木本昌美さんインタビュー

CODAトランスの親として

 こんにちは。木本昌美です。サインネームは胸の前で両手グーを交互に上下に動かして「楽しい」を表現します。いつもうれしい時、このポーズをするのが癖で、お出かけや買い物に誘われると「ヤッター!」とこのように喜びを表現するのでサインネームになりました。

〜そうなんですね。『かなたいむ』で楽しそうな様子をみています。

 見るのは好きですね。かなたは昔は舞台で劇の経験もあり、撮られるのも良いけど、見る方が好き。大学の進路は福祉ではなく映像学科を選んで作品を作っていました。自分が撮られるより撮る方が好きみたい。私は聴衆がたくさんいる講演のような場所で話すより、1対1で相手と向かい合ってお話しする方がラクですね。カメラに向かって話す時もそこに誰かいると思って話しています。

〜かなたさん自身、トランスジェンダーだとカミングアウトし、YouTubeで活躍されていますが、お母様はどのように受け止めていらっしゃいますか?

 今だから話せますが、子どもは幼い頃、ピンク色の服を着るのを嫌がりました。「ピアノの発表会だからちょっと我慢して着て」と言っても「黄色か水色が良い」とゆずらず、結局望む色の服を買いました。おばあちゃんがくれるピンクの服はその場ではしぶしぶ着るのですが、自分の家に帰ったらすぐに脱ぎ捨てていました。少し大きくなってみんなでキャンプなどに一緒に遊びに行った時、うちの子は部屋の隅で一人でポケモンや動物の本を読んでいました。同じ部屋でお友達がままごと遊びをしていても、その中に入ることはなく一人でゲームをしていました。その頃から何か戸惑いがあったのかな…と。

〜当時、LGBTQ+という言葉もなかったんですよね

 ありませんでした。当時、そんな言葉も知らなかったし、違和感はあったけど「自分だけかな…」と思っていたようです。髪型はロングにするのを嫌がり耳の下ぐらいまでと決めていましたし、ショートヘアで男っぽくしていてもおかしくないという理由で女子野球部に入っていました。大学に入ってとても仲良しの子に「実は…」とカミングアウトしたらその子が「あなたと同じような人は先輩にもいるよ、あなただけじゃないよ」と言ってくれてホッとしたみたいです。

 「成人式で振袖は絶対着たくない」と。でもおばあちゃんがせっかく着物を用意して楽しみにしてくれていたので私が「前撮りだけ我慢して振袖を着て、成人式当日はおばあちゃんも誰も来ないから自分の好きな服装で良いから」とお願いすると、了承してくれました。とにかく女性として振袖を着るのがイヤだったようで、前撮りの時も「髪型はこのまま、化粧はしない」と。野球で日焼けして顔はまっ黒なのに。結局、口紅だけつけての撮影となりましたが、目が大きいのでカバーできました。

 前撮りが終わってホッとした時に手紙を渡されました。「やっぱり自分は男です。女としてOLになって就職するのは絶対イヤなので、アルバイトします」と。それを読んで「どうして…?でも冗談でこんなこと書くはずないし…」と思うと同時に昔の色んなことが頭に浮かんできて「そうなんだ」と。そのあと誰にも見られないようにお風呂で1時間泣きましたが、「いつまでも泣いていても仕方ない。前向きに考えよう」と思い切りました。その後「仕事で福岡に行く」と出発した子どもとチャットでつながった時、「実は胸オペのためにタイにいる。手術も終わった」と嬉しそうに話したのでビックリ!実際帰国した子どもの胸のふくらみはなくなっていて、私は言葉を失い、固まりました。気持ちの整理がつかない中、次は名前を今までの名前から「奏太」に変更許可する書類が裁判所から届きました。

 TVで活躍する沖雅也(故)さん、カルーセル麻紀さん、ピンキー、美輪明宏さん、美川憲一さん達を視聴者の立場で楽しく見ていましたが、いざ自分の子が…となると、気持ちは複雑でした。

 そのあと息子からろうLGBTQ+の集まりがあると聞き、当事者の講演会に初めて参加したところ、手話の教え子や学校の同級生、通訳者など知り合いがいっぱい参加していました。「性別の4つの構成要素」というスケールで、自分はどこにいるのか、はっきり男/女ではなく、男性寄り、女性寄り、中間…と色んな位置にチェックが入る事を知り、まわりの人達も同様であるのを見てホッと安心しました。それからは色んな所へ出かけて学習して新しい世界に入った感がありました。しかし、同時に今まで友人だった人と考えが合わなくて別れることも出てきました。友人から「LGBTQ+の考え方は間違っている」とか「お金儲けのためにサーカスみたいに見世物にしてる」と言われてショックでしたが、そういう友達はいらないし、逆に山本さんみたいな新しい友達が増えて受け止める気持ちが大きくなったように思います。

〜そのようなプロセスを経て、かなたさんの現在の活動を見ていて感じることはありますか?

 

 頑張っていると思います。聴者だけでなく、ろう者、知らない人、大学生、学生に向けて一人で悩まないようにと発信しています。「もし何かあったら一人で悩まないでコメントください」「聞こえない両親に感謝しています」という言葉はとても嬉しい。聞こえる聞こえない関係なく人として向き合うことが大切だと思っています。奏太のYouTube等の視聴者が増えているのも嬉しい。

 初めはすぐに認めることができたわけではないけれど相手を変えることはできないから、自分を変えるというか、やっぱりLGBTQ+のことを勉強して理解することが必要だと思います。本を読むだけではわかりません。実際に会って喋って、相手のリアルな姿を知ることで世界が広がり友人が増えます。みんなから「見てるよ」と声をかけられて(タレントとしてではなく、発信者として活動している奏太のことを)うれしく思っています。

​ 暗いトンネルの中にいたのが、そこに一筋の光明が差しこみ、その光が徐々に広がって目の前が明るくなるイメージ。人生とはそういうものでこれからも「トンネルに入る」「抜け出す」ことを繰り返していくことでしょう。


〜皆さんに伝えたいことは?


​ 生きることが楽しいです。病気を経験した人はわかると思いますが、生きているということは有難いことです。以前、明石家さんまさんが「生きてるだけで丸もうけ」と言っていましたが、本当にその通りだと思います。命があって、歩ける、食べれるだけで十分です。以前病気をして入院、退院した後に嬉しくて虹をたくさん描きました。


〜昌美さん自身もアート活動をされていますよね。


 2024年1月の初めごろ天王寺の茶臼山画廊で6日間個展をします。今回は細かい描写の作品を予定しています。生きていたら悩みがあって当たり前で、悩みの無い人はいません。「ピンチはチャンス」という言葉もあります。どん底まで落ちたらあとは上がるだけ。私は何回もピンチに陥りましたが、その度「大丈夫、大丈夫」と乗り越えてきました。そして時には妥協する事も大切だと思います。お金よりも人の出逢いや時間を大切に、健康に留意して、毎朝目を覚まして「生きている」と実感できることがうれしいですね。


 「LGBTQ」だから「ろう」だからではなく、人として尊重すること、自分の考え方が異なる人と出会った時も、否定するのではなく、「そういう考え方もある」と受け入れるようにしています。国会でも「日本から出ていけ」とか「隣にいて欲しくない」とか色んな問題発言が出ていますが。


(2023年8月)