の平行板電極の電界よってX軸、Y軸方向に偏向させて、蛍光面に照射させる構造になっています。このブラウン管では、Ar希ガスが封入されており、300~400V程度の電圧で動作させることが出来るのが特徴の一つだったようです。Ar希ガスが封入されていた軟真空であったため、動作可能時間は200時間程度でした。
ちなみに、当時、電気信号の観測技術は他の手法もありましたが、大掛かりな装置であったこと、動作周波数が100Hz程度と低かったこと等の問題がありました。これらの問題を考慮すると、WE-244A型ブラウン管で電気信号を観測できたことは、画期的であったに違いありません。
展示しているWE-224A型ブラウン管は、既に蛍光面から蛍光体が剥離しています。当時の電子管製造技術では、安定に蛍光体を蛍光面に付着させることは難しかったのではないでしょうか。
東京電気製ブラウン管A型仕様
1926年に、東京電気は日本で最初にブラウン管(商品名「ブラウン管A型」)を製品化しました。ただ、ブラウン管A型についての明確な仕様を確認できていません。現在、保管している東京電機製ブラウン管については、ブラウン管A型仕様と呼ぶことにしています。
1926年には、高柳健次郎が日本で最初のテレビジョン実験に成功し、その成果を1927年に電気学会で発表しました。その実験で、東京電気製ブラウン管A型仕様が用いられました。
この東京電気製ブラウン管A型仕様を見ると、WE-224A型ブラウン管からの改良箇所が見受けられます。先ず、蛍光体が蛍光面にしっかり付着しています。これは、蛍光体の塗布技術が格段に向上したと考えられます。次に、WE-224A型には無かった複数の電極が追加されており、電子ビームの強度やサイズ等の制御を意図したものと考えられます。