日本手話で長く使われてきたジェンダー表現

Deaf LGBTQ Center 山本芙由美 

1. 日本手話の背景


 現在の日本手話は、明治の初めに京都をはじめ、各地でろう学校が設立されて以降に形成されていったものである。最初の形成にはろう学校の聞こえる教師などが大きく関わっており、聞こえる人を中心とした文化からの影響がいたるところにみられる。日本手話がろうコミュニティの形成で重要な役割を果していることは研究等で明らかにされている。


 京都盲啞院の設立は明治11年(1878年)である。この時代では選挙すらまだ実現していない時代であり、ましてや女性の参政権などは認められていなかった。日本における女性の参政権は、1945年、第二次世界大戦の敗戦を経てやっと認められるのである。こうした男尊女卑の思想は、明治〜大正の頃は今の私たちが想像できないほど強く、手話がそうした思想から全く影響を受けなかったと考えることの方が無理がある。明治、大正を経て形成されていく手話の中に、それは大きく根をおろしている。

2.手話におけるジェンダー表現

  日本手話におけるジェンダー表現、つまり、男性/女性を区別する手話表現として、男性は《親指を立てる》形で、女性は《小指を立てる》形で表現される。これは元々、聞こえる人々の間で使用されてきた手指表現がそのまま取り入れられたものであり、これ自体が「親指=大きく構えている感じ」、「小指=細くか弱い感じ」といった視点が含まれているとするのは、考え過ぎだろうか。

 日本手話で「人」を表す表現はその多くが「男」で表される。「男」ではない表現を探すのが困難なくらいである。

 「医師」《脈をとる+「男」》や「先生」《教鞭に見立てた人差し指を振り下ろす+「男」》などの職業は全て「男」で表現され、それに伴う「試験」《両手の男を相互に上下させる》なども「男」が競い合う形である。かつて、そうした職業や高等教育は男性が占めていたのであり、女性がそこから締め出されていた時代の名残と考えられる。「敬う」《「男」に手を添えて持ち上げる》も、その対象は男なのである。

 また、「結婚」は「男」と「女」をくっつける形で表現されるなど、日本手話の中にはこうしたジェンダー表現が実に多い。それはアメリカ手話と比べてみると明確である。

日本手話の結婚

3.アメリカ手話との対比

 アメリカ手話で「男」は《広げた手の親指を額に当ててから、それを下ろして胸に当てる》表現で、「女」は《広げた手の親指を顎に当ててから、それを下ろして胸に当てる》表現である。アメリカ手話のジェンダー表現は、顔の上半分(男性)、下部分(女性)で表される。この上半分と下半分というのは鶏のトサカのオスとメスの特徴や違に由来しているそうだ。こうしたアメリカ手話のジェンダー表現は「家族構成」を表す言葉に多い。夫や妻、兄弟、姉妹、いとこ等も同様である。しかし、それ以外の言葉の中にはほとんどみられない。「結婚」は手を握りあう表現で、「通訳」はお金を表した両手をくっつける形で表され、これらの中にジェンダー表現は含まれていない。

ASLの結婚

4.ジェンダー表現の弊害

 日本の手話表現では「〇〇さん」という時の「…さん」は「男」「女」を加えて表す。しかし、これはいちいち確認しないと表せないという問題がある。手話通訳者が「〇〇さんは男性ですか?女性ですか?」と発言者に確認している場面を何度か見たことがあるだろう。

 女性の医師や教師が増えるにつれて《脈をとる+「女」》、《教える+「女」》といった表現が使われるようになってきた中で、これもまた同様に男か女かを確認する必要が出てきている。

 では、「男でも女でもない性」の人たちの場合はどうなるのだろう。これまで差別を恐れて名乗り出ることができなかった人たちがカミングアウトするようになってきている。そうした人々にとって、無理に「男」か「女」かを決めて表現されるのは大変苦痛である。

 また、台湾は同性婚が社会的に認知されるようになっており、いずれは日本でも同性婚が法的にも認知されるだろう。その時は「男」と「女」をくっつける「結婚」の表現は不適切になっていくだろう。

人称代名詞1     人称代名詞2     人称代名詞3

5.多様性を受け入れられる社会

 関西地方では「仕事」は紙をさばく仕草で表現する。昔は関西地方ではろう者の仕事は印刷関係が多かった(それ以外の職業には就きにくかった)ことからきいている。今はろう者の仕事の範囲はとても広くなってきている。それでは、この「仕事」の表現は時代にそぐわない不適切な表現なのかというと、そうはならない。それは、印刷以外の職業だからといって差別されるわけではないからである。

 ところが、ジェンダー表現の場合、差別をともなうことが多い。性は男か女かどちらかだけ、それ以外の性はあってはならない。結婚は男と女の間だけ、男同士、女同士などあってはならない。そうした考えがまだまだ多い中で、自分たちの手話の中にあるジェンダー表現がそれを目にするたびに苦しくなるものとして存在する。

 そして、男でもない性や女でもない性、どちらでもない性の人たちの中には、それらが積み重なって自殺に追い込まれていった人もいる。「多様な人たちがいる」ことをどうか知ってほしい、疎外しないでほしいと思う。

 まず、私たちは「同性愛」などの言葉の手話を、きちんとした理解にもとづく表現で表してほしいというところから一歩を踏み出したばかりだ。日本手話で長く使われてきたさまざまなジェンダー表現について、これから共に考えていきたいと思っている。

季刊みみ第166号(2019年冬号:全日本ろうあ連盟発行)より転載